「……帰省中?今九州?あー、そうか。そうか……いや、なんでもねえ。またな」
電話を切った武一は天井を仰ぐ。
――万策尽きた。もう伝手はない。
「マジで頼むからな、タツヤ……もうお前だけが最後の希望だ」
サラスヴァティの楽屋で武一はそうひとりごちると、スマホを握りしめる。
楽屋を専有していても誰からも文句をつけられない。何しろ一人だ。
それなりのスペースがある楽屋だが、今この場にいるのは武一だけだった。
ハッキリ言って心細すぎた。こいこいタツヤ早くこい――と武一が念を込めてドアを睨みつけると、ガチャリと音を立ててそのドアが開く。
一瞬喜色を浮かべる武一だったが、入ってきたのはオーナーの髭面だった。
「とんだことになったな武一」
軽い調子で言いながら椅子に腰かけたオーナーに、武一は半眼を向ける。
「他人事みてえに……この店で大惨事が起きるかどうかの瀬戸際なんですぜ」
「へっ。どうせもう畳むから関係ねえ」
へらっと笑ったオーナーは、ポケットから煙草を取り出して――思いとどまってしまい直した。
「あれ?禁煙ですかい」
珍しいものを見た、と言わんばかりの顔で武一が尋ねる。武一の知る限りオーナーはかなりのスモーカーで、そこにボーカルさえいなければ楽屋だろうがスパスパ吸っていた筈だ。
「医者に止められてんだ。長生きしたけりゃなるべく吸うなってよ」
「医者の言うこと聞くようなタマでしたっけ」
「……一つ教えてやるが、歳喰うと死ぬのが怖くなくなるなんてのは嘘っぱちだぞ武一。俺はこの年になって益々死ぬのが怖い」
「は、往生際の悪いこって。……その調子でしぶとく店も続けてほしかったんですがね」
「老後の道楽はもっと大人しいもんに限る。寿命が縮むからな」
つまらなそうにそう言って、オーナーは背もたれに体重を預ける。
「……で、誰か捕まったのか」
「取り合えず一人。ベースの達也だけは捕まったんですが……アイツ多分ブランクあんだよなぁ」
「安藤達也か。ありゃ本物だ、多少のブランクは問題ねえだろう。……だがドラムとベースだけじゃあライブにゃならんぞ」
「それが……なんか達也が『ギターなんとかなるかもしれません』って電話で言ってたんですよ。もしかしたら助っ人連れてきてくれるのかも知れません。達也結構ボーカルイケるから、ギターの出来次第では何とか形になるかも」
「ほー」
オーナーは相槌を打ちながらも、「それはちょいと難しかろうな」と考えていた。
安藤達也。東武一。どちらも本物のミュージシャンで、超一流と言って差し支えのないプレイヤーだ。このライブハウスには豪華すぎる面子と言っていい。
だが、そこに一人だけ『並み』のギターが混ざれば、そのライブは酷くちぐはぐなものとなるだろう。
無論、その助っ人が『本物』の可能性もあるが――
「もし助っ人が来たら、オーナーも腕前確かめてくださいよ。耳には自信あるでしょう?」
「ま、ソイツが本物かどうかくらいは聞けばわかるが――この商売長いが、本物なんてほんの一握りしかおらんぞ」
そのことであった。
オーナーの視線の先には、壁に書かれたいくつかのサイン。
どれも名だたるプレイヤーのものばかりだ。数えきれないほどのバンドがこの楽屋を訪れたが、この偏屈なオーナーの眼鏡にかなったミュージシャンは限りなく少ない。オーナーがこの壁にサインを頼むのは、超のつく一流だけだ。
一番目立つ場所に書かれている櫻崎シゲルのサイン。そしてその下に書かれている自分とかつてのメンバーの名前を見て、武一は肩をすくめる。
「……この際贅沢言ってられませんぜ、高望みはなしにしましょうや。タツヤが居れば、何とか恰好だけはつく」
「ふん。で、その頼みの綱はいつ到着するんだ?」
「あー、時間的に多分そろそろ――」
再び部屋のドアが開いたのはまさにその瞬間だった。
飛び込んでくるのは、パーマをかけたような癖毛が特徴的な童顔の――頼りになるベーシスト。
「お久しぶりです、武一さんっ」
「――おう。よく来てくれたな」
電話越しではないタツヤの懐かしい声に、武一は笑みを浮かべて答え――
「よう!ひ――初めましてだな、武一サンよ!」
「お前声がシゲルじゃねえか!」
後に続いた『もっと懐かしい声』に、思わず突っ込みを入れていた。
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安藤達也視点
 ̄ ̄ ̄ ̄
「のっけからなんだよ!」
「あ、いや、すまん。――東武一だ」
もっともな文句をつけるマリオに、武一さんは謝罪して手を差し出す。
「おう、俺はマリオだ。助っ人ってことで参上したぜ。ギターは任せといてくれよ!歌も結構自信あるぜ!」
その手を力強く握り返してべらべら喋るマリオに武一さんは「お、おう」とだけ返したけど、見るからに動揺していた。
その気持ちがよーく分かる。よくあるワンセンテンスだけのモノマネとかじゃなくて、マリオの場合喋れば喋るほど似てるんだよ。
「……すげえな。こんなに似てる声の人間がいるのか」
オーナーさんもマリオの声には驚いているみたいだ。まぁ誰でもそうなると思う。あまりにもそっくりだから。
「――ん?おー、おっちゃ……じゃなくてオーナーもいるのか!はは、今日はよろしくな!」
「あ、ああ」
……あれ?なんでマリオはあそこで座ってるのがオーナーって分かったんだろう?
「ちょ、ちょっとこいタツヤ」
手を引いてくる武一さんに思考を中断される。
武一さんは俺を少し離れた場所まで引っ張って、小声で話しかけてくる。
「……お前アイドルでも連れてきたの?カレ顔面偏差値がメーター振り切ってるけど、どこの何者だ」
「音楽好きのマリオくんらしいです。正体不明です」
「……ギター上手いの?」
「いや知らないです。今日初めて会ったんで」
「なんで正体不明の初対面をこの大一番に連れてくるんだよ……」
「声がシゲルさんだったんで……ギターも持ってたし」
「それはそうだけど、ギター上手いとは限らねえだろ……」
「おーい、どうした?」
内緒話をする俺たちの背中に、マリオが声をかける。余りにも聞きなれたその声に、思わず俺たちはびくっとしてしまう。
……ホント姿さえ見なかったら完璧にシゲルさんなんだよなぁ。
そう思ったのは、どうも俺だけじゃなかったらしく――
「なぁ、マリオ」
「なんだい、武一サンよ」
「さん付けは無しでいい」
武一さんはそう言うと、僅かな沈黙の後に、
「――頼みがあるんだが、ちょっと試しに『逢いたかったぜ』って言ってもらえるか?」
どこか恐る恐るといった風に切り出した。
マリオはちょっと面食らったような顔をする。
「……ダメか?」
「いや。――望むところだよ」
優し気に目を細めたマリオは、武一さんの瞳を見ながら、
「――逢いたかったぜ、武一」
あの人の声で、そう言った。
「――」
武一さんは右の掌で目を覆うと、ぐっと歯を食いしばって、何かを堪えるように俯いた。
でもそれも数秒のこと。武一さんは両眼をこするようにして手の覆いを外して、少しだけ赤くなった目でマリオを見る。
「いやマジですげえ。目瞑ってるとそこにシゲルがいるみたい。お前さんそれ芸にしてメシ食えるぜ」
「はは、メシ食う芸なら別に持ってるよ」
不敵な笑みを浮かべたマリオは、そう言ってギターケースに手をかける。
ぴくりと武一さんの眉が動いた。
「――自信家だな。その声に見合う芸か?」
「試してみるかい?」
自信満々のマリオは、ケースからギターを取り出す。
ギターケースから出てきたそれを見て、俺はちょっと驚いた。
何しろ、声だけじゃなくてギターまでシゲルさんと同じだったから。
Taylor T5。シゲルさんのライブで一番登場機会が多かった名機だ。
かなり強気な価格のエレアコで、シゲルさんに憧れて値段を調べて絶望するところまでがギター少年のテンプレだ。
そういえばシゲルさんが病床に持ち込んでいたのもこれだったな。
――最後のライブで使ったのも。
「テイラーか。良いの持ってんな。年季入ってんじゃねえか」
「まーな。頼りになる相棒だぜ」
「しかしエレアコか。……確かにシゲルの曲やるなら都合がいい、が」
そうつぶやいた武一さんは、少し考えこむ。
子どもの頃に貰ったギターがアコギだったとかで、シゲルさんの曲は結構エレアコ向きのものも多い。特にポップスは顕著だ。
ロックでもマッハカナブンみたいにバリバリにエレキの音作りが必要な曲以外では出番がある。
「……じゃあ櫻崎シゲルの『Everybody』やってみてくれ。イントロだけでいい」
武一さんが口の端を挑戦的に釣り上げて言う。
……武一さんも無茶振りするなぁ。『ギターが難しい曲』と言われたらぱっと頭に浮かぶ曲の一つだ。
「おいおいEverybodyだって?そんなの――」
実際マリオもそう言って眉を顰めて――
「俺が弾けねぇワケあるかよ」
全員の度肝を抜く、とんでもないテクニックを見せた。
ギタースラップが完璧だ。
いや、完璧超えて最高だ。
目まぐるしいサムピングとプル。多用されるゴーストノートが、リズムとサウンドを殺すどころかどこまでも躍動させている。
嘘だろ。あり得ない。ホントにT5の生音かこれ。
こんだけネットが普及した現代に、こんなプレイヤーがこの世のどこに眠ってたんだ。
とにかく、すごい。
息もできない。
マリオがスラム奏法まで織り交ぜてイントロをやり終えるのを、俺たちはあんぐり口を開けたまま見つめていた。
「――絶好調!」
太陽みたいに笑うマリオが、歯切れよくそう言った。
そこでやっと俺たちは呼吸を取り戻した。
――心臓の鼓動がうるさい。
あまりの感動と興奮で、俺は胸を押さえたまま動けない。
オーナーは椅子を蹴るように立ち上がってスマホ片手に部屋を飛び出していく。
そして武一さんは、震える手で乱暴にスマホをタップして――
「う、うらっ、麗!!今すぐ渋谷に来い!」
開口一番、そうがなり立てた。
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天ヶ瀬麗視点
 ̄ ̄ ̄ ̄
そこそこ眺めのいい、しかも防音設備の整ったマンション。
七時間ぐっすり眠れて寝覚めはばっちり。カップに入った紅茶はラデュレの最高級。
グランドピアノは調律したばかりで、僅かな狂いも生じていない。
ついでに予約していた乙女ゲームが先ほど届いた。
完璧な休日の朝だ。
――これから気の乗らないお見合いが待っている、という一点を除けば。
三十歳を目前にして、いよいよ母の「結婚しろ」攻撃は苛烈さを増していた。
この攻撃に対しては、ジャズピアニストとして、キーボーディストとして立派に独り立ちしていることは何の意味も持たない。
私は無理やり押し付けられたお見合い写真を一瞥し、フンと鼻を鳴らす。
それなりにスタイルがいい男だ。まぁ、別段顔立ちが整っていないわけでもない。
でも、うすら笑いが気に食わない。
たった一枚の写真に大仰なハードカバーの台紙付き。
サイズ的にゴミ箱に捨てるときにはひと手間要りそうだ。
気に食わない点は他にもある。
母曰くこの男、音楽活動に対しても「理解はあるほうです」と答えたらしい。
ちょっとイラっとする言葉だ。
好きなら好きと言えばいいし、興味がないなら興味がないでいいのに。
まぁでもどこぞの社長の一人息子だとかで、金には困っていないらしい。それは素晴らしい長所だ。
椅子の背もたれに体重を預け、私はため息をつく。
人生はままならないものだ。乙女ゲームみたいにはいかない。
理想の王子様なんて現実には存在しないし――理想の声をしていた攻略対象は、手の届かないところに行ってしまった。
だから――適当なところで妥協しようかな、という気持ちは、確かに私にもある。
「……ハァ」
紅茶を啜り、ため息を一つ。
――電話がかかってきたのはその時だった。
スマホには少しだけ懐かしい名前が表示されていた。
東武一。
線の細めのゴリラが脳裏に浮かぶ。大体合ってる。
「はい」
『う、うらっ、麗!!今すぐ渋谷に来い!』
電話に出ると、興奮状態のゴリラの声が聞こえてきた。
「……久しぶりに電話来たと思ったら突然何よ。私は優雅なティータイム中なんだけど」
『大事件だ!大事件が起きたんだよ!今日お前がここに来ないと俺もお前も一生後悔する!絶対だ!』
見たことないくらいのテンションね、コイツ。
「いきなりそんなこといわれても無理。私は今日重大なイベントがあるのよ。ベターエンドフラグの一つなんだから」
『うるせえ!いいから来いって!』
「なんだか知らないけど落ち着きなさいよ」
『これが落ち着いていられるか!来ねえってんならそこ押しかけて連れてくぞ!もう、アレだ、殴ってでもな!』
あら武一にしては珍しく強い言葉使うわね。ゴリラ並みのルックスとゴリラ顔負けのドラミングとゴリラの繊細さを併せ持つ男なのに。
「いいけど私はグランドピアノで殴り返すわよ」
『えっ死んじゃう……』
すぐ怯むあたりやっぱりいつもの武一だわ。
『――い、いやこの際今日が終わったらグランドピアノを俺の墓標にしていい!お願いだから来て!』
「戒名ヤマハになるわよ」
『ヤマハだろうがスタインウェイだろうが好きにしろ!』
……らしくない粘り腰だわ。これ本当に異常事態ね。
「ちゃんと説明しなさいな。何があったの?」
『とにかく――とにかく会って欲しい男がいるんだよ!今写真送るから、それだけでも見ろ!』
まるで母のようなことを言って、武一は電話を切った。
即座にスマホが鳴る。本当に写真を送りつけてきたらしい。
私は一応それを確認する。
とんでもねえイケメンだった。
とんでもねえイケメンがピースサインしてる。
この私に向かって。
直後に届いたメッセージには「このツラでシゲルみたいな声しててシゲル並みにギターがうめえ!」とある。
……ふむ。
ふむふむ。
つまり待ちに待った王子様が登場したと。そういうことよね。
デカいお見合い写真に膝を入れてからゴミ箱にぶん投げて、私は立ち上がった。
トゥルーエンドのフラグと共に。