タブレットに収められていたのはいくつかの技術書と、音楽関連の本だった。
中にはギター、ベース、ドラムの教本も含まれており、『俺が全部書くしかねーよなぁ』と言っていたシゲルの負担を大幅に軽減した。
技術書自体の数は少なかった。それが近代科学に関わるものともなれば、片手に収まるほどしか無かった。
しかし、昏睡病から解き放たれた天才には、それで充分だったらしい。
「アイディアが幾らでもわいてきまース!ボトルネック?ボトルごとコナミジンでース!」
鼻息荒いジェーン主導の元、技術革新は恐るべき速度で進んでいく。
健全な資金が研究開発に潤沢に注ぎ込まれ、魅力的な商品が次々と販売される。それによって更なる経済の活性化が起きて、研究開発資金は雪だるま式に増えていく。
「無限の財力でース!それとホウライ人の器用さ、スゴイでース!技術がどんどん形になりまス!」
自らが開発した最新式ヘッドフォンでシゲルの音楽を聴きながら、「ワタシ、イマ、ムテキ!」とジェーンは吼える。
金と人手を存分に使えて――しかも絶好調状態を維持し続ける『天才』。この存在は蓬莱にとって大きかった。
――いや、大きすぎた。
特に、一省庁たる文科省にとっては。
『文部科学』の文字が意味する通り、文化と科学技術の振興は文科省の役割だ。
つまり――英雄が齎した『新しい音楽』という文化。そして、タブレットと天才が齎した膨大な『科学技術』。
その二つを管轄するのは、主に文科省ということになる。
それが今、何を意味するか。
終わらないデスマーチである。
「ああ、うん、そう。樹脂の輸入に関しては経産省に――え?蓬莱出版から輪転機のスケジュールについて話が?……午後に連絡しなおすって言っといて」
凛は受話器を置くと、煙を吹きそうな頭を抱えて机に突っ伏した。
――どう考えても、文科省のオーバーワークは限界を突破していた。
それも自明の理であった。英雄と天才がタッグを組んで積み上げ続ける成果を、文科省という一省庁が捌かなくてはならないわけで――単純に人手が足りないのだ。多少の増員はあったものの、新人がそんな簡単に使い物になるはずもない。
「あ、あの天才め……」
凛は机に突っ伏したまま、脳内にまで浮かんでくるジェーンの姿に嫌気がさしていた。
天才にも限度がある。到底処理が追っつかない速度で、次から次へと新技術を実用化していくのだ。オマケにそれらのテクノロジーはダイレクトに国民の活気と経済の活性に結びついているものばかりで、英雄が旅立とうとしている蓬莱にとって決して無視はできない代物だ。
現状、足りない人手は各員の奮戦努力で補っている。人はそれを『無茶』と言い、無茶が常態化している今の文科省は、割と末期的な様相を呈していた。
加えてジェーンはやることなすこと破天荒で、ちょっと目を離した隙にとんでもないことをしでかしたりする。
――研究開発部門に、いつの間にか数名アステカ人が増えていたのもその一例だ。
凛がそのことについて問いただすと、ジェーンは胸を張って答えた。
「アステカの私の研究室から助っ人呼びましター。ガイムショウには話を通しましたシ、半年もすればちゃんと帰ル予定だからダイジョーブでース!」
と。
凛は「ほんとぉ……?」と疑いの視線を向けたが、ジェーンは「オフコース!」の一点張りだった。
凛はそれ以上追及しなかった。
――だって研究員が帰りたくないって駄々こねても、その対応は私の仕事じゃないし。外務省が白目むくだけだし。
凛がそんなことを考えていると、またしても電話が鳴った。
凛は反射的にびくりと震えてしまう。鳴る度に仕事の増加を告げてくるこの機械は、もはや凛にとって恐怖と憎悪の対象になりかけていた。
しかし無視するわけにはいかない。凛が机に突っ伏したまま、恐る恐る電話に出ると――
『――凛さん!グッドニュースです!』
響いてきたのは、涼子の明るい声であった。
「ホント?!」
信頼できる部下の言葉に、凛はばね仕掛けの人形のように上体を起こした。
『はい!』
「内容は!」
『――シゲル様の治療ライブで復活した患者が、続々と職場復帰しつつある、と!』
「それを待ってたわよー!!」
凛は思わず立ち上がってしまう。
待ちに待っていたのだ。
――長い闘病生活で肉体的に衰えた元患者たちがリハビリを終え、それぞれの職場に復帰する瞬間を。
『そして!』
「そして!?」
『文科省を退職した先輩方も、近日中に戻ってくるそうです!』
「ホント?!ホントなのね?!」
『はい!』
「――サンキューッ!!」
テンションが上がり切った凛は、さながらシゲルのような感謝の言葉を受話器に告げると、復帰する先輩方への対応の指示を出してから電話を切った。
「いやっふううううう!!」
凛は右手を突き上げて垂直ジャンプをしてしまうほど、晴れやかな気分を味わっていた。
レベル3の人材とはどういうものなのか。これは中学高校の職練生とはワケが違う。
ほとんどの場合において、その道の『ベテラン』なのである。一人で新人何人分もの働きをする場合もあるし、新人を一人前の戦力に変換する教育すらこなせてしまう。
つまり、今一番欲しい『マンパワー』が、高いクオリティで手に入る。これ以上ないハッピーなニュースだった。
「ああ、やっと――」
――これで、一息つけるかもしれない。
凛は椅子にどかっと腰を下ろして天井を仰いだ。
先輩方の受け入れが済めば、休日の一日でもとれるかもしれない。勿論受け入れてから即座に戦力となるわけではないだろうが、元エリート軍団だ。新たな業務にも素早く適応してくれるだろう。
――ああ、休日になったらどうしようかしら。とにかく力いっぱい寝るのは確定として――もうずいぶん見れてない『アイドルスター』をお酒飲みながら消化して、ショッピングにでも出かけたいわね。楽器店を冷やかして、活気にあふれる人々を見て楽しんで、ちょっと高い飲食店で食事をするなんていうのはとてもいいプランに思える。あ、遥にも連絡しよう。もし奇跡的に休日が重なったら、一緒に遊びに出かけてもいいし。
凛の心は既にまだ見ぬ休日へと飛んでいた。
事実、昏睡病で退職してしまった先達が戻ってくれば、問題なく休みはとれるはずだった。
――そう。とても無視できない重要な何かの開発に突然成功するとか、そういう突発的なイベントでも起こらない限り大丈夫。
「……大丈夫、よね」
ちょっとだけ不安そうに凛は呟くと、考え込む。
――いや、大丈夫なはずだ。確か目下研究開発部が取り組んでいるのはCDとそのプレーヤーの開発。あのジェーンですら「ピックアップレーザー回りがチョットむずかしいですネー」とこぼしていた。そのレーザーとやらがなんなのかすら凛には理解不能だ。新たな記録メディアや再生機器など、そう簡単に形になるはずがない。
凛は椅子に深く腰掛けたまま、ふーっと静かにため息を吐く。久しぶりに眉間の皺が抜けた気がしていた。
その時、またしても電話が鳴り響いた。
「はい、もしもし?」
ご機嫌の凛は素早く受話器を取る。
『ジェーンでス!』
嫌な予感がした。
『リン!グッドニュースでース!』
「ほんとぉ……?」
『オフコース!』
『――プロトタイプですガ、CDとプレーヤー、出来ましたヨー!』
凛は泡吹いて白目をむいた。