「勇樹君。本当にありがとうね」
美里が加わって、より食事会が賑やかになってきた頃。美里は柔らかな笑みを浮かべ、勇樹に向かって頭を下げた。
「え!? あの顔を上げてください!」
「いいえ。勇樹君が愛ちゃんを助けてくれなかったら、私はこうして愛ちゃんの笑顔を見ることは出来なかった……」
「あ……」
今も店内の掃除を行っている愛。その顔はとても清々しそうに、まるで綺麗になっていく店に比例するかのようだった。
「だから、本当にありがとう」
「俺は……いえ、どういたしまして」
否定しかけた勇樹だったが、面と向かってお礼をしてくれた美里の気持ちを汲んであげるべきだと思い留まった。
頑なに自分を曲げないという美里の人となりも知っていたため、尚更だった。
「でも、決して俺だけの力じゃなかったのは確かです。たまたま運が良かったことだってありましたから」
もし、勇樹が愛と連絡を取り合っていなければ……あの日、心配して家に行かなかったら……犯人がやって来なかったら……そもそも、愛と出会っていなかったら……。
全てが上手いように繋がってくれたからこそ、今がある。勇樹はそう感じていた。
「そうね。でも、運も実力のうち……って言い方もできるわよ?」
「……からかわないでください」
何とかして褒めようとする美里。ぶっきらぼうな反応を返す勇樹を見て、美里は微笑むのだった。
一方の勇樹は、内心では照れを隠すのに精一杯で、小皿のもんじゃを一口摘んだ。
「勇樹君には本当に感謝してるの。私にとって愛ちゃんは大事な妹だから……血は繋がってないけどね」
「ずっと昔から一緒にいたんですから、そう思って当然ですよ」
そう言い勇樹は、また愛の方へと視線を向ける。
すると視線に気づいたのか、愛は勇樹達の席へと向かっていった。
「二人ともなんの話ししてたの?」
「なんでもない」
「うふふ〜」
「えー!なになに気になるじゃんかぁー!」
「──っ、ちょ……待てこら!揺らすな」
二人の意味深な反応に痺れを切らした愛は、勇樹の肩をこれでもかと言わんばかりに全力で揺らしていた。
「……うっ」
「こらこら、愛ちゃん」
「あっ……ごめん」
「……ちょっとトイレ借りる」
口元を抑えながら勇樹は席を立った。タイミング悪く、もんじゃが胃に入ってる状態で揺らされたのが原因だった。
残された愛は肩を深く落とし、勇樹を気に掛けていた。
「はぁ⋯⋯⋯」
「ヤキモチ焼いちゃったのね~」
「⋯⋯へっ?」
美里の言葉でガチガチに固まった愛。ギギギ、と錆びた歯車のように音を鳴らし愛が顔を上げると、美里が微笑ましいものを見るかのように柔らかい笑みを向けていた。
「愛ちゃん、勇樹君の事が好きなのね」
「──っ!?な、なんで⋯⋯?」
「違うの?」
「え⋯⋯あ、あたしは⋯⋯」
愛は、膝の上に置いた両手をギュッと握りしめていた。自分の気持ちを言葉にできないもどかしさ。堂々と答えられない自分への失望、悔しい気持ち。そういったものがそのしぐさから溢れ出ていた。
「あたしは⋯⋯」
思い起こされる勇樹との思い出。初めて出会った時の事、一緒に笑いあった事、ドキドキしながら初めてのメッセージを勇樹に送った時の事、返事が返ってきたときの喜び。
一緒に食べ、一緒に歩き、時には寄りかかることもあった。
──いつも勇樹さんがいてくれた。
それでもまだ、愛はたった一言が言葉にできなかった。
「⋯⋯おねーちゃん」
「なに?」
「例えば⋯⋯その人の事を考えると、胸がぎゅ──って締め付けられるみたいに痛くなってね。ふとした時でも思い出すのはいつもその人でね。それで、いざその人に会えるとぎゅ──ってして痛かったのがスッ、って消えちゃって、今度は胸が暖かくなって幸せな気持ちになるの⋯⋯」
今、繰り返し何度も愛の中で再生されるのは常に新しい思い出だった。それは自分がどん底に突き落とされ二度と日の光を浴びれないのではないかと膝を抱えていた日の事。震える体を強くたくましく抱きしめてくれた暖かい腕。その腕に引かれて目にした、どこまでも広がる青い空と眩しく輝く太陽。
そして──
──これ以上、宮下に近づくなよ。俺は大事な友達傷つけられて平気でいられるほど心が広くないんだ。知ってるか?あいつ泣いてたんだぞ⋯⋯いつも太陽みたいに眩しいくらい笑って寄り添ってくれるあいつが!俺に泣いて寄りかかったんだッ!あいつがどれだけ傷つけられて辛い思いをしてたか分かるか?⋯⋯いいか?今後一度でも、俺の大事な友達の笑顔を曇らせてみろ⋯⋯俺はどこまででもお前を追いかけて後悔させてやる。絶対だッ!
自分を苦しめていた男の胸倉を掴み、見たことも無い表情で自分のために怒ってくれた。他の誰でもない自分のために⋯⋯。
「おねーちゃん、これってなに⋯⋯?」
問われた美里にはその答えは明白だった。そして最後は自分の後押しが必要だという事にも気がついていた。
「そうねぇ⋯⋯愛ちゃんは私の事好き?」
それは美里からの手助けだった。
「も、もちろんだよ!おねーちゃんはあたしにとって大事なおねーちゃんだもん」
「ありがとっ。じゃあ、いつもお店に来てくれるお客さんたちは?」
「もちろん好きだよ。小さいころから可愛がってもらったし⋯⋯好きだよ」
「学校のお友達は?」
「好きだよ。大事な友達だから⋯⋯」
それじゃあ、と美里は間髪入れず声を紡ぐ。
「──その人の事を想いながら"好き"って口に出してみて?」
「⋯⋯っ」
口を閉ざす愛。それでも、愛の口は自然とその重い唇を開いて行く。
「──すき」
吐息のように透明な今にも溶けそうな小さな声。
「⋯⋯すき」
喉の奥から絞り出すような苦しい声。
「好き⋯⋯好き⋯⋯」
一つ一つを大切に、丁寧に、しっかりと繋ぐような声。
「好き⋯⋯好き⋯⋯大好き⋯⋯っ!」
全てが結び付き、一つの大きな声が産まれた。
「大好き⋯⋯大好き!大好きだよぉ⋯⋯」
溢れだす想いが止まらず、愛の目元で揺れるしずくが一滴。
美里はゆっくりと立ち上がり、愛の傍に寄り添った。
「どうしよ⋯⋯止まらない⋯⋯おねーちゃんっ」
「いいの。今は止めなくて。全部出しきっちゃお?今だけは、私が受け止めてあげるから⋯⋯ね?」
「うんっ⋯⋯うん⋯⋯」
美里の胸の中で溢れる感情を吐露する愛。
「(──もしかしたらあの子、とんでもない娘を落としちゃったかもしれないわね~)」
愛の背中を優しく擦りながらも、この場にいない男の顔を浮かべて微笑む美里だった。
◇
「──おいっ!まだか!?」
「もう少しだけ待ってくれ⋯⋯」
「頼む⋯⋯もう限界近いんだ⋯⋯うっ」
トイレにて、二人の男たちが自分の限界に挑戦していた。
「てか景虎ぁ!お前どんだけ籠ってんだよ!」
「仕方ないだろぉ!?食いすぎたんだからさぁ!」
食べ放題コースを選び、意気揚々と食べ尽くしていた景虎。しかしその反動は来るもので、突然の腹痛が景虎を蝕んでいた。
「次々、次々食いすぎなんだよ!」
「うっせぇ!美味すぎるのが悪いんだよぉ」
「たーしかに」
それには同意せざるを得ないと首を縦に振る勇樹だが、自分の状態を忘れていたため──
「お゛っ゛⋯⋯!!」
「な、何の音だ?おい、勇樹?どうしたんだよ!」
「ひぃ⋯⋯ひぃ⋯⋯ふぅ⋯⋯」
「ラマーズ法⋯⋯!?」
今にも限界を超えつつある勇樹の吐き気。いつ爆発してもおかしくない代物を抱えながら、閉ざされた扉を叩き続けていた。
「頼む⋯⋯もう⋯⋯」
「わ、分かった分かった!俺ももうすぐだ!待ってろ!」
勇樹の声にかなりの危険性を感じた景虎は、体中のあらゆる筋肉に刺激を与えて戦う。
「行くぞ!!全集中ッ!腸の呼吸ゥ!?壱の型ァァァ!うんk──」
数分後⋯⋯
「勇樹!待たせたな!すっきりしたぞぉ!」
「⋯⋯っ」
景虎の開けた扉からすぐさま中に飛び込んだ勇樹。そして勇樹は便器の中に顔を突っ込んだ。
その光景を景虎は唖然として見ていた。
「⋯⋯おい、勇樹?お前まさか⋯⋯」
「俺は吐く方だ⋯⋯頼む、擦ってくれ⋯⋯」
「──俺が直近で排便した便器によく顔つっこめたな」
刹那、トイレの温度が急低下した。
「⋯⋯」
「⋯⋯」
静まったトイレの中。しかしその静寂はすぐに破られた。
「トイレ⋯⋯トイレ⋯⋯──Oh」
トイレの扉をたまたま開けてしまった男性客。彼の目には、便器に顔を突っ込む男が一人と、それを棒立ちで上から見ている男が一人見えていた。
「し⋯⋯失礼しましたぁ⋯⋯」
恐る恐る開けた扉を閉める男性客。景虎は無の感情で、勇樹は便器に顔を突っ込みながら男性客が去るその時を待っていた。
「⋯⋯背中、擦ろうか?」
「悪い。今引っ込んだ」
便器に突っ込んでいた顔を上げ、何事もなかったかのように振る舞う勇樹。
「戻るか」
「そうだな」
男達は席に戻っていった。
◇
席に戻ってきた勇樹達。
「あら、二人とも遅かったわね。景虎君は食べすぎよ?」
「うっす。気を付けます!」
「ふふふ。勇樹君もね?」
「⋯⋯え、あっ⋯⋯はい」
「⋯⋯」
──おかしい。
勇樹は一目散に異変に気がついた。
「⋯⋯」
「⋯⋯っ!(プイッ)」
勇樹が視線を向けると、愛はとてつもない速さで頭ごと視線をずらした。
「(さっきのこと気にしてんのか?)あーその宮下?俺は気にしてないから、お前も気にするな」
「っ⋯⋯!(ブンブン)」
「(面白いな⋯⋯これ)」
一言も喋らず首の上下だけで会話している愛。そんな姿に嫌悪感など感じるはずもなく、勇樹は楽しんでいた。
「ふふっ、あ⋯⋯そうだ。勇樹君に聞きたいことがあったのよ」
「俺にですか?」
「そう。あの犯人についてね」
美里の言う犯人とは一人しかいなかった。
その犯人とは、やはり勇樹の予想通り愛と同じ学校の生徒だった。さらに部活に入っているという予想も当たっていて、彼は写真部に所属していた。
盗撮された写真の綺麗さに関しては、かなり高スペックなカメラが使用されており、彼の私物だった。犯行時には、写真部で使うという建前の元、学校に持ち込んでいたらしい。
顧問に聞けばすぐにバレる事柄であったが、誰一人としてそれを伝えるものがいなかった。つまりそこが一番の原因ではないかと、勇樹は感じていた。
それらを勇樹は美里に伝えると、美里はおもむろに立ち上がった。
「──私も一発やろうかしらね⋯⋯」
拳を握りしめるその様は、冗談などではないと察するのは容易だった。
「まぁ、でも⋯⋯勇樹君が私の代わりにしっかりやってくれたみたいだから、もういいわ」
「拳を握る様もお美しい⋯⋯」
「景虎、そろそろ戻ってきてくれ⋯⋯」
気がつけば辺りの客もいなくなり、店には勇樹達しかいなかった。
「⋯⋯長く居すぎちゃったな」
「そうだなぁ。さっさとお暇するか」
「いやいや⋯⋯景虎、ここは後かたずけをしていくだろ」
そう言うと勇樹は、自分たちの皿を手に取ると厨房へと運んだ。しかしそれだけでは終わらなかった。
「おばあさん。また厨房借ります」
「いつもありがとうねぇ」
「いえいえ。いつも美味しくご馳走になってますから」
勇樹は運んだ皿たちを自らの手で洗い始めた。
「え、勇樹のやついっつもやってるのか?」
「何度もお世話になってるからな。まぁ、客が少ない時だけなんだけどさ」
「偉いわねぇ⋯⋯家ではいつもお手伝いしてるの?」
「お手伝いと言いますか⋯⋯うち両親二人とも共働きで、いつも自分でやってるんです」
「そうだったの⋯⋯通りで手際が良いわけだわ」
話ながらも水で汚れを落とし、次々と洗剤をスポンジに染み込ませて皿を洗っていた。
「料理なんかも勇樹君が?」
「そうですね⋯⋯って言っても最近はめんどくさくて朝とか食べてないんですけどね」
「あら、高校生なんだからもっと食べないと」
「作ろうとは思うんですけど⋯⋯!俺、朝が弱くて」
「あっ!それなら」
美里は何かを思いつくと、愛の元へと近づきその両肩に手を乗せた。
「へっ⋯⋯?お、おねーちゃん?」
「勇樹君!ここに朝に強くて料理もできる良い娘がいるわよ~」
「⋯⋯え?」
こうして、氷川勇樹と宮下愛の不思議な関係が始まるのだった。
出会編。正真正銘ラストでした。