アンコールは異世界で   作:ヤマガミ

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第23話

一緒に歩けるだけで幸せの絶頂だった宮子だが、折角なら会話の一つでも楽しみたいのが人情だった。

「シゲル様、やっぱり願掛けとはワールドツアーの……?」

帝の手を引きながら、宮子は恐る恐る気になっていたことを切り出してみる。

シゲルがレベル3患者の治療に成功したこと。その結果世界各国を巡ってレベル3患者の治療に回ることは、既に世界中の人々が知るところだった。

「そうそう。成功祈願ってとこだな」

シゲルが気さくに答えてくれたので、宮子の顔はだらしなく笑み崩れた。勢い込んで言葉を重ねる。

「シゲル様でしたら成功間違いなしです!願掛けの必要も無いですよ!」

宮子のセリフに、シゲルは「ありがとよ」と返したが、

「――でもよ、急がなくちゃならねえからな」

そう言って真剣な目をした。

「急がなくちゃ、ですか……」

「ああ。一応、ビデオはレベル3で進行を止めてくれてるらしいけど――ずっとそうかはわからねえだろ?だからその辺も含めて、神様にお願いだ」

そう言って肩を竦めるシゲルに、宮子は不安を覚える。

 

シゲルが殺人的なスケジュールをこなしているのは、少し考えれば分かることだった。何せシゲルはここのところ『ライブを行っていない時間のほうが少ない』という異常事態に陥っていたから。

 

各国が受け入れの準備を整えるまでに、蓬莱のレベル3患者たちを完治させてしまう、というのが最も効率的な動きだ。それを実現させるためには、現状とにかくシゲル自身が動き回るしかなかった。

シゲルはそれを実行に移していた。超人としか言いようのない体力と精神力を発揮し、驚くべき速度でレベル3患者を治療して回ったのだ。

録音されたリズムセクションとエレキギターは追い風となり、レベル3患者はライブに参加さえすれば僅かな時間で回復した。

「治療は終わりです」の言葉に患者が「もうちょっと聞かせてーッ!」と慟哭を上げるようになるまで十分とかからない。

素晴らしく順調に治療が進んでいたのだ。

――シゲルの負担を考慮に入れなければ。

 

 

「どうか休んでください」「御身に何かがあれば世の破滅です」と嘆く凛たち関係者一同の声を聞き入れ、初めて半日ばかり休みをもらった、というのがシゲルの現状だった。

 

 

「――シゲル様」

「なんだい?」

「どうか、ご自愛くださいね。レベル3患者が手遅れになったとしても、それはシゲル様のせいじゃないんですから。シゲル様がもし倒れでもしたら、それこそ本末転倒です」

「……心配すんな。俺は絶好調さ」

「でも――」

尚も言いつのろうとする宮子に、シゲルは悪戯っぽい目を向けた。

「――宮子ちゃん。俺はよ、欲張りなんだ。急いで皆を助けたい、ってのは手前の都合なんだよ。だから気にすんな、好きでやってんだ」

「……欲張り、ですか?」

「俺は、俺の観客を一人だって減らしたくねえんだよ」

 

幻滅しただろ!と言って笑うシゲルを、宮子は涙目で拝んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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水天宮にはほどほどに人が入っていた。

しかし参拝客の殆どは子宝犬や本殿を目的としており、宝生弁財天前には人がいない。

一行にとっては好都合であった。「目立つ前に済ませてしまいましょう!」という宮子に反論する者はおらず、三人は速やかに手水を済ませると、社殿に並び立った。

 

 

二礼、二拍手、一礼。

三人は目を閉じ、祈りを捧げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

――次の瞬間、シゲルと帝の精神は神域へと招かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おおう?!」

「!!」

 

突然辺りが真っ白になり、シゲルは面食らった。帝は目を見開く。

帝にとっては馴染の、シゲルにとっては二度目の空間であった。

「ここは――」

「神域……」

「お?ミカちゃんもいるのか?」

「シゲルさま。やはりあなたは、神の――」

帝が疑念を確信に変えたとき――

 

『依代のおかげで道が繋がった』

 

不意に、女性の声が響いた。

帝は息を呑む。

聞き覚えのある声だった。

自らを眠りに誘おうとしていた、あの声だ。

「この、声は――」

「……弁天様、じゃあ、なさそうだな」

二人が声の方角を振り向けば、そこには一塊の闇があった。

「――どちらさんだい?見た目の割に、キュートな声をしてるけどよ」

シゲルは軽口をたたく。

 

『――お前の陽気は、極めて邪魔だ』

 

声が告げるや、闇は神域の白を塗りつぶすかのごとく膨張した。

 

「しげるさま!お下がりください!」

「おっと。そりゃあ男の面目が立たねえな」

帝はシゲルを守るように闇に立ちはだかろうとしたが、当のシゲルに肩を掴まれて逆に背後に庇われた。

その様子を見て、何故か闇は更に悪意を募らせたらしい。漆黒が更なる広がりを見せた。

 

『櫻崎シゲル。永久の眠りにつくがよい』

 

見上げるほどの大きさになった闇は、巨大な手のような形をとると、二人に向かって押し寄せた。

闇は二人に逃げる暇すら与えず、その身体を包み込もうとし――

 

「――そうはいかないっての!」

 

美しい声と共に一閃された剣に、真っ二つに斬り払われた。

二人の前に、眩い輝きと共に、絶世の美女が顕現していた。

 

『弁才天……』

 

闇が憎々し気に声を発する。

 

セミロングの髪を残心の動きに靡かせ、女性はにやりと笑う。

 

「ふふん、いかにも――遊芸武芸なんでもござれの弁天様よ。まったく、アンタやりたい放題もいい加減にしなさいよね」

 

そういうと弁才天は、手にした剣を闇に突きつけた。

 

「――私のお膝元で、そんな無法が通ると思うわけ?」

 

見得を切る弁才天に、闇は再度攻撃を仕掛けた。

しかし迫りくる闇の腕を、弁才天は舞うような剣技で完璧に迎撃する。

「……強硬手段に出たところを見ると、あんたにとっても予想外だった?たった一人でこんなに『命の喜び』を伝えられる人間って信じられないものね。おまけに人の死の直前まで届く『音』を使ってるし――特攻兵器ぶっささりって感じ?」

間断なく振るわれる攻撃を捌きながら、弁財天には長広舌の余裕があった。

次第に闇の勢いは弱まっていく。

「――その辺でやめときなさい。流石にここでは私の方が上よ」

『――』

事実なのだろう。闇は攻撃の手を止めた。

『……弁才天。あくまでその男を庇うか』

闇の言葉に、弁財天は一つ鼻を鳴らすと胸を張った。

「当たり前でしょ。シゲルちゃんは――この死んだような世界を救うために、はるばるやってきたヒーローなんだから」

 

――その言葉が、闇の何に触れたのか。

 

底冷えするような負の感情が、突如として闇から迸った。

 

「……何よ、まだやる気?」

『――良いことを思いついたぞ』

「どーせ陰気なことでしょ」

弁才天を無視し、闇が意識を向けてきたのがシゲルには分かった。

 

『櫻崎シゲル』

「……何だい?」

 

シゲルは警戒しながら答えるが、続く闇のセリフは予想外のものだった。

 

『思うがままに動くがいい。人の子の眠りを覚ましたくば、好きにせよ』

 

「……何を企んでるワケ?」

弁才天が眉を顰めて問う。

しかし闇は答えず、その場から静かに消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだかわからないけど退いたみたいね」

剣を鞘に納める弁才天を見て、シゲルは安堵の息を漏らした。

「ふーっ。助かったぜ弁天様。これで二度目だな――っとやべ、ミカちゃんの前で言っちゃまずいのか、コレ」

いつぞやの弁才天のメモにあった『禁則』の文字を思い出し、シゲルは冷や汗を流す。だが、弁才天は鷹揚に手を振った。

「ああ、大丈夫大丈夫。その娘はセーフなのよ」

「え?そうなの?」

「元々そういう役割っていうか――まぁ、例外よ例外。あんまり気にしないでオーケー!」

 

「あ、でも依り代ちゃん!ここでのことは他言無用だからね!ルール破ると私の力が落ちちゃうから、絶対ダメよ!」

帝は自らの口を両手で押さえると、必死に首を縦に振った。

 

「わざわざお参りに来てもらったのに、危険な目に遭わせちゃってごめんなさいね、シゲルちゃん」

「こちらこそ二度目の感謝を伝えなきゃだ。助けてくれてありがとよ、弁天様」

「こちらこそ「ありがとう」なのよ、シゲルちゃん。だってあなたの動きって、今のところ百点満点なんだから!」

弁財天は満面の笑みを浮かべる。

「っていうかもう花丸よ花丸!まさかビデオでレベル3の進行が止まるなんて、わたしですら思ってもいなかったんだから!――まぁ、今後も進行が止まったままかどうかまでは、ちょっとわからないんだけどね」

「――そうか。じゃあ、やっぱり急がなきゃな」

「ええ。悪いんだけど、できる限り頑張ってみて。時間をかけると、アイツがまた変なちょっかいをかけてくるかもしれないし」

「さっきの彼女か。――確かにおっかなかったけど、声はイケてたぜ?きっとガールズバンドのボーカルになれる。ま、ファッションはちょいと見直す必要がありそうだったけどな!」

「ふふ。ま、形は勘弁してやって頂戴。わたしたちがこうやって決まった姿をとるのって、結構気合が必要なのよ。私はここがホームグラウンドみたいなものだから大丈夫だけどね」

 

ころころと笑った弁財天は、ふと真面目な顔になるとシゲルと目を合わせた。

 

 

「ねぇ、シゲルちゃん」

「何だい?」

「今日のこれは偶発的なアクシデントだったけど、ある意味丁度いい機会だわ。あの時は時間が無くてできなかった話を、いくつかしようと思うの」

 

 

 

「――何故、この世界がこんなことになってしまったのか。その理由について、とかね」

 

 

 

弁才天の真剣な表情をみて、シゲルは静かに頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

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「――そもそも、発端は『神罰』だったのよ」

「神罰?」

「そう。二百年前に起こった大規模な戦争に対する、ね。――本当に酷い戦争だったのよ。このままだと人類絶滅まで行っちゃうんじゃないの?って感じだったから。なるべくなら人界への干渉を避けている神族が、重い腰を上げるくらいには凄惨だったの」

 

「神々は『ちょっと人間を懲らしめよう』って思ったわけね。それが昏睡病の始まり」

 

「……でもよぉ、二百年経っても『神罰』とやらはそのままで、挙句人類絶滅の危機なんだろ?なんていうか、本末転倒じゃねえのか?」

 

「そこなのよねー……」

弁財天はがっくりと肩を落とした。

 

「神様にもそれぞれに権能があって、得意なことが違うの。で、人類を懲らしめるのは誰がやる、って話になった時に――手を上げたヤツがいたわけ」

「それが、さっきの?」

「そういうこと。あ、名前は秘密にしておくわね。神々の中には自分への恐れを力に変えるものも居て、アイツはモロにその手合いだから。かなりのビッグネームだから、シゲルちゃんはともかく依り代ちゃんは知らないほうが幸せよ」

 

「で、アイツは『私の権能なら都合がいい』って言ったのよ。確かに理に適ったセリフだったわ。結構な大仕事だったから、わたしたちは神力をアイツに集めて、実行に移したの。頼んだわよー、って」

 

そこで弁才天は遠い目をすると、しばし沈黙し――

 

 

「――そしたらアイツめっちゃ暴走したわ」

 

 

言いにくそうに言った。

 

「元々は『ちょっと生命エネルギーを奪い取って戦争する元気をなくしちゃおう』、っていう作戦だったんだけど、アイツは『人類全てが死ねば戦争も起こるまい』って、ヤバめのAI系ラスボスみたいなこと言い出して――まずいことに諌めようとする神々は、アイツに力を分け与えちゃってたもんだからさぁ大変。なんていうかアイツって、元々世界の半分を支配してるような力のある神だったから、余計に手が付けられなくって――二百年間手をこまねいていた、ってわけ」

 

「……なんだってあの神様は、そんな暴走を?」

 

「まぁ、なんていうか、恐らくは割とパーソナルな理由というか……男性への当りが強いのもそのせいというか……」

弁才天はごにょごにょと呟くと、肩を落とした。

 

「そもそも戦争の原因が『条約違反』に端を発していたのが、アイツに刺さっちゃったのよね、多分。条約違反が条約違反を呼んで、最終的には不戦条約までビリビリに破られちゃって戦争が始まったんだけど――その時点でアイツのトラウマスイッチがオンになってたのに、神々は気付けなかったのよねー……」

 

――つまるところ神選ミスだったのだ。

 

しかし弁才天がそのことに触れる前に、口をはさむものがあった。

帝である。

「――弁才天様。自らほろびへと向かう人類を、神々がいさめようとしていたのはまちがいないのですね」

不敬があってはならぬと口を噤んでいた帝だったが、こればかりは確認せずにはいられなかった。

弁才天は気にした風もなく頷く。

「そうね。そこは総意だったわ。――結果論だけど、昏睡病がなかったら今頃人類はもっと数を減らしていたでしょうね」

「そう、ですか……」

帝はがっくりと肩を落とした。

――結局のところ、昏睡病は自業自得。人類の暴虐のツケを、人類が支払わされているにすぎない。

そう。昏睡病とは、つまり――

「身から出たさび、なのですね……」

帝は自らを含む人類の愚かさに打ちひしがれる。

 

――弁才天は、そんな帝の頭を優しく撫でた。

 

「うーん……まぁ仮にそうだったとしても、今を生きるあなた達には何の責任もないわよねー」

 

はっとして帝が顔を上げると、そこにはまさに慈母のような笑みを浮かべる弁才天がいた。

「マッチポンプって言われちゃっても仕方ないけど……罰を与えようとしたのが神の総意なら、『これはやりすぎ』って思ったのも神の総意よ」

 

「だからこそ、ちょっと無理してシゲルちゃんっていうワイルドカードを切ったんだから!」

 

「俯いてないで、顔を上げて!失敗しても、前を向いて、より良い明日を目指して歩いて行けるのが、人間の良いところなんだから!」

「弁才天さま……!」

 

目をぎゅっと閉じて合掌する帝の頭をもう一度よしよしと撫で、弁才天はシゲルに向き直る。

 

「シゲルちゃん。あの時みたいになし崩しじゃなくて、私は貴方に正式にお願いをしたいと思うの。でも――その前に、これは伝えておかなくちゃフェアじゃないわね」

 

「貴方をこちらの世界に転生させることができたのは、貴方が死ぬタイミングとか、わたしの神力の貯まり具合とか――幾つかの条件が奇跡的に重なったからなの。同じことはもう出来ないと思うわ」

 

「神々は今精一杯アイツの力を押さえてる。援軍は用意できない」

 

「頼れるのは貴方だけ。だけど、私特製のボディと貴方のメンタルをもってしても、このライブツアーはちょっとキツイと思う。――さっきも言ったけど、今日みたいに、アイツが変なちょっかいをかけてくる可能性もあるわ。出来る限り目を光らせているつもりだけど、その時私が助けてあげられるとは限らない」

 

「……それでも、私はお願いするしかないの。この世界に、貴方以上に『元気』を伝えられる人間は他にいないから」

 

「だから――」

 

 

「――どうか世界中の人々に、貴方の『ライブ』を届けてあげて」

 

 

弁才天の願いに、シゲルは即座にサムズアップを返した。

一瞬たりとも、迷うことなく。

「望むところだぜ、弁天様。安心してくれよ。なんたって俺は――遂に死んでも、ライブに穴を開けなかった男だからな!」

 

 

「今度は『サービス』抜きでも、やりぬいてみせるぜ!」

 

 

にかっと笑うシゲルに、弁才天もまた微笑みを返し――

 

帝とシゲルは、眩い光に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

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――気が付けば、二人の意識は自らの肉体に戻っていた。

 

帝は辺りを見渡す。隣には、合掌したまま何やら熱心に祈っている宮子の姿があった。

不思議なことに、殆ど時間は経っていなかったらしい。

 

白昼夢のわけはなかった。

何故なら帝がシゲルの顔を伺うと、シゲルは片目を瞑ってマスクの前で人差し指を立てたから。

――内緒だぜ、と。

帝がこくこくと頷くと、宮子は祈りを終えたのか目を開いた。

 

「さて!お祈りも済みましたが――し、シゲル様っ、今後の予定などございますか?!」

「いや。一通り済んだところだよ」

「で、ではお昼ご飯でもいかがでしょう?!おいしいところを知ってるんですよー!」

「お、そりゃいいや。ご一緒させてもらおうかな」

「――!」

宮子は拳を握りしめるとぴょんぴょんと飛び跳ね、全身で喜びを表現した。

 

――シゲル様と一緒にお昼ご飯!もう現実とは思えない!これももしかしたら弁天様のご利益なのかもしれない!夢ならどうか覚めないで!

 

とそこまで考えたところで、宮子は手を打った。

「あ、その前に御守り買わなきゃですね!定番ですもんねー」

上手くすればシゲル様と同じお守りを買うことができるかも――という下心満載で宮子はいう。

 

――その宮子の横合いから、手を伸ばす者がいた。

 

「――これで良いか?くれてやるぞ」

 

恐ろしく平坦な口調とともに伸ばされた手には、弁天様のお守りが摘ままれていた。

「おお!これですよこれ!いやあ、どこのどなたか存じませんが、ありが――」

宮子は目の前に差し出されたそれを反射的に受け取って――

 

「困った時の神頼みとは、よく言ったものじゃ。のう、宮子や……」

 

――即座に取り落とした。

帝はお守りが地面につく前に慌ててキャッチする。

 

 

 

宮子の視線の先には鬼神が居た。

命子という名の。

「めっ、めっ、めいこさま……」

金魚のように口をパクパクさせて、宮子は喘ぐように言った。

真横にいる鬼神のプレッシャーはそれほどだった。

宮子とがしっと肩を組んだ命子は、囁くように語り掛ける。

「やってくれたのう、宮子や……いや、わしが悪いのじゃ。『その人を勝手に連れ出してはいけません』とは規則に書いておらんかったものなぁ」

「はっ、はははっ、え、ええ。そうですよねー。わたしなんにもルール破ってないですよね!」

「ははは、そうじゃのう。お主の為に今度から湯舟にも『服を脱がずに入ってはいけません』と書いておいてやるからな?」

「わ、わー。ありがたいですー。あははははは」

「ははははは」

 

「――怒ってます?」

 

――ふしゅるるるるる。

 

鬼神は答えず、蛇のような呼気を吐き出した。

恐怖のあまり宮子は淑女の尊厳を失いかけた。

いや、ちょっと失った。

無言のまま宮子の襟首をがっつりと掴んだ命子は、もう片方の手で帝の手を引くと、帽子を深く被りなおすシゲルに向かって口を開いた。

「――そこの御仁。仔細は知らぬが、きっとこやつが迷惑をかけたじゃろう。すまぬな。これは早急に引き取る故」

「いやあ、楽しかったよ」

見事な女声で返すシゲルに、命子は目礼を送ると、宮子の襟首をつかんだままずんずんと歩き出す。

 

「いやーッ!夢なら覚めてーッ!!」

「馬鹿め。お主の悪夢はこれから始まるのじゃ」

 

命子に手を引かれながら、帝はシゲルに深々と頭を下げる。

シゲルは帝が見えなくなるまで、ひらひらと手を振っていた。

 

 

 

 

 

 

 

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その日の夜。夜御殿で、帝は一人日中の出来事を思い出していた。

 

神域での、英雄と神の会話を。

 

シゲルがどういう存在で、誰によってこの蓬莱にやってきたのか――そのヒントは、あの会話の中に幾らでもあった。聡明な帝は、それだけでおおよその事情を察することができていた。

帝はお守りをそっと取り出し、目を閉じて弁才天に祈りをささげる。

 

祈りはしばらく続いて――やがて瞼が開くと、帝の目には決意の色があった。

 

 

――弁天様は『ここであったことは内緒』といった。その言葉に背くことはあり得ない。

 

だが。

 

感謝を示すなとは言われなかった。

 

 

帝は静かに立ち上がると、命子の局へと向かって歩き出した。

自らの腹案を相談せねばならないし――そろそろ宮子を地獄の説教から解き放ってやる必要があった。

 

 

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――それにしても最近どうも弁天様が人気みたいじゃねえの!いやぁ、俺もなんだか嬉しいぜ!なんせミュージシャンの俺からすれば、音楽の神様ってのは恩人みたいなもんだからな。

流行のきっかけは帝が弁天様のお守りをお買い求めになられたから、ってぇ話だったよな?そのおかげでどうも人気が凄すぎて、なかなか買えないって噂だが――へへ、俺持ってんだよ、そのお守り。おっと、コネとかじゃないぜ?ちゃあんと水天宮まで行って買ってきたんだよ。もっとも俺が行ったときは水天宮もあんまり混んでなくて、ささっと買えたけどな。

 

さぁて、そろそろ一曲いっとくか。――今日は弁天様と帝に感謝を込めて歌わせてもらおうかな。ナンバーは――

 

 

 

水天宮はとんでもないことになった。

元々帝がお守りを買った、ということでにわかに注目が高まっていたところに、噂を聞き付けたシゲルが何気なく触れたそのシゲラジがトドメとなった。

何せ帝とシゲルが揃って弁天様をお参りしたということで、そうなればこれは最早国教である。弁才天は自然と大きな信仰の対象となっていった。

 

――弁天様のお守りは蓬莱民のマストアイテム。だって帝とシゲル様とおそろだし。シゲル様が恩人だっていうなら私たちにとっても大恩人だし。

 

誰からともなく、そんな風潮が急激に高まっていった。水天宮はあっという間に、歩行者天国と並ぶ蓬莱の人気スポットとなったのである。

 

 

 

水天宮の宮司と巫女たちは過労死しかけ、平穏な日々が戻ってくることを神に祈った。

 

 

 

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