ライブは二時間の予定で。
アンコールは四時間続いていた。
もはや何度目か分からないアンコールを終え、今日の立役者たちは楽屋の椅子に腰かけている。
――今なお響く観客たちの声は、そこまで聞こえていた。
『アンコール!アンコォォォォルッ!』
『マリオォォォオ!!』
『タツヤ、タツヤ!』
『うららさーんっ!』
『もっぺん出てこい武一ぃぃぃッ!お願いだからァァァア!!』
『ワンモー(one more)!!わんもー!!』
『『『『わんもー!!』』』』
「アンコールが終わらないっすよ」
ブランク明けの体力と諸々のテンションブーストがついに底を突いて、タツヤは今や項垂れていた。
「いい加減ワンモアがゲシュタルト崩壊しそうだわ」
ぼんやり天井を眺めながら麗が呟く。
「オーナー、もう照明つけちまえよ!死ぬまで終わんねえぞコレ!」
全身汗だくの武一が肩で息をしながら言う。いくら凄腕のドラマーと言えど、リハーサルを含めればもう今日何時間ドラムを叩いているかわからない。消耗は激しかった。
「やかましい。ライブ終わらせようとするとスタッフが全員俺を阻止してくるんだ。誰も言うこと聞かん」
高い金を出して呼びつけたはずのカメラマンですら、「無給でいいから!お金払うから!!」と絶叫しながらオーナーにしがみついてきた。
「だけどこのままじゃ俺たちが死ぬか観客が死ぬかのチキンレースだぜ」
頭を抱えた武一は震えた声を出す。
まとまった休憩時間も無しに計六時間立ちっぱなしの観客たちは、どうしたことかまだ体力の底を見せずに騒ぎ続けている。叫びすぎて声がカスッカスの者も多いが、それでもテンションは最高潮だ。
チキンレースは分が悪かった。
オーナーは「そもそもアンコールに応えちまうのが悪いんだろうが」と言いたくなったが、ぐっと飲み込む。今日という日にそれを口に出すほどオーナーは無粋ではなかった。
誰もが疲れていて、しかしただ一人意気軒高の者がいた。
「――死ぬまでやるのもオツなもんだろ!いいじゃねえか、付き合うぜ!」
もちろんマリオである。
こいつだけは当然のように喉も枯れてないし息も上がってなかった。最高のパフォーマンスのまま元気溌剌だ。
拳を掌に打ち付けて気炎を上げるマリオを、オーナーを含めた四人は白い眼で見る。
「そりゃあお前はいいだろうよお前は」
「なんか貴方多分死なないし……」
「せめて一時間くらい休憩もらわないと。こっちは人間なんすよ」
「俺も人間だっての!」
「――そいつが人間かどうかは置いておいて、ともかく限度というものはある」
オーナーはため息をついて、ライブフロアの方角に顔を向ける。
壁越しにも観客の大熱狂が伝わってきた。
「……ながーい経験から言わせてもらえば、ありゃ見たことないレベルの危険なテンションだ。――いいか。奴らがまだあそこに留まってるのは、お前らがずっとアンコールに応えてたからだ。一時間どころか三十分も間を空けたら両手振り回しながら楽屋まで突っ込んでくるぞ」
「暴徒じゃねえか」
ひきつった顔で呟く武一に、オーナーは「それに加えて」と言葉を重ねる。
「店の外もかなりマズイことになってる。客の一人がスマホで撮ったライブの映像をネットに上げたらしい。それがSNSで拡散されて、この店は包囲されつつある。店の外が人で溢れることになれば最悪警察沙汰だ」
物騒なその言葉を聞いて、むしろ武一は胸をなでおろした。
「……つまりもうお開きの時間ってことだな。ほっとしたぜ」
「えー……なんだよノッてきたところじゃねーかよ。だってまだまだ宵の口――」
そう言って不満げに楽屋の時計を見たマリオは、そこで「――あっ!」と声を上げた。
「――そうだ俺24時門限なんだった!すっかり忘れてた!!」
マリオのその言葉を聞いて、オーナーは自らも時計に視線を移す。
――24時門限。なるほどそりゃ道理だ、とオーナーは思う。
現在19時過ぎ。
――今ならば、名残を惜しむくらいの時間はあるだろう。
「なんにしろ警察沙汰は勘弁なんでな。――ライブはここまでだ」
反論を許さない強さでライブの終了を告げたオーナーに、マリオはがっくりと肩を落とした。
「ぐっ、ちくしょーこれまでか……24時までどうすっかな」
「――あん?」
途方に暮れたように言うマリオに、武一は呆れ顔を向けた。
「どうするか?――んなもん決まってんだろ、なぁ?」
「愚問ね」
武一の言葉に、麗は当然とばかりに即答する。
「ん?」
「ほら。いい時間じゃないっすか」
首を傾げるマリオだったが、そう言ってくいっと何かを傾ける仕草をしたタツヤを見て、その顔にも理解が広がった。
「――なるほど!そりゃそうか!」
「ライブの後は打ち上げだよな!」
「「「当然!!」」」
はしゃぐ四人を見て、オーナーは緩んだ口元をぐっと引き締めてから出口に向かって顎をしゃくった。
「今ならまだ抜けられるから、さっさと裏口から出ろ。タクシー回しておいた」
「「「「!」」」」
如才ない手配に、四人は喜色を浮かべて立ち上がる。
「さっすがオーナー!抜かりねえ!」
「ありがとうございます!」
「伊達にジジイじゃないわね」
武一、タツヤ、麗の三人は、そう言いながら慌ただしく楽屋を後にして――
その三人の後に続いたマリオは、最後に扉の隙間から顔を覗かせる。
「――サンキュ、おっちゃん!楽しかったぜ!」
騒々しく閉じられた扉に背を向けて、オーナーは煙草を一本取り出す。
「……けっ」
その視線の先にあるのは、ひと際目立つサイン。
「おめえもおっちゃんだろうが」
にやりと笑って、オーナーは咥えた煙草に火をつけた。
____
安藤達也視点
 ̄ ̄ ̄ ̄
俺は、いや俺たちはいい感じに出来上がっていた。
皆で何度か来たことのある居酒屋で、ひたすらくだらない話で盛り上がっている。
酒が旨い。
ツマミが旨い。
楽しい会話は途切れることがない。
「いやマジかよ?!こんなヘッドフォン出たの!?」
「すっげー良いだろコレ。俺二つ持ってるからもってけもってけ」
「マジ?いいの!?愛してるぜ武一!」
「あーはいはい俺もだよ、シ……マリオ」
「ほら、鶏皮来たわよ。貴方これ好物だったでしょ」
いちゃいちゃする二人の間に、皿を持った麗さんが割って入る。
「おー、コレコレ!パリパリしてて最高!」
「そこにコレ!濃いめのハイボールっすよね!」
にこにこ笑う彼に、俺もすかさずグラスを差し出した。
「わかってんじゃねえかタツヤ!」
ますますご機嫌でグラスを傾ける彼だったけど、それを見る武一さんは少々あきれ顔だった。
「……しかし収入のわりに安いモン好きだよなー、お前。もっと高いの頼めよ」
「うるせー。俺の好きなもんくらい俺が決めんだよ」
即答した彼が鳥皮をパクつく。
心底幸せそうだった。
「……そうっすよね」
「――あっそうだタツヤ!」
小さく呟いた俺に、彼がロックオンしてきた。あっ、ちょっと怒ってる時の表情。
「リハでも言ったけどお前しばらくサボってやがったな!」
――ぐっ、何の言い訳もできない指摘が飛んできた。
「いやそれに関してはマジですんません……」
「事情が事情だったんだよ。許してやれ」
「うるせー!」
武一さんがとりなそうとしてくれるけど、どうも怒りは収まらないらしい。
「何があったんだか知らんけどベースとドラムはバンドの心臓だろうが!心臓が怠けてんじゃねーよ!死んじゃうだろ!」
「……でもほら、本当に心臓止まってもライブやった人だっているじゃない」
麗さんがそんなことを言ったけど、彼は「はぁ?」と心底不思議そうな顔をした。
「嘘つけいるわけねえだろそんなヤツ。――漫画の話か?」
「「「……」」」
俺たち三人は顔を見合わせる。この人の『演技力』の欄にはでっかいバツが付いているので、本気で言ってるのは間違いない。
――あ、でもそうか!ほとんど知らない人もいないくらい有名な逸話だけど、確かにこの人だけは知らなくてもおかしくないのか!
俺たちが「なるほど!」と頷きあうのをこれまた不思議そうな顔で見て、彼はグラスを煽ると一息ついた。
「ふーっ……だけどまぁ、お前がベースから離れるくらいだ。余程のことがあったんだろ?」
うんまぁ……大体貴方のせいですけど……
俺の視線に気づかず、彼は腕組みしてしみじみと頷いている。
「ま、人生けっこー長いからな。凹むことも、それなりにあるよな」
そう言った声には実感がこもっていて、
「――貴方にも、あったんですか」
俺は思わずそう尋ねていた。
「……おう。もう立ち上がれないかも、って思ったことも――たまーに、な」
素直に答える彼を、武一さんも麗さんも面食らった顔で見る。
「へぇ、そりゃ意外だな」
「ええホント。貴方は死んでも立ってるイメージだわ」
「俺を何だと思ってんだ?」
「……そりゃあ」
「ねぇ……」
二人は言葉を濁した。
実際のところ「俺を何だと思ってんだ」へのアンサーは一つしかないんだけど、なんというか彼が一生懸命隠してるのはわかるので、直接口に出すのは憚られる。理由があって隠してるんだろうし――『正体を言い当てると消えてしまう』なんて、結構ありがちな話だ。
訝しがる彼に、俺は矛先を逸らす意味でも質問を重ねた。
「それで、どうやって立ち直りました?」
「ん?そりゃお前コレだよ」
彼はギターケースを手繰り寄せると、修理の跡がある金具部分に触れて顔を綻ばせる。
「やっぱり、ギター?」
「だと思ったぜ」
実に納得のいく答えに、麗さんと武一さんは笑みを浮かべる。
彼は「まぁな」と肩を竦めると、言葉を重ねてきた。
「でもギターに限った話でもないぜ。――つまるところ、俺の『好き』さ」
彼はぐいーっとグラスを干すと、どこか遠い眼をした。
そして静かに語りだす。
「――まぁ『好き』のせいでつらい思いをすることも確かにあるんだけどよぉ。マジで有難みが分かるのは、大ピンチの時なんだよな」
「大ピンチの時、ですか……」
「……ああ。だからベースを手放すなよ、タツヤ。――休んでもいい。ちょっと距離を置いてもいい。でも、見えるところに置いておきな」
優しい眼をした彼の、その痺れる声が、心に直接届くようだった。
「いつかお前に『絶体絶命』がやってきたとき――そう、そのときだ!」
「お前の『好き』が!」
「ピンチのお前を、救ってくれるぜ!」
――。
「……っと、なーんか説教臭くなっちまったな!わはは、ガラじゃねぇわ!飲め飲め!」
「はいっ」
照れくさそうに酒を注ごうとしてくる彼に、俺は素直に杯を差し出す。
ああ、楽しいな。
夢みたいだ。
この時間が永遠に続いて欲しいと、俺は心底そう思う。
だけど――
「――げっ!?やべえもうてっぺんかよ!」
どんなに楽しい時間にも、終わりは来る。
ふと時計を見るや顔を青くした彼は、慌てて立ち上がった。
時計の針は、日付が変わる五分前を指していた。
「……それがどうしたんだよ。朝までコースだろ今日は」
「そうもいかねーの!門限あるっていったろ!」
「零時門限ってシンデレラみたいね」
魔法が解けちゃうのかしら、という麗さんの小さな呟きに気付くことなく、彼はあちこちのポケットをまさぐる。多分財布を探してるんだろうけど見つからないらしい。
やがて彼は武一さんに拝み手すると頭を下げた。
「……悪ィ武一、無一文だ!ツケといてくれ!」
「バーカ、奢らせろ」
「さんきゅ!」
「六文くらいは持っておきなさいよ」
「俺は何時代の人間なんだよ」
麗さんの謎のセリフに突っ込みを返して足早に店を出る彼を、俺と麗さんは追っかける。
「今どこ住んでるのよ。タクシー呼ぶ?」
「料金スゲーことになりそうだから無理だ。えーと、ヤベエな場所が……」
焦った様子の彼はきょろきょろと視線を動かして――何故か少し先にある店と店の間、路地裏へと続く道に目を付けたらしい。
「あそこでいいかっ」
そう言った彼は振り返って俺たちを見て、笑顔でサムズアップをする。
「んじゃ、あばよお前ら!――ありがとな!お前らのおかげで、最高のライブだったぜ!」
余りにもあっさりそう告げた彼は、そのまま駆け出そうとして――
「マリオ!」
爆速で会計を済ませたらしい武一さんが店から飛び出してきて、その背中を呼び止めた。
「あ?」
彼は振り向く。
「――」
武一さんは何か言葉を飲み込んだあと、再び口を開いて、
「また、逢えるか?!」
それだけを聞いた。
「……」
武一さんの質問に、彼は今日初めて言葉に詰まると――
「……なあ。お前ら、またライブやるんだろ?」
逆に、俺たちにそんな質問を投げかけてきた。
俺たち三人は一瞬顔を見合わせて、それぞれの答えを返す。
「俺は当然、死ぬまでやるけど」
武一さんは当たり前のように答える。
「こんな楽しいこと他にある?」
麗さんが微笑んでそう言った。
そして、二年もベースを置いていた俺は――
「はい。絶対――絶対、やります」
臆面もなくぬけぬけと。
「近いうちに。何回だって!」
だけど心の底からそう言い切った。
「そうか」
彼は俺たちの答えを聞いて、心底嬉しそうに笑って――
「お前たちが、精一杯ライブをやりぬいたら」
「――その時会えるように、話つけとくよ」
再会の約束をした。
だけどそれはきっと――とても、遠い再会の約束。
「……なぁーにしょげてんだよ!」
俯いてしまった俺の肩を抱き寄せるようにして、彼が顔を覗き込んできた。
「先は長いぜ!最高のステージが、きっとお前らを待ってる!」
俺を見つめる彼の眼は星のように輝いていて、自らの言葉を少しも疑っていないのが分かる。
「だからよ――」
「楽しんでいこうぜ!」
ひと際強く俺の背を叩いて、彼は走り出した。
俺たちを置き去りにして――
俺はもう限界だった。
「シゲルさん――!」
ついに叫んで、俺は駆け出す。
あの人の後を追って、角を曲がる。
だけど――完全な行き止まりになっている路地裏には、猫の子一匹いなかった。
炎のような熱だけを俺の胸に残して、あの人は煙のように掻き消えていた。
「……いっちまったな」
ややあって追いついてきた武一さんが、俺の肩にぽんと手を乗せながら言う。
「茄子の牛、案外足が速いのね」
麗さんが呟いて、空を見上げる。
繁華街の夜空だ。星はろくに見えない。
でもきっと、そこにあるんだろう。
「……よし、店変えて飲み直すか!近くに知り合いのやってるダイニングバーがあんだよ!」
武一さんは俺と肩を組むようにしながら踵を返す。
「――そうですね」
少しだけ名残惜しかったけど、俺は逆らわない。
あの人の消えてしまった路地裏に背を向けて、ネオンの光に向かって歩き出す。
どんな楽しい時間にも、終わりはくるけど。
きっと終わりがあるからこそ、楽しい時間は楽しくて。
終わりが来るからこそ、新しい喜びを探しに行ける。
そうだ。
次はきっと、もっと楽しくなる。
だから――
いつの日か、また逢いましょう。シゲルさん。
____
「ひゅー、ぎりぎりセーフって感じか!」
神域への移動はあっという間だった。
最高の一日を終えて、気が付けばシゲルは神域にいた。その顔は達成感に満ちている。
正体をばらさないように。日を跨ぐその時までには人目につかない場所へ。その約束は何とか守れた――
と本人は思っているらしい。驚くべきことに。
「シゲルちゃん……貴方ってホント、音楽以外はホント……」
「……ん?おお、弁天様!」
気が付けばわなわなと震える弁才天が目の前にいたので、シゲルは胸を張ってみせる。
「へへ、どうだった?見事に正体を隠し通したぜ!俺の腹芸も捨てたもんじゃねえだろ?」
大根役者はぬけぬけと言った。
「捨てたもんだわよ!捨てちゃいなさいそんなもん!」
弁才天が吼え猛る。
「なにっ?!」
シゲルは図々しくも「そんなはずは!」と驚愕に目を見開いた。
「飲みの席でのあなたはもういっそ神がかってたわよ!全ての誘導尋問にひっかかり、しかも引っかかったことにすら気付かないぼんくらっぷり……!」
「えっウソ」
「ほんとよ!もう私たちはこれからあっちの世界の神々に謝罪行脚よ!イザナミ貴女もなんか言ってやってちょうだいな!」
そう言いつつバッと振り返った弁財天だったが――
「――いない!?」
そこにあるのは虚無だけだった。
いや、正確にはひらひらと舞い降りてくる紙片が一つ。
『ぼいすとれーにんぐの時間なので失敬する』
そう書いてある。
イザナミは逐電していた。
「あの女ァ!!」
弁才天は金切り声を上げながら紙片をビリビリに破いた。
しかしそれで何か事態が好転するわけでもない。
「ウソこれ私ひとりで行かなきゃいけないヤツ!?いやーッ!絶対すごく怒られる!多分向こうの世界のイザナミが今頃怒髪天!今ならハデスもついてくる!」
「な、なんかすまねぇ……」
頭を抱えて取り乱す弁才天だったが、気まずそうに謝罪するシゲルと目が合った瞬間動きを止めた。
「――!い、いや逆転ホームランの手がある……!シゲルちゃん、こうなりゃ貴方もついてきなさい!プロジェクトオルフェウスよ!こう謝罪にかこつけて一曲披露して神々を魅了し、何もかもを有耶無耶にしてしまうの!」
弁才天は割と無茶なことを言った。
「よくわかんねえけど分かったぜ!」
でもシゲルは二つ返事だった。
オルフェウスが何なのかシゲルの知識には無い。しかしそんなことは些事だった。
確かなことが一つだけあって、それはシゲルにとって最大の優先事項だった。
シゲルはにやりと笑う。
――次のライブが、また始まる。