アンコールは異世界で   作:ヤマガミ

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第5話

 

夜の砂浜に立ち尽くす女性を、堤防の街灯がぼんやりと照らしている。

女性は海の彼方を眺めて微動だにしない。

夜闇を映した暗い波が、女性の足元を舐める。

それでも女性は佇んだまま、ただ昼間の出来事を思い出していた。

 

『唄子さん。残念だけど、やっぱり今回で――』

 

――唄子は自らがパーソナリティを務めるテレビ番組『唄子の部屋』の本格的な打ち切りを、蓬莱TVの遥局長直々に通達された。

原因は視聴率の低迷。ぐうの音もでない正論だ。

遥局長は謝罪と共に頭を下げていたが、唄子こそ申し訳ない気持ちで一杯だった。

二年前、『唄子の部屋』は昏睡病の打破という目標を掲げ、鳴り物入りで放映が開始された。当時歌手として『天才』の呼び名も高かった神奈唄子をメインパーソナリティに迎えての、政府肝入りの一大プロジェクトである。

しかし、結果は振るわなかった。

当初、唄子は音楽の力を信じていた。当時18歳だった唄子は確かな情熱を胸にして、自らが愛した音楽を蓬莱の人々に伝えんと精力的に活動した。実際に、放送が開始されてから数週間の間は、昏睡病を発症する患者が僅かに減ったというデータもあった。

だが、やはり昏睡病は手強かった。

効果らしきものが見えたのはごく僅かな期間だけで、関係者の喜びをあざ笑うかのように昏睡病患者は増え続け――唄子は半年経つとスランプに陥り、一年経った時には情熱を失い、二年経った今は笑い方さえ忘れてしまった。

加速度的に進んだ昏睡病は、いまやレベル2に達している。

 

――そもそも、どうして音楽の道を志すようになったのか、それさえももう思い出せない。

 

「――かなしい、な」

 

唄子はぽつりと呟いた。

番組の打ち切りが決定したことが悲しいのではなかった。

かつてあれほど情熱をもって臨んでいた歌が、今は『さほどでもない』ことが。

悲しくて――くやしい。

遥局長は、後進への歌唱レッスンの為に今後も唄子を雇い続けると言ってくれたが、唄子はその場で断っていた。

レッスンも、もうおしまいだ。歌を好きではないものが、歌を教えるなど――かつて自らが愛した音楽への冒涜だと思うから。

 

唄子はしばしの間目を閉じると、すうっと息を吸った。

潮風は喉に悪いというが、この期に及んでは関係ない。

唄子は朗々と歌い出した。

子供の頃から大好きだった、思い出の曲を。

 

 

 

――誰も聞いていないし伴奏も無い。でも、きっと私にはお似合い。

 

 

『夜霧にけぶる、三日月の――』

 

 

――これが私の、最後の歌。

 

 

『幽かな光をしるべにし――』

 

 

――音楽への別れを告げる歌。

 

 

『――朝の陽ざしを、探しに行こう』

 

 

 

 

美しい歌声が響き渡る。

だが、前向きな歌詞も、唄子の類稀な歌唱も、夜の海が全てを飲み込んでしまう。

夜空の雲はあまりに分厚く、砂浜には星の光すら届かない。

たった一曲だけのコンサートは、ほんの数分で終わってしまう。

「ああ――」

吐息と共に、涙が一滴だけこぼれた。

別れの涙だった。

もう自分は、音楽に携わることはないだろう。唄子にはそんな虚しい確信があった。

 

 

――突如、拍手の音が背後から響くまでは。

 

 

唄子が慌てて振り返れば、堤防に腰かけている人影が一つ。

 

 

「痺れるソプラノだな、お嬢さん!」

 

 

楽しそうに語り掛けてきたその人は、それこそ『痺れる』声をしていた。

 

 

 

唄子は慌てて涙を拭うと、しげしげとその人影を眺める。

逞しい体つきに、耳に心地よい低い声――信じがたいことに、『大人の男性』の特徴を備えている。

 

「だ、男性のかた、ですか?」

 

まさかと思いながらも恐る恐るそう尋ねる唄子に、その人は当然のように頷いてみせた。

 

「おう。正真正銘の男だぜ。――音楽好きの、な」

 

言うや否や、彼は堤防から飛び降りた。

危ない、と思わず声が出そうになる。三メートル近い高さの堤防だ。下が砂浜だとはいえ、貴重な男性に飛び降りさせていい高さではない。

しかし彼は軽やかに着地を決めた。

逞しい所作だった。私の常識の中の男性とは、なにもかもが違う。

なんらかのケースを持ったまま大股で歩みよる男性が、気軽な口調で語り掛けてくる。

 

「今のなんていう曲なんだい?」

 

「え、あ、は、はい!『夜霧』と言いまして、14世紀半ばにエウロペの鬼才ヒルトスタインが残した一曲です!ひ、ヒルトスタインはこの『夜霧』を一晩で書き上げたという逸話を残しておりまして――」

 

緊張のあまり、聞かれてもいないうんちくを延々と話してしまう。絵画ですら見たことも無いほど美形の男性を前にして、唄子は半ばパニックに陥っていた。まとまりのない長広舌はひどく鬱陶しかったろうに、赤ら顔の彼はにこにこと機嫌よく相槌を打ってくれた。

 

「なるほどなぁ。――いい歌だったからチップを渡したいんだが、ちょいと酔い覚ましの散歩に出てたところでな。財布をホテルに置いてきちまった」

 

「ほ、ホテルにお泊りなんですか?!男性なのに?!」

 

「おう。そこのビジネスホテル。昼間にホコ天のネエちゃんに場所だけ教えてもらってよぉ、安めのビジホだってぇから期待してなかったんだが――晩飯がちゃんとついて酒も出たのよ!それが結構いけたんだ、これが!」

 

受付嬢にはツチノコみるような眼で見られたけど、と言って男性は笑う。

心を溶かすような笑みだった。

 

「それにしても、ポケットに小銭くらい……あー、やっぱりねぇや。わりィな」

 

「い、いえ!お気持ちだけで結構ですから!」

 

「そう言うなよ。お嬢さん、プロだろ?」

 

「――え?」

 

「お嬢さんの歌は、音楽で飯を食ってるヤツの歌だ。ま、お仲間ってやつだな!」

 

男性はそういうと、ケースを開けて見たことの無い弦楽器を取り出した。

 

「さて、金がねえからコイツで礼をさせてもらうぜ!」

 

「え?え?」

 

「えーと、曲は、そうだな……海だしアレにするか」

 

混乱する唄子をよそに、男性は楽器を構えると、高らかに声を上げた。

 

 

「『ビッグ・ウェーブは逃せない』!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

唄子は溢れる涙をこらえきれなかった。

感激が波のように押し寄せてくる。心臓の鼓動は早鐘のようだ。

歌が終わっても、胸が詰まって何も言えない。

だから、唄子は精一杯手を打ち鳴らした。

渾身の拍手だ。

男性はそれを見てからからと笑う。

 

「わはは、ありがとよ!」

 

またしても恐ろしく魅力的な笑顔だった。唄子は思わず見とれかけ、慌てて気を取り直す。

聞きたいことがあった。

 

「い、今の曲は、どなたが作ったのですか?!」

 

テレビ番組を持っているだけあって、唄子は音楽に関しては一家言ある。その唄子をしても、いまの曲は一度も聞いたことが無いものだった。こんな音楽を一度でも聞いたことがあったら、生涯忘れることはないはずだった。

 

「おお、ビッグ・ウェーブは逃せない?作詞作曲櫻崎シゲル。つまり俺だ!流石に一晩で書き上げたわけじゃねえけどな」

 

男性――シゲルは当然のようにそう答えた。

 

「ご自身で――」

 

唄子は、がつん、と頭を殴られたような衝撃を受けた。

作曲。

それは二世紀前に失われたはずの技術だった。昏睡病が蔓延したことで、人類は創作の力を大きく損なっている。精神の働きに病のくびきをかけられ、人という種自体の想像力が衰えているのだ。

故に今の人類にとって、『今あるものを発展させる』のは何とか可能でも、『新たに生み出す』ことは容易ではない。何とかそれらしいものを作り上げても、愚にもつかない駄作であったり、クラシックの劣化版だったりする。

 

――だが、今聞いた曲は。名曲などという言葉でひとくくりにしていい音楽ではなかった。

 

かつて感じたことの無いほどの感動が、唄子の胸を満たしている。

しかし、その感覚にはどこか覚えがあった。

 

一つの思い出が甦る。

まだ小学校に上がる前、初めて『夜霧』を聞いた時のこと。

もう、すっかり忘れていたはずなのに。

 

思い起こされる。母に手を引かれて初めて行ったコンサートホールで、胸にこみ上げた感情が何だったのか。

 

喜びだ。

 

そうだ。そうだった。幼いころ、何故歌を歌おうと思ったのか。音楽の道を志すようになったのか。

 

(――楽しかったから)

 

それ以外に、理由なんてなかった。

 

また涙がこみあげてきて、唄子は堪えようと夜空を見上げた。

いつの間にか、雲がすっかり晴れていた。三日月の光が砂浜を照らしている。

無論、晴天の夜空など珍しくも無い。

――だが。

 

 

「あ――」

 

 

その珍しくも無い夜空を見て、

 

 

 

「――すごい」

 

 

 

唄子の口から、感嘆のため息が漏れた。

数えきれないほど見たことのある夜空が、今この瞬間、なにものにも代えがたいほど美しく見えたのだ。闇に瞬く星々は等しく宝石であり、中天に位置する三日月は輝ける黄金であった。

その星々の煌きが、見上げる唄子の瞳に宿っている。

最早十分前までの唄子はどこにもいなかった。音楽を捨てようだなんて考えていたことが不思議でしょうがない。

いじけていた過去の自分は、後ろ足でかけた砂で頭の先まで埋まっている。二度と発掘されることはないだろう。

唄子は輝く瞳をそのままに、視線をシゲルへと戻す。

『絶世の美男子』。それ以外に形容詞が見当たらない。

楽器の腕前は神業で、歌声は天上の美声だ。神の化身と言われてもなんの違和感もない。

唄子はこの人物の歌声を独り占めしてしまったことに仄暗い喜びと、何倍もの罪悪感を抱いていた。

 

――あの素晴らしい歌を聞いていたのが自分一人というのは、なんとも口惜しかった。

この方の歌は、こんな誰もいない夜の砂浜で歌わせてはいけない。

 

もっと、ずっと、沢山の人に――

 

沢山の人。

 

瞬間、唄子の脳内に稲妻のような閃きが走った。

 

「――櫻崎シゲル様。自己紹介が遅れ申し訳ありません。私、神奈唄子と申します。初対面で厚かましいと思われるでしょうが、一つお願いごとがあります」

 

「ん?どんな?」

 

「明日。わたしと一緒に、テレビに出ていただけませんか?」

 

 

驚くべきことにシゲルは二つ返事であった。これが最終回である、ということを告げるとひどく残念そうな顔をしたが、すぐさま「なら伝説的な最終回にしねぇとな!」と言って唄子の肩を叩いた。

シゲルに触れられた喜びで唄子は失神しかけた。

 

そして、翌日。

 

蓬莱から伝説が始まろうとしていた。

 

 

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