「おーい、勇樹。起きろ〜」
生徒たちがぞろぞろと、教室から退室していく。その中で一人取り残された様に机に突っ伏す勇樹に、声をかけるのは景虎だった。
呼びかけられて意識が戻ってきた勇樹は、ゆっくりと顔を上げて、その重い瞼を必死に開けながらも周囲を見渡していた。
「……おれ、ねてた?」
「そりゃあもうバッチリとな」
「やっべ……」
「そこまで厳しい講師じゃなかったから良かったものの……珍しいな。寝不足か?」
未だぼんやりとした様子の勇樹。彼が講義中に居眠りをするというのは、高校からの付き合いである景虎にとっては珍しい光景だった。
普段からしっかりとしていて、注意をされてるところも滅多に見ないほどの優等生だった。
「あー、ちょっと根詰めすぎたせいで……」
「また新しいの買ったのか?」
「……正確には買ってたやつ、だな」
「積んでたやつ遂に手をつけたのか。なんでまた」
「えーと、ふと思い出してさ(宮下と出かけた時に思い出した……とは言えない。デートだなんだってからかわれそうだし)」
先日の愛とのデートで、ゲームについての話が話題に上がったのがきっかけだった。
勇樹は自室の隅っこで手をつけてないものや、やり込むことなく中途半端だったりするものがある事を思い出すと家に帰るや否や、それらを漁りだし夜通し手当り次第にプレイしていた。それが今日まで続いて寝不足になっている。
「今日が朝からだったのすっかり忘れてた」
「履修登録で朝方にもまぁまぁ入れてるもんな~あいちーに朝早く起こされるからって。朝から美少女に起こされて羨ましい限りですわ」
「毎度毎度、早すぎるのも難だけどな⋯⋯」
「贅沢な悩みだぞ、それ」
「贅沢で結構だよ」
呆れ顔でものを言う景虎。共感は最初から求めてなかったとばかりに、ノートを雑にバッグへ放り込み立ち上がった。
勇樹が出ると、入れ替わるかのように人がぞろぞろと入ってきて、勇樹達は流されるかのように早々に立ち去る。
そんな勇樹を追うように景虎も歩き出す。
「勇樹ってさ、あいちーのことずっと"宮下"って呼ぶよな」
彼が勇樹に追いつき、隣を歩き出すと唐突に話題が振られた。
「……なんだいきなり?」
「普通気にならないか?二人だって出会ってかれこれ、二年以上なわけだろ?」
「確かにもうそれくらいにはなるか」
「男と女の子で進展の一つくらいはあるべきだろ」
「ないよ」
即答する勇樹。けれどもその胸の内には、僅かに変化を望んでいる気持ちもあった。
「じゃあ勇樹はあいちーのことどう思ってるのさ」
「……仲のいい友達」
「それだけか?」
「何が言いたいのさ」
睡魔が今か今かと迫る中で、気が立ってきた勇樹。その声色にもトゲが含まれてきた頃、それでも景虎は物怖じる事無く淡々としていた。
「勇樹は女の子としてあいちーが好きなんじゃないのか、って事だよ」
「……」
「俺の主観だけどさ、惚れてるだろ?あいちーに」
「……なんでそう思うんだよ」
「かれこれ二年、傍で二人を見てればそう思うだろ。ほぼ毎日のように"みやした"に通ってるのだって、ちょくちょく二人で出掛けてるのだってさ」
「それは……あそこのもんじゃが美味しいからだし、出掛けてるのは宮下が強引に誘ってくるからだし……」
「それじゃあ未だに朝起こしてもらう事と、ご飯作ってもらってる事は? 好きじゃなければ迷惑でしかないんじゃないのか?」
「……ッ」
勇樹はギュッと口をつぐむ。
「一度は断ったよ」
愛が朝やってくる日々が始まってからほぼ一年、勇樹は一度断ろうとした。いくら親切でやってもらってるとしても、愛は既に高校生。勉強に部活に恋に忙しくなる青春時代なのに、こうして他人である男の所に毎日毎日来てもらっていていいのだろうかと。
勇樹は"自分のために時間を使って欲しい"と、愛にもうやらなくていいんだと遠回しに声をかけた。
しかし、返ってきたのは──、
──勇樹さんは、嫌だった?
彼女らしからぬ、しおらしい反応だった。彼女がお節介焼きで、嫌々やる子では無いことは重々承知だったが、勇樹にはその反応が予想外なものだった。
──あたし、どうしても勇樹さんの役に立ちたくて、無理矢理やってた所あったから……もしかしたらもう嫌になっちゃったのかなって。
無理矢理絞り出したかのような余裕のない笑み。そんな顔をさせたいわけじゃなかった。彼女の笑顔が奪われかけたあの日から、勇樹はずっと守ると誓っていた。
だからこそ──
──嫌になんてなってない。ごめん。忘れてくれ……あと、宮下が良いなら、このままでいてくれると助かる。
そういって勇樹は断ることを諦めた。
「自分のせいで宮下の時間が奪われてると思ったら不安になってさ。結局は、宮下の親切に甘えることになったんだよ」
勇樹の話を聞いている間、景虎は黙って聞いていた。そんな彼の脳裏では、勇樹は愛に好意を持っていると確信が持てていた。
「やっぱり好きじゃん。あいちーのこと」
「はぁ!?」
「なんだよぉー、あれこれ否定してくるからほんとに何もないんだと思ってたらさ。ばっちりあいちーの"笑顔"に惹かれて、惚れてんじゃん」
「……」
「断ろうとして、落ち込んじゃったあいちーを見てられなかったんだろ? 一生笑顔でいて欲しいって思ってんだろ? それはもう好きじゃんか」
「……」
なにも応えない勇樹。正確に言えば応えられないが正解だろう。なにせ勇樹は、既に自分の気持ちを自覚しているのだ。
けれど、彼がハッキリとそれを声に出すことはない。
この気持ちを表に出すには、まだ"ゆうき"が足りないのだから。
「トイレ行ってくる」
「あ、ちょい!」
勇樹は逃げるように景虎の傍を離れた。
「……まだ、忘れられないのか」
遠く離れていく勇樹の背中を見つめながら、景虎は静かに呟いた。
◇
「はぁ……」
「元気ないね。勇樹さん」
「うぁ」
「うぁ……ってなに?」
テーブルに突っ伏している勇樹を心配して声をかける愛。返ってきたのは気の抜けた声で、思わずクスッと笑った。
「どしたの、眠いの?」
「……ん」
「そんなに眠たいんだ(……なんか子供みたいで可愛いかも)」
恐る恐る勇樹の頬を指で突っつく。フニっとした感触が指から伝ってきて、それが癖になる愛。
「愛ちゃん? あんまりイタズラしちゃダメよ」
勇樹に注意されるまで触ろうと次に指を当てようとしたところで、丁度よくお手伝いに来ていた美咲に注意されて愛は、その手を引っ込めた。
「お、おねーちゃん」
「勇樹君かなりぐったりね。具合悪い?」
「……すんません、ちょっと朝から眠くて眠くて……昨日寝るのが遅かったもので」
「あら、夜更かしはダメよ? 愛ちゃんが心配するんだから」
「ひ、一言余計だよっ!おねーちゃんは!」
"でも心配はするんだからね”と強く注意する愛に、言い返す気力も無い勇樹。
「……あ、そうそう。愛ちゃんおつかい頼まれてくれる?」
「材料切れちゃった?」
「そうなの……」
すると、美咲はニヤニヤと笑みを浮かべながら愛に近づくと耳打ちしてきた。
「……ほら、ついでに勇樹君とデートでもして来たら?」
「……ちょ!?」
慌てふためく愛。カッと熱くなった頬を冷まそうと両手で仰ぎ、その視線は恨めしそうに美咲を見ていた。
「いきなりなんてこと言うのさぁー!」
「愛ちゃんほんとに反応が可愛いからつい〜」
「つい〜、じゃないって……」
「でもせっかくだし二人で行ってきたら? 勇樹君も外の空気吸ってきたらいいんじゃないかしら。ね?」
いきなり共感を求められて戸惑う勇樹。しかし今のままでお店にいるのも迷惑になると感じていた勇樹は、誘いに乗りますと強く頷いた。
「……行こっか」
「あ、ちょっと待ってぇ!」
勇樹は重い頭を無理矢理上げて、席を立つとすぐさまお店を出て行く。その後ろ姿を愛は慌てて追いかけるのだった。
「……」
勇樹の視線の先には、不穏な空気を纏う爽やかとはかけ離れた雨雲が集まっていた。