アンコールは異世界で   作:ヤマガミ

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第15話

この一世紀の間、世界中のGDPは緩やかに、しかし確実に右肩下がりを続けていた。あらゆる国家はこの状況を打破すべく協力し合い、それでも解決することが出来ずにいた。

 

 

――櫻崎シゲルが登場するまでは。

 

 

凛は部下の鈴木涼子に手渡された資料に視線を落とし、わぁお、と小さく声を上げた。

記載されているのは去年からのGDPの概算。そこには直近一か月――つまり櫻崎シゲルが登場した後――のGDPも計上されていた。

無論、本来データの集計には時間がかかる。この直近の数値は正確なものではなく、かなりの割合で予想も含まれている。

 

――それを踏まえたうえでも、そのグラフは異常だった。

 

「すっごいわねー。V字回復っていうレベルじゃないわよこれ」

「下り坂に突然壁が出来たみたいなものですからね」

「オマケに壁の高さは今をもって上昇中、と」

凛はにんまりと笑みを浮かべる。

シゲルの登場はテレビ、ビデオのみならず、様々な物資への需要を急増させた。食料もそのうちの一つで、ほとんどの食材食品が飛ぶように売れている。結構な事だった。消費の活性は景気の活性である。

しかし、中には逆のグラフを書くものもあった。

「――完全食の売り上げ、大分落ちたわね」

資料の中にある右肩下がりのデータを見て、薄々予想はしてたけど、と凛は呟く。

完全食。昏睡病に対抗すべく世界中の企業協力の元に生み出されたブロック状の食品である。生産性、保存性に優れ、栄養面でも文句の付けようが無いという三方良しの食べ物だが、味は塩を振った粘土に近かった。コスト面でも優秀なこの食料は、しかし今蓬莱において急速に支持を失いつつある。

「はい。それに代わるように、やや高価な食品が飛ぶように売れています」

涼子の補足説明に、凛は「でしょうねえ」と返す。

 

――昏睡病は味覚を鈍らせる。これは間違いのない事実だった。

 

戦前から『気鬱の病は味覚障害を引き起こす』というデータは存在したが、昏睡病も例にもれなかった。完全食の味が変わった気がする、と言って検査を受けに来た人が昏睡病を宣告されるのはままあることである。

 

――そもそもこの世界の人間は、例外なく昏睡病に侵されていた。それは男女を問わず、生まれたときから昏睡病にり患しているのだ。昏睡病と診断されていない子供も、医師に発見できないだけであり、それはいわば『昏睡病レベル0』なのである。

ところがシゲルの登場によって、本当の意味で健康体を取り戻す人々が急増しだした。

 

それが何を意味するか――

 

「無理もないわよ。私も最近は完全食齧るたびにむなしい気分になるもの。たまに炊くごはんの美味しいこと美味しいこと」

「わかります。塩むすびにするだけで無限に食べられる気がしますからね……」

「そうなのよ。それでスーパーに米を買いに行くんだけど――」

「品薄ですよね。どこも」

「残念ながらね」

 

つまるところ、味覚の正常化による『まともな食材』の需要急増である。

 

「……ぜったい米不足になるわよコレ。小麦はまぁ、アステカからの輸入で何とかなるかもだけど」

「いえ、アステカにもシゲル様の存在を広めることを考えれば、下手すれば小麦も危ういのでは」

「小麦粉は完全食の原料なんだから、多分余るはずなのよ。完全食のシェアが縮小していけば、加工前の状態で店頭に並ぶことになるわけだから。おんなじ理由で卵とか大豆なんかもセーフね」

「なるほど。では、生鮮食品は……?」

涼子の質問に、凛は眉を顰める。

「……涼子。最近、スーパーでその手の品物買えたことある?」

「仕事終わりに向かうと、鮮魚、青果、精肉コーナーには『本日は売り切れました』のプレートしか置いてませんよ」

「それが答えよ。……諸々のデータ、早急に農水省にも共有させといて」

「承知しました」

凛は農水省の面々が急増する仕事量に頭を抱える姿を幻視しつつ、次の懸念点を涼子に問うことにする。

「インフレはどうなってる?」

「制御下にある、と言っていいでしょう。労働量自体が急増していますから」

これまで高級な嗜好品として位置づけられていた生鮮食品や、家電。それらを手に入れるために、蓬莱民たちはこぞって口入屋に走っていた。

「過労の問題は?」

「厚労省によれば、平均労働時間で見れば過労死ラインには幾分か余裕があるとのことです。全体的に見れば問題ない範疇かと」

「ふーむ。まぁ、蓬莱としても今が踏ん張りどころなのは間違いないからね。ちょっとくらいの無理は仕方ないか」

「……しかし、個人個人で見れば明らかなオーバーワークをしている者も見受けられます」

じろりと涼子の目が凛に向く。

「うっ……し、仕方ないでしょ。もう滅茶苦茶な仕事量なんだから。立場上、任せられない仕事が多すぎるのよ」

「……睡眠時間だけはしっかり確保してくださいね。今凛さんに倒れられると様々な事業が躓くことになります」

「だいじょーぶだいじょーぶ。シゲル様の音楽聞くとね、疲れが吹っ飛んで目が冴えるから」

「危ないクスリじゃないんですから……」

「ま、最低限の睡眠はとってるわよ。――で、昏睡病の方は?」

いよいよ本題に移った凛にむかって、涼子は微かに笑みを浮かべて胸を張った。

「レベル1は最早脅威ではありません。ラジオを聞いたレベル1の昏睡病患者は、その全てが寛解しました」

「重度のレベル1も?」

「全て、です。それどころかレベル2にも改善の傾向がある、と」

耳を疑うような良いニュースが次々と上がってくる。凛は小躍りしたくなった。

希望。まさにその二文字が、絶世の美男子の姿を象って蓬莱に現れたのだ。

「加えて興味深い報告が上がっています」

「なにかしら」

「同程度のレベル1昏睡病患者にラジオを聞かせたところ、その回復速度に格段の違いがみられた、とのことです」

「単なる個人差……ではないのね」

「はい。聞かせたラジオの内容は同じだったのですが、明確に違う点が一つ。『音質』です」

「音質?」

「ご存じの通り、電波は距離や遮蔽物によって減衰し、場所によってはラジオが殆ど聞き取れなくなる場合もあります。山間の病院で雑音混じりのラジオを聞かせた患者と比べ、クリアな音質のラジオを聞かせた患者の回復速度は、最大で三倍の開きがあったそうです」

「……地価が動きそうな情報ね」

「そして、凛さんもご覧になられたあのビデオ」

「唄子の部屋最終回のことね」

「はい。――『音質、画質共に最高の状況にある』という条件でなら、あのビデオはまさに『特効薬』です。レベル1患者は一撃で治ります。レベル2も軽度なら僅かな時間で回復し、重度であってもはっきりと改善の兆しが見られます。そして一度改善方向にさえ向かってしまえば、後はラジオなどの治療で寛解まで持っていけます」

一か月前であれば質の悪いジョークとして一笑に付したであろう報告を聞いて、凛は遠い目をする。

「――やっぱりシゲル様って神だわ」

「異論はありません。しかし、やはり最大の効果を発揮するのは初回です。その後は効果が薄れていく傾向にあるようです」

「ま、初回のインパクトはそりゃ強いわよね」

凛も遥に初めてビデオを見せられた夜のことは強烈に覚えていた。そのまま死ぬんじゃないかと思うほどの興奮だった。

流石に今ビデオを見直しても、当時ほどの命の危険は感じない。

「効果が薄れるっていっても、一度回復傾向にもっていけばあとはこっちのものなんでしょ?特に問題はないんじゃないの」

「おっしゃる通りですが――問題なのは、昏睡病の原因が今をもって不明だということです。不明であるがために、どうしても再発の二文字が頭に浮かんでしまいます」

一理ある話だった。今のところ昏睡病が再発したという情報は無いが、これからもそうだとは限らない。

「ですので一刻も早く、シゲル様にテレビ出演をしていただくべきなのです。シゲル様が新たな番組に出るたびに新薬が開発されるようなものなのですから」

「安心して。ちょっと予定よりは遅れたけれど、アイドルスターは来週には始まる予定よ。シゲル様をメインキャストに加えたうえで、ね」

「見事な速度かと。――ですが、そうなると問題は一つに絞られますね」

「そうね」

 

「「レベル3」」

 

二人は声を合わせて、忌々しげに呟く。

「――既にレベル3患者へのビデオ治療は開始していますが、残念ながら回復した患者は現れていません。……もし、回復の見込みがあるとすれば、」

「シゲル様の生演奏しかない、わね」

「――はい。シゲル様の生演奏は、別格の破壊力を有しているものと思われます。是非、レベル3の患者に聞かせるべきです」

「ええ、その通りよ。とはいえ……」

凛は眉根を寄せる。

レベル3の昏睡病患者は、レベル2までとは隔絶した状態にある。

自発的な食事が不可能という点だけでその異常さが分かるだろう。生きようとする意志を軒並み奪われてしまうのがレベル3なのだ。

「……治せると思う?」

「……可能性は、低いと思われますが」

「ゼロではない、か。そうね、シゲル様なら」

二人は遠い目をすると、英雄の活躍を祈った。

ところで、昏睡病はレベル4まで存在する。にもかかわらずレベル4の存在が口の端にも上がらないのは、レベル4の患者が『深昏睡』に陥るからだ。

脳波はフラットで、音は勿論痛みにすら何の反応も示さない。

40歳になるまでは治療法の研究の為に専門の施設で生命維持がなされるが、それ以降は装置を外される。無論家族が望めばその限りではないが、その場合は十割負担で維持費を支払い続けることになる。大半の者はその出費に耐えきれない。

生命維持装置をもってしても衰弱に耐えきれなくなった時。あるいは、生命維持装置を外される時。それがこの世界の人間の『寿命』である。

 

「生演奏については、シゲル様に既に打診してあるの。あの方は極めて前向きよ。いつでも行けると太鼓判を押してくださったわ」

「でしたら試すのは早い方がいいかと。レベル3患者であれば十人や二十人は直ぐにでも集められます」

「そうね、スピードは大事だわ」

「では、さっそく手配に移ります」

「――いえ」

涼子が勢い込むのに、凛は二本の指を立てて待ったをかける。

「二日だけ待ちなさい」

「二日?一体なんの時間ですか?」

「アステカとの交渉が上手くいったって外務省から連絡があったの」

「アステカと?」

突如飛び出した大国の名に、涼子は首を傾げる。

「僅かでも可能性があるなら、早急に治療に参加させたいアステカ人がいてね」

「アステカ人を、ですか」

疑問符を浮かべたままの涼子に、凛はにやりと笑って見せる。

 

「上手くいけば――シゲル様が世界に打って出る時に、大きな弾みをつけてあげられるかもしれないのよ」

 

 

 

 

 

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