翌日。
シゲルはいつもの変装をして、街を歩いていた。
だが、変装中はなるべく持ち歩かないようにしているギターを、今日に限っては背負っている。
一年前であれば危険な行為だった。シゲルの長身とギターが合わされば、いくら変装していても感づくものが現れかねなかったからだ。
だが、今となってはギターケースを背負った者は決して珍しくない。何よりシゲルはまだ海外にいることになっている。シゲルの長身は、人波に埋没していた。
「どうか休んでください」という凛の涙の訴えにシゲルは素直に頷き、今日を休日とした。
目的もなく街をうろついているのは、マイナス思考から逃れるためだ。
ベッドに横になっていると、考えたくもないことを考えてしまう。
演奏の予定も無いのに相棒を背負っているのも、そんな弱気が影響していた。
帽子の鍔で出来る限り顔を隠しながら歩みを進めていると、ふと肩の重みが気になった。
疲労が抜けていないのだろうか。
いつもより、ギターが重く感じた。
――思えば、お前さんとは長い付き合いだな。
何せ、前世からの付き合いだ。
今となっては、そんな相手は背負ったギター一本だけだった。
――いや、もう一人いたか。
シゲルの脳裏に、美しい女神の姿が浮かびあがった。
当て所なくさまようシゲルの足は、気が付けば水天宮へと向いていた。
誰かに縋りたかった。
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下ばかり見ながら歩いていたからか、シゲルがその異変に気付いたのは境内に辿り着いてからだった。
今日は日曜日。本来であれば水天宮は歩行者天国並みの賑わいを見せている筈だ。
だが、境内には誰の人影もなかった。
――ただ一人を除いて。
「おまちしておりました、シゲルさま」
特徴的な白無垢に、シゲルは目を丸くする。
如何に激務で世間に疎いといえど、その服を着た人物ばかりは見間違いようもない。
帝であった。
何かを手に持ったまま、宝生弁才天前に佇んでいる。
「……新聞で見た顔だな。跪いたほうがいいかい?」
「とんでもございません」
そう答える帝に、シゲルは首を捻る。
「……あれ?」
「どうなさいました?」
「やっぱり――聞き覚えがある声なんだよな。どこかで会ったことなかったか?」
帝はにこりとほほ笑むと、手にしたものを目深に被った。
見覚えのある帽子だった。
その姿が境内と結びつき、シゲルに一年前の記憶を呼び起こす。
「……ミカちゃん?」
「おぼえていてくださったのですね。あの時は正体をかくしていてもうしわけございません」
「お互い様さ」
帝は微笑を浮かべると、しずしずとシゲルに近づき、その手をとった。
「神託がありましたので、内侍省のほうで人払いを済ませておきました」
「神託?」
「どうぞこちらへ。弁才天さまが、待っておられます」
「……弁天様、が」
優しく手を引く帝にされるがままに、シゲルは宝生弁才天の前に立つ。
二礼、二拍手、一礼。
――気が付けば、眩い光が純白の空間に浮かんでいた。
「……弁天様かい?」
『ええ、そうよシゲルちゃん。今日は省エネモード失礼するわね。少しでも神気を貯めておきたいのよ』
「なーに、どっちの姿も眩しいぜ」
『ふふ、ありがと。……他愛ない話を続けたいところだけど、ちょっと事情があるから、早速本題に入らせてもらうわね』
「……本題、か」
『ええ。――シゲルちゃん、貴方がここに来た理由は、大体察しているわ』
「……」
シゲルは目を伏せた。
そんなシゲルに、弁財天は静かに語りかけた。
『シゲルちゃん。……ごめんなさいね』
まず、そんな謝罪の言葉を。
「……なんだって謝るんだ?謝らなくちゃならねえのは俺のほうさ。俺は結局、昏睡病患者を助けることはできなかったんだ」
『そんなことないのよ。ちゃんと助けてくれたわ。――あの時ハッキリ言っておくべきだったわね』
「……ハッキリ?何を?」
『以前わたしはここで、貴方に『百点満点』って言ったでしょ?あれって言葉の通りなのよ』
『レベル3患者の治療こそが、わたしの最終的な目標だったの』
「最終的な?だけど、レベル4患者が――」
『レベル4は、最初から勘定に入ってないの』
「……え?」
『レベル4っていうのは、人間が定義した状態で――神々にとって、あれはもう『抜け殻』なの』
『レベル4って、アイツが魂を取り終えた後なのよ。昏睡病で弱り切った魂を、自らの領域に持ち去ってしまった。その後に残された身体が、人間たちの言うレベル4患者』
『機械の助けで、辛うじて生命反応を維持しているだけで――中身は、もうないの』
シゲルは呆然と立ち尽くす。
弁才天の言葉は、残酷なまでに一つの事実を明らかにしていた。
――つまり、レベル4患者は。
最初から、手遅れだったのだ。
『だからね、シゲルちゃん。もういいのよ』
『人々は力強く、生きる力を取り戻したわ』
『ここから再び昏睡病を蔓延させるのは、アイツといえども容易じゃない』
『それに私も、お陰様でかなーりパワーアップできたわ』
『だから――アイツをわたしたち神々が押さえておけば、もう昏睡病患者は現れないはずよ』
『……貴方は間違いなく、この世界を救ってくれたわ』
弁才天の言葉は真実なのだろう。その声には真心がこもっていた。
だが、シゲルは頷くことができなかった。
「――だけど、だけどよ!弁天様、俺は――!」
そう食い下がるシゲルの形相に、何を見たのか。
弁才天はいぶかしげに声を上げる。
『シゲルちゃん、ちょっと待って』
『――この気配――貴方から……!?』
弁才天が、何かに気付きかけた瞬間――
突如、虚空から闇が伸びた。
鞭のようにしなる一筋の闇が、一切の反応を許さずシゲルの身体を捉えようとして――
『このっ!』
眩い光に払われた。
あっけなく、闇は跡形もなく消える。
『――?』
『アイツ、様子を伺っていたわけ?』
『気配はそのせい……?』
「今のは……」
『例のアイツよ。牽制っぽかったけど……なんだか違和感があるわ』
「違和感?」
『意味不明な攻撃だったもの。あんな気の抜けたような一撃だけを送り込んでくる手合いじゃないハズなのよ。……何かを企んでいるのかもしれない』
『やっぱり、神気は出来る限り使わないほうが良さそうね。いざという時に、対応しきれないかもしれないから』
『――でもシゲルちゃん。最後にこれだけは言わせてもらうわね』
不意に、弁才天は厳かな空気を纏うと、
『櫻崎シゲル。貴方が以前この水天宮に訪れたとき、私はお願いしましたね。『貴方のライブを、皆に届けてあげて』と』
『――ありがとう。依頼は果たされました』
真摯な感謝を、シゲルに届けた。
終わりを告げる言葉だった。
『わたしが頼んだ、貴方のライブはお終い。貴方は最高の結果を齎してくれたわ。百点満点よ!』
『その身体に残された時間は、報酬としてプレゼントするわね』
『後は――貴方の人生を、どうか自由に生きて頂戴――』
優しい言葉を最後に、弁才天の気配が遠のいていく。
「弁天様――!」
声を上げるシゲルだったが、周囲は眩い光に包まれて行き――
気が付けば、シゲルの意識は現実へと帰っていた。
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どうやって水天宮を後にしたのか、シゲルは覚えていない。
上の空のまま、気付けば目の前には立派な車があった。
「シゲルさま」
声をかけられ視線を向ければ、そこには女官三人と並び立つ帝の姿。
「……何だい」
「――世界を救っていただいて、ありがとうございました」
帝が深々と頭を下げる。女官たちもそれに続いた。
「――サンキュ」
シゲルは、絞り出すようにそれだけを言った。
女官たちに付き添われ、帝が車に乗り込む。
「シゲル様。よろしければお送りしますが」
女官の一人が言うのに、シゲルは首を横に振る。
「……いや、いいよ。ちょいと歩いて帰りたいんだ」
女官は再び頭を下げると、車に乗り込んだ。
去っていく車を、角を曲がるまで見送って――
シゲルは、ふと空を見上げた。
曇天だ。
太陽は見えなかった。
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当て所なくさまようシゲルは、いつの間にか人通りの殆ど無い道に迷い込んでいた。
孤独と静寂が、考え事には丁度良かった。
シゲルは一人、己の心と向き合っていた。
――人にも神にも、心から感謝された。
手から零れ落ちてしまったと思った人々は、最初から死体も同然の状態だったらしい。気に病むことは無い。
どれほどのレベル3患者を救ったことか。もはや数えるの億劫なくらいだ。
誰にもはばかることなく、胸を張れる結果だ。
――だというのに、なぜ今、自分はこれほど落ち込んでいるのか。
シゲルは考える。
……俺は、音楽をやれるだけで満足だった。
前世から――こっちの世界に来てからも、ずっと。
だけど最近になって、不思議と前の世界の音楽ばかりを思い出しやがる。
ああ、そうだ。色んな音楽があった。ロック、ポップス、ヒップホップ、R&B、レゲエ、ジャズ――他にも沢山、数えきれないほど。
あったんだよ。あの世界には。
――タツヤ、武一、麗。みんな元気でやってっかな。あれだけのプレイヤーなんだ。きっと今頃、すげえライブの一つや二つこなしてるかもしれねえ。
もう俺には、聴きようもないけど。
ああ、チクショウ。
もう少しだけ、時間があれば。
あんな病気にさえ、かからなければ――
「……あ」
そこまで考えて、俺は気付いた。
俺が何故だか無性に助けたかったレベル4の患者。その特徴に。
――精々40歳手前で、ベッドに縛り付けられたまま、やりたいことを何一つやれなくなってしまう。
思い当たるヤツが一人いた。
――俺だ。
ああ、そうか、俺は……
皆を救いたい、なんて聞こえの良いことをいいながら、結局のところ――
……そうだ。
俺は。
俺は!俺を救いたかったんだ!
死にたかなかった!あっちの皆に聞かせたい曲が、まだまだ山ほどあった!世界中に溢れかえるあらゆる音楽に、いつまでだって触れていたかった!馴染の面子で、もっともっとライブをやりたかった!
死に際のアンコールにだって応えてねえよ!
これからだ!――これからだったんだ!
――だからせめて、こっちの世界で、同じような奴らを助けようと思ったんだ!
そうさ!音楽しか頭にねえ俺が、柄にもなく、使命感に燃えてたんだ!
俺は、俺みたいな奴らを助けてやって――「見ろよ、俺が死んだおかげだぜ」って、俺に言ってやりたかった!
「あの世界の音楽に触れられなくなったことには、ちゃんと意味があった」と!
代償行為に過ぎなくとも――
俺は!神様の勘定に入ってなかった奴らこそ、救いたかった!
あの日の俺こそを――!
「ははは……!」
乾いた笑いが漏れる。
「笑えるぜ、弁天様……!」
百点満点?
こんな、テメエのことしか考えてねえヤツが?
「こんなクソ野郎の――どこが、百点満点だ!」
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自己嫌悪が、シゲルに衝動的な行動をとらせた。
ギタリストの命とでも言うべき右手に拳を握らせて、手近なブロック塀に叩きつけようとする。
止めるものはいない。
振り上げた拳が、勢いよくブロック塀に振り下ろされる――
――その、直前に。
前世から続く経年劣化に、急激な動きがトドメとなったのか――
ギターケースの金具が、嫌な音と共に弾けた。
ショルダーストラップを繋ぎ止めていた、最も頑丈で――まず壊れることのないハズの部分が。
「――ッ!?」
結果、シゲルの拳が振り下ろされることはなかった。
それどころではない。
咄嗟に動きを止めたシゲルの視線は、宙に投げ出されるギターケースに釘付けとなる。
ギターケースは勢いよく宙を舞うと、ざりざりとアスファルトを舐めた。
「わ、悪ィ!」
殆ど反射的に、シゲルは謝罪の言葉を述べて、ギターに駆け寄った。
不自然なほどに吹き飛んだギターケースは、そのネック部分を電柱にぶつけて止まっていた。
シゲルは顔面蒼白となった。もはやヤケを起こそうとしていたことは覚えていない。
ギターは無事か、と、その一心であった。
慌ててケースを開けたシゲルは、ギターに傷が無いかチェックしようとして――
不意に動きを止める。
ケースはしっかりギターを守ってくれたのか、パッと見て分かる損傷はない。安堵に胸を撫でおろすかと思われたシゲルは、しかし訝し気に眉を顰めていた。
「――」
シゲルはなぜか、ギターに手をかけたまま硬直している。
――そして、ほんのわずかな時間をおいて、
「……誰、だ?」
シゲルは困惑と誰何の声と共に、どうしてか辺りを見渡した。
薄暗い路地裏には、当然誰の人影も無い。
やがてシゲルの視線は、エレアコへと戻っていた。
シゲルはじっと、前世からの相棒を見つめると――
声なき声に耳を澄ませるかのように、目を閉じた。
――やがて。
「……前を?」
シゲルはぽつりと呟くと、導かれるように視線を上げた。
ネックが指し示す方向を見れば、そこにあるのは何の変哲もない電柱だ。
少しだけ変わっているところをあげるとすれば――手作り感満載の張り紙が一枚。
『蓬莱第四高等学校・第一回文化祭のお知らせ!』
そう書いてある。
日付は今日だった。