父を憎んだ時期もある。
幼心に解っていた。父が仕事で何に向き合っているかも。
それは「命」だ。
守る命とそれを守るための者の「命」双方に向き合っている事を私は知っていた。
それでも・・私は「私」をもっと見てほしかった。
確かに私は機械が好きだ。科学が好きだ。人が生み出した知恵そのものの技術が好きだ。
でもそれは貴方に振り向いてもらいたいがためでもあったんだよ。
・・父さん。
置いていかれるぐらいなら振り向かせる。傍目には機械好きな変った女の子に見えたかもしれない。あの親にこの子あり、「カエルの子はカエル」に見えたかもしれない。
でも何よりも私は貴方に私を見てもらいたかった。
「お前は俺の子なんだな」
あなたにそういう目をさせるために、その瞳の中に私を映させるためなら知識も吸収するし、技術も磨くし、実は少し生まれつき愛想の無い性格も矯正できる。
でもあなたは居なくなった。己の全てを費やして、自分の事を放り出して未来を生きる人の礎になった。
後に残された私にあるのはあなたの想い、知識、技術、立場。
しかし、私の目標は永遠に失われた。もう「貴方」は戻らない。貴方の瞳がもう私を映すことはない。
だが私の双肩に責任は残る。
それは・・「命」と向きあい続ける事。
誰かを生かし・・何かを殺すこと。
それが人の身を守る「武器」を、そしてその「武器を扱う人間」双方を見続ける神機整備士の宿命。
終わりの見えない戦いである。実際彼女の心は何度も折れかけ、その度に何度も歯を食いしばった。
だが思いがけず、その終焉を強引とはいえ手繰り寄せる事の出来る人間に彼女は出会うこととなる。
言うまでも無くヨハネス・フォン・シックザールである。
彼のアーク計画によりこの世からアラガミが消える―それこそ彼女の戦いの終焉だ。
おまけにそれは彼女自身の存在意義が消える事とは直結しない。GEとはその点において大きく異なる。荒ぶる神がいなくなれば確かに彼らはお役御免だ。時代が生んだ旧世界の産物として徐々に消えていくだろう。
しかしリッカは違う。
彼女には残る。人を「生かす」側の確かな知識と技術が。
生と死双方に関わったが故に培った技術の柔軟性はただひたすら奪い、喰らい、殺す為に生まれたGEに比べれば遥かに未来の展望は明るい。
そして彼女自身、何かを殺す為の手伝いを続ける自分に疑問や戸惑いを持てなくなるほど自分を見失っているわけではない。
それから解放され、ただ人を生かすため、役立つための技術開発に没頭できるのだ。
もちろんそれだけではない。大切な仲間を失うこともなく、その責任の重圧も緩和された未来―もっと女性らしく生きる事も出来るはずだ。
可愛い服を着たり、恋をしたり、結婚したり、子供も産んでその子たちを安全に育てる事の出来る世界―
その点で言えばアーク計画によってもたらされる彼女の「未来」はある種理想だ。望むことすらなかったほどの理想の世界だ。
そんな新しい世界にも彼女は望まれる存在。それは間違いない。
ただその為に「今」、そして「過去」を捨てるだけだ。
未来の苗を育てる為だけに「今」を捨て、アラガミ発生からここまで培ってきた努力―「過去」を捨て更地を耕す「未来」を手に入れるのだ。
いわば焼き畑の様なもの。そこに居る全ての意思を全て無視し、焼き払ってそれを苗床に新しい命を育むこと。
それを許せるのか?それを受け入れて前に進めるのか?
彼女の答えは・・既に決まっていた。
悩むだけ悩んだ。迷いもあった。
それでも今彼女の隣に座る少年に比べれば全く揺らいではいない。
強いのだ。潜り抜けたものが違うのだ。
「私は・・ここに残るよ」
あっさりとそう言った。
休憩室のベンチから迷い無く立ち上がり、少女は目線が下を向く少年を見下ろす。少年は顔を上げない。
言葉も発しない。そんな彼に少女は尚も言葉を積み重ねる。
「技術者が・・「過去」に先人が積み重ねた知識と技術と犠牲で「今」を生きさせてもらっている私が・・その全てを投げ出して「未来」だけを生きるのを未来の私は許さないと思うから」
その言葉と同時に支部長―ヨハネスがエノハに背を向けた時と同じように彼女もまたエノハに背を向ける。
しかし彼とは異なり、ほんの少しリッカは振り返る。エノハの視線に気付いたのだ。
彼にしては珍しく縋るような目をしている。「理由」を欲しがっている。自分がどちらを選べばいいのか誰かに答えてもらいたい―そんな眼であった。
―そんな目で見てもダーメ。あとは・・キミがキミで考えるんだ。でも・・しょうがないなぁ・・。
困った顔をしてリッカは頭をかく。こんなに弱気なカオ見せられて平気でいられるほど自分は強くなれないし実際全く悩まなかったわけでもない。今の彼の気持ちは痛いほどわかるのだ。
「自分の帰る場所を想うんだよ。エノハ。自分の原点。私はそれが「ここ」だった」
薄汚れたお世辞にも快適とは言えないこの場所―アナグラ。
でもここは私の大事なあの人が居た場所だ。闘い続けた場所だ。
私が最初にここに来た理由が例え何であろうとも・・ここは私にとってかけがえのない場所になった。
例え時に辛かろうと、苦しかろうと「過去」も「今」も私は幸せだった。
しかし「未来」はどうなるかなんてわからない。「今」はすぐに「過去」になる。幸せな「今」が「過去」になり、未知の「未来」の先に大きな落とし穴がぽっかり空いていても全く不思議ではない。そういう時代なのだ。
でも私はここに居たいんだ。そしてもう一度戻りたい「過去」があるんだ。
この目の前に居るエノハ、榊博士、ソーマ君、第一部隊の面々、そしてアラガミであり、そして同時に人でもある元気なシオちゃんと過ごした時間だ。
いや、「過去」じゃない。「未来」をそうしたいんだ。
不可能じゃない。曖昧で不確かだけど可能性は零ではない。私がここに残る理由は今はそれでいい。
「じゃあ・・エノハ?」
リッカは右手を差し出す。
今生の別れになるかもしれない握手。
グローブをとり、透き通るような白い掌をさらす。
―震えるな。
ただリッカは自分の手にそう願った。
エノハも手を延ばす。少し戸惑うように少女の指先に触れて一回り大きな少年の手は一回り小さな白い手を包み込む。
傷だらけ。豆だらけの手。リッカは離したくなかった。この手を放せば・・その先にあの大事な「時間」はもう存在できなくなるのかもしれない。
やはりズルイ言葉で彼を繋ぎとめておけばよかったのだろうか?
迷う彼を誘導してしまえば少なくとも「今」はこんな想いをしなくてもすんだかもしれない。
そして彼を味方に引き込んでしまえばこれ以上ない戦力であることも確か。
逆に敵に回せばリッカの目的をこれ以上なく遠ざけてしまう相手である事も確か。
でも・・それでも自分自身の未来を自分で決めてほしい。
その先に例え自分が居ない、彼の居ない、最悪誰も居ない未来が来ようとも。
「・・ばいばい。エノハ」
彼女から手を離すと同時の今日の別れとも今生の別れともどっちともとれる曖昧な言葉だが気丈さが伺えるしっかりとした語調である。
しかし出来る限りの最高の笑顔をしたつもりの笑顔は少し歪んでいた。
基本鏡を見る習慣が無い方の少女ゆえの最後の些細な失敗だった。