笑ゥゆかりさん   作:ゆでジャガ

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忘れ傘の一人夜行(後編)

 

 

人も妖怪も寝静まる、丑三つ時。月明かりも届かぬ深い森の中を元気に飛び回っているのは、夜行性の人魂と、一人の魔法使いだけだった。

 

「…何だよ、本当に誰もいないじゃないか。拍子抜けだぜ」

 

彼女の名は霧雨魔理沙。興味本位で何にでも首を突っ込む彼女は、幻想郷で草の根的に広がっていた、ある噂の真偽を確かめに来たのだ。

 

(’’今まで見たこともないくらい、恐ろしい怪異’’…か。そんな大物が急に名を轟かせるなんて、妙な話だけどな)

 

それも、その「恐ろしい怪異」の正体は、から傘お化けらしいのだ。から傘が化けて出たとして、どこが怖いのか全く理解できない。しかも魔理沙には、過去にから傘お化けをコテンパンにした実績もある。確か、その名は多々良小傘―

 

(ん?)

 

背後に、何かの気配が感じられた。それも、ありふれた妖怪とは明らかに違う、異様な妖気。異変解決に長年携わってきた魔理沙には、自身の後ろに現れたそれが(くだん)のから傘お化けであることが、すぐに予感できた。魔理沙は手持ちのミニ八卦炉を素早く取り出しつつ、威勢よく啖呵を切りながら振り返った―

 

「現れたな、から傘おば…」

 

振り返った魔理沙の前に居たのは、確かにから傘お化けだった。しかし魔理沙の澄んだ瞳におぞましい妖気が中てられた瞬間、その瞳に映るものはどろりと溶け、名状するのも憚られるほどの''何か''に変質していった。あらゆる生物は、自らの理解や認識の範疇を越えたものと対峙した時、本能的に理性での解決を放棄して、逃避に走るという。振り返ってから僅か1秒足らずのうちに、魔理沙の頭の中からは全ての雑多な感情が滅却されていた。残ったのは、ただ一つの湧き出た感情。…恐怖のみであった。

 

「あ…ッ……!?」

 

魔理沙の視界は、その恐怖を目視で捉えることを拒否するかのように揺れた。震えた手から、ミニ八卦炉が零れ落ちる。どんな大妖と立ち回ろうとも決してぶれなかった彼女の強い心は、簡単に恐怖への屈服を選んだ。その証拠は、すぐに彼女の口から発せられた。

 

 

 

「わァァァァァぁぁぁぁッ!!!」

 

 

暗い虚空にまた、恐怖のあまりの叫び声がこだました…

 

 

 

 

 

 

 

多々良小傘。彼女はかつて、あらゆる人妖から舐められ、脅かそうとしても茶化される、その程度の妖怪であった。しかし、今は全く違う。小傘という名を聞いた者は、たとえ大妖であろうとも冷や汗を垂らす。あの博麗の巫女ですら、「魔理沙の仇を取る」などと意気込んでいたのに顔面蒼白で帰還し、今後は二度とから傘関係の異変には手を出さないと宣言するほどである。

 

(あはは、あの霊夢の怯えた顔。私以外は見たことが無いんじゃないかなぁ。写真でも撮ればよかった。笑いものにしてやりたいよ)

 

幾多の人妖を恐怖のどん底に突き落とすのに夢中になっていた小傘だが、しばらくぶりに命蓮寺(みょうれんじ)に顔を出すことにした。命蓮寺は、小傘がよく遊びに行っていた寺である。寺の本尊は、かの有名な毘沙門天。そして住職として人間と妖怪の共存を説く名僧・聖白蓮がおり、仏教に帰依した妖怪なども、彼女を慕って集まっている。小傘自身は特に宗教には関心がなかったが、物腰柔らかであらゆるものを受け入れてくれる命蓮寺の気風に惹かれ、その近辺に腰を落ち着けていたのだった。

 

もちろん''からーこんたくと''は外して、小傘は上機嫌で命蓮寺の境内へと足を踏み入れた。自分を目の前にして腰を抜かした者たちの滑稽な怖がり方を、皆で笑ってやるために。

 

小傘は、命蓮寺にたむろしていた人妖たちが、自分の姿を見た瞬間に顔をひきつらせたのを見た。''からーこんたくと''は外しているのに、彼女らは小傘と目を合わせようとせず、何かを恐れるように後ずさりした。

 

「み、みんな…どうしたの?」

 

小傘の問いかけにも、応える者はいない。お互いにひそひそと囁き合い、小傘に対応する役割を押し付け合っているようにも見えた。中には、小さく震えながらその場を離れようとする者までいる。

 

(…私を、怖がってる?)

 

小傘から次の言葉を発することも出来ず、気まずい膠着状態が続く。すると、境内での異様な雰囲気を察したのか、寺の中から聖が姿を現した。聖は小傘の存在に気付くと、何かを決心したように小傘の下へ歩み寄り、その小さな肩をぎゅっと掴んだ。小傘がびくっと身体を跳ねて見上げると、聖は小傘が見上げなくてもいいように少しかがみつつ、こう語り掛けた。

 

「私と一緒に、少し話しましょう。いい場所がありますから」

 

小傘の手を引き、聖は近くの峠の(いただき)近くまで、道を上った。妖怪も通らないような狭い獣路をしばらく歩いた先で、途端に目の前が開けた。そこには、幻想郷全体を見渡せるのではないかと思うほどの眺望が広がる、小さな天然の踊り場があった。

 

「時折、瞑想をしている場所です。ここなら、誰の邪魔も入らないので…」

 

小傘と聖は、二人で踊り場に座った。身長差はあったが、目の前に広がる絶景を前にしては、二人ともちっぽけな存在に他ならなかった。聖は、ゆっくりと小傘に尋ねかけた。

 

「世間を騒がせている恐ろしい怪異の正体は、本当に貴方なのですか」

 

「貴方の仕業ならば、どうして急にそんな力を持ったのですか」

 

小傘は急に核心を突かれて少し狼狽した。しかし、聖が気になるなら、''からーこんたくと''の秘密を明かしてもいいと思った。小傘が出会った人々の中でも、聖は一番尊敬に値すると感じたからだ。そして秘密を正直に話すと、聖はさらに質問を続けた。

 

 

「なぜ、道具の力を借りてまで、怖がられたいと思うのですか」

 

「…それは…今まで笑いものにされてきた私でも、こんなに怖くなれるんだぞって、見返すために…」

 

「見返して、どうなりますか」

 

 

禅問答のような質問に、小傘は口をつぐんだ。そして、小傘は考えた。小傘は、幻想郷で一番恐れられる存在になったと言っても過言ではない。今の小傘を軽くみる者など、よほど浮世離れした仙人でもない限り、居ないだろう。だが、その恐れられ方は、彼女の思い描いた理想とは程遠いものであったのかもしれない。

 

(私が誰かを驚かすのは、誰かがびっくりするところを見たいため。そしてその様子を、みんなと笑い合うため…)

 

そう、小傘は本心では、真に恐れられる存在になりたかったわけではなかった。本当に恐ろしい存在は、交友関係など持たない。あらゆる存在から畏怖の念を向けられ、距離を置かれ、孤独に恐怖を集めていく。皆に怖がられたいという小傘の願いが、実際には皆と打ち解けたいという真逆の想いであったことを、小傘自身も気が付いていなかったのだ。

 

「人にも、妖怪にも、神霊にも、あらゆるものには心があります。心が孤独を求めることは、決してありません。誰かと笑い合いたいという単純な一つの思いを、小さな嘘でごまかし、違う欲望にすり替えながら、皆は生きているのです。嘘をつかないと、大仰な野望を掲げて強がらないと、自分を許すことが出来ないから」

 

仏僧として様々な者に寄り添ってきた聖の言葉を、小傘は一つ一つ噛みしめるようにして聞いた。傘の柄を握る手は、いつ頃からか震えていた。

 

「ありのままでいいんです。皆がありのままであれば、いつか万物が分かり合える日が来ます。…きっと、この幻想郷にも、いつか」

 

二人の眼前に広がる幻想郷の景色は、夕焼けの仄かな紅色で染め上げられていた。

 

「小傘さんは、皆に嘘の自分を見せてしまった。でも、小傘さんはその過ちに気づけた。今からなら、やり直せます」

 

小傘の背中に、聖は手を添えた。小傘の目からは、大粒の涙があふれていた。

 

 

 

 

 

すっかり夜も更けた。命蓮寺の行灯の明かりも消え、住み込みの妖怪たちはぐっすりと眠りについている。彼女らもまた、事の経緯を聞かされて納得し、小傘を命蓮寺の一員として受け入れることを認めてくれたのだ。

 

小傘は、みんなで眠る雑魚寝部屋の窓際に小さな布団を敷き、体を丸めてくるまっていた。''からーこんたくと''は、聖に預けてある。聖は離れの蔵で夜通し書簡の整理をするらしく、明日には古い書簡と共に''からーこんたくと''も処分してくれるそうだ。小傘は、自分を包み受け入れてくれる命蓮寺に、ひたすら安堵と感謝の念を抱きながら、心地よい微睡(まどろみ)に入った。

 

 

 

ふと、小傘は目を覚ました。まだ辺りは暗い。体内時計からいくと、丑三つ時といったところか。再び目をつぶったものの、どうも(かわや)に行きたくてたまらない。小傘は布団から這い出て、静かに障子を開け、廊下へと出た。廊下を暫く歩くと、月明かりが小傘を照らす。見上げると、廊下のすぐ横で天井が切れている。そこには、小さな中庭があった。この寺のご本尊の趣味なのか、美しい枯山水が月光の中に浮かんでいた。

 

 

「!!」

 

 

小傘は、息を呑んだ。白黒の中庭で、不自然にたなびく金色の髪、見覚えのある傘。中庭には、あの八雲紫の姿があったのである。

 

「貴方は何をしているの?寺に匿われて、皆の優しさに甘えて暮らしていこうって?」

 

紫の目は、初めて会ったあの時のように、刺すような殺気を帯びていた。

 

「私は貴方に目をかけたのよ。恐怖に執着する貴方なら、近頃のぬるま湯に漬かったような幻想郷に、旧き妖怪への恐れを取り戻してくれると思ってね。それなのに、この体たらくとは…」

 

「ちっ…ちがっ…私は…ほんとは怖がられたくなんて…」

 

震えながら連ねられる小傘の言葉を、紫は失望したように遮った。

 

「あらそう。つまり貴方の言う恐怖は、まやかしの恐怖だったわけね」

 

紫は、小傘に向けて腕を伸ばした。その先の人差し指は、小傘の顔をしっかりと捉えていた。

 

「ひっ…!!」

 

「じゃあ、''本物''の恐怖、味わわせてあげるわ」

 

 

 

「「「「ネクロ・ファンタジアァァァ!!!」」」」

 

 

 

「キゃアアアアあぁぁぁぁあッッ!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

蔵の中で書簡の埃を吹き払っていた聖は、外から響いてきた悲鳴を聞くや否や、急ぎ廊下へと走り渡った。突然の悲鳴に叩き起こされた寝ぼけ半分の妖怪たちも、何があったのかと部屋から出てくる。

 

中庭の前で、小傘がうつ伏せで倒れていた。駆け付けた聖が肩を叩いて呼びかけるが、返事がない。しかし脈を診てみると、命に別状はないようだ。

 

「大丈夫、失神しているだけです」

 

聖がそう言うと、心配そうに見ていた妖怪たちは安堵の表情を浮かべた。ひとまず部屋に移そうと、聖が小傘を抱き起こした、その時。露わになった小傘の顔を見た一同は、愕然とした。

 

 

瞳は大きく見開かれ、眉間は恐怖にゆがみ、口からは泡を吹いていたのだ。まるで、想像もできないほど''恐ろしいもの''を、目の当たりにしたかのように…。

 

 

 





「恐怖を与える権利があるのは、自分が恐怖に打ちのめされる覚悟がある者だけよ。…え?私はどうかって?もちろん私も怖がる用意はできているわ。ただ、怖がっている所を、誰かに見せることはないけれどね。」

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