『
櫻崎シゲルのぉ、シゲルラジオォッ!
ラジオの前の君、元気してるかい?もしも元気がないのなら、俺のをちょいと持ってきな。お聞きの通り、俺は今日も絶好調だからよ!
さて、早いもんで三回目となったシゲラジだけど――いやー、ありがたいことに大反響みたいでな。週二回のペースで三回目だから、ラジオ開始から十日ばっかりしか経ってねえんだが――お便りの数がすげえんだこれが。ハガキで蓬莱ラジオ局が埋まっちまうんじゃねえかって心配だよ、俺は。
おっとそうそう、まずこれ言っておかねえとな。今日、とある質問にようやく答えられるようになったから、この場で発表するぜ。
質問の内容は、唄子の部屋最終回の再放送はしていただけるのですか、ってぇやつだ。滅茶苦茶多い質問だ。大抵のハガキに書いてあるから。
これについてだけど、正式に再放送が決定した!来週木曜午後八時から、蓬莱テレビで放送だ!
ちょいと待たせちまって悪かったな!なんせ法律の問題が立ちはだかってよぉ。阿藤首相はじめ政治家の皆が頑張ってくれたから、なんとか放送することができるようになったんだ。いやぁ関係各位様に感謝感謝だぜ。
再放送される最終回だけど、先週のラジオでやった『風の歌』とか『ロケット』はこの時にも歌ってるから、興味があるなら是非見てくれよな。音質もラジオより良いはずだぜ。
さーて、じゃあお便り読んでいこうか。えーと、ペンネーム『24歳会社員』さん。……あのな。前回も言ったけど、ペンネームってもっと適当でいいんだぞ?なんだってみんな年齢と職業の組み合わせで送ってくるんだか……
えーと、『毎週楽しく拝聴しております』ありがとな!『一か月前にレベル1の昏睡病を宣告された私ですが、シゲル様の歌を繰り返し聞くようになってからみるみる症状が改善され、先日遂に寛解と診断されました』おお、おめでとさん!『私を昏睡病から解き放ってくれた名曲【君だけを見つめてる】のリクエストと共に、シゲル様に感謝の言葉を送らせていただきます。――本当にありがとうございました、シゲル様。貴方は私の、いえ、きっと蓬莱人全ての救世主です』
……わはは、大げさだなー!おい、24歳会社員さんよ!俺は好き勝手に歌っただけだぜ。お前さんが回復したのは、お前さんの心が昏睡病を跳ね除けたからさ。感謝の言葉は手前のハートに囁いてやりな!
――だけどリクエストのほうはきっちり聞かせてもらったぜ。そういやこれやるのは唄子の部屋以来だったな。
『君だけを見つめてる』!
』
シゲルのラジオ放送開始から僅か二週間。
蓬莱人はレベル1の昏睡病を克服した。
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高校教師・座間美智子視点
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私、座間美智子にとって、目覚めは憂鬱なものだった。
かつて抱いていた教育への情熱は失われて久しい。高校教師としての仕事はルーチンワークと化していて、何をしても心は石のように動かなかった。
二十代後半に差し掛かり、いよいよ昏睡病の足音が聞こえてきたのだろう。次の定期健診では、レベル1を申告されるかもしれない。
人工授精で設けた一人娘は、まだ八歳だった。十五歳の成人式を迎えるまでは何とか生きていたいが、今発症すればレベル3まではギリギリだろう。
最近は、目が覚める度に昏睡病が近づいてくる気がする。
だから、憂鬱――
――だったのは、二週間前までの話だ。
「かなめ!小学校遅刻しちゃうわよっ」
「んんーっ……」
私に布団をひっぺがされた愛娘は、不満げにむにゃむにゃ言いながら、のろのろと体を起こした。
「おかあさん……うー、もうこんな時間」
かなめは枕元の時計を一瞥すると、明らかに睡眠不足の顔で呟く。
――この娘、またやったわね。
「かなめ、貴女また夜更けまでビデオ見てたでしょう」
「ぎくっ」
律儀に口に出して、かなめが動きを硬直させる。
ビデオとは、つい二週間ほど前に我が校に齎された、『唄子の部屋』最終回が収められたビデオのことだ。神宮寺真美という一生徒が奇跡的に高画質で録画に成功したそれは、我が校においてペストよりも早く広まった。
噂が噂、ダビングがダビングを呼び――先週、ついに私もそのビデオを入手することができたのだ。
当然娘と一緒に即座に見た。
――もうね、母娘二人してシゲル様の虜。
真美さんは我が蓬莱第四学校の英雄として表彰してもいいと思う。まぁ近々『唄子の部屋』の再放送は決まったらしいけど――真美さんのお蔭で、我々は普通の蓬莱人より少し先を行くことができた。
そう。ラジオの放送より、ほんの僅かだけ先にシゲル様を知ることができた。この僅かの時間が、黄金よりも貴重だった。
このアドバンテージのお蔭で、テレビ、ビデオ、テープを何とか入手できたという者は多いから。
今電器屋さんに行っても商品棚に並んでいるのは虚無だけだ。シゲル様を知った蓬莱淑女たちがイナゴのように買い漁った後だから。
関連企業に政府のテコ入れが入ったらしいけど、電気製品がそんな簡単に増産できるとも思えない。品薄はまだしばらく続くだろう。
それにしても、教育番組目的でテレビとビデオを購入してあったのはまさに僥倖だった。そのおかげで自宅でシゲル様の御姿を拝むことができるのだから。
――とはいえ、小学生がこそこそと深夜まで見てるのは大問題!
「シゲル様を見たい気持ちは分かるけど、それでお寝坊なんて言語道断です!次私が起こす前に起きてなかったら、ビデオデッキは封印しますからね!」
「そ、それだけは!それだけはかんべんをー!」
愛娘がベッドの上で土下座する。芝居がかった滑稽な仕草に、怒り顔が自然と苦笑に変わってしまう。
「まったくもう――ご飯できてるから、顔洗って早く食べちゃいなさい」
「はーい!」
「おいしい!やっぱりおかあさんの卵焼きは世界一おいしい!」
パジャマ姿のまま朝食をぱくつくかなめの顔は、見てるこっちも嬉しくなるような笑顔だ。
「調子がいいんだから」
そういいつつ、私の口元は我知らず緩んでしまう。
シリアルや完全食に比べれば料理は手間だが、比較にならないほど美味しいし、何より我が子の笑みを見てしまうとかつての朝食に戻す気は起きなかった。
実際に三日前、時間がない朝に十日ぶりの完全食を食べることになったのだが――とても食事とは思われなかった。
――いや本当、あんなにマズかったかしら。明らかに昏睡病で味覚がどうにかしてたとしか思えない。なにあれ。土塊でしょ。
今となってはなぜあんなインスタント食品を食べていたのか心底不思議だった。
食事というのは、こんなに美味しく、楽しいのに。
「じゃあお母さんは先に出かけるからね。きちんと歯を磨いてから登校すること!」
「はぁい。いってらっしゃーい」
愛娘の声に背を押され、私は職場へと赴く。
外はいい天気。
今日もいい日になりそうだった。
まだ七時半だというのに、校門前は生徒で賑わっている。
ほんの十日ほど前まで、死んだように静かだった登校風景は、今や溌溂とした女子高生たちの社交場へと変貌していた。
「おはよっ!」
「おはよー!ねぇねぇ、昨日のシゲラジ聞いた?!」
「もっちろん、逃すわけないでしょー!十分前から正座待機してたよ!」
「だよねっ!わたしもわたしも!」
「ラジオじゃなくてラジカセ欲しいよー。昨日も結局録音できなかったし」
「永久保存しておきたいよねぇ」
「大丈夫!2-Aの理子さんに聞いたんだけど、カセットテープもダビングできるんだって!なんかライン出力――入力だっけ?とにかくそんな機能があるラジカセならテープ増やせるらしいよ!」
「――っていうことはつまり、シゲラジ初回から録音している人は沢山いるから――」
「焦る必要ないってことね」
「神の発明品じゃん。確かアステカで開発されたんだっけ?」
「そうそう。ジェーン・ホワイトっていう天才さんが、テレビ造る前に開発したんだって」
「あー、その人何か月か前にニュースになってたよね」
「昏睡病レベル3になっちゃった、ってのでしょ?『人類の大損失』って書いてあったの、新聞で見た記憶がある」
「――ちょっと不謹慎かもしれないけど、レベル3になるまでに色んな機械開発しておいてくれて、本当に感謝だね」
「うん。足向けて寝られないよ」
「ほんとだね。そのラジカセさえ買えば、また初回からシゲラジを楽しめるんだもん」
「……買えればね」
「……」
「……」
「……わたしさぁ、直ぐにでも第一回を聞きなおしたいんだけど」
「……そんなの皆そうよ」
「ラジカセ持ってる人のうちにお邪魔するしかないねー」
「唄子の部屋最終回、再放送だって!」
「ええ、ついに来たわね……!ダビングじゃなくて、オリジナルを手に入れる機会がっ!」
「ダビングって微妙に劣化するもんねー」
「見れるだけありがたいけど、やっぱり画質と音質にはこだわりたい!」
「テープは準備できてる?」
「抜かりないわよっ」
生徒たちの声は力に満ちていて、表情は満開の花のように瑞々しい。つい数週間前に比べれば、誰もがまるで別人だった。
同じ空間にいるだけで幸せになれるような空気を、十代の少女たちは全身に纏っていた。
――そうよね。きっと、今の生徒たちこそ、本来あるべき少女の姿なのよ。
最低限の挨拶をして、人形のように勉強と職業訓練をこなすだけ。そんな生徒を見る教師たちだって、無表情に知識と技術を詰め込むルーチンワークをこなすだけだった。
そんなの絶対間違ってるって、今なら思える。
おしゃべりが大好きで、眩しい笑顔で未来を語る少女たちを、正しく導くことが教師の本分!
「あ、座間先生。おはようございます!」
「おはようございまーす!」
教育の熱意を燃え上がらせ、肩で風を切って歩く私に、生徒たちが笑顔で朝の挨拶をしてくれる。
それでまたやる気がチャージされた。
私も笑顔で挨拶を返して、校舎内へと入っていく。
――さぁ、バリバリ働くわよー!
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蓬莱淑女は真面目だ。授業中の静けさは数週間前と大差ない。
違うのは休み時間に突入してからだ。生徒たちは礼を終えて着席した瞬間から、早朝の雀の群れもかくやというおしゃべりを再開する。
その内容といえば、ほとんどがシゲル様のことと――
「ううう、職業訓練の給料だけじゃお金たりない!」
「給料の前借できないかなー……」
「安心して、どうせお金があってもモノが無いから」
「いつになったら電器屋さんの在庫復活するのよー」
「駅前アーケードは全滅よ。もうどの店舗も『アルバイト募集』の張り紙はしてないわ」
「くぅぅ……桜通りに続いて、アーケードもかぁ」
「口入屋は?」
「どこの口入屋も口開けたピラニアみたいな学生たちがひしめき合ってるわ。整理券配られてるくらいよ」
「歩行者天国で手作りアクセサリーでも売る?」
「むりむり。ぜーったい材料費ペイできないって」
「やってみなきゃわかんないでしょー」
「いーえ、わかるわ。だって今この状況で、貴女だったら学生が作った路上のアクセサリーにお金使う?」
「うっ」
「そんなお金があったらテレビ貯金かビデオ貯金。もしくはラジカセ貯金でしょ。みーんなそうよ」
「ううっ、世知辛い」
金!金!金!だった。
淑女として恥ずかしくないのか!と一喝するものなど、影も形も見えない。
いま女子たちには金が無く、しかし確かな『元気』に満ち溢れていた。
――私には、それが何よりも得難いもののように思えた。
「あ、先生!ちょっと質問いいですか?」
次の授業の為に教室を去ろうとする私を呼び止める声があった。
振り返れば、そこにいるのは神宮寺真美さん。
「あら真美さん。もちろん、どうぞ」
贔屓といわれようが、彼女になら大抵の質問には答えるつもりだった。生徒たちだけでなく、教師たちのためにもダビング作業に骨を折ってくれた彼女を無下にするなど、蓬莱淑女としてあるまじき行為だ。
「あの――職練のコマが増えるって噂、本当ですか?」
真美さんが質問した瞬間、教室内のおしゃべりがぴたりと止んだ。
――なるほど。そんな噂があるなら、そりゃあ気になるわよね。
別段内緒にすることでもないので、私は即座に答えた。
「耳が早いですね。本当ですよ。文科省から通達がありました」
中学、高校には『職業訓練』――略して職練――とよばれる授業が存在する。
将来の勤め先候補に訓練生として勤め、そこで実務のイロハを教わるのが職練だ。午後の授業は丸々職業訓練に充てられている学校も多く、この蓬莱第四高等学校においても例外ではなかった。
ちなみに職練の時間には、ちゃんと給金がでる。もちろん仕事によって金額は変わるし、全額ではないけれど。
つまり真美さんの質問は、みんなのお財布事情に直結しているのだ。
「ほ、ほんとなんです!?やったあああ!お給料増えるぅ!」
私の答えに、真美さんは飛び上がって喜ぶ。他の生徒たちも次々と喜びの声を上げ、教室は沸きに沸いた。
……うーん、次のセリフを言うのが心苦しい。
「まぁコマが増えるのは来学期からですけどね」
「「「なんでええええ!?」」」
生徒たちは喜びの勢いをそのまま悲しみに転化した。すごい感情の振れ幅だ。シゲル様登場以前だとあり得ない。
はたから見てる分には――悪いんだけど、ちょっと面白い……
「職業訓練先の体制も変更しないといけませんし、学校側も学習指導要領の変更とか授業時数の調整なんかがありますからね。一朝一夕にはムリです」
「じゃ、じゃあわたしのラジカセ購入資金はどうしたらいいんですか?!」
半泣きで真美さんが詰め寄ってくるけど、私は目を逸らすしかない。
「休日にバイトする、とか……」
「求人募集なんてものは、今やテレビの在庫くらい珍しいんですよ!」
真美さんの悲痛な叫びに、教室中が賛同の声を上げはじめる。
「そうです!真美さんの言う通りなんです!」
「もうどこ探してもないんです!」
「職練では仕事にも慣れてきました。幾つか資格も取りました。一千万円の機材すら任されました!でも日曜になったら――駐車係の仕事すら無いんです!」
「財布の中身が見つからない……見つからないんです――テレビを買うまではちゃんとあったのに……」
テレビ買ったからでしょ!とはとても言えない愁嘆場が目の前に繰り広げられている。
私は慌てて声を張り上げた。
「安心してください!確かに今は求人が尽きているようですが――断言します。今だけです」
「え?」
「ごく近いうちに――百パーセント、確実に、あらゆる分野で人手が足りなくなります」
これは間違いのない情報だった。
蓬莱には今、シゲル様が起こした風が吹きはじめた。今はまだつむじ風で、家電の需要急増という分かりやすい現象に留まっているようだが――この風がその程度で収まるわけがない。いずれ蓬莱中を、いや世界をも巻き込む大旋風となる。
恐らくこれから訪れるのは、空前の好景気。需要が需要を呼び、雇用側は人手がいくらあっても足りなくなる。
つまるところ、じきに完全な売り手市場がやってくるから安心してください――と、私はそのようなことを述べた。
一瞬沈黙した真美さんはなるほどと呟いて――くわっと目を見開いた。
「でもわたしたち、今お金が欲しいんですよ!」
もっともだった。
私はやっぱり無言で目を逸らすしかなかった。