笑ゥゆかりさん   作:ゆでジャガ

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本日のお相手:天弓 千亦(1386) 市場の神


メルクリウスの闇市場(前編)

人通りもまばらな、沢の近くの遊歩道。何軒かの小屋や厩が並び立つ中で、大胆にも地面に直接茣蓙(ござ)を引いて寝ている少女がいた。青紫の長髪をたくわえた少女の着物は彩り豊かだが、よく見ると色とりどりの小さな布地をつなぎ合わせたような、安上がりなものだ。茣蓙の下の砂利や小石が安眠を妨げそうなものだが、彼女は寝息を立てながらぐっすりと寝込んでいた。

 

(ん………痛っ…)

 

誰かに頬をつねられたような気がして、少女は穏やかな眠りから現実に引き戻された。目の前には、黒翼の生えたふたりの鴉天狗が仁王立ちしている。

 

「千亦様、起きられましたか。我々は飯綱丸様の使いです。こちらの約款をお読み下さい」

 

寝起きの顔に紙切れを貼り付けられ、茣蓙の上の少女―天弓千亦(てんきゅうちまた)という名の’’市場の神’’―は、怪訝な顔で書面を読み解いた。しかしそれは、以前に大天狗と結んだ契約そのままのものだった。

 

「確認されましたね。その約款にもある通り、我らが主君・飯綱丸龍(いいづなまるめぐむ)と貴方は、アビリティカードに関する利権について平等に分け合うことになっています」

 

浅い眠りにうとろんだ瞳をこすりながら、千亦はアビリティカードの一件を思い出した。数多の天狗たちを統率する大天狗の一角たる飯綱丸龍は、アビリティカードなる全く新しい嗜好品を独占的に生産・販売するというビジネスを展開していた。しかし、幻想郷の経済事情は物々交換が主流であり、金儲けを企てるには不便極まりないものであった。

 

そこで飯綱丸は市場の神である千亦に声をかけ、両者の合意のもとでの売買を通してアビリティカードを取引しなかった場合、アビリティカードが使えなくなるという仕掛けを講じさせた。これによって、アビリティカードは一定の価値が保障される貨幣のような存在となり、その流通範囲がそのまま飯綱丸の支配する経済圏と化したのであった。

 

「アビリティカード?あれならとうの昔に紙切れになったでしょ。この約款みたいにね」

 

千亦は、契約書を鴉天狗に投げ返した。

 

アビリティカードは、生産元の飯綱丸には富を与え、流通を管理する千亦には神としての権威を与えた。しかし、博麗の巫女たちが殴り込みをかけてきた後、アビリティカードは飯綱丸や千亦の制御下から離れてしまった。

 

(結局、ああいう新商品は一時は普及しても、すぐに陳腐化して忘れられるものよね)

 

今でも幻想郷ではアビリティカードを介在とした取引が行われているというが、どのカードがどこで取引されているのか、千亦の知るところではない。少なくとも、今のアビリティカードは、飯綱丸にも千亦にもこれっぽちの富も権威も与えてはくれないのだ。

 

「契約はまだ有効です。飯綱丸様は、対等な契約相手として、貴方と今後に関して話がしたいと仰られております」

 

「はぁ?」

 

冗談ではない。聞くところによると、飯綱丸は余りに権威を集めすぎた千亦を危険視して、博麗の巫女が千亦を襲うよう仕向けたという。平気で契約相手を始末しようとする輩が、今になって「話がしたい」と紳士的な態度を取るはずがない。素直に面会に行けば、どんな因縁をつけられるか分かったものではない。

 

(こんな口車に乗せられるものか。商売の基本は冷静沈着、っと…)

 

博麗の巫女に敗れ、アビリティカードの管理がおぼつかなくなった今、千亦は高めた権威の大部分を再び失ってしまった。さえない神様くずれの千亦と、妖怪の山でも屈指の実力者である飯綱丸では、力量差がありすぎる。今になって思い返すと、恐ろしい相手と関係を持ってしまったものだ。千亦は目を閉じて過去の自分の軽率さを悔やむと、茣蓙を丸めて身支度を整えた。

 

「そんな契約、もう失効したと思うけどねぇ。それじゃ、私は用事があるから」

 

鴉天狗たちは無理やりに千亦を連れていくでもなく、ただ立ち去ろうとする千亦の後ろ姿を見つめるだけだった。縄張りの外では暴力沙汰を起こすなときつく言われているから、手出しができないのだ。彼女らはただ、去り際の千亦に捨て台詞をぶつけるだけだった。

 

「分かりました。協力を得られなかった旨、飯綱丸様に、’’しっかりと’’伝えておきます…」

 

 

 

 

 

沢から少し離れた山あいの草むらに、また茣蓙が広げられた。

 

「よいしょ、っと…」

 

千亦は、茣蓙の上に幾つかの陶器やマジックアイテムを並べた。これが、千亦が取り扱っている商品だ。

 

どれもあちこちの商店や庄屋を回って安く買い取ったものだが、商品は商品である。必要としている人に価格を上乗せして売ることができれば、立派な商売の成立だ。

 

(さて、お客さんが来るまでもうひと眠りするとしようかね)

 

市場の神なのにやっている事は放浪の行商人のようだが、このような形でも商売を続けるしか、商いを司る神としての命脈を保つ手段がないのだ。

 

「あら、なかなか味のある湯呑じゃない」

 

そんな声が千亦の耳に入った。ふと見ると、商品の一つである湯呑を手に取った妖怪らしき女性が、声をかけてきている。

 

「この湯飲みを頂戴。何と交換して欲しい?今、色々と手持ちはあるけど」

 

「別に何でもいいよ。貴方がそれと同じ価値があると思ったものを差し出してくれれば、それでいい」

 

すると、傘を差したその妖怪は、手荷物の中から小さな枯れ枝を取り出した。しかしよく見ると、その枝の先には光り輝く瑠璃色の玉がついている。

 

「…ッ!?…そ、それはまさか…蓬莱の玉の枝!?」

 

「えぇ、いかにも。月面で穢れを吸い込んで宝石のような実をつける、優曇華の木の切れ端ね」

 

月の都から幻想郷へは数えるほどしか持ち込まれていないというこの宝物を、なぜこの妖怪が持っているのか?

 

「…いや失敬、そんな大層なモノを差し出してくるとは思わなくてね…生憎、うちが取り扱っている商品は安物ばかりで、宝物と交換できるような高級品はないの」

 

あくまでも千亦は市場の神であり、目先の宝物に飛びつく商人ではない。等価交換こそが商取引の大原則である。

 

「なるほど。流石は市場の神ね」

 

その妖怪は千亦の正体を知っているようで、感心したそぶりを見せた。輝く宝珠を煌めかせながら言葉を連ねた。

 

「私は八雲紫、この幻想郷に古くからいるスキマ妖怪よ。天弓千亦―貴方の今一度の復権に、手を貸してあげても良い」

 

「え?」

 

紫は、蓬莱の玉の枝をステッキのように振り回しながら弁を続ける。勢いに乗って宝石のような実が飛んで行ってしまいそうで気が気でないが、とにかく千亦は紫の話を聞くことにした。

 

「この幻想郷には、市場の神である貴方ですらも感知できない闇市場があることは知っているでしょう。私はその辺りに一枚噛んでいてね。有力者が欲しがるような珍しい品を手に入れるつてがあるのよ…それこそ、アビリティカードなんて玩具よりも、ずっと価値のある品をね」

 

何やら自慢話が始まった。千亦にとっては、宝物よりも富よりも、神としての信仰の方がよほど大切だ。千亦は興味なさげに、目線を地面へと堕とした。

 

「へー、すごいねぇ。それと私に何の関係があるの?」

 

「貴方には、闇に流れた名品を権威ある者たちが掬い上げる、高尚な市場を築いてほしい」

 

市場という言葉を耳にして、千亦は顔を上げた。アビリティカードは、所有者たちが好きなように売り買いするという形式で自由に流通していた。しかし、紫はそれとは異なる市場の形式を思い描いているようだ。

 

「まず、闇市場にあふれる品物を私が買い集めて、貴方に渡すわ。貴方はそれらを名だたる権力者たちに販売してくれれば良い」

 

流通経路が多岐にわたるアビリティカードのそれとは違い、一本化された流通経路で売り手と買い手を結ぶ形式のようだ。これならば、千亦の力が届かない範囲まで売買が広がり発散してしまうという、アビリティカードが抱えていたような欠陥はないだろう。

 

「何で私を挟むの?あなたが集めた者を直接権力者たちに売れば済む話じゃないの」

 

「私は闇市場とのつながりもあるし、あまり権力者たちと顔を合わせたくないのよ。闇市場と権力者を結ぶ仲介役として、市場の神たる貴方を選んだの」

 

紫は、眉をひそめる千亦に説明を続ける。

 

「もちろん、貴方を一方的に利用する訳ではないわ。この新しい市場がうまく回転すれば、その回転の大黒柱を担う貴方にも、相応の信仰が集まるはずよ」

 

確かに一理ある。アビリティカードの場合は千亦が直接市場に介入することは無かったが、今回の場合は千亦が直接市場の主導権を握るため、より「市場の神」としての権威が高まりやすいのだ。

 

(…幻想郷の有力者たちを巻き込んで、私自らが経済圏をコントロールするってことね)

 

千亦は自由な市場への圧力や操作を嫌うたちだが、市場の神自らが御者となる市場というのも、案外悪くはないかもしれない。

 

加えて言うなら、神への信仰は民衆層から権力層へと伝播することもあるが、権力層の信仰が民衆層に降りてくることの方が多い。あらゆる観点から、紫の語る経済圏は信仰と権威を取り戻したい千亦にとって魅力的に感じた。

 

「前のアビリティカードの件で、貴方の名前は権力者たちにも知れ渡っているわ。市場の神が直接モノを売りに来たとあれば、門前払いする者はそうそう居ないと思うけど」

 

八雲紫は、外見では飯綱丸以上に信頼できない。しかし、傘越しに放たれる異様な妖気は、彼女自身が相当な力のある者であることを暗示している。飯綱丸との確執に怯えながら暮らすよりは、新たな大妖とのコネクションを築く方が、どのみち得策だろう。

 

「くれぐれも商品の出所だけは口外しないこと。その約束さえ守れるなら、私はこの幻想郷の賢者として、この経済圏の永久の存続を保障するわ」

 

千亦は茣蓙の上に座り込んで暫く考えた末、決心したようにふっと立ち上がった。

 

「分かった…紫と言ったっけ。あなたを信じてみることにするよ」

 

「色好い返事、ありがとう。それじゃ、詳しい話は静かな場所でしましょうか」

 

そう言うと、紫は空を切って引き裂き、歪な亜空間への入り口を開いた。

 

(踏み出すの、千亦。リスクを甘受し、変化を受け入れてこその商売人よ。市場の神として、もう一度信仰を取り戻してみせる!)

 

そう言い聞かせながら、千亦は決心したように亜空間へと歩を進める。広げられた茣蓙と品物だけが、そこに残されていた。





(市場の神とやら…貴方には本当に商才があるのか、試させて貰うわよ…フフフ…)
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