アンコールは異世界で   作:ヤマガミ

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第16話

ジェーン・ホワイト、二十二の若さで昏睡病レベル3に進行。

数か月前、世界中に伝えらえたこのニュースに人々は揃って肩を落とした。今後の科学分野にかかるであろう、暗い影を思って。

アステカの若き天才科学者ジェーン・ホワイトの残してきた輝かしい足跡は、それほどまでに大きかったのだ。ここ十年ばかり、コンピュータ関連の特許の大半がこの鬼才によって取得されているという事実が、その功績の凄まじさを物語っている。

近代科学においてその名を無視することはまず不可能。最近注目を集めるテレビやビデオの原型もジェーンの発想によるものだった。

 

――だが、さしもの天才も昏睡病には抗えなかった。

 

彼女は今や、然るべき施設で一日の大半を眠って過ごしている。研究者でありながら活動的で、魅力的な笑顔を浮かべていた彼女はもういない。かつて好奇心に輝いていた大きな碧眼は、いまはどんよりと濁っている。

車椅子に乗った彼女の活動範囲は、精々が医療施設の中庭までだ。

 

 

 

しかし、この日。

 

ジェーン・ホワイトは空港に居た。

 

施設のスタッフ、アステカの外務次官、そして蓬莱の役人と共に。

 

「最後にもう一度尋ねるけれど、画期的な治療法が見つかったというのは本当なのね?」

アステカの外務次官、キャサリンが念を押すように蓬莱の役人――駿河凛に問う。

凛は躊躇うことなく頷きを返した。

「まだ試験段階ではありますが、事実です。我が蓬莱では既に幾人もの昏睡病を完治させました。とはいえ、今のところ完治したのはレベル2までの患者のみですし、確固たるエビデンスのある治療法ではありません。一種の賭けにはなりますが」

「死神の鎌から逃れる方法があるなら、どんなにか細くともそれに賭けるわ」

キャサリンは凛に向けて手を伸ばした。期待と共に突き出されたその手に、凛は力強い握手で答える。

「――ジェーン・ホワイトは稀代の天才よ。昏睡病さえ治ればこの娘はきっと世界を変えてくれる。それだけの閃きが、この小さな頭には詰まっているの。だから――どうか、お願いね」

「最善を尽くします」

フライトの準備が完了したというアナウンスと同時に、二人の手は離れる。

飛行機へと乗り込む直前に、凛はキャサリンに小包を手渡した。

「ミス・キャシー、こちらは手土産です。中身はこれまでの治療の詳細なデータと――ビデオテープが入っています。取り扱いには注意を」

「ビデオテープ?」

「ギリギリで法の問題をクリアできました。是非ダビングし、ご随意にお使いください。アステカ語の字幕を付ける時間は無かったので、その作業はそちらのほうで――」

凛はそこまで言うと、淡く微笑んだ。

「いえ、やはり通訳は必要ないかもしれませんね。国境を超える、なんていわれるくらいですから」

「よく分からないのだけれど……これには、一体何が?」

 

「『音楽』ですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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小さなコンサートホールには、三種類の観客が集められていた。

レベル3の患者。その付き添いである施設職員。そして駿河凛を含めた数名の役人と医療関係者である。

 

コンサートホールに集められた患者たちを見て、シゲルは息を呑んだ。

死んだように静かな患者たちが、光を失った瞳で虚空を見ている。明らかに人種の違う女性が一人混じっているが、その虚ろな碧眼も何も映していないようだった。

 

――重度の昏睡病ってのは、こんなふうになっちまうのか。

 

事前に説明を受けていたとはいえ、ショッキングな光景である。

だがシゲルはぐっと歯を食いしばると、努めて威勢のいい声を上げた。

 

「――逢いたかったぜぇっ!」

 

患者が、その声に反応した。

のろのろと視線を上げて、シゲルをぼんやりと見つめる。

極めて薄い反応だ。しかしシゲルはにやりと笑った。

 

声が届いている。それなら十分だ。

 

 

――ちなみにこの瞬間、もっとも衝撃を受けていたのは医療関係者であった。人の声に反応してそちらに視線を動かす、という行動は、後期レベル3患者には不可能なはずなのだ。

 

 

そんなこととはつゆ知らず、シゲルは口上を続ける。

 

 

「俺は櫻崎シゲル。ミュージシャンだ!」

 

「今日はよ、みんなに俺の音楽を聞かせたくてここに来たんだ!悪ィんだけど、ちょいとだけ時間をくれよな」

 

シゲルの言葉に、患者たちは反応を示さない。

だが、シゲルは語り続ける。

 

「昏睡病ってのは厄介だよな。俺も話に聞いちゃいたんだけどよ、今の今まで本当の意味での実感てのは湧かなかった。――レベル3のみんなの姿を、こうして目の当たりにするまでは、な」

 

「……医者のセンセイに、さっき言われたよ」

 

「『心が死んでしまうのがレベル3なんです』『だから治療の効果がなくても、決して気に病まないでください』って」

 

「気ィ使ってくれたんだろうな。まったくありがてえ話さ」

 

「――だけどよ!」

 

「心が死んじまった、っていうお前さんたちに――あえて今、約束するぜ!」

 

「今日!俺はみんなに、こう言わせてやる!」

 

 

 

「――『やかましくて、死んでる場合じゃなかった』ってな!」

 

 

 

声はやはり返ってこない。

 

だが、そんなものは関係ない。シゲルは迸る情熱をギターに叩きつける。

 

 

 

 

――伝えたい思いは、一つだけ。

 

 

 

同情じゃない。

 

激励じゃない。

 

鼓舞じゃない。

 

 

音楽に触れるときにいつだって感じる、たった一つの感情だけを伝えたかった。

 

 

 

 

――シゲルは願う。

 

神にではなく、自らの歌声に。

かき鳴らすギターに。

紡ぎあげる音楽に、願う。

 

 

――届けてくれ。

 

 

届けてくれよ。下向いちまって、前も見えねえこいつらに。

 

 

 

 

――俺の、喜びを――!

 

 

 

 

 

「いくぜ、皆!――レベル3の昏睡病は、チケット代わりに置いてきな!」

 

 

 

 

口上は終わりだ。準備万端、整った!

 

さあ!いつも通り!

 

「――楽しんでいこうぜぇっ!」

 

いつもの、このセリフから!

 

最高のライブを、始めようじゃねえか――!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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文部次官・駿河凛視点

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――なにこれぇ!?天国にいるみたいっ!!

 

シゲル様の生演奏――シゲル様曰くライブ――を目の当たりにして、私は『レベル3患者への効果の確認』という自らの職務を完全に忘れていた。周囲の職員も単なるファンと化している。どいつもこいつも最前列に張り付くようにしてシゲル様を見上げていた。

画面の中でなく、シゲル様がすぐそこにいるという事実。テレビ越しではない、生きた演奏と声が直に全身を叩く。

脳が沸騰しそうだった。この感覚は、遥が持ってきたビデオを初めて見たときに近い。

いや、信じがたいことだが、その数段上を行っている。

身体が勝手にリズムを刻む。心が叫びたがってる。

 

思わず黄色い声を上げそうになって――だけど心の中の声が、見境なく燃え上がろうとする脳髄に待ったをかけた。

 

『ダメよ凛!貴方は官僚としてここにいるの!ライブの前に医師も言っていたでしょう?検証のノイズどころか治療結果にも影響を与えかねないので、くれぐれも静聴を心がけてください、って!』

 

そう言うのは天使の羽が生えた私だ。

なるほど、理に適ったセリフだ。

 

しかし心の中にもう一人の私が現れると、おもむろに口を利いた。

 

 

 

 

 

『うるせえ知るか』

 

 

 

と。

 

素晴らしい説得力だ。わたしは悪魔の翼が生えた私のセリフに、全面的に賛同した。

 

『あなたなんてことを言うんですか!』

諦め悪く天使の私が悪魔の私に食ってかかる。

だけど悪魔の私は『ばかめ、アレを見ろ』と言って人差し指をステージ側に向けた。

指さした先にあるのは、最前列で拳を振り上げ、「シゲル様ァァァァッ!!」と奇声を発する医師の姿だった。

ライブの前に静聴がどうのと講釈を語っていたヤツだ。

 

『――じゃあいいですね!』

 

天使の私は光よりも早く手のひらを返すと、即座に満面の笑みとなった。

『それいけ私ー!最前列にかぶりつけ!』

『そういうことよ!ほかのヤツに後れを取るな!』

意見の一致を見た二人の私が、脳内で肩を組んで私をけしかける。

 

逆らう理由は一つもなかった。

最前列のあるかなしかの隙間に、私は身体をねじ込ませた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七曲目――名曲『Everybody』をやり終えたシゲル様が、眩い汗を輝かせながらマイクに唇を寄せる。

「――ノッてきたかァ!?」

ノッてないわけがない!全力の歓声で応える!

もちろん周囲の皆も同じだった。だけど、久しぶりに声帯を使ったと言わんばかりの掠れたような歓声が多い。

もっと気合入れていきなさいよ!まぁでも許しちゃう!紛れもない喜びの声みたいだし。

観客の反応を確かめるように全体を見渡したシゲル様は、自分こそが一番幸福だと言わんばかりの笑顔を浮かべた。尊い。悶死しそう。

「いいねいいね!だけどよぉ、もっと行けるぜ!さぁて次の曲はなんだか妙に人気な『君だけを見つめてる』だ!」

げぇっ、このタイミングでラブソング!そんなのダメよシゲル様!観客皆シゲル様しか見えなくなっちゃう!

――別にいっか!今更だったわ!

七色の声を持ち、女性の声すら出すことができるというシゲル様が、飛び切り甘い声で歌い出す。

あーダメダメ。鼻血が出る。

興奮で意識を飛ばさないようにだけ注意しながら、私は更にライブにのめり込んでいった――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、それから更に小一時間が経過して――

 

 

「――センキューッ!」

 

 

アステカ語で歯切れのいい感謝を述べてから、シゲル様が舞台袖に引っ込む。

 

――ライブが終わった今、というかライブが始まってからずっと、私たちは歓喜の渦に叩き込まれていた。完全な躁状態で、黄色い声以外を上げられない。観客席はさながらサル山だ。

最高の時間だった。もう間違いなく、人生で最高の体験だ。

だってどの曲もテレビ越しに聞くより最高の最高で――あれ?っていうかよく考えてみたらさっきのライブ、聞いたことの無い曲入ってたわよね?!何曲か!

どれも脳ミソとろけるくらいの名曲だったわよアレェ!ホントヤバい、役得ってレベルじゃないわよ!

 

――ん?役得?役?

……わたしって、なんの役目でここにいたんだっけ?

ぜーんぜん思い出せない。

 

まぁいっか。取り合えずこの幸せを、周りのみんなと分かち合おう!

滅茶苦茶密集して騒いでたから全員汗だくだけど、全く気にならない。とにかく隣の人と肩を抱き合って、笑顔を向け合って喜びを確認し合う。

眩しい笑顔だ。何か妙にやつれてて、まるで病み上がりのような人だけど、満面の笑みは見てるこっちまで嬉しくなる。

ええと、誰だっけなこの人。役人でも職員でもないような――

 

……。

 

 

 

患者さんじゃん!

 

 

 

「み、みんなちょっと待ったァ!」

 

 

 

正気に戻った私は、慌てて声を張り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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