体を蝕み、包む異常な異物感、自分の体が自分の体ではない感覚。
エノハはレベル3の状態でここまでの痛手を負ったことは無い。
この状態での再生が追い付かないなど考えもしなかった。
思い知る。
目の前の怪物が裸の王様であったと同時に自分もまた己を過信し過ぎていた事に。
この教訓を糧にしなければならない。その為の最大関門がある。
「今」この時だ。
―今回はいい経験をさせてもらいました。この経験を次に活かしたいと思います―
こんな悠長な言葉を行っていられるほど現在のエノハの時間は膨張していない。
圧縮されている。極限まで。
長い。長すぎる。
時間が。
多量出血、刺傷、打撲、粉砕骨折、内臓損傷に裂傷、真皮まで達する重度の熱傷。
こんな状態の体を抱えながらも一秒が一時間に匹敵する感覚のこの最悪の時を乗り切らねばならない。
そしてエノハは容赦なく、背を向ける決心をした。
王座にそもそも未練も執着もない。
今火球の直撃で場外―ドーム通路に吹き飛ばされているこの状態には感謝すらしている。黒炎が傷口を焼くことで在る程度の止血を施せた事も幸いした。
発狂するほど。ショック死しかねない程の激痛を除けば・・
「大した」ことはない。
今恐れるべきは―
せっかく得た教訓を水の泡にされることだ。
自分が倒れることだ。
リンドウを救えないことだ。
仲間にこの重荷を背負わせ、失意と迷いを抱えたまま死なせてしまうことだ。
そして最後に
―・・あの子の元へ帰れなくなることだ。
「っ・・・ぅああっ!」
ズガガガガガッ!
閉じかけた眼を見開いて刀身をついたてにエノハは着地、
バッ!
同時エノハは真帝の火球の炎が燃え移ったジャケットを脱ぎ、投げ捨てた。宙を舞うジャケットに興味を持たず真帝は獲物のエノハから目を逸らさない。
・・・?
しかし真帝には違和感がある。
なぜだ?
なぜ・・
この空気抵抗を受けやすい上着が自分の足元まで飛んで来る事が出来る!?
今や自分とこの人間の距離は三十メートル近くは離れているのに!?
―・・即引火しなくてよかった。
エノハの上衣が燃え尽きる直前、閃光と爆音を放つ。
瞬間真帝は悔しそうに歯噛みした。
しまった。アラガミ時の記憶を蔑にしすぎた。
己の失態を反省した後、その代償を払う。僅かな・・しかし貴重な時間だ。
ガ、ガ、ガ、ガ!
エノハの上衣に残された「重し」―手榴弾、爆薬の残りが真帝の炎の熱に晒され炸裂。熱と光にさらされる。
逃がすか!!
ガアツ!!
真帝は視界を遮られ、手探りのまま火球を放つ。それとほぼ同時、比較的近距離で爆発音と熱風が発せらたのを耳、体の感覚を通じて真帝は認識し、着弾の手ごたえを感じて視界が戻るのを待つ。
しかし―
グるッ・・!
目の前の拓けた視界に映った光景に悔しそうに真帝は唸る。
シュウウ・・
そこには装甲の開いた赤い神機がまるで墓石の様に地に突き刺さり、火球の直撃した痕から煙を放っていた。持ち主の姿は無い。
逃げられた・・・!
真帝は悔しそうに虚空に吠える。
しかし―
「ぐっ・・」
エノハはエイジスドーム廊下に出たものの、重傷の体を引きずってようやくドーム裏の廊下の壁に背中を預けた所であった。真帝とはさほど距離が開いていない。「逃げた」というより現状は「物陰に隠れた」程度である。
それでもようやく口に含んだ回復錠で身体の再生は始まる。しかし薬効の一番低いタイプだ。他携行したやや効果の高い薬物は焼けたジャケットの中。腰のポーチ、またはズボンのポケットに「散らしていた」携行品の中で残った回復薬は今口に含めたものを含めて三錠しかなかった。
―すぐに取り出せるように上着に入れていたのは失敗だったな・・。
(・・・!エノハさん!!!危ない!!)
「・・!うわっ!!」
キィィンっ!
厚さ約17センチ。
そして、エイジスのシンボルとしてテロ対策に頑丈に設計されたはずのエイジスドームの外壁にいとも容易く、赤みを帯びた切断面がX字に走る。そのXの中心の合流地点は確実にエノハの首を落とす軌道であった。
それを上半身をかがめ、すんでの所で切っ先を躱し、スローモーションのような感覚の中で自分の足元を見た瞬間エノハは目を見開いた。
自らの傷口から出た血溜まりだ。
―・・匂いか!
視界を失っても生きるもの。それは聴覚、味覚、触覚。
そして元々絶対の捕食者として生まれた真帝に肉食生物として基本中の基本とも言える感覚、「嗅覚」が備わっていないはずがない。
少なくない出血、そして炎によってあぶられた血液の独特の臭いの「元」を真帝は容易く嗅ぎつける。
ドゴッ!
あっさりと切断した堅牢なドームの外壁を体当たりで突き抜け、跳躍したエノハの背後の外壁をはじき飛ばしながら巨体が躍り出る。
背を向けたエノハの姿を真帝の双眸が再び視界に捉えた。
ズザッ!
エノハは跳躍の着地後、
―・・・よし。
自分の両足は無傷で健在であり、その上に乗る重傷を負った足手まといの上半身も在る程度は回復したことを確認。Lv3解放状態も未だ続いている。
おまけにこのエイジスドームを取り囲むこの回廊は真帝の様な巨大な生物が縦横無尽に動き回るには少々狭い。
ガガガガッ!
振るった剣閃が周りの壁に触れることで速度がほんの僅かに減衰される事を苛立たしげにしながら追ってくる。
地形条件によって生まれる差で逃げるエノハと真帝の距離が一瞬のうちに開き、緩いカーブを描く回廊の曲がり角で真帝の巨体がエノハから見えなくなるほどの差が生まれた。
その時であった。
(ズン・・!)
真帝が居るであろう地点から破壊音が響く。しかしエノハに何らかの攻撃が来る気配はない。
―・・・?
獲物を逃した故の腹いせか―その程度の認識でエノハは尚走り続けたがその時、彼の鋭敏化された感覚とレンが違和感を捉えた。
聴覚、そして体に僅かに伝わる振動だ。
何かが近づいてくる音。壁の向こうから。
(エノハさん!!)
―前!
「・・何ィ・・・!?」
その言葉がエノハに届く前にエノハの視覚が捉える。前方のドーム内側の壁が異常なほどの高温を浴び、赤黒く変色、アメの様に溶けだし破裂する直前の光景を。
ズオッ!!
前方で吹き荒れる溶岩の様な熱風。同時に足を止めるしかなかったエノハと対照的に「彼」はその隙に一気に距離を縮めていた。
緩いカーブを描く回廊を走るエノハと一度壁を破壊してドーム内に戻り、障害物の無い直線距離を走った真帝では当然差が出る。
おまけに足止めとばかりに走りながらエノハの居る地点を予測し、前方に火球を放って足止めしたのである。
巨大な下手人が真っ赤に溶けた壁の大穴から躍り出、足を止めたエノハを再び双眸は捉えた。
―・・・勘弁してくれよ。
悉くエノハの予想を超える化け物と化している。
そしてその化け物は間髪いれずトドメを刺しに来た。
・・・ガァツ!!
「・・ヤバイ」
(・・・・!!!!!)
真帝の口から極大の直径を誇る黒い恒星の如き火球で回廊がすっぽり覆われる―それほどの巨大な火球であった。
今度はその回廊の狭さが真帝にとってプラスに作用する。避けようがない。
背を向け走りだす。が、恐らく火球の速度より早い最高速度に達するまでにこの火球は直撃し、エノハは蒸発する。
エノハの神機より堅牢な炎属性に強いリンドウの盾は置いてきた。エノハの盾では防ぎ切れる熱量ではない。
乗り切る方法は一つしか無い。
―・・くそ。後手後手だ。
背を向け走りながらエノハは銃形態を展開。
虎の子の一発。LV3アラガミバレットを放つしかなかった。
厄災には厄災を。
巨大な黒い恒星、もう一つがエノハの銃から放たれる。
真正面からぶつかりあった巨大な二つの恒星が残す物は―完全なる破壊である。
―アナグラ
「・・何・・コレ?・・」
高温の熱風と余波が遠く離れたアナグラに居るヒバリの手元のコンピューター端末に今まで見たことのないほどの高エネルギー数値を残す。
再びエイジス
カッ
ズズン・・・!!!
爆音と地響きの後、巨大なクレーターを残した爆心地で一つ、うごめく影があった。
彼の漆黒の肢体には直撃した熱波で所々煙が上がっていながらも「大したことは無い」と言わんばかりに首をくりくりと捻る。状態にさしたる問題が無い事が伺える。
影―真帝は辺りを見回した。あの人間の姿は無い。
蒸発したのか。
真帝は人間くさく、二足歩行で歩き始める。しかし、と在る地点で足を止めた。
・・・そうでなくては。
真帝はそう言わんばかりに「それ」を眺めた。
足元にぽっかりと出来た大穴―それを確認する。
爆発によって削られた床は・・下に在る空間―空洞をさらけ出していた。
それは地下鉄であった。
エイジスドームで何らかのイベント、興行、演説等がある際にここの住民が一斉に集まる事が出来るように施工していたのだろう。
その空洞の中から「臭い」がする。
真帝は上半身だけ覗き込む。そこには真帝も入って行けそうな広さのスペースと・・
鉄と油の臭いに交じった独特の香りをもつ真新しい血液の後が点々と内部に続いていた。
「・・・助かった・・ぐっ・・レン・・」
(無駄口を叩かないで!今は回復に専念してください!!)
暗い地下鉄構内で壁に背を持たれかけながらエノハは回復錠を噛み砕く。爆発の際、彼の体に突き刺さった爆発の際の飛来物を引き抜き、そこに回復錠で無理やり傷口を塞ぐ。
(ほら・・!もう一錠もケチらずに飲んでください・・!そんなに余裕がある状態じゃないでしょう!?)
アラガミバレットを放ち、解放状態が解けたエノハの体の回復力は先程までに比べると格段に落ちており、おまけに解放状態解除後の反動も相まってまともに動くこともままならない。
「・・はっ・はっ・・くそっ・・!Lv3でついていくのがやっとかよ・・冗談じゃないって」
水気の混じったごぼごぼと情けなく鳴る喉からエノハは声をしぼりだす。
(・・ボクも認識が甘かったです。まさかあれ程とは・・)
「聞いてないぞ~レン?な~にが『貴方しか殺せない』だ・・・」
(ははは・・懲りずにまだそんな無駄口叩けるだけの余裕があるみたいで安心しました)
会話の内容ほど余裕はない。が、それでも今は無駄口をぶつける話し相手がいるだけ何倍もマシであった。
実際今のエノハがもしここで完全に孤独であったなら、そのまま心が持たず事切れてしまう可能性もあるほどの重傷である。
よってこの駄弁りは決して無意味なものではない。現状エノハが出来る最大の抵抗なのだ。
「さて・・愚痴ばかりも言ってられないな・・レン?・・奴は今どこに居る?」
(調べてみます。その間しっかりと休んでください)
「言われなくても動けないよ・・今は」
(ははは・・・。っ・・・)
エノハの脳内で響くレンの軽口から一転、まるで引き攣ったような声を上げ、呼吸が止まったように脳内の声が止んだ。
「・・レン?どうした!?」
(・・・・・っ!!!!声を出さないで!!!!)
「・・・?・・・っ!?」
レンの恫喝に近い声に首をかしげたエノハもまた同時に呼吸が止まった様に押し黙った。
気付いた。
理解した。
今はただ荒い息をつきたくとも、苦しくとも呼吸の僅かな音すらも出してはいけない現状を悟った。
エノハの後ろに。
居る。
エノハが背もたれている壁を隔てた向こう側―上り車線。
グルル・・
対照的に荒い息を吐き、口元から漏れだす白い蒸気を迸らせながら真帝は徘徊していた。鋭敏な感覚機能をフルに活用しエノハを求め、探していた。
二つの火球の膨大な熱を感知した地下鉄の機構は緊急装置を発動させ、スプリンクラーが作動していた。
それがエノハの血とその臭いを洗い流してしまった為、臭いを頼りに辿っていた真帝の追跡はそこで頓挫する。
しかし―
それでも真帝は何故か確実にエノハに迫っていた。彼にとって紙切れに等しいこの壁を隔てるのみの距離にまで。
真帝をここまで導いた「第六感」に近い何か―それが今も彼に告げている。
居る。
居るぞ。
近くに。
と。
壁ごと切り裂かれるイメージがエノハに浮かぶ。
凄まじい凶兆。
深々と座り込んだ上体、体勢。そもそも元々まともに動ける状態にないエノハに抗う術は無い。
今出来る最大の抵抗は押し黙ることだけである。
しかし―
自分を鼓舞する為、生きている事を実感する為にレンと「声」を出して会話をしていたのは裏目に出ていた。
声、音、空気の振動を完全に遮るはずの地下鉄の壁を通して聞こえるはずの無い声を真帝の研ぎ澄まされた鋭敏な感覚は科学的根拠なくも捉えていた。
野生の勘、闘争本能の勘、科学と非科学すらも融合した感覚を持ち備えた真帝は確実にエノハに迫る。
静かに。ただ静かに。しかし確実に。
当たればこれ幸いと派手に、手当たり次第に暴れ回りはしない。
「あと一押し」
真帝には確信がある。
派手な暴力は必要ない。
針の先一本を通すように静かにこの黒い炎の切っ先を刺し込む。それだけで事は終わる―
そんな確信。
そしてそれは間違いでは無い。
実際にその程度でエノハの命は十分掻き消える。
(くっ・・・)
目の前でレンの。彼の「希望」―エノハが掻き消えようとしているのに何ら出来る事の無い、浮かばない自分に憤りながらレンは押し黙る。
満身創痍を抱え、おまけに呼吸も満足にできない状態の彼に呼吸を制限させざるを得ない自分に。
(頑張って・・エノハさん!!頑張ってください!)
最早そう祈ることしかできなかった。
しかし―
「・・ぐっ・・がっは・・!」
エノハは耐えきれずとうとう咳き込んだ。
(・・・!!!)
レンは顔を歪める。
―終わった。
レンはそう思った。
ガス
真帝は壁の向こうに炎剣の切っ先を刺し込んだ。
ただ静かに。
淡々と。
そしてゆっくりと引きぬく。
雑音の全く響かない静けさが空間を支配する。
お疲れさまでした!
おまけ
手ごたえ
・・はない。壁から引き抜いた真帝の炎の剣の切っ先にも血らしきものは付着しなかった。
僅かに感じていた「気配らしきもの」も完全に掻き消えた。
勘違いと思えるほどの僅かな違和感であった。
が、一方で妙な無根拠の確信もあったのだが。
この壁を隔てた先に間違いなくエノハが居るという確信。自信。
真帝は釈然としないながらも走り去る。
真帝が壁を切っ先で貫く直前―
実は僅かな「間」があった。
真帝にとって全くの空白の時間。といってもほんの一瞬だった。
・・・?
ほの暗い地下鉄構内の先、全く不可視の先で僅かな「風」を真帝は感じた。
それが彼の手と思考
ほんの一瞬止めた。
実際には風など入ってきていない。
空調ファンは止められ、完全な無風で在るはずのこの地下鉄で研ぎ澄まされた真帝の感覚だけが拾えるような妙な「風」、いや言い換えるならば「波」のようなものを感じた。
感じたことの無い。本当に存在していたのかも解らない。
ただの陽炎、蜃気楼の様なもの。
儚く曖昧な「波」。
そんな瑣末なものが結果を変えた。
真帝の剣は結局獲物を捕らえることはなかった。
獲物―エノハは生きている。確実に。
その結果を生んだ曖昧なものの正体は結局解らない。
真帝は走る。そして思う。
些細な事。
些細な事だ。
そう言い聞かせながら真帝はエイジスドーム―玉座に引き返す。
常に向上心をもって目の前の事象を学習し続けた真帝が振り切るようにして。...逃げるようにしてその曖昧な「何か」に背を向けた。