ある山道にて。シトシトと小雨が降る中で、地面を踏みしめる音が響く―雨に濡れることを嫌がるように、その足音の主たる少女は闊歩を早めた。口元を覆い隠すほど丈の長い外套をたなびかせながら…。
ザクザク、ザクザク…暫く歩いた後、何かを感じたのか、外套の者は早足をぴたりと止めた。少し遅れて、もう一つの足音が止まった。いつからか外套の者の足音に続いて響いていた、もう一つの足音の主。外套の者が振り返ると、その足音の主は紫色の傘で顔を隠したまま、じっと立ち尽くしていた。
しばしの対峙の後、外套の者が口を開く。
「あんた、何者よ」
その呼びかけに応えるように、もう一つの足音の主は傘をくるんと回した。傘から覗いたその顔は、純粋無垢な少女のそれとは似て非なるものであった。ニタリと不気味な笑みをこぼす口からは舌が垂れ、眼はまるで獲物を狙う妖怪のように見開いている。いや、それは完全に妖怪のもので…
「……教えて、アゲルネ…」
から傘越しのその言葉と同時に、少女は一瞬のうちに外套の者の眼前まで距離を詰めた。
「ッ…!」
外套の者に額を押し付けんばかりに接近した、から傘の少女は、獲物を絡めとるがごとき舌なめずりをした。そして、世にも恐ろしい一言を吐いたのだった―
「べろべろ、ばぁぁ~~~~~!!!」
「…は?」
「古いんだよ、やってることが」
外套の少女はそう言うと、深紅の外套をばさばさとはためかせて
「そ、そうだよね…やっぱり…」
から傘の少女は、まるで説教されている子供のように、しゅんと肩を落としている。
「同じ妖怪として忠告しておくけど、そんな小手先の驚かしが通用するの、そこらのガキぐらいだから」
外套の少女もまた、妖怪だったのだ。から傘の少女は、自信作の驚かしを全否定されて少し不満そうにしつつ、言を返した。
「でっでも…ほらっ、妖怪って人に怖がられてなんぼでしょ?だから…」
「私は、ヒトじゃない」
外套の少女は険しい目つきで、ぎろりとから傘の少女を睨みつけた。から傘の少女は、思わず身をすくめる。
「フッ…まぁ、そうやって自分が妖怪相手にビビっているようじゃあ、ガキにも笑われるかもね」
蔑んでいるようで、至って正論な外套の少女の言葉に、から傘の少女は反論することも出来なかった。
外套の少女が雨霧の中に姿を消した後、から傘の少女は道端の石に座り込み、雨粒を吸い込む地面の土と草を交互に見つめていた。天より降る雨粒に紛れて、少女の瞳からも粒が零れ落ちた。
「こんにちは、お嬢さん。一人ぼっちで雨宿り?」
大人の女性の声が聞こえる。深く差した少女の傘の下に見切れるその姿は、奇怪な装束と独特の妖気から成っていた。十中八九、妖怪だろう。同族のよしみで声をかけたのだろうが、あいにく今は妖怪同士でつるむ気分ではない。通りがかりの妖怪の好意、丁重にお断りしよう―そう思って、から傘の少女が顔を上げたとき。
そこには、殺気に近い妖気を放つ、恐ろしい形相の怪異の姿があった。
「ひぃぃっ!?」
涙目で驚く少女を見て、その妖怪は妖気を和らげながら、ぷっと噴き出した。
「あはは…驚かしただけよ。どう?怖かったかしら」
「…すっごい怖いよ!夢に出ちゃうよっ!!」
「なるほど。怖がられたくても、怖がって貰えないのね」
その妖怪は先程の悍ましい雰囲気とは裏腹に、から傘の少女―名を多々良小傘という―の話し相手になってくれた。その妖怪が小傘と同じく傘を差していたのもあって、親近感が湧いたのだろう。小傘は、その妖怪に心のわだかまりをすっかり打ち明けてしまっていた。
「確かに、から傘お化けっていうのは少しばかり威厳に欠けるわね」
「あんたこそ、傘を差しているじゃないか」
「これは本業で差してる物じゃないわ。’’ふぁっしょん’’、ってやつよ。」
小傘はその名前の通り、から傘の怪異である。しかし相手の妖怪は、どうも傘のお化けではないらしい。ともかく、から傘お化けが誰からも怖がられていないのは事実だ。
「もう全然だめなのさ。そりゃあ、この幻想郷に住んでいれば私くらいの妖怪なんて珍しくもない。でも、それにしたって…」
「今の幻想郷は、人妖
「…私みたいに人を驚かせる妖怪なんて、やっぱり時代遅れ、なのかな…」
そうこぼして俯いた小傘に、妖怪はすっと手を差し伸べた。
「名乗りが遅れたわね。私は八雲紫…あらゆる存在の心のスキマを埋める、スキマ妖怪よ」
「スキマ、妖怪…?」
困惑した様子の小傘の目の前で、紫は差し出した手を揺らした。よく見ると、掌の上には半透明の物体が二つ載せられている。平べったくした米粒のような形状で、それぞれが黒みがかった紅色と藍色で彩られていた。
「これは、外の世界から持ち込まれた珍品でね。からー…こん、たくと?だったかしら。横文字は苦手だから覚えていないけれど、少なくとも貴方の境遇に合ったモノであることは確かよ」
小傘は物体を手に取ってまじまじと見つめながら、その使用方法について問うた。目に入れて装着するものだ、と聞くと、小傘はぎょっとして顔をしかめる。
「心配は要らないわ。妖怪の眼力にも耐えうる品なのよ…それよりも、効用について知りたくは無い?」
紫が語った効用は、信じがたいものだった。この’’からーこんたくと’’を装着した状態で目に力を籠めると、意識を刺すがごとき妖気を放つことが出来、どんな相手でもたちどころに縮み上がらせられるというのだ。
「物は試しよ。ほら、眼を開けて…すぐにつけられるわ」
紫がしなやかな指を小傘の目にあてがい、ぴと、というわずかな感触がしたと思うと、もう’’からーこんたくと’’は小傘の目の内に入っていた。
「こ、これで本当に…驚かれるほど怖くなったのかな?」
目をぱちくりさせながら不安がる小傘を、紫はスキマの中へと案内した。
「気になるなら、さっきの輩に試して御覧なさい」
異質な亜空間を抜けた先は、森の藪の中である。紫に促されるままに歩を進めると、先程の深紅の外套の少女―赤蛮奇という名の小妖―が、栗の実を拾って集めているところに遭遇した。
赤蛮奇は一言も発さないまま、慣れた手つきで栗をつまんでは、淡々と手に持った袋の中に入れていく。
(試せって言われても、どうやって…)
傘を畳んで身を潜めつつ、赤蛮奇の栗集めを観察しながら、小傘は困り果てた。驚かそうとして失敗した相手をまた驚かせようとするほど、成功から遠く馬鹿らしいことは無い。しかも、小傘の驚かし方のレパートリーは、背後から歩み寄って「べろべろば~」するという一種類のみであった。
「そこに隠れているのは、誰よ?」
赤蛮奇が茂みに向かって声をかけると、小傘はつい身体を跳ねさせてしまった。怖気づいているうちに、微弱な気配を察知されてしまったらしい。
赤蛮奇のような小妖は、それぞれの縄張りを中心に毎日の食い扶持探しに腐心するため、テリトリーを他者に汚されることを極端に嫌う場合が多い。こちらが大人しく姿を見せたとしても、容易に事は運ばないだろう。
(か、かくなる上は…!)
こうなれば、藪の中からいきなり飛びかかって「べろべろば~」しかない。この手法は瞬間の驚きを誘うことはできるが、その直後に相手に呆れたような冷たい視線を返されるので、できれば避けたい手法である。
しかし、もはや手段を選ぶ余裕はなかった。小傘は意を決して、ばさっと開いた傘と共に、藪から勢いよく飛び出した。
「べろべろ、ばぁぁぁ~~~~~!!!」
小傘の見開いた目が赤蛮奇を射すくめた、その刹那。小傘は、目の前の赤蛮奇の顔が引きつり、瞳孔が開くのを見た。
「ひッ……!!」
外套からこぼれるように露出した赤蛮奇の口元は、怯懦に打ちのめされたように震えていた。そして、赤蛮奇の喉からこみ上げた悲鳴が、一気に口から溢れた。
「ぎゃアアアアァァァーッ!!」
悲鳴と共に跳ね上がった赤蛮奇は、首と胴が離れそうになるのを過呼吸気味に抑えながら、脱兎のごとく必死にその場から駆け出した。
(し、信じられない…私の脅かしでこんなに驚くなんて…!)
小傘は、死ぬ思いで逃げ去る赤蛮奇の後ろ姿を、呆然と見つめていた。辺りには、赤蛮奇が放り出した栗の実がころころと転がるばかりであった。
「どう?これでその道具の効き目、十二分に分かったでしょう」
木の陰からふわりと染み出るように、紫が姿を現した。
「今の貴方を怖がらない奴なんて、どこにも存在しない。この世にも、あの世にも。」
そう言い聞かせられた小傘は、ちっぽけなから傘お化けとしての肉体に、何かとても大きなものが備わったような気がした。
「私、怖がられるようになれるんだ…人も妖怪も、驚かせられるんだ…!」
「あらゆるものに恐れられなさい。貴方が、この幻想郷の恐怖の象徴となるまでね」
紫の声に、小傘はこくりと頷いた。
いつしか、雨は降り止んでいた。不気味なほどの静寂と暗闇の中に、妖怪たちは包み隠され、沈んでいった…。
小傘が闇夜の中に消えると、紫はぽつりとつぶやいた。
「’’恐れられる’’存在とは何か…あの子は身に染みて味わうことになるでしょうね…フフフ…」