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炎帝は動かない。
ソーマ、エリナにそっぽをむけたまま四つん這いの姿勢でじっと炎の壁の向こうを睨んでいる。
かといってスキだらけというわけでもない。むしろソーマと対峙している時以上に炎帝に空気の弛緩は無かった。
背負ったエリナを庇い、極力負担がかからない様に交戦する「現時点」のソーマを炎帝は闘争相手としては不適格と判断したようだ。
基本好戦的なこのハンニバル種は相手の戦力に合わせ、交戦する傾向がある。その交戦を通して戦闘に特化した者=より高次の餌と判断し、自分の捕食傾向の指標にしている。
お眼鏡に叶わなければ殺すだけ殺し、ズタズタに引き裂きながらもその死体に口を付けない事も珍しくない。
常に強者を求め、強者の肉を求めているのだ。
同時に自分のテリトリー内にいる己以外の高次の存在を許さない排他的な矛盾をもった種でもある。テリトリーを冒し、乗っ取ろうとする者は例え同種であっても容赦なく喰い殺す。
より強い相手を求め、闘い、喰らい、己を高める武士道的な一面とも言えるが、逆に指標に満たない相手には手を抜いて「遊ぶ」悪癖がある。
ソーマは交戦の中で薄々それを感じ取っていた。
―・・舐めやがって。
それでも今の自分のやるべきことは傷つけられたプライドを取り戻す事ではない。この背中にいるこの少女を守り、また自分も生き残ることだ。
挑発ともとれる炎帝の振舞いに乗り、本領を発揮し、あわよくば撃退できたとしても今の状態でようやく彼にしがみついている状態の小柄な少女を守れなければ全く意味はない。
そもそも。
エノハの最後の通信―命令は「この少女を頼む」だ。
―・・部隊長サマの命令には逆らえませんわな。
ソーマは自分を抑え、律し、あくまで守りに徹した。背中で必死に彼にしがみつく少女と彼の背中を守っているエノハの言葉がソーマの頭を冷えさせる。
すっかり手綱を握られているようでつい一昔前の自分なら嫌がったかもしれない。
が、今はそうでもない。
この感覚
―・・悪くない。
今まで彼の力を「利用」しようとする人間は腐るほどいた。生まれつき特異な力を持ち、戦闘センス、俊敏性、耐久力、回復力全てにおいて高水準の彼を都合のいい便利屋として扱う連中だ。表向きは彼の父親のヨハネスもそう見えたかもしれない。
親しげに接して来るようで実はソーマの力をあてにすることしか考えていない者は多かった。高額報酬の危険な任務にソーマに付き添い、分配される報酬だけかっさらおうという魂胆だ。
死者に鞭を打つのは忍びないにしろ、その程度の覚悟では当然生き残れ続ける筈も無く、(エリナの兄エリックも含め、そうでない人間も勿論いたのだが)ソーマと共に仕事をした者はほとんどが戦死、または再起不能となって彼の前から居なくなった。
結果ソーマには「死神」の異名がつき、彼はその異名を淡々と受け入れた。これで人が寄り付かなくなれば自分の目の前で死ぬ者もいなくなる。自分を「利用」している事が丸わかりながらも表面上は取り繕う連中を相手にする事も無くなる。
しかし今は違う。
彼にはっきりと命令をし、何かを託す者がいる。
今の彼にはそれが「利用」ではなく、「信用」であることがはっきりと感じ取れる。
価値基準を同じにする者が同じ方向を向いて同じ目標に進む者に一人じゃ出来ない何かを任せる事、お互いの負担を分け合い、共有する事。
存外痛快だ。本当に悪くない。
ソーマは薄く笑った。
そんなソーマと目の前の強大な炎帝―ハンニバル。
その利害は実は奇妙な事に一致していた。
獲物―ソーマの様子を交戦の最中ハンニバルはじっと観察していた。背中のお荷物を庇いながら己の本領を隠すこの獲物を。
そして大体を理解する。どうやらこの獲物は諦めているわけではない―と。
それ即ちこの状況を挽回する何か隠し玉を持っているかもしくは・・・強力な援軍を待って時間稼ぎをしている意図があるのではないか―炎帝はそう読んだ。
この獲物を本腰入れて殺しにかかるのは「その時」が訪れてからでも遅くはないと判断したのだ。
―そう。要するに炎帝には余裕があったのだ。
しかし今―
低く唸りながら四つん這いの一切余裕の無い警戒姿勢を緩めず、今にも飛び出さんばかりの精神状態にハンニバルは「追い込まれていた」。
「より高次の存在を求めながらもその存在を認めない」
排他的なハンニバルのその戦闘本能、生存本能が現在フルに稼働している状況である。
即ち今のハンニバルは完全な全開状態なのだ。余裕が微塵も存在していないのだ。
ソーマはエリナを背負い直し、距離を取る。ハンニバルから発せられる熱気で顎から落ちた汗がヘリポートの地面で沸騰するほどの温度になっている。
そのせいですっかり温くなった支給品の水筒の水で少し手を濡らし、背負った少女の乾いた唇を潤してやる。そして僅かに自分も口に含む。
それと同時だった。
文字通り炎を伴って火蓋が切られる。
ガァツ!
巨大な火球が炎帝が自ら築いた炎の壁に向かって放たれる。
ガァツ!!
ガァツ!!!
やや横に軌道をずらしながら三発の火球が立てつづけに炎の壁を切り裂いて向こう側へ達していく。
「ぐっ!」
その異常な熱波がソーマにも届く。無意識にずりずり後退するほどの熱気が今このヘリポート上に充満している。
気付けばソーマはヘリポートの端の端。断崖絶壁まで追い詰められていた。
「っと・・ちぃっ!!」
背負った少女の重みでバランスを崩しかけながらもぎりぎりの所で持ち直し、断崖絶壁の真下、寒々しい風と荒波がうねる極寒の海がソーマの視界に映る。
対照的に振り返るとそこには灼熱の炎熱地獄。
灼熱と極寒のコントラスト。さぁどちらを選ぶのか。
否どちらも選ばない。
ソーマならどちらでも助かる可能性がある。が、背中の少女はどちらでもまず助からない。
今はただこの中間で彷徨うのみだ。運と機会に恵まれるまで耐え忍ぶのだ。
炎帝は尚も火球を吐きつづける。
6発目を吐いた後、顎を空中に向け、大きく胸を逸らし、乾いた虚空をスゥッと吸う。
次に極太の火炎放射で炎の壁を横一文字に薙ぐ。炎の壁の向こうでさらに強烈な火柱が上がり、まさしく地獄絵図にふさわしい光景がソーマの目の前で展開されていた。
思わず「ここまでする必要があるのか」と問いかけたくなるほどの光景だ。
しかし、そこまでしても炎帝の警戒は微塵も失われていなかった。
否、それどころか―
グルル・・・
炎帝―暴虐の王ハンニバルは四つん這いの姿勢のまま後ずさりさえし始めた。目の前の自らの圧倒的な力を証明する業火を前にして炎帝の後退が止まらない。
・・・「脅え」を抑えきれていない。
ずっとハンニバルを注視してきたソーマだが初めて、業火に包まれる炎の壁を―いや、炎の壁の向こう側を考える。疑問を持つ。
そこに「何」があるのか。
「何」が居るのか?
ピシィッ!!
突如一帯を何かがひび割れるような音が響き、ソーマの思案は一旦引っ込む。
「!!!」
ソーマは足元を見る。ハンニバルの足元方向からこちら側へ走る巨大な亀裂を確認する。強烈な衝撃、熱による度重なる過剰負荷に耐えかね、ヘリポートの地面が裂け始めているのだ。
―・・やばい!!
同時に超重量のハンニバルの足元の地盤がもろくも崩れ、炎帝の下半身が落とし穴にはまったように沈む。
ガァッ!!!??
戸惑いの声を上げ、かろうじて残した上半身を鋭い爪で這い上がろうとしてガリガリとコンクリートの地面を掻き毟る。
しかし、鋭すぎる爪は無駄に地面を引き裂き過ぎ、その巨体の重量を留めるには至らずずり落ちていく。炎帝はとうとう真っ逆さまに落下していった。
グガァアアアアアアア・・・・
蒸発した水蒸気を伴う巨大な水柱とともに炎帝の巨体は海中に没し去る。
ソーマも崩れさる足元を必死で伝いながら跳躍。
「ぐおっ!」
間一髪のところで崩壊した地面と崩壊していない地面の境目に左手を延ばして掴み、ぶら下がる。しかしそこは炎帝によって熱せられたコンクリートだ。
左手から耳を伏せたくなるような肉の焼ける音と白煙が上がり、ソーマの顔がゆがむ。
「ぐっ!!?ぬぅううううう・・」
それに惜しみなく右手も預ける。真白い彼の神機が彼を鼓舞するように冷たい刀身で彼の右手の熱傷を最大原因に緩和してくれた。ソーマはようやくの所で這い上がる。
「はぁ・・はぁ・・」
ソーマは疲労で息も絶え絶え、まともに立てないまま、ちらりと炎帝の消えた断崖絶壁の海面を覗く。そこは炎帝の体に帯びた熱によって瞬時に熱湯と化した海水が煙を上げるのみだった。
炎帝はもう戻ってこなかった。
ハンニバルにとってこの崩壊はある意味幸運だったのかもしれない。脅えながらも王者のプライドによって逃げるきっかけを掴めなかった彼に謀らずしてその機会を与えてくれたのだから。
そして・・・それを引き起こした張本人がこの炎の壁を隔てた向こう側にいる。
何となくソーマは神機の臨戦態勢を解く気にならなかった。そして彼の神機も同様に警戒が薄れていなかった。
この壁の向こうにいる者―それは生まれつき他の人間とかけ離れた能力を持っているソーマを以てすら
「人間とは思えない」という心象を抱かせていたからだ。
そう考えるならばこの炎の壁の向こう側にいる物は十中八九敵だと考えて問題ない。この時代、人間以外の強大な力を持つ者はほぼ例外なく敵なのだから。
それも現時点存在するアラガミの中でも最も危険な部類に入る好戦的な種を戦意喪失させて撤退させる存在だ。その脅威、強大さは想像を絶する。
諦めてはいない。
しかし絶望的な状況に開き直り過ぎても良くない。自棄には決してならない。
自分には命令―託された役目があるのだから。
そして何より。
個人的な感情でこの背中にいる少女を守ってやりたいのだ。
あの日―少女の兄を目の前で失った。そしてその喪失に対しての失望と自責を共有した者と共に。
例え自己満足だとしても
一方的で身勝手な罪滅ぼしだとしても・・・
守りたいのだ。
「!」
突如目の前の業火に包まれた半分近い面積を失ったヘリポートを視界が覆うぐらいの白い煙が包み込む。同時にその場の温度が見る見るうちに下がっていくことが解る。
人間の適正気温を大きく下回ったこの地の厳寒のあるべき気候へ。主を失った炎が悲鳴を上げながら無に帰っていく。
その悲鳴もやがて聞こえなくなった時。・・声が聞こえた。
「うへぇ・・・ありったけのアラガミバレットと氷のバレットブチ込んでようやくか・・・」
業火の替わりにヘリポート全体に覆われた真っ白な煙を引き裂いてその声の主が足音を伴って顔を出す。はっきり言って今回の任務一番楽をしたのは彼かもしれない。
煤けたお気に入りのコート、少し焦げた薄い金色の髪、浅黒い肌をさらに黒くする焦げた肌。そんな満身創痍のソーマに比べれば何とも対照的な少年が現れる。
「フン・・来るのがおせぇんだよ」
鼻をフンと鳴らし、いつもの無愛想なソーマに戻る。
「すまない。待たせた・・。・・・保護対象は?」
「・・よっ!見ての通り・・・無事だ」
エリナの体を体を揺すって改めて抱え直す。彼の肩に顔を預ける少女の少し浅くもしっかりとした呼吸が見てとれた。
「・・・奴は?」
その質問にソーマは言葉を発することなく、親指だけ気だるそうに自分の後方に向け振った。海から白煙が今だ上がっている。
「そうか」
現れた少年は無線に手を延ばす。
「・・・2346時。保護対象を改めて確保、その護衛者とともに無事を確認。敵性存在も撤退を確認・・・あ、でも念のため警戒は解かないでくださいね?」
でも言いたい。
声をかけたい言葉がある。全員に。
撤退準備をほぼ終えたトレーラーの中、意識を取り戻したカノンとその周りを取り囲むマツナガを始めとする隊員たち。
信者たちを落ち着いた態度で誘導しつつ、ブレンダンもその先に続くであろう無線の言葉に耳を傾けつつ、微笑んだ。
この修羅場の夜に向かい合い、生き残った全員の勇士たちに向けて。
「状況終了。・・・皆さん。本当にお疲れさまでした」
お疲れさまでした。
今回も読了有難うございます。
おまけ
ヘリポート。
駆け付けた隊員たち、負傷したカノンもその場に現れる。
彼らにエリナを引き渡した後、目当てを外し、意識を取り戻した少女から隠れるようにソーマはフードを被り、背を向ける。
自分の大好きな兄を目の前で見殺しにした奴の顔など見る必要もないし覚えてもらう必要もない。
そう考えた。
そのソーマの視線の先で意外な物をソーマは見た。
―・・・?
ひどく凄惨な顔をした少年の姿だった。
先程まで隊員、カノン、そしてソーマと違い、保護したエリナにいつものように柔らかい表情をして淡々と対応していた奴がなんて表情をしているんだとソーマは訝しがった。
その視線の先に何かが舞っているように見えた。黒い・・一見灰の様に舞っている何かだ。
その物体をソーマがさらに注視しようとした瞬間、エノハの視線がソーマに移る。
すると表情はこれ以上なく自然に一転。逆に「どうかした?」とでも言いたげに少年―エノハは目を見開く。
まるで幻みたいに消えてしまったエノハのあの表情に特に語りかける拠り所を無くしたソーマは視線を戻す。
エノハが見ていた視線の先の方向に。
そこには既に何もなく、替わりに控えめに出てきた朝日が海面に反射して彼らを照らし始めていた。
夜が―明ける。