山の木々も一段と色づく季節、命蓮寺もまた紅葉の中に沈んでいた。暇を持て余した星は、散り積もる紅葉の葉を竹ぼうきで掃き集めつつ、秋の夕べを楽しんでいた。
「焼き芋いかがですか~。おいしいおいしい、穣子の焼き芋ですよ~」
気の抜けたような豊穣の神の声が聞こえてくる。ちょうど小腹が空いていた星は社から離れ、声のする山道へと道を下っていった。
「うぅ~ん、美味しい!やっぱり秋は食欲の秋だね」
買い上げた焼き芋を頬張りながら、星は幸せそうな笑みを浮かべた。芋を食べ終わった後は掃除の続きをして、それから心地よい
(星…星…どこへ行くの…?)
「あっ!」
星の脳裏に、あの声が響いた。振り返ると、焼き芋屋の台車の隣に、宝塔がぽつりと置かれている。小銭を財布から取り出そうとした時に地べたに置いて、そのまま焼き芋に目を奪われて忘れてしまっていたのだ。星は慌てて宝塔の傍に駆け寄り、そっと宝塔を撫でた。
(戻ってきてくれた…ありがとう、星…)
「本当にごめんね。次は気を付けるよ」
宝塔をさすりながら独り言を唱える星の姿を、焼き芋売りは怪訝そうな目で見つめていた。宝塔と心を通わせてから一か月以上が経ち、星と宝塔はお互いのことを気にかけるベストパートナーになりつつあった。つい宝塔を忘れそうになると、宝塔が星に声をかけ、星がそれに応えて優しく包む。そんな日々が、秋も深まるまで続いていたのだった。
秋の日は釣瓶落としとはよく言ったもので、満腹になった星がひと眠りすると、もう日は落ちていた。宵闇に紛れて、鈴虫の音色が聞こえてくる。星がふと廊下に出てみると、玄関には月明かりに照らされた二つの影があった。ナズーリンと、この寺の住職の聖白蓮のものだ。
「聖、今から出かけるのかい?」
「ええ。麓の八百屋のご主人が急逝されたそうで、その葬儀関係で色々とね。今夜は遅くなりそうだから、留守をお願いしたいの。星と夕飯を済ませていてもらって構わないわ」
そう言うと、聖は他の僧侶たちと寺を後にした。毘沙門天代理として寺に居座らなければならない星とは異なり、彼女は冠婚葬祭や講演会などの周辺行事にも引っ張りだこである。
「私と違って、忙しいものですね」
見送りがてらに部屋から顔をのぞかせた星の呟きに、ナズーリンは皮肉交じりにこう返した。
「ご主人は頼りがいが無いからなぁ」
この挑発に対する星の反応が一向にないので、ナズーリンは思わず振り返った。もう星は頭を引っ込めてしまっていた。部屋の障子をすっと開けてみると、早くも二度寝した様子の星の寝顔があった。
(つくづく拍子抜けなご主人なこった…)
呆れ顔をしつつ障子を閉めたナズーリンは、鈴虫の声に惹かれて外へと足を踏み出した。秋の夜空にぼうっと浮かぶ半月を見つめつつ、ナズーリンはしばし物思いにふけった。
星は不意に目が覚めた。記憶が定かではないが、ものすごい悪夢を見たような気がする。耳鳴りを抑えながら、星は薄暗い部屋の中で半分寝ぼけつつ上半身を起こした。その瞬間、外から鳴り響いた激しい物音が、星の体を震わせた。物音に交じって、怒鳴り合うような声も聞こえてくる。部屋を出ようとする星に、机の上に置いていた宝塔が語りかけた。
(どうしたの?…私を置いて行かないで…)
星は慌てて宝塔を手に持つと、急ぎ玄関へと向かい、戸口を開けて状況を一瞥した。
「いい加減にしてくれ、私は君と戦うつもりなんてないんだ!」
「あぁ~?ゴチャゴチャうるさいな!私は今イライラしてんだよ~!!」
寺の前で、何やら見たことのない少女とナズーリンが対峙している。妖怪だろうか?橙色の長髪を蓄え、頭には巨大な二本角。手に持った大きなひょうたんからは透明な液体が零れ出ている。この鼻を突くにおいから察すると、酒のようだ。彼女自身も相当酔っ払っているらしく、言っていることは支離滅裂である。
「霊夢のやつとはもう絶交だぁ!ヒック、急用ができたから宴会は中止だとぉ?私の酒が呑めないってのか、おい!」
「君に何の事情があるのか知らないけど、とにかく一旦落ち着いて…」
「あんたみたいなネズミに私の気持ちが分かるかってんだ!どーせ私には一緒に酒呑む相手もいないんだよ!ちくしょー!」
怒っているのか泣いているのか、べろべろに酔ったその少女は、手に鎖で繋がれた分銅状の物体をぶんぶんと振り回した。分銅が風を切る音は、以前に命蓮寺の屋根瓦を吹き飛ばした台風のようである。明らかに常識外れな少女の力に星が恐怖を抱いたのと同時に、振り回された分銅が石灯篭に直撃した。轟音と共に、灯篭は粉々に砕け散った。
鬼―その恐るべき怪異の存在を星が思い出すまでに、そう時間はかからなかった。幻想郷において殆ど消滅したと思われていた、人を食う妖怪をも凌駕する最強の存在。正気の鬼ならまだ説得も可能だが、こうも酔っ払っているとたちが悪い。間違いなく、ナズーリンが敵う相手ではない…星はそう直感した。
「私の名を知ってるのかぁ~?伊吹
勝手にどんどんヒートアップする飲んだくれの鬼・萃香。一方のナズーリンは、鬼相手には役立たなそうな2本の鉄棒を構えながら、じりじりと迫る萃香を睨みつけている。一触即発だ。星は思わず、玄関から走り出て叫んだ。
「ナズーリン、逃げてください!彼女は―」
「あぁ~!?」
星の呼びかけと同時に、振り返った萃香のぎらついた眼が星を射すくめた。その刹那―
(あれ…?私、なんで浮いて…)
星は自分の置かれた状況を理解できずにいた。自分の意志とは無関係に、身体が地を離れた。何が起きたのか確認しようにも、目の前が真っ暗でどうしようもない。星が全てを理解したのは、胴から地面に落ち、耐えがたい鈍痛が脇腹に響いてきたのを感じた時だった。
「うぐっ………!!」
萃香が振り返った拍子に分銅の軌道が代わり、運悪く星の体を直撃したらしい。これがもし脆い人間であれば、命すらも危ぶまれるところだったが、星は腐っても古参の妖怪である。それでも星は、一気に数メートル吹き飛ばされたようだ。衝撃と痛みで朦朧とする意識の中で、星は揉み合う二人組の声を聴いた。
「この酔っ払い!よくも…よくもご主人を!」
「痛ッ!…やったな、ネズミ!」
しかしその声をかき消すように、もっと大きく悲痛な声が、星の頭に直接響いた。
(痛い…痛いよ…助けて…星…)
星が半身だけ起き上がって後ろを見ると、砂利で覆われた坂道の下に宝塔が落ちている。星と一緒に吹き飛ばされ、転がっていってしまったらしい。
「…! 宝塔が……取りに…行かなきゃ…」
星は痛みを堪えつつ何とか体を起こし、宝塔のある坂道を見据えて立ち上がろうとした。
「うぎゃあっ!!」
不意の雷鳴のような、分銅が石畳を削る音と同時に響いたその声に、星は再び振り返る。星の眼には、萃香がナズーリンを蹴り飛ばす姿がくっきりと映った。必死のガードも空しく、ナズーリンの小さな体は簡単に宙に浮き、そのまま重力によって地面へと叩きつけられる。
「ぐあ……っ…」
「私を、私を皆でバカにした報いだぁっ!」
完全に悪酔いしている。こうなるともう歯止めが利かない。萃香はすっかり理性を失い、倒れ込んだナズーリンの背中を足で思いっきり踏みつけた。思わず目を覆った星の後ろから、また宝塔の声が響く。
(星…はやく…たすけて…こっち…こっち…)
だが、星はもう、振り返らなかった。
ナズーリンを再び踏みつけようと足を振り上げた萃香は、いきなり背後から突進してきた星の体当たりで、バランスを崩して転倒した。
「いででっ!!…何すんのさっ!!」
鬼神のごとく凄みを効かせてくる萃香を相手に、星は震えながら立ち塞がって叫んだ。
「…ナズーリンを痛めつけるのは…私が許しません!」
「ご、ご主人……!」
その澄んだ瞳の中に、萃香は何か強大なものを本能的に感じ取ったらしい。
「きょ…今日の所は、勘弁しておいてやるぇ!…ウプッ、気持ち悪…」
本格的に酔いが回ってきたのか、乱闘で血が上ったのか、二人に背を向けた萃香はもはや歩くことすらおぼつかず、茂みの中を転がるようにして逃げ去っていった。
怪我はないかと尋ねてくる星に、ナズーリンはそちらこそ大丈夫かと返した。幸いにもお互いに軽い打撲や擦り傷で、絆創膏と湿布を貼り合って解決する程度で済んだ。
「ちょっとは、見直したよ…ご主人のこと」
湿布を貼った位置を体をひねって確かめつつ、ナズーリンはそう呟いた。星は、頬を赤らめて微笑んだ。
(庭もめちゃくちゃになっちゃったな…聖が帰ってきたら説明しないと)
ナズーリンが夕飯の支度をしている間、打ち砕かれた灯篭の破片をちりとりとほうきで攫っていた星は、ふと背後に気配を感じた。また萃香が戻って来たのではないか?恐る恐る後ろを向いた星が目にしたのは萃香ではなく、あの金髪ロングヘアの妖怪・八雲紫だった。紫は開口一番、こう問うてきた。
「貴方、宝塔はどうしたの?」
…宝塔。宝塔?宝塔!! その単語が星の頭の中を駆け巡り、まるで縄のように締め付けた。紫はいつの間にやら宝塔を片手に持ち、冷たく言葉を続ける。
「この宝塔も可哀そうにね。必死で星に助けを求めたのに無視されて、ついには忘れられてしまった」
「…わ…私は宝塔のことも考えて…でもナズーリンを…」
星は言葉に詰まった。今まで宝塔と心を通わせ、信頼し合ってきた日々を思い出したからだ。宝塔よりもナズーリンを優先させたあの時の判断が、間違っていたとは思わない。しかしナズーリンを助けた後、星が自分から宝塔のもとへ駆けつけることは無かった。宝塔のことなど、頭からすっぽりと抜け落ちてしまっていたのである。宝塔はきっと、星と共に過ごした日々の全てを否定されたように思ったに違いない。もしあの後、いつものように宝塔の下に駆け寄って、優しい言葉をかけてあげられていたら…。
「貴方の選択は尊重するわ。ただ、もうこの宝塔は貴方に語り掛けてはくれないでしょうけどね」
「うぅ…」
思わず星の瞳から涙がこぼれた。そんな星に、紫のしなやかな人差し指が向けられる。
「それでも貴方がもう一度宝塔と心を通わせたいなら、最後の手段があるわ」
紫はそう言うと、星の揺れる瞳孔を見つめながら不敵な笑みを浮かべた。
「もう絶対に宝塔から離れないようにしてあげる」
星は言葉も発することができないまま、紫の幻術を一身に受けた。
「「「「ネクロ・ファンタジアァァァ!!!」」」」
「ご主人、遅くなってごめん。夕飯できたよ」
戸口から出てきたナズーリンの呼びかけに、庭で放心したように立っていた星は、ゆっくりと頷いた。
「「いただきまーす!」」
久しぶりの二人ご飯。だいたい夕飯時になると聖と一緒に食卓を囲むか、ナズーリンが遠くのねぐらに戻っていて不在かのどちらかで、星とナズーリンだけでご飯をつつくというのは珍しい事であった。
「これからは宝塔も大事にしますし、ナズーリンのことも大事にしますからね!」
「ちょっと…嫌だなぁご主人。私なんかさ…」
ナズーリンは星の素直な発言を煙たがりつつも、ほっぺたを赤くしていた。ナズーリンは気恥ずかしさを隠そうと、自分以外の話題を持ち出した。
「ええと…というかご主人、宝塔を大事にするのはいいけど…食事中もずっと持ってるってのは不便じゃないかい?」
自然な疑問だった。星は左手に宝塔を持ちながら、右手の箸だけで食事を取っていたのだ。
「私と宝塔は一心同体ですから。こうしてずっと持っていなければならないんですよ。まさか宝塔と茶碗を同時に持つこともできませんし」
「ハハハ…本当にご主人は融通が利かないね。別に食事の時くらい置いといても怒りゃしないよ。そんなに心配なら、私が持ってるから。ほら、宝塔を貸してくれ」
ナズーリンは小さな手で宝塔を掴むと、星の左手からぐいっと引き離そうとした。しかしどういう訳か、全く離れない。左手首をしっかりと握って、もう一度試しても同じである。
「……!? お、おい…星、これは……!」
ナズーリンは目を疑った。星の左手は、宝塔と
言葉を失うナズーリンを見て、星はまったく普段通りに、寸分の淀みもない清らかな瞳を向けて語り掛けた。
「先ほど言ったではないですか、ナズーリン。私と宝塔は、『一心同体』だって…。」
「どちらかを選んで、どちらかを捨てろ。その選択の対象が家具とか玩具とか、モノであったとすれば、多くの人はすぐに決断できるでしょう。逆に選ぶ対象がヒトだったら、結論すら出ないかもしれないわね。じゃあ、もしヒトの心を持ったモノだったら…? …あぁ、この手の倫理問題は苦手だわ」