天聖騎士団の魔剣使い   作: 龍也

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第2話 黒剣との邂逅

 

 

 

 黒い剣。ルーカス宛てに届けられた差出人不明の箱から現れたそれは、そう形容する他ないものであった。ルーカスはエーデル隊に異動になる前は実戦部隊にいたため支給品の長剣は何度か見ているが、それに比べると幾分は鞘の大きさから推測される刀身が細く、長い。加えて鞘を含めても全体的に装飾の類は一切なく、相対する者に対して只管に無機質な印象を抱かせる。

 

 いや、無機質というのは聊か適切ではないだろう。無機質、質素、確かにそれはそうだが、それはこの剣が剣として必要のないものを全て切り捨てた結果なのだと、ルーカスは直感的に悟る事ができた。刀剣とは元より、敵を斬りその命を奪う物。つまり、この剣は剣と言う概念が有する原始的な存在理由を極限まで突き詰めた物なのだ。それを、ただ無機質の一言で表現して良い筈がない。

 

 恐る恐るその柄と鞘を掴み、箱から持ち上げる。体感的な重量としては平均的か、或いはそれよりも多少軽い程度だろうか。どちらにせよ、エーデル隊であっても実戦部隊もかくやといった鍛錬を積んでいるルーカスであれば、振るうだけならば問題なく実行できよう。扱いの巧拙は別としても。

 僅かばかり鞘から引き抜いてみれば、露わとなったのはまるで黒曜石を極限まで磨き上げたかのようにすら思える漆黒の刀身。天井に吊り下げられた照明――魔法を利用したもので、微細な魔力でかなりの光度を維持できる――その光を受けて輝くそれの表面に、ルーカスの顔が映り込んでいる。剣を形作る未知の金属に負けず劣らず黒い髪に、線の細い造作。その照り返しを無視し、黒剣を鞘に納め、緩衝材の藁が詰められている箱に戻す。

 

「寮長の言う通り、今の僕には必要ないけど……」

 

 初めは不本意であったとはいえ今のルーカスはエーデル隊所属であり、その事に対する不満は、今はない。故に黒剣はルーカスにとって、不要な品ではあるのだ。エーデル隊が前線に出ることはないし、事後処理の現場も万一の事態がないように実戦部隊が周囲を警備し悪魔の侵入を防いでいるのだから。

 加えて、この黒剣は送り主が誰かも分からない。開封してしまった今になってその点について考えるのは全くの手遅れではあろうが、何であれ黒剣が不審な物品であるという事実に違いはないのだ。

 

 しかし、である。少なくとも黒剣の送り主は悪意を以てこれをルーカスの許に送った訳ではないと、ルーカスは推測していた。仮に悪意があったとすれば剣が粗悪品であったり他にそれらしいものがあったとしてもおかしくはないが、見た所封入されていたのは緩衝材を除けば黒剣のみであり、その黒剣も粗悪品どころか最早芸術作品と言われても信じてしまいそうな品だ。それを廃棄してしまうのは忍びない。

 

 それだけではない。今までの剣ではできなかったが、この異質な剣ならば、或いは――。そう考えて再び黒剣へと手を伸ばしたルーカスであったが、しかしその指先が触れようとした直前に手を止めてしまった。

 

「……そうだ。おじいちゃんなら、何か分かるかも」

 

 自身に言い聞かせ、思考を切り替えようとするかのような響きを伴った呟き。だがそれは的外れな言葉ではなく、ある程度の期待と根拠を宿したものであった。ルーカスの祖父は、鍛冶師である。ならば、黒剣について何かしら知っていたり、知らずとも何か分かる事があるかも知れない。

 ならば、善は急げか。仕事はあるが、休暇は溜まっている。ルーカス自身にそうした意識はないが、客観的に見て彼は働きすぎな部類であった。それこそ、休暇が有り余り過ぎて周囲から散々と休めと言われる程には。

 

 それなら1日休んだ所で文句は言われまい。ルーカス当人にはそうした打算的思考はないが、彼にも人並みには自分本位な部分もある。気になったのなら、或いは黒剣を使うつもりならば、動くべし、と。

「明日、確かめに行ってみよう」

 

 呟き、箱をどかして着席する。そうして引き出しから取り出したのは紙とペン、インクだ。明日休みを取るにしても、申請や職務の一時的引き継ぎ等にある程度の書類は必要であろう。

 そうして、幾許かの逡巡。それから、ルーカスは迷いなく紙にペンを走らせるのであった。

 

――――――――

 

 翌日。日が昇りエーデル隊本拠の業務が始まる時刻に合わせて休暇や引き継ぎ用の書類を戦々恐々としながら持ち込んだルーカスであったが、彼の予想に反して書類の受理は非常にスムーズであった。基本的に人手不足な状況下でその応対は聊か不可解で何かしら作為的なものを感じたものの、あえて追及することではないとルーカスは判断した。彼の脳裏にはそういう根回しをしそうな人物の姿が浮かんではいるが、他人の親切を無下にする程、彼は非道ではないつもりであった。

 

 それからすぐに実家に戻るのではなく、一度自室へと戻って件の品である黒剣を回収する。その際一瞬、黒剣を誇示するように腰に帯びて出歩きたいという欲求が鎌首をもたげたが、ルーカスはそれをどうにか抑えた。エーデル隊所属である彼が市街でまで帯剣している必要性はなく、そしてそれ以上に何処か滑稽であるような気がしたのだ。

 故に送りつけられた状態に戻したまま机上に安置していた箱ごと背負い鞄に放り込む。その大きさのために僅かに鞄の口から一部が覗いているが、背に腹は代えられまい。直接持って運ぶよりは楽だろうと、彼は己を納得させた。それから、寮を後にする。

 

 一応は寮暮らしであるルーカスだが、実家である祖父の家はそう遠くにある訳ではない。精々徒歩で1時間といった所か。であれば態々寮に入る必要性もないように思えるが、天聖騎士団は入団にあたって寮暮らしが義務付けられているのだから、仕方がないだろう。

 

 入団後も何度か顔を出している内に覚えてしまった道を辿り、ルーカスは街中を歩く。その中で見えてくるのは何でもない人々の生活だ。はしゃぎ、遊びまわる子供ら。店の前で立ち話を繰り広げる女性達。交易により得られた物品を売りさばくべく、呼び込みを行う商人。つまらない程に普通で、同時に薄氷の上で成り立っている愛すべき営みの間を抜けて、ルーカスはとある鍛冶屋の扉を開けた。

 

「おじいちゃん、ただいま」

「おぉ、ルーカスか。おかえり」

 

 連絡もない突然の来訪にもさして驚いた様子を見せずおおらかな笑みを以て応えたその老人の名は〝ヴァリウス〟。血縁上はルーカスの祖父であり、物心ついた頃から両親のいない彼にとっては祖父であると同時に父でもあるかのような人物である。

 久方ぶりに帰ったルーカスをもてなそうとするヴァリウスを、ルーカスは首を横に振って静止する。祖父の厚意を無下にするのは心苦しいが、今日は悠長に談笑をするために戻ってきた訳ではないのだ。

 

「そうか……しかし、連絡もなしにおまえが帰ってくるというのも珍しい。何かあったか?」

「ご明察。相変わらず鋭いね。……昨日、僕の許にこれが届いたんだけど」

 

 そう言いながらルーカスは客との応対を行うための机に背負い鞄を降ろし、それが横倒しになった勢いで中から黒染めの箱が姿を現した。その際に発した鈍重な音や箱自体の大きさから凡その中身を察したのだろう。ヴァリウスの表情が祖父としてのそれから、鍛冶師のそれに変わる。

 

 それから箱を差し出すかのように一歩退くルーカス。言外に彼の意図を察したらしいヴァリウスはひとつ唾液を呑み下し、金具に手を掛ける。小さな金属音を立てて開錠され、上蓋が開かれた。

 ほう、という吐息。驚愕と感嘆が綯い交ぜになったかのようなそれに続き、ヴァリウスが皺だらけの、かつ現役鍛冶師であるが故に力強い手が柄に触れる。検分するかのような所作。暫く黙り込んだままそうして、ヴァリウスが呟いた。

 

「ルーカス……これは」

「さっきも言った通り、昨日僕宛てに届いたんだ。でもその様子だと、やっぱりおじいちゃんが送ってくれた訳じゃないんだね」

「うむ。そもそもこんな剣、造った覚えもないぞ」

「そう。……となるともう、送り主の心当たりがないなぁ……」

 

 元より送り主すら記載されていなかった不審物である。ヴァリウスに送り主ではないかと問うたのも、半ば駄目元であったのだから、ヴァリウスが造った覚えがないと答えてもルーカスに落胆の色はない。

 しかし造り手がヴァリウスではないとなると心当たりが全くなくなるというのもまた事実である。鍛冶師の知り合いも皆無ではないが、少なくとも身元を隠してまでルーカスに剣を送りつけるだけの理由がある者がいるようには思えない。

 

 何であれ、これでいよいよ黒剣は完全に出自不明の不審物品である事が確定してしまった。困ったように後頭部を掻くルーカスの前で、尚もヴァリウスは検分を続けている。そうして、少し。ヴァリウスが口を開いた。

 

「長年鍛冶師を続けてきたが、これ程の出来の剣を見るのは久方ぶりじゃ。いったい誰が……」

 

 いったいその言葉の先は、どう続く筈だったのだろうか。零れかけた音はヴァリウスが唐突に閉口した事で阻まれてルーカスには届かず、代わりに彼に違和感のみを残す結果となった。

 

「どうしたの、おじいちゃん?」

「い、いや、何でもない。……それにしてもこの剣、儂の目から見てもかなり不可解じゃ。儂の伝手を当たってみるとしよう。ルーカスも、何処から送られたものか気になるじゃろ?」

「うん……だけど、おじいちゃんがそこまでする必要ないよ! 心配だし……」

 

 確かにヴァリウスは老齢ながら現役の鍛冶師として働き続けている程に老健な人物であるが、それでも高齢であることに違いはないのだ。たとえどんなに頑強な人間であっても、自身の肉体に発生する老いには勝てない。それは揺るぎない事実である。

 それに不測の事態という事もある。ルーカスが傍にいるならばまだ良いが、独りの状況でもしもの事があればどうなってしまうというのか。それは心配の度を超して、過保護とすら言える程の思考であった。

 

 自認ではなく他者からの評価として、ルーカスは優しい人間だと見做されている。だがその優しさと憂慮の結果として、彼は祖父に関与する事柄に対して聊か心配性とさえ表現できる程の反応を見せるきらいがあった。だがそんな彼に、ヴァリウスは諭すように言う。

 

「心配する事はない。儂はまだまだ動けるぞ。若い者らには負けていられんしのう。それに……事によっては、暫く店を空ける事になるやも知れん」

 

 独白するかのようなヴァリウスの言葉に、えっ、と声を漏らすルーカス。少々間の抜けた反応であるようにも見えるが、それも致し方ない事であろう。ルーカスの知る限り、ヴァリウスは自ら仕事を休もうとしたことはない。それこそ、病気を患った時でさえ。

 そんな祖父が、場合によっては仕事を休むとまで口にしたのだ。ルーカスの驚愕の程も知れるというものであろう。同時に、ルーカスには黒剣の作成者についてヴァリウスはある程度の目星がついているのだという予感も感じていた。

 

 ただの興味で祖父が店を空けるなどと言い出す訳もない。ルーカスにはそういう確信があって、しかし『なら僕も』の言葉を口にする事はなかった。黒剣はルーカスが持ち込んだ案件であるというのに、ヴァリウスはその推測を彼には語らない。それは転じて、ヴァリウスにとってそれが現時点でルーカスを関わらせたくないか、彼自身に強く関与した事案であるからとも取れる。

 

 話してほしい、とルーカスは思う。心配だ、とも思う。ただヴァリウスの目に宿る眼光は彼にそれを口にするのを躊躇わせるだけの気配があって、暫しの逡巡の後、ルーカスが口にしたのは了解の意であった。

 

「分かった。おじいちゃんがそこまで言うなら……でも、無理しちゃ駄目だよ」

「承知しておる。心配要らんよ。それで、この剣だが、おまえが持っているといい。今は救護班でも、護身用に持っている分には問題あるまい」

 

 帰省自体は久方ぶりであっても、ルーカスとヴァリウスは定期的に手紙を通して近況報告をしている。そのためヴァリウスはルーカスが当初の希望であった実戦部隊ではなくエーデルへ異動になった事を知っているのだ。

 とはいえ、仕事中は周囲を実戦部隊に警護されているエーデル隊の人員が帯剣しているというのは騎士らへの不信とも解釈されかねない行動である。オマエ達では心許ないから武装している、と言外に主張していると難癖をつけられる可能性は、皆無ではないのだ。それもただの人員であればいざ知らず、魔力を通せない落伍者としてそれなりに知られているルーカスが帯剣しているとなれば、嘲笑される場合もあろう。それが分からぬヴァリウスではなく、それでもルーカスにそう言っているのだろう。他でもない、心配だからだ。

 

 自分にもっと力があれば。嘗て捨てた筈の、しかし内心にこびりついて離れない懊悩がルーカスの脳裏を過る。だがそれを再び心底に押し込め、彼は笑顔のままで返答をした。

 

「そうだね。多分使うことはないだろうけど、もしもの為に持っておく。……午後からは仕事があるから、もう行くね」

 

 ルーカスが申請したのはあくまでも半休であって、全休ではない。それは当日になってからの休暇申請というある種の横紙破りに対する、彼なりの誠意であった。申し訳程度の言い訳とも言うが。

 

 黒剣を箱に戻し、鍵を閉める。そうしてその箱を鞘に仕舞い、背負って踵を返すその姿はどこか逃亡者ででもあるかのように見えて、だがその背中に向けてヴァリウスが声を投げた。ルーカスや、を優しい声音で。

 

「何? おじいちゃん」

「……辛くなったら、いつでも騎士団を辞めて帰ってきても良いんじゃぞ? いくら身分が保証されているとはいえ、おまえが辛い思いをするのは耐えられん」

 

 それは、以前――ルーカスの天聖騎士団への入団が決定した時にもヴァリウスが言っていた事であった。無論、ヴァリウスは騎士団の一員として人々を守るために働きたいというルーカスの志を知らぬ訳ではない。

 だが、それでもだ。鍛冶師として騎士が戦うための武具の種々を造っている自身が言うのも矛盾しているようだというのをヴァリウスは分かっているが、それでも、彼にとっては名も顔も知らぬ人々よりもたったひとりの孫の方が大事であるのだ。

 

 であれば或いは、自分は祖父の思いを裏切っているのではないか。そんな思いが、ルーカスの鎌首をもたげる。天聖騎士団に入ってから充足感や達成感は勿論あったけれど、辛酸を嘗めた事も少なくない。実戦部隊からエーデル隊へと異動になった経緯など、その最たるものだ。

 けれど、ルーカスはもう、エーデル隊において自分が何を為すべきかを定めている。優しさに甘えて逃げるのは簡単だ。悪行でもない。だがまだその時ではないと、ルーカスは己を律して、ヴァリウスは一瞥を返した。

 

「大丈夫だよ。最初の目的からは外れちゃったけど、僕にできる事はちゃんと見つかったから。まだまだ未熟だけど、何とかやっていけてるしね」

「そうか。……人を守って戦うだけが人生ではない。おまえがおまえらしくいられるなら本望じゃ。これまでも、これからも儂はおまえの味方じゃからな。頑張るんだぞ」

「ありがとう。それじゃ、行ってきます!」

 

 そう言い、手を振って店を後にするルーカス。ヴァリウスはそんな孫に手を振り返しながら見送って、ルーカスの姿が見えなくなるや否やその表情を真剣なものとした。その瞳に映っているのは目前の光景ではなく、件の長剣――黒剣である。

 

 黒剣についてヴァリウスがルーカスに語った内容に、嘘はない。確かに彼は黒剣について何も知らないし、あれほどの出来を誇る剣を見たのは殆ど生まれて初めてとすら言って良い。

 だが同時に、彼の中にはひとつの〝予感〟とでも表現すべき曖昧模糊とした感覚があった。それはルーカスが持ち込んだ黒剣を一目見た時から彼の脳裏にあって、考えを巡らせれば巡らせる程にその存在感を強めていく。

 

 ヴァリウスは鍛冶師だ。長年に渡って武具と向き合い続け、かつ他の鍛冶師との交流などから得た経験の質量は余人の比ではなく、それ故か彼は武具を見るだけでも知っている人物の内であれば凡そ誰が造ったか見当が付く。

 

 それだけの表現であれば何かしら大層な事をしているようではあるが、実際はそんな事はない。彼はただ、武具に顕れる造り手の〝色〟と見ているだけなのだ。武具は人間の被造物であるからして、そこにはどうしても造り手の癖や拘りによる差異が現れる。それら造り手によってまちまちな色が既知のものであれば、造り手が誰であるか推測が付く。至極単純な、けれど膨大な経験を積み上げた者のみが身に付けられるただの技術、後天的に得る感覚だ。

 

 その感覚が言っている。ヴァリウスは、あの剣の造り手を知っている。その造り手も相当な研鑽を積んだのだろう、造り手の痕跡は彼の知るどれとも完璧な合致を見せないが、それでも確かにそこには名残があった。

 

 逢わねばならない。探さねばならない。たとえそれが、地獄から故人を引っ張り出すが如き蛮行であるのだとしても。ヴァリウスはそう強く決意する。必ず見つけ出し、真意を問うのだ。彼の推測が正しければ、あの剣はルーカスの裡に潜む〝異質〟を余す所なく詳らかにしてしまうのだから。

 窓から空を見れば、そこにあるのは何の変哲もない青空。そこに問いかけるかのように、或いは毒づくかのように、ヴァリウスが小さく呟いた。

 

「本当に……おまえなのか……?」

 

 

 

 




漆黒の剣に導かれ

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