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安藤達也視点
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霊園の片隅に目的の墓を見つけて、俺は足を止めた。
久し振りに持ち出したベースがずっしりと重い。
もうずいぶん弾いていないスティングレイ5を、俺は言い訳のように背負っている。
……俺がベースを置いてしまったと知ったら、あの人はきっと悲しむから。
「今年も来ましたよー、シゲルさん。お盆最終日になっちゃいましたけど、まぁ早朝なんで勘弁してください」
俺は小さく呟いて、目的の墓に手を合わせた。
このシゲルさんの墓はごく一部の関係者を除いて秘密にされている。
遺骨はいたって普通の墓に、早くに亡くなったご両親と共に収められている。
だから俺が花を手向けたときにも、辺りに他の人影はなかった。
早朝であることも相まって、霊園はひたすらに静かだった。
シゲルさんの最後のライブから二年が経って――俺はあの日から、前に進めずにいる。
俺は音楽活動を止めていた。
ラストライブから一年くらいの間は、インペグ屋(ミュージシャンの斡旋屋)さんとか知り合いからしょっちゅう誘いがあったけど……悉くを断っていたから、流石に今はもう殆ど連絡もこない。
有難いことに、もったいないと言ってくれる人は多かった。
でも、俺の心は動かなかった。
武一さんと麗さんも随分惜しんでくれたけど――あの二人が俺を引き止めないでくれたのは、俺の気持ちがちょっと理解できてしまったからじゃないかと思う。
――あの人の死を受け入れられない。
二年たった今ですら。
だってあんまりじゃないか。
これ以上音楽を続けたって――シゲルさんと演るライブの痺れるような興奮も、その後の打ち上げの底抜けの楽しさも、もう二度と手に入らないなんて。
音楽を続けることで、それを『実感』したら。
それを真正面から受け入れてしまったら。俺は喪失感でどうにかなってしまう。
――そして何より。
シゲルさん抜きで音楽をやったら、俺の中でシゲルさんが「本当に死んでしまう」気がして。
どうしても、ベースを握ることができない。
とはいえ、完全に楽器を置いてしまったのは俺くらいだ。
武一さんは今もドラマーとして活躍している。あちこちのライブやレコーディングに参加して、その腕を振るってるみたいだ。
櫻崎シゲルのツアーメンバーをやっていた、というだけで引っ張りだこだ。武一さんのドラムのファンは多い。
色んなバンドマンから正式なメンバーとして誘われているらしいけど、「これだ」と思う人たちにはまだ巡り合えないらしい。
麗さんは第一線からは退いたものの、今は後進の育成に力を入れているという話を聞いた。
あの人綺麗な見た目の割にエキセントリックな性格をしてるから、まともに先生なんて出来るのか心配だったけど――意外なことに評判は良いみたいだ。
何にせよ、二人は地に足をつけてしっかりと生活している。
――宙ぶらりんなのは俺だけだ。
前に進めない俺の頭を過るのは、昔の思い出ばかりだった。
「……初めて会った時のこと、覚えてますか?俺、あの時ホントに嬉しかったんすよ」
もの言わぬ墓に語り掛け、俺は当時のことを思い出す。
ライブで友達になった武一さんのツテで、子供のころからずっと憧れだったシゲルさんに会えて。
「ちょっと弾いてみてくれよ!」っていうシゲルさんに、テンション上がった俺は限界以上のポテンシャル引き出して――
シゲルさん、震えるほど嬉しいコメントしてくれたっけな。
考えてみれば、俺がベーシストとして食っていけるようになったのはあの時からだった。
……あ、そうか。
俺が音楽を辞めたの、当然と言えば当然なんだ。
だって俺が音楽を始めたきっかけは、シゲルさんに憧れたからで。
俺が音楽を続けることができたのも、シゲルさんのおかげで。
だからきっと――俺の音楽にけりをつけるのもシゲルさんだったんだ。
なるほど道理だ。
そのことに不満はない。
――だけど。
だけどシゲルさん。
あの時、言ったじゃないですか……
墓石に手をかけて、俺は語り掛ける。
シゲルさん。アンコールはまだですか。
五分間の休憩、二年経っても終わんないですよ。
答えは返ってこない。
当然だ。
……死とは停滞である、みたいな言葉を残した偉人がいたけど、なるほどうまいことを言うものだと思う。
死者は語らない。歌わない。奏でない。
停まったままだ。
――不意に、下らない考えが浮かんだ。
死が停滞であるのなら。
今の俺は生きていると言えるのか。
「……また、来ます」
それだけ言うと、俺は墓石に背を向けて、その場を立ち去り――
「げっ、墓地スタート!どーすんだよ弁天様、金もねえし足もねえしスマホもねえのに!……ギターだけある!ここでやれってことか?!」
「っ!?」
いきなり後方から響いたその『声』を聞いて、金縛りにあったように硬直した。
誰もいなかったはずだ。見逃してた?確かに立ち並ぶ墓石はどれもそれなりに大きく、見通しは良くない。どこかの墓石の陰で誰かが屈んでいれば見えないこともあるだろう。だけど確かに何の物音も気配もなかったハズで――
いや、そんなことは問題じゃない。
この、声。
「だけどやり残しやるったって、オーディエンスが全員墓の下じゃどうしようも……いや待てよ?イケるのか?」
ぶつぶつ呟かれるその声は、小さくてよく聞こえない。
「いやでもイケたとしてもアイツら居ねえからアンコールってのとはちょいと違う……」
でも、この声。このしゃべり方。
「そもそも墓地でライブはマズいよな……」
そんなバカなと思うけど、俺がこの声を聴き間違えるはずがない。
いやまさか。そんな。でも――!
「シゲルさん――?!」
荒唐無稽な直感に突き動かされて、俺は勢いよく振り返った。
「お!?」
――違った。
目が合うなり素っ頓狂な声を上げたその人は、俺の脳裏に浮かんだあの人とは似ても似つかなかった。
……当然だ。死者が蘇るはずはない。
目の前にいるのは、まったく見覚えのないイケメン――いやホントものすごいイケメンだ!?なんだこの人!
思わず見惚れる俺を見て、そのイケメンはうれしそうに笑う。
「はは、なんだよなんだよ!オイ、たまらねえな!」
「?」
滅茶苦茶気安く語り掛けてきた彼は、何故かずかずかと俺に近寄ってきて、
「――マジで駆けつけてくれたじゃねえか、タツヤ!」
バシバシ俺の背を叩きながら、あの人の声でそんなことを言った。
「――え?」
当然、俺は目を丸くする。
だって、初対面だ。
自己紹介なんてしてない。
「あの、なんで、俺の名前を……?」
「あっ」
そこで彼は一瞬硬直すると、慌てて言葉を続けてきた。
「えーと、いやお前さん、そりゃアレだよ。あんたベーシストの安藤達也、さんだろ?はは、有名人有名人。音楽好きなら全員知ってるって」
「いやそんな馬鹿な。俺そこまでメジャーじゃないよ」
何故か一筋の汗をかきながらまくしたてる彼に、俺はそう反論する。実際そこまで有名じゃないと思う。そもそも二年も表舞台に出てないし。
……まぁでも、コアなファンがいなかったわけじゃないし、たまたま知ってることもあるのかな。シゲルさんのラストライブ自体は方々でこすり倒されてるし。
ああ、だけど不思議だ。こんなに似てない人なのに、何故か雰囲気がシゲルさんに近い。あまりにも声が似すぎてるからそう感じるだけなんだろうか。
……でも、
「なーに謙遜謙遜。あのスラップは神業だろ!初めて聞いた時、俺はこう思ったね!」
そうやって俺を褒めるその口調まであの人とそっくりで――俺の脳裏に、初対面のあの瞬間が蘇る。
「このベース――」
『お前さん――』
「『最ッ高じゃねえか!』……ってよ!」
――ダメだ。
「――その声で、そんなこと言わないでくれよ」
「あ?」
熱いものが、両目にこみあげてくる。
「泣けて、くる」
「お?お、おいおい、なんだ?!泣くなって!」
涙が止まるまで、少しだけ時間がかかった。
「ごめん。……君、声が滅茶苦茶櫻崎シゲルさんに似てるんだよ。俺ツアーメンバーだったからさ。つい、思い出しちゃって」
「あー……そうか。何か悪ィな。声変えるか?結構色んな声だせるぜ、俺」
「そーゆーところもシゲルさんっぽいなぁ。顔は全然似てないけど」
何しろとんでもない美男子だ。シゲルさんも彫りが深くて良い顔してたけど、この彼はレベルが違う。
身長は百八十センチには届かないだろうか。それなりの長身とガタイの良さがあるのに、顔の小ささと長い手足はむしろ中性的な美しさを漂わせている。
顔立ちは整いすぎていて凛々しいけど、目尻は僅かに優し気に下がっていて、見る者に柔らかい印象を与えている。右目の泣きぼくろはごく小さいが、そこには無限の色気があった。
「君、アイドルとかやったら世界とれるよ。いや、マジで」
完璧なスタイルと顔面を見ながら、俺は惚れ惚れと言う。
「興味ねえなぁ」
しかし彼はそう言って肩を竦めるだけだ。
もったいない、と思ったけど、俺は何となく彼ならそう言う気がしていた。
「はは、そっか。――じゃあ興味あるのは、背中のそれ?」
俺はそう言ってギターケースを指さす。
「まぁな」
にやりと笑うその表情に、何故か強烈な既視感がある。
俺は彼のことがもっと知りたくなって、ついつい話し込んでしまう。
「そのデカさはアコギかな?エレアコ?」
「エレアコだよ。ま、楽器は何でも好きだけどな!タツヤ――さんは、ベースだろ?メインはスティングレイ5だったよな」
「よく知ってるなぁ……あ、さん付けないでいいよ。呼び捨てでさ」
「お?そう?」
「うん」
――その声に、『さん』を付けられたくないんだ。
「はは、オッケー!俺もそのほうがやりやすい」
「そう言えば、キミの名前は?」
「おっと、そういや言ってなかったな。マリオだ、マリオ」
「……キミイタリア人?ハーフとか?」
「生まれも育ちも日本だが故あってマリオだ。深く聞いてくれるな」
「そ、そっか。まぁ自分の名前って自分で選べないしね。いい名前だと思うよ、マリオ」
「サンキュ」
そう言った彼がぱちっとウィンクすると、泣きぼくろが際立った。
その瞬間、胸が高鳴った自分に俺自身がびっくりする。
――ちょ、ちょっと待ってくれ。俺そのケはないのに。何かこのヒト殺人的に色っぽいぞ。
「なぁタツヤ。初対面で悪いんだが、ちょいと相談があるんだよ」
勝手にどぎまぎしてると、彼が話しかけてきた。
「え、相談?どんな?」
俺は聞き返す。
とんでもなく整った顔面の中、ひと際目を引く両の瞳が俺を捉える。
「今日これから、俺と一緒にライブをやらねえか?」
――もう一度、鼓動が高鳴った。
今度はさっきよりもずっと強く。
――久しぶりに動いたと、錯覚するほどに。
「――は、はは。突然だね!」
不意打ちを食らった俺はとりあえず笑い飛ばした。
あまりにも唐突な彼のセリフを、何かの冗談だと思ったからだ。
「ダメか?」
でも、マリオの目はひたすら真摯だった。
「い、いや、ダメってことないけど、初対面だしさ。もうちょっとお互いの腕前とか知った上で――」
「悪ィけど時間がねえんだよ。今日を逃すわけにはいかねえんだ」
「……マリオが今日やる予定のライブに、俺がゲスト的に参加する、ってこと?」
「いや――チケットもハコも他のメンツも、何一つ用意できてねえ。あるのは剥き身の俺とギターだけだ」
俺は眉をひそめた。
無茶言うな、と思う。その条件で今日ライブをやろうと思ったら、無許可でゲリラライブみたいなことをするしかない。普通に違法行為だ。
「あのね、マリオ」
苦言を呈そうとした俺だけど、
「無理言ってるのは分かってんだよ。でも今日だ。今日、お前さんと一緒にライブをやりたい」
そういわれると、否定の言葉が引っ込んでしまう。
くそ、反則だよその声。
「……ちょっと待って。伝手を当たってみる」
「頼むぜ!」
表面上冷静を装ってスマホを取り出した俺だけど、何故かその手は小刻みに震えていた。電話一本かけるだけで一苦労だ。
スマホをタップしながら、鼓動がどんどん早くなる。
何かが起こる。今、起こりかけてる。
俺の心の奥底。理屈と常識を超えたところで、魂が叫んでる。
『来たぞ』と。
その内なる声に突き動かされて――
『おう、タツヤ。なんだよ久しぶり――』
「武一さん!今どこすか!」
俺の第一声は、自分が思ったよりもずっと大きくなってしまった。
『な、なんだ突然。今渋谷だけど』
――よっしゃ近い!
「俺今近場なんすけど、今直ぐ会えませんか?!」
『今直ぐ!?無茶言うな。俺は今絶望的な修羅場なんだ。久しぶりにお前の顔は見たいが、割とそれどころじゃねえ。ライブに穴開くかどうかの瀬戸際だ』
「……ライブに、穴?」
俺の言葉に、マリオがぴくりと反応した。
『――いや、待てよ?これは天祐か!?タツヤ、お前こそ直ぐ渋谷に来れないか?!』
「え?何あったんすか?」
『ちょいと込み入った話になるんだが……サラスヴァティってライブハウス覚えてるか?』
「サラスヴァティ――」
覚えのある名前だった。いろんな場所でライブをやってきたけど、そのライブハウスは俺の脳裏にしっかりと刻まれている。
なにしろ、そこでシゲルさんと一緒にライブをやったことがあったから。
六年前だったかな。シゲルさんとやっと何回かライブをこなしたくらいの時期で――そうそう。武一さんが助っ人でサラスヴァティのライブに駆り出されたんだ。それで武一さんが「暇なら見に来い」って言って俺と、暇なわけがないシゲルさんにチケット渡してくれて――
マジで来たんだよね、シゲルさん。「ここのオーナーのおっちゃん昔馴染みなんだよ」とか言って。
どえらい騒ぎになったのを覚えてる。
なんかなし崩しで俺もステージに上がって、シゲルさんとライブをやって――
最高に、楽しかった。
……そういえば、オーナーさんに頼まれて皆で楽屋の壁にサイン書いたっけ。
「――渋谷の、キャパ500人くらいのハコですよね?あの雰囲気良いとこ」
『そこそこ。あそこ割と老舗で俺も若いころからちょくちょく世話になってたんだが、オーナーが年でもう店閉めるってことになってな。何かとオーナーに世話焼いてもらってた音楽仲間と「そんなら対バンでお別れライブでもやったらどうだ」って話になってよ。そりゃいいやってんで面子集めて――まさに今日がそのライブ当日なんだよ』
「良い話じゃないっすか」
――だけど何の問題もなく今日を迎えたのなら、武一さんがこんなに焦ってるわけはない。
『そうだな、いい話だよ。ここまではな」
「ここまでは……?」
『……どいつもこいつも気ごころ知れた音楽仲間でよ、一昨日景気づけっつってプチ飲み会があったわけよ』
深刻な口ぶりだった。俺は何となくマリオに背を向けて、声を潜める。
「そ、それで?」
『――俺以外が全員食中毒になった』
言葉も出ない。
『昨日の時点でちらほら体調不良の報告は上がってたんだが、今朝もう決定的になった。全滅だ全滅。全員病院送り。多分俺以外が食った刺身が下手人だ。――だから一応生モノはやめた方がいいんじゃねえかって俺は言ったんだよ!』
「ぜ、全滅っすか。……ちなみにライブは何時間の予定で?」
『二時間だ』
ってことは少なくともバンドは三組は居たはずだ。それが武一さん以外全滅。
刺身のヤツ何人殺したんだ。
「マズイじゃないっすか……」
『ああマズイ。これ以上ないってくらいマズイ。昨日からトラ(エクストラ。代役)探してるんだが、こーゆーときに限って捕まんねえ』
『このままじゃあ、最悪――』
その先は聞かなくてもわかる。
最悪の事態――ライブ中止。そうなるだろう。
『そう、最悪俺が二時間ドラムソロを響かせることになる……!』
!?
やる気なのがすげぇ……!
『だけどンなことしたらまず客は途中で帰る!だって俺なら帰るもん!結果的にライブに穴開くのと変わらん!――だから何とか頼むタツヤ!お前の気持ちは察してるつもりだが……今日ばかりはそれを曲げて頼む!』
「ちょ、ちょっと待ってください。すぐかけ直しますっ」
俺は電話を切って考えを巡らせる。
――見ようによっては渡りに船だ。ライブ会場と観客が向こうからやってきた形だ。
だけど、大きな不安がある。
武一さんはただのドラマーじゃない。凄腕のドラマーだ。今日のライブ、恐らく武一さんを目的にやってくるお客さんも多いだろう。
その武一さんがセッションするはずだったプレイヤーたちも、おそらく相当の腕前だったはず。
――つまるところハードルはハッキリと高い。
どこかでゲリラライブを行うのとはわけが違う。せめてチケット代相応の音楽にしなければならない。金をもらって音楽をやるというのはそういうことだ。
まず、二年のブランクがある俺にベースが務まるのか。
そして――果たしてマリオに、その声に負けないくらいのテクニックがあるのか。
逡巡する俺は――ふと「こんな時シゲルさんならなんて言うだろう」と考えた。突然武一さんが「ライブに穴空きそうなんだよ!」と電話をかけてきたら。
……考えるまでもなかった。
あの人なら、きっと――
俺は覚悟を決めると、彼の方を振り返る。
「マリオ!キミ、ギターは何年やって――わっ!?」
マリオはえらい至近距離にいた。
「――ライブに穴だぁ?」
耳をそばだてて内容を聞いていたらしいマリオは、両目をぎらぎらと光らせて、
「神様が許しても俺が許さねえぞ」
痺れるくらい特大の気炎を吐いた。