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藍葉青子視点
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アイドルスターの収録は、もう慣れたもの。最初のころこそ緊張して上手く話すことすらできなかったけど、今はそんなにミスもしなくなった。
……でも、今日は勝手が違った。
収録は上手くいっていない。
いつもと違うことは、一つだけ。
ひとり――たったひとりを欠いたまま、番組を造り上げなくてはならないということ。
――そのたった一人を欠いただけのスタジオが、妙に広く感じて、私は改めてそのお方の存在の大きさを知った。
シゲル様のいない収録現場は初めてだった。
思い返してみれば、先週までリハーサルにはあまり時間がかからなかった。
だって、シゲル様がタイトすぎるスケジュールに忙殺されていたから。メインパーソナリティの一人が参加できないのだから、リハーサルも全体の流れを確認するくらいで終わっていた。
それで何の問題も無かった。だって、進行に多少の手違いが起きても、シゲル様が笑って音楽を披露してくれれば丸く収まってしまうんだもの。
シゲル様はその人柄と音楽で、番組を引っ張ってくれていた。
でも、そのシゲル様は、もういない。
メインパーソナリティは、いまスタジオに全員が集まっている。
――今週からは全員が揃った状態でリハーサルが行える。それも、入念に。
収録時間だって長くとれるから、ちょっとくらいミスがあっても大丈夫。撮り直す余裕がある。
でも――こんなに不安になる収録は、初めてだった。
誰も彼も、迷子の子供のよう顔で、俯きがちに収録に参加している。
……きっと、私も。
ああ――シゲル様一人がいないだけで、まるで火が消えたみたい。
マネージャーの鈴さんも伏し目がちで、いつもの元気はない。
番組スタッフの皆さんにもちょっとしたミスが続く。
浅黄さんも珍しく演奏ミスを繰り返し、スタッフの慰めの言葉に涙を浮かべた。
私もセリフをとちってしまう。あれほど練習したエイトビートが、何故だか上手く決まらない。
朱里は――奇妙なほどに口数が少なく、何かを考えこんでいるようだった。
休憩にしましょう、と、スタッフの誰かが言った。
反対する人はいなかった。
わたしはスタジオの椅子に腰かけて、気分転換の為に私物の楽譜を眺める。
シゲル様が手ずから残してくださった、十曲ほどが記載されているバンドスコアだった。キーボードトリオ用に編曲されたものとは別に、ギターが加わったバージョンも記載されている。
――俺が帰ってきたとき、どれか一曲でもセッションできるようになってたら嬉しいからな!
シゲル様はそんなことを言って、激務の合間を縫って書き上げてくれたらしい。
有り難い話だ。もし本当にシゲル様とセッションできたら、きっと夢のような体験になるに違いない。
ああ、だから。シゲル様の期待に応えるためにも、頑張らなくてはいけない。
頑張らなくては、いけないのに――
どうしても、力が湧いてこない。
それはきっと、この場の誰もが同じで――
――いや。
一人だけ、違うみたいだった。
ばちん、と乾いた音が響いた。
何事かとそちらに目を向けると、そこにあるのは自らの両頬をひっぱたいた朱里の姿。
思ったよりも勢いがあり過ぎたのか、朱里はぎゅっと目を閉じて痛みに堪えると、
「――よしっ!」
ベース片手に、かっと目を見開いて立ち上がった。
「――みんな!俯いてちゃダメだよ!」
突然、スタジオに朱里の大声が響きわたった。
皆目を丸くして朱里を見つめる。
「こんなところをシゲル様に見られたら、きっと悲しませちゃう!『音楽のイロハのイを忘れちまったのかよ』ってさ!――元気出していこうよ!」
朱里が力説する。
ああ、きっとシゲル様はそう言うわね。
だけど朱里、そうは言っても――
「でも、シゲル様がおられないと……」
「――二百年!!」
私の弱気を、朱里はその言葉で遮断した。
「二百年だよ!?二百年、人類は歯を食いしばって頑張ってきた!シゲル様なんていなかったのに、必死に――」
「だっていうのに、ぼくたちはたった一年すら頑張れないの?!」
「――そんなわけないよ!」
「半年前を思い出してみて!」
「ぼくたちは、シゲル様がいなくても前に進もうとしていたよ!」
朱里の言葉に、わたしははっとする。
――そうだ。私たちは弱くなった。
だって、あんまりにもシゲル様が頼りになるから。
全部、任せてしまえたから。
わたしたちは、寄りかかるだけで――
落ち込み続ける私たちに、朱里はそれでも言葉を投げかける。
「シゲル様が蓬莱に、希望の火を灯してくれた!」
「ぼくたちはシゲル様が帰ってくるまで、背中を丸めてその火に当たってるだけなの?!」
「違う!」
「そだてなきゃ!」
「シゲル様が、びっくりするくらい!」
「帰ってきたときに『すげえな、お前ら!』って言っちゃうくらい!」
「ほくらで『音楽』の火に、薪をくべ続けるんだ!」
その言葉に、わたしは心が動くのを感じた。
もし、音楽の火に薪をくべて――炎にできたら。
シゲル様がそれを目印に帰ってこられるほどの、篝火にできたら。
蓬莱中に音楽が溢れるようになったら。
それは、なんだかとっても――
――楽しそう。
……でも。
「できるかしら、私たちに……」
まだ弱音を吐く私に、朱里は、
「できるよ!」
力強く答えてくれて――
「――あ、ごめん、ぼくたちだけじゃ無理かも」
即座に前言を翻した。
わたしはずっこけそうになってしまう。
「あのねぇ……」
「だ、だけど、蓬莱の皆を味方にすればいいんだよ!」
朱里が慌てて言い繕う。
「皆を?」
「うん。ぼくたちだけじゃ、薪を運ぶのは大変かもしれない。でも、蓬莱にはこんなに人がいるんだよ?ちょっと力を借りちゃおうっ」
――私たちだけで無理ならば、みんなで。
いや、それは道理かもしれないけれど……
「でもー、どうやって助けを借りれば……」
浅黄さんの口から出た疑問は、まさに私も考えていたものだった。
だけど、その疑問に、朱里は胸を張って即答する。
「簡単だよ!音楽のすばらしさを、皆に伝えてあげればいいんだ!」
「い、いえ、ですからその方法を――」
「それこそもっと簡単!シゲル様が言ってたじゃない。ほら、楽しければ――?」
楽しければ……
「それが最高の音楽……?」
「それ!」
私の答えに、朱里は力強く頷く。
「最高の音楽を聞かされたら、興味を持たずにはいられないでしょ?そしたら音楽仲間の出来上がり!みんな喜んで音楽の火を育ててくれるよ!」
……朱里の言っていることは、分かる。私だって、シゲル様の最高の音楽を聴いて、興味を持たずにはいられなかった。
でも……
「それはそうかもしれないけれど――問題は、シゲル様抜きの私たちに、最高の音楽ができるかってことよ」
それこそが、最大のネックのはずだ。
だけど、朱里はあっけらかんと答えた。
「何言ってるんだよ。あったりまえじゃん!」
――えっ?
私も、浅黄さんも、スタッフさんも。あまりにも自信満々な言葉に、みんな驚いて朱里を見る。
朱里は集まった視線に怯むことなく、堂々とベースを構えると――
「だって、音楽って――こんなに、楽しいんだもん!」
そんなセリフと共に、突然演奏を始めた。
シゲル様に比べれば、とても拙いベースソロ。
当然だ。きっと才能も違うし、練習量も違う。
でも――
精一杯の音楽を披露する朱里の顔は――その笑顔だけは。
「ほら!勝手に『最高』になっちゃう!」
まるでシゲル様のように、光り輝いていた。
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シゲルが旅立った直後、『アイドルスター』の視聴率は一気に半分以下まで落ちた。
しかし、トライアングルは、番組スタッフはくじけなかった。
彼女たちは、ひたすら音楽に向き合い、楽しみ、その魅力を発信し続け――
徐々に回復していった視聴率は、十か月後には遂に全盛期の八割に迫る数字をたたき出すことになる。