アンコールは異世界で   作:ヤマガミ

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第22話

女官にも休日はある。交代制ではあるが、およそ週に一度のペースで一日の休みをとることができる。

平女官のたまり場と化している宮子の部屋には、外出届を出さなかった女官たちがたむろしていることが殆どなのだが、その日に限っては部屋の主ともう一人しか存在しなかった。

原因はその『もう一人』にあった。

なにせ今、愚痴をこぼしながら宮子と肩を並べてテレビを見ているのは――

 

「めいこは頭がかたい」

 

帝だったから。

 

いつものように宮子の部屋にお邪魔しようとしていた女官たちは、その姿を見るや平伏して去ってしまった。

だが昏睡病回復以来並々ならぬ図太さを発揮するようになった宮子は、大して気にもとめない。突然現れ、『チビちゃんを見せてくれ』という帝を、どうぞどうぞと気軽に招いてしまった。

「それだけ帝が大事なんですよー」

「……わらわはもう十歳になるのだぞ。いつまでたっても赤子のようにあつかわれては、たまらぬ」

帝は小さな口をへの字に曲げて、不満の意を表す。

しかし、まるで人形のようだった頃の帝を知っている宮子としては、命子の小言に愚痴をこぼす今の帝が実に微笑ましかった。

ある意味健全な『子どもそのもの』の様子に、宮子は口元をほころばせる。

「まぁまぁ。あ、おせんべい食べますか?」

宮子は既に封を切られた煎餅袋をひょいっと差し出す。

特別な品ではない。実家の近所の『田中せんべい』で十二枚入りが二百円で購入できる。

ハッキリ言えば帝の口に入るような代物ではない。おまけに既に封を切られている。この場に上級女官が――いや、宮子以外の女官がいれば激怒間違いなしの行為だ。

当の帝は「うむ、もらう」と頓着せずに手を伸ばしたが、小さな手は煎餅をつまみ上げると、困惑したように動きを止めてしまう。

「……どうやってたべれば良いのだ?」

「どうもこうも、こうですよ」

宮子はいつものように煎餅を手に取ると、ぱきりと齧り取った。

ぱらぱらと小さな破片がテーブルにこぼれる。

「うーん、やっぱりおいしい。これがまたちょっとぬるくなったお茶と合うんですよねぇ」

下品にも口の中に煎餅を放り込んだまま喋る宮子に、帝は目を丸くする。

「……よいのか?そんな食べ方で」

「煎餅の食べ方って他にあるんです?ささ、帝もどうぞどうぞ」

「――うむ」

帝は恐る恐る煎餅を口元に運ぶと、小さく齧り取り――目を見開いた。

昏睡病から解き放たれた帝の味覚は、香ばしい醤油の香りと、米の甘味を正確に捉えていた。醤油は少々控えめに使われている一品だったが、普段薄味に慣らされている帝にとっては鮮烈だった。

子どもの舌は、いつだって分かりやすく濃い味を求めているのだ。

ちょっと驚くような硬さも、とても面白い。

「よいな、これは。ごようたしにしよう」

「わぁ。田中せんべいきっと驚きますよ」

下手をすれば心臓麻痺クラスだ。

暫しの間、安物の煎餅と安物の茶を啜る音が響いていたが、長くは続かなかった。

「ありゃ、なくなっちゃった」

宮子が二枚を食べ終えると、煎餅袋は空になってしまったからだ。

 

ちなみに帝は一枚を食べ終わったところだった。

 

「えっ……」

 

帝は一声漏らすと、目に見えて落ち込んだ。

宮子は姉という生き物である。自分より小さな女の子がしょんぼりするところを見て、反射的に「なんとかしてあげなくては」と思った。

自分だけ二枚食べてしまったのもちょっと気まずかった。

 

だから宮子の口を、自然と言葉がついてでた。

「帝」

「む?」

 

「――皆に内緒で、ちょっとおでかけに行きましょうか」

 

――と。

 

かくして、宮子は帝を街に連れ出した。

置手紙一つで。高位女官に断りも無しに。

 

露見は早かったが、その時すでに二人は行方を晦ましていた。

 

 

 

 

命子は激怒した。

かならずやあの邪知暴虐のポンコツ女官を草の根分けてでも探し出し、有史以来最大の雷を落とさねばならぬと思い立ち、即座に実行に移した。

その怒りっぷりたるや凄まじいものだった。事が事だけに当然と言えば当然なのだが、昏睡病が蔓延していた数か月前の蓬莱においてはあり得ない怒りっぷりだった。

命子が怒りを爆発させるさまを目の当たりにした女官は、後に『人間は口から火を吹ける』と震えながら述懐した。

 

 

 

 

 

 

 

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古着として売り払おうと思っていた子供時代の服が、押し入れの奥に眠っていたのは、二人にとっては幸運だった。

帝は白無垢の着用が常だが、古着をきた上でつば広の帽子を目深に被れば、帝だと気づく者はまずいないだろうと思われたからだ。

 

宮廷とは言え、別段警備員が常駐しているわけではない。悪漢というものは二世紀前の概念であるし、女官の大半は何らかの武術を修めている。現代蓬莱において、帝の護衛は女官で事足りているのだ。

帝を連れたままタイミングを見計らって宮廷を抜け出すのは、さして難しいことではなかった。

 

外出先に宮子が選んだのは、実家の近くにある商店街だった。

折角の休日なので歩行者天国に行こうかと思った宮子だったが、流石にそれは踏みとどまった。昏睡病が遠のいた今、ホコ天の活気たるや凄まじいものがある。万一帝の存在がバレれば大パニックに陥るだろう。

平日の午後ともなれば学生で賑わう商店街だが、日曜は歩行者天国に人をとられる為大分閑散としている。

中々に都合の良い環境だった。宮子と帝は人目を憚ることなく団子の歩き食いをしている。

「……こんなことをしてよいのだろうか」

帝の呟きに、宮子はのほほんと答えを返す。

「私は外出届ちゃんと出しましたし。帝は外出届なんて必要ないでしょう?たぶん問題ありませんよ。ちゃんと置手紙もしてきましたしー」

「そうか」

とても問題がないようには思えない帝だったが、口には出さない。

――置手紙とはメモ一枚に『ちょっと帝とお出かけしてきます。夕暮れまでには戻ります』とだけ書かれたあれのことなのだろうか。あんなものを見つけたら命子は魔神に進化してもおかしくはないと思うのだが。

帝はそんなことを考えつつ、命子自慢の薙刀が宮子を問答無用に両断する映像を幻視したが、口には出さない。

中止を申し出るのは躊躇われるほど、帝のテンションは高まっていたからだ。

おでかけは健全な心身を取り戻した九歳の少女にとって、極めて魅力的だった。

「うーん。それにしてもここのお団子いけますねぇ。昔より一段上がりましたよ」

買い食いする宮子を犯罪者を見るような目で見た帝も、もはや過去にしか存在しない。

「うむぅ。餡がよい」

共犯者となった帝は表情の動きにくい顔にほんのりと喜色を浮かべ、歩きながら団子をぱくついている。

 

「さーて、この後どうします?何かしたいこととかありますか?」

「わからぬ。まかせる」

「うーん。じゃあ水天宮にでもお参りに行きます?ちょっと歩きますけど、団子の腹ごなしに丁度いい距離ですよ。それからどこかでお昼ご飯を食べるのはどうでしょう」

水天宮では府内ではそれなりにメジャーな神社である。安産、子授けを司る神は現代蓬莱においては重要視されており、神への信仰が薄れつつある今も参拝客は少なくない。

とはいえ歩行者天国と被ったこの時間帯であれば、さして問題はないはずだった。

「うむ。よきにはからえ」

「ははーっ」

そんなやり取りをしながら、二人は水天宮へと足を進める。

二人を呼び止める声があったのは、その時であった。

 

「そこのお二人さん、ちょいといいかい?」

 

二人が振り向くと、そこには見知らぬ人物が居た。

ハスキーな声をしたその人は、大きなマスクをしていて、帝と同じように帽子を目深にかぶっていた。長い黒髪は輪郭を隠している。

身長が高い。無駄な肉はついていないが、力もありそうだった。

「はい?なんでしょう?」

さり気なく帝を背にかばいながら、宮子が答える。

「道を尋ねたくてね。この神社にいきたいんだけど」

「えーと……ああ、水天宮ですかー。もう近いですよ。この道を――」

差し出されたメモを覗き込んだ宮子が口頭で案内をする。ふむふむと頷きながら聞いていた相手は、やがて小さく頭を下げると感謝の言葉を述べる。

「サンキュ。よく分かったよ。やっと参拝できる」

アステカ語での感謝の言葉に、宮子も笑みを浮かべる。蓬莱においてもアステカ語は義務教育に含まれているが、通常感謝の言葉としてチョイスすることはない。

いや、なかったというべきか。ごく最近においてはそうでもないのだ。

何しろ、櫻崎シゲルが頻繁にその言葉を使うから。

――きっと、この人もシゲル様のファンだ。

そう判断した宮子は僅かに持っていた警戒心を投げ捨てて、礼を述べて立ち去ろうとしていたその人物と話を続けようとする。

「いえいえー。それにしても水天宮に参拝ですかぁ。実は私たちもこれから参拝予定なんですよ。子宝犬目当てです?」

「へ?いやいや、水天宮といったら弁天様じゃないの?」

その人物は宮子の言葉に足を止めると、ハスキーな声を返してくる。

「え?弁天様……ああ、境内の宝生弁財天!」

ぽんと手を打つ宮子。その存在は、現代蓬莱の水天宮においては添え物に近かった。

「弁天様とは渋いところ突きますねえ」

「そうかい?音楽の神様だろ?」

その人の言葉に、宮子はあっと声を上げる。確かに弁才天には芸術の神としての側面もある。

「なるほど、言われてみればタイムリー!シゲル様という音楽の申し子が現れた今、弁天様ブームがきてもおかしくないですね!」

「お、そうなれば嬉しいな」

「嬉しい、ですか?へぇー、今時珍しい敬虔な方ですねぇ。何か音楽関係の願掛けですか?」

「ま、そんなとこさ。それと弁天様には恩があるもんだから、お礼も伝えに行きたくってね」

「あら、既に何かお願いが叶ったんですか?うらやましい話です。――あ、そうだ!折角だから水天宮一緒に行きませんか?賑やかな方が楽しいですし!」

人が多い方が帝もばれにくくなるだろうし、という思惑も込めて宮子は提案する。目の前の人物には帝の正体が露見するかもしれないが、もしばれても一人くらいなら頼み込んで内緒にしてもらえばいいし、という楽観的な思考回路が働いていた。

だが宮子の提案に、その人物は言葉を濁した。

「ん……あー、いやちょいとそれはどうかな。流石にボロがでそうだ」

「へ?ボロ?」

「えーと……」

「一緒に行けば絶対迷いませんし、ナイスアイディアですよ!――ねえ、」

そう思いますよね、と言おうと帝を振り返って、宮子は首を傾げることになった。

帝は大きく口を開けたまま、目を見開いて硬直していたからだ。

「――どうなさいました?」

訝しんだ宮子の問いには答えず、帝は言葉を発する。

 

「しげるさま」

 

「は?」

 

突如飛び出た英雄の名前に、宮子は首を傾げる。

ぴたりと動きを止めたのは目の前の人物だ。

 

一瞬の逡巡の後、その人物はちょっと肩を落とし――

 

「――ありゃま、バレちまったか。そこそこ女声に自信はあったんだが」

 

凛ちゃんは太鼓判押してくれたんだけどなぁ、と呟くその声は、先ほどまでのハスキーな女声とは一変していた。

聞き覚えの有りすぎるその声に、宮子は団子の串を取り落としていた。

その背格好、その声。帽子から伸びる長髪は、よく見ればウィッグで。

帽子の下から微かに見える目は、全蓬莱乙女が憧れている涼やかさ。

 

 

――櫻崎シゲルがそこにいた。

 

 

「――し、しっ、しげっ」

 

金魚のように口をパクパクさせ、次の瞬間には大声を上げそうな宮子に、シゲルは『しーっ』と人差し指を立てる。

宮子は慌てて両手で口を押えると、こくこくと頷く。

閑散としているとはいえ、人通りが全くないわけではない。

ここにシゲルが存在することがバレれば辺りはパニックとなり、芋づる式に帝がいることも露見するだろう。

そうなれば、明日の新聞を賑わせるのは間違いない。女官長命子の怒りの炎は、宮子を灰になるまで焼くだろう。

辺りをキョロキョロと見渡し、ひとまず周囲の視線を集めていないことを確認した宮子の全身に、冷や汗がぶわっと噴き出た。

帝と神に挟まれているという、ありがたくも恐れ多い状況にあることを理解したからだ。

宮子はぐるぐる目でシゲルに詰め寄ると、小声で声を荒らげるという器用な芸当を見せた。

「だっ、ダメじゃないですか!神族がこんなところ歩いてちゃダメじゃないですか!ちゃんと天国におられませんと!」

「あの世は何度も行きたくねえなぁ」

「みやこ、おぬしめちゃくちゃ失礼なことを言っているぞ」

「そっ、そんな馬鹿な!?わたしこのお方を誰よりも敬っておりますよ!?帝より上です!」

「えっ。女官とは一体……」

シゲルは何やら慌てふためく宮子の仕草を見て小さく笑うと、

「――櫻崎シゲルだ。よろしくなっ」

と名乗りを上げた。

「あ、ああっ!し、失礼しました!神宮寺宮子と申します!」

宮子はぺこぺこと頭を下げながら自らも名乗り、

「そ、それとこちらにおわすのは――」

と帝を紹介しようとしたところ、袖を引かれて制止された。

ちょいちょい、と手招きする帝に、宮子は顔を近づけた。

「――どうなさいました?」

「帝ということはないしょだ」

帝はごく小声でそう言う。

「何故です?」

「もし変にかしこまられでもしたら、『畏れ多い』」

二人の内緒話に、シゲルはどうかしたのかと首を傾げている。

宮子は慌てて帝の肩に手を置くと、とっさに言い訳を捻りだした。

「えーと、ミカ、ミカちゃんです!親戚の子供で、今は街に遊びにきたところなんですよ!」

「へぇ、そうかい。ミカちゃん、よろしくな!」

「はい」

帝は頬を紅潮させ、こくこくと頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ばれちまったもんはしょーがねーな。一緒に行こうぜ!」とシゲルが言ったので、宮子はこの世の春を謳歌していた。

シゲルの背中をみつめながら、宮子はほぼトリップしている。

 

――こんな幸運が舞い込むなんて!きっと模範的な女官として日々頑張っているわたしを、神が見ていてくれたんだ!

 

命子以下女官一同が目を血走らせて町中を探し回っていることを知らずに、宮子は呑気にもそんなことを考えていた。

 

「それにしてもよく分かりましたね、帝!」

シゲルに聞こえないように小声を出す宮子に、帝は頷きを返す。

「わらわの背丈だと、目元がよく見えた」

宮子はなるほどと手を打つと、足が止まっていたことに気付いて慌ててシゲルを追う。

 

確かに帝の身長は小さく、帽子の下から覗き込める。

――だが。帝がシゲルを見抜いたのは、何も視覚からの情報だけではなかった。

 

「……それと、」

 

帝は誰にも聞こえないほどの小声でささやく。

 

 

「人のまとえる神気ではない」

 

帝は眩しそうに目を細めると、先を行くシゲルの背を合掌で拝んだ。

 

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