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駿河凛視点
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シゲル様がいなくても時は流れる。季節は巡る。
戦々恐々としながら迎えた冬も、蓋を開けてみればどうってことはなかった。カラオケボックスをはじめとして、政府の打った手はほとんどが成功。阿藤寛子首相率いる蓬莱政府の力強さをまざまざと見せつけられた。私も一員として鼻が高い。
春になると、嬉しい誤算もあった。トライアングルの大活躍だ。
本来、シゲル様を欠いたテレビ業界はかなり活気を失うことが予想されていた。
でも業界関係者は腐ることなく発奮。一致団結した彼女たちは、トライアングルを主軸にして業界を盛り立てた。
今やトライアングルの人気は凄まじく、まさにテレビスターと言っても過言ではない。
夏が来ると、政府はシゲル様が残して行ってくれた楽曲のうちから、いくつかのサマーソングを新譜として売り出した。
シゲル様が旅立たれてから隔週くらいのペースで販売されていた新譜は、元々「これもうほとんど税金じゃないの?」っていうくらいの売れ行きを見せていたけれど――夏の新譜は更にとんでもない大反響となった。
去年はシゲル様降臨のショックで狂騒のうちに過ぎ去っていた夏だけど、今年は蓬莱民にも余裕がある。夏は人を解放的にさせる、とは古代の詩人の言葉だが、あれはホントだったらしい。シゲル様の新譜に触発された人々は、昏睡病が蔓延していた頃には考えられないアクティブさで、海に新たな楽しさを探しに出かけた。
結果、海水浴場はマリンスポーツと水遊びを求めて押し寄せる蓬莱民によって芋洗い場と化した。関連企業は大いに儲けたらしい。
そして秋になった今。私に奇跡が起きていた。
――そう。なんと今日は奇跡の定時退庁!
相変わらず忙しい毎日を送っているけど、一時の死にそうな激務はもはや過去のものとなったのだ。定時で上がれるとか、ハッキリ言って学生時代の職練でしか記憶にない。
私はるんるん気分でちょっといい夕食を済ませ、今は自室でシゲル様の音楽を聴きながら趣味に興じている。
目の前には海外の新聞がずらり。
各国から出来る限りの速度で送られてくる新聞の一面記事を読むのは、今の私にとって楽しみの一つだ。
十か月分もあるから読みごたえは十分。もう何度も繰り返し読んだ記事ばかりだけど、やっぱり見出しをみるだけでも笑みがこぼれてしまう。
現代の英雄、櫻崎シゲルの大活躍。
手元にあるどの新聞も、見出しにそのことを伝えている。
これでもかというほど希望にあふれた文章を一面に載せて。
『アステカ大熱狂!驚異のシゲル・ミュージックとは』
『レベル3患者、続々回復』
『奇跡の三か月。アステカ、予定より大幅に早くレベル3撲滅の見込み!』
『サンキューヒーロー』
『弾丸ツアーだぜ!シゲル・サクラザキエウロペへ!』
『東の果てから希望が飛んできた!エウロペ女王、ヒーローと蓬莱政府に感謝の意!』
『「爵位は結構、拍手で充分」――女王、英雄に全力の拍手で応える!』
『女王両手内出血』
『オーソニア女教皇、新たな教派《シゲル派》の誕生に黙認の構え』
『人か!?神か!?ヒーロー様だ!櫻崎シゲル、15時間連続ライブ!』
『超特急ワールドヒーロー号、昏睡病を跳ね飛ばす!』
『シゲル・サクラザキ 快進撃!』
『レッドリスト入りか!昏睡病絶滅間近!なお保護団体は存在しない模様』
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そして、今日届いた新聞の一面には――
『さらばレベル3!ワールド・ヒーロー、任務完了!』
待ちに待った吉報が記載されていた。
シゲル様が、帰ってくる。
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一機のプライベートジェットが、この蓬莱国際空港に到着した。
取り立てて変わったところのない機体だけど――あのジェット機に誰が乗っているかが知れれば、この空港は殺到する蓬莱民によって倒壊するかもしれない。
だって、救世の英雄が帰ってきたのだから。
しかし夜七時現在、空港内にはほとんど人影が無い。
今日この時間に、国際線も国内線も飛ばないことは確認済みだった。本日のフライトはとっくに終わっていて、空港内にただの客は一人もいない。
それというのも、シゲル様の帰還はまだ伏せられているからだ。
蓬莱国民の為を思えば一刻も早く通達するべきなのかもしれないけれど、もっと優先しなくてはいけないのはシゲル様のことだ。
周囲に騒がれる前に、静かに休憩できる時間が必要だと思うから。
――シゲル様の帰国を目前にした今、わたしの胸にあるのは、喜びじゃなくて不安だ。
シゲル様は確かに、神話のような偉業を成し遂げた。
世界全部で立ち向かってもどうにもならなかった『昏睡病』という名の化け物を、たった一人でやっつけた。
でも。
シゲル様は英雄だけど、神話に出てくる神様じゃない。
ご飯は食べるし、睡眠もとる。嬉しければ笑うし、悲しければ肩を落とす。
多少『特別』かもしれないけれど、人間の体と心をもっている。
そして、シゲル様がこなしたスケジュールは、到底人間には不可能なものだった。
なにしろ、今は十月に入ったばかり。
シゲル様は本来ならたっぷり一年以上はかかると試算されていたライブツアーを、十か月少々でこなしてのけたのだ。
周囲の心配を押し切って。
――無謀なスケジュールをこなすシゲル様に、わたしは何度も電話で休憩をとるように具申した。私だけじゃなく、各国の要人たちも同じことを言ってくれた。
でも、本人に『心配すんな』と言われてしまえばどうしようもない。
シゲル様のおっしゃる通り、レベル3患者がいつまでレベル3患者でいられるかはわからない。その事実も、シゲル様の強行軍を後押ししてしまった。
……積み重なった疲労は、心身を容易く蝕む。
私も一時は危ないところだった。激務に次ぐ激務で入院一歩手前まで行ってしまった。
なんとか持ちこたえることができたのは、頼りになる先達が職場に復帰してくれたからだ。
だけど、シゲル様に『先達』はいない。
世界を滅ぼそうとする死神と、孤独に戦わなくてはならなかった。
そんなの――たった一人の人間に背負える負担だとは、到底思えない。
胸騒ぎを押さえきれない私の目の前で、ジェット機にタラップが架設された。
いよいよ、シゲル様が降りてくる。
――心のどこかに、『でもシゲル様ならば』、という考えがあった。
シゲル様なら、常人なら過労で百回は死にそうな数のライブをこなして尚、眩しい笑顔で『よう!ただいま!』と言ってくれるのではないか――
だけど。
シゲル様の姿を見て、私は死にたくなるような後悔に苛まれた。
一年ぶりにみるシゲル様は、一回り痩せたように見えて――
「よう。――久しぶりだな、凛ちゃん」
疲労の色が濃い笑顔に、あの太陽のような輝きは無かった――
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――ひとつ頼みがあるんだよ。聞いてくれるかい――
車に乗り込むやそう口にしたシゲルに、凛はもちろんと何度も首肯し――即座にその首を横に振ることになった。
「お願いですシゲル様!今じゃなくてもいいじゃないですか!」
車中で、凛は必死にシゲルを引き留める。
「少しだけ休んでから、それから考えましょう!」
「何も今、レベル4患者の治療に向かうことはないんです!」
――今からレベル4患者に、もう一回だけチャレンジしたい。
その頼みだけは、聴くわけにはいかなかったから。
凛は必死に訴えるが、シゲルの意志は固かった。
「……生命維持装置に繋いでいても、レベル4患者ってのは衰弱してくんだろ?早い方がいいさ」
「数日後でも変わりません!まずはシゲル様自身が回復してから、万全の態勢で治療に臨むべきです!」
「頼むよ。その為に、俺はこんだけ急いできたんだ」
「う――」
シゲルにそう言われてしまうと、凛の語気は弱くなる。
「……心配すんな」
ヘッドレストに頭を預け、シゲルは口角を上げる。
「へへ、とんでもねえ場数をこなしたからな。俺のテクニックは、いまちょいと凄いことになってんだ」
「リズムセクションも収録しなおした。音質もバッチリさ。これ以上はできねえ」
「今なら、完璧な音楽ができる」
「――これで太刀打ちできなかったら、あきらめもつくさ」
シゲルは強行の構えを崩さない。
「……でもっ!」
だが、凛はそれでも食い下がる。
「でも、でも、せめて明日になってからでもいいじゃないですか!一晩くらい、ゆっくり眠って――」
「いや、今が良いのさ。張りつめてるんだ、今の俺」
「すげえ集中力なんだよ。今なら絶対にミスしねえから」
静かに、しかし完全に覚悟を決めたシゲルの様子に、凛はついに俯いた。
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最後の挑戦には、小高い丘の上にある特療が選ばれた。
生命維持装置を動かすのは容易ではないため、ライブは広めの病室にて行われることになった。
スピーカー等のオーディオセットは小型でも最新のものが用意され、医師が病室にスタンバイ。ごく小規模なライブの為の準備は、瞬く間に整う。
観客は、たったの数名。凛、医療スタッフ、そして患者だけだ。
「さて――やるか」
小さなその呟きと共に、ライブが始まった。
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凛はシゲルの演奏に息を呑んだ。
それは文字通り、鬼気迫る音楽だった。
『凄絶』の二文字が頭に浮かぶ。
それは一人の天才が命を捧げて作り上げる芸術品だった。全てのものを圧倒する技量が、完璧な完成度で作品を組み立てている。
テクニックというテクニックが駆使された演奏には一切のミスが無く、広大な音階を行き来する歌声は一音たりとも外れない。
畏怖すら覚えてしまう音楽を耳にしながら、凛はただ一つのことを願っていた。
――お願い、目を覚まさないで!
だって、これでもしも患者が目を覚ましたら、シゲル様はまた『行ってしまう』!
休憩なんか考えずに、一直線に――また、世界中の患者の元へ。『心配すんな』って言いながら。
自分の体の事なんか、考えもせずに!
――果たして、凛の願いは叶った。
患者の脳波は平坦なまま、目を覚ますことはなかった。
当然と言えば当然の結果。だが、かつてのシゲルはこの光景を前に「また来るからな!」と気を吐いたものだった。
しかし今回、シゲルは落胆の色を見せることはなかった。
「――そうか」
「参ったな」
ただ一言そう言って、天井を仰いだ。