最後までよろしければお付き合い下さい。
震える右手が封筒に達する前に先に封筒に達する物がある。
一つ。
また一つ。
「リッカへ」
文字の上にもそれは落ちる。黒く滲んでいく。
その文字の形、真っ白な封筒の上を走る黒い線の「流れ」。
全てが愛おしいのにその形がいびつに歪んでいく。
「拙い」と解っていても止められない。止めようがない。
見開いた瞳から流れ出ていくあふれ出ていく物を止められない。
―涙。
涙止まってよ。
立て続けに五粒目、六粒目が達した時にようやく遅れたのろまの私の右手がそれを拾い上げる。同時にペタンと座り込む。足に力が入らない。
構わない。
今はどんなにみっともなくてもこの手紙を開く両手と、目の前の物を余すことなく映す瞳さえ働ければいい。
・・ってゆうか。それが限界。
でもそれでいいんだ。それ以上に大事なことなんて今の私には必要ない。
カサリと白い紙のすれ合う音がリッカの耳をくすぐる。
―リッカへ。
再び繰り返されるその書き出しにどきんと胸は波打つ。
その文字がまるで宙を舞ってるみたいに目を通じて私の耳に吸い込まれていく。
一か月以上聞いて無いはずの君の「声」がまるで耳元で響いているみたいに。
―何から書けばいいのか解らなくて書き出しだけを考えるだけで大分紙を無駄にしちゃった。・・やっぱりまずは結論から言わせてもらうね?
「・・・」
―俺は生きてます。無事です。君がこの手紙を見ているという事は俺の手元に腕輪が無い証拠でもあるけどそれでも・・俺は生きています。多分君がこの手紙を見ている時も。
「・・・っ!!!・・!・・・!!」
―そして次に。本当に本当に謝って済む問題じゃないけど・・本当に心配をかけて御免なさい。
本当に。本当にごめん。それしか言えないけど本当に御免。許してくれ。リッカ。
「・・・うっ・・!くぃ・・っ!!っあぅ・・・・・・!!!!」
君の「声」が私の心の奥にある暗い何かを綺麗に浚っていく。跡形も無く。
口元を片手で押さえ、涙で霞む文面を必死で睨む。
湧きあがって来るのは安堵と喜び、そして
怒りだ。
どこで。
何やってんのよ。
全く。
君は・・もう!!・・一体・・一体・・!!
何をしているのかなぁ!!!!?
皆にこんなに心配かけて・・・!!!
ほんっっっっきで!!ほんっっっっっっきでっ!!!怒るよ!??ほんっっっとっ!!
「う、・・・ぐ・・うぅっ・・・うぅ!!」
・・・生きてるの?
・・生きてるのね!?
・・エノハぁっ!!!
まだ読む事が在るのに。エノハからの手紙はまだ続いてるのに。
震える両手のせいでちゃんと手紙を開いてられない。握りつぶしかねない程にくちゃくちゃにしてしまう。
仕方ない。
もうとりあえず今はまともに読む事は諦めた。
今の私では手紙を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにして、さらに言う事のきかない両手で握りつぶしてしまうだけだ。
この全てが洗い流された心の奥底から湧きあがる行き場の無い「力」をまずは・・だしてしまおう。
「・・ふっ・・・ふぅえっ・・・・・・ふぅえっうぇええええええん!!!!」
リッカは座ったまま両手をだらりと下げ、虚空を一気に吸う。胸一杯に。
しっかりと右手にエノハからの手紙を握りしめ、暗い神機整備室の天井を見上げて一杯に口を拡げた。
「吠える」と書いてしまってはカッコ悪いがそれ以外の適当な表現が浮かばない―そんな姿であった。
彼女自身「どこにまだ私にこんな力が残っていたんだろう」と思うほどの力で彼女はただひたすら―
「・・・・ぅわあああぁぁあああああああああああんっ!!!んわああぁぁぁぁぁああんあんあんあんっ!!!!」
泣き喚いた。
―――全てを絞りつくしたような情動を流しきった後。リッカは
「んっ!んっ!んっ!」
わしわしわしわし!
床にエノハからのくしゃくしゃになった手紙を敷き、左手で押さえながら右腕を使って必死で延ばす。
未だ涙で揺れる瞳、嗚咽で震える喉元を不機嫌そうに口を結ぶ事によってこらえ、鼻をぐずりながら。
「あ・・!あう・・・しまった~・・ぐず・・」
うっかり顔を拭った際、涙と鼻水がついた右腕で手紙を延ばしてしまった為、エノハの手紙の文面が全体的に少し滲んだことに落ち込みながらもリッカはしっかりと気を取り直し再び文面を見返す。
手紙は少し行間をおいて
―落ちついた?
と、聞いてくるエノハの文章に少しイラッとくるがこの手紙を読み始めて初めてリッカは
「あはっ・・」
笑った。
「よかった」
そんなエノハの声が手紙から聞こえてきそうだった。
―手紙だからこちらからの一方的な内容の上に話せることも限られてるけど次に・・これからの俺の事を言わせてもらうね?これも結論から言うよ。
「・・・」
―・・・俺はしばらく極東には帰れない。理由も言えない。今どこにいるのかも言えない。そして・・・何時帰れるかも解らない。
そして君と連絡を取れるのも一旦これが最後だ。
「・・ぐすん」
そんな感じはした。
―そもそも俺が生きている事を知っているのも極東支部ではリッカ・・君だけだ。ツバキ教官も極東支部長の榊博士さえ知らない。
つまり・・俺は世間上死んだ人間ってこと。
「・・・っ」
きゅっと強く拳を握りしめる。
―頭の良い君なら解ると思う。この事から考えて俺が生きている事を君が知ること自体リスクがあるってことが。俺が生きている事を君が知ることで迷惑をかけるかもしれないことも謝らせてくれ。
「・・・今さらだよ。全く」
つまりエノハが生きている事を決して口外してはならないってことだね・・。
―・・俺が書く事を許されているのはここまでだ。とりあえず俺が生きている事は絶対に口外しない事、それさえ守ってくれればそれ以上は・・多分・・・迷惑はかからないと思う。
「・・どうだか」
―・・自信が無くなってきた。
「・・しっかりしてよ~もう・・全く・・」
―・・本当にゴメンなリッカ。ただ謝ることしかできないけど・・
「・・・」
―俺帰るからさ。リッカの元に絶対。何時になるかも解らないけど絶対・・君の下に還るから。
「・・・」
男の絶対は信じるなって言われてます。ハイ。その時どうなってるかは保証しないよん。
―それまで待っててくれ・・なんて言えた立場じゃ無いけどさ。でも・・絶対に帰るから。
「・・」
―勿論その時に君が幸せであるなら構わない。「お前なんかもういらない」って言われても仕方ないぐらい勝手な事を言ってるのは解ってる。だから君がキミ自身の幸せを探そうと文句を言える立場じゃない。
帰れない。どこに居るかも言えない。連絡も出来ない。何時帰れるかも解らない。
こんな「無い無い」づくしじゃね。
「煮え切らんなぁこの男は・・俺は絶対に浮気も不倫もしねぇからただ待ってろとか言えねぇんですかっての・・」
―でも。
「・・・」
―本当に。絶対に帰るから。生きて君の下に還るから。これだけは約束、確約する。
俺の全てを賭けて。
「・・」
―だから俺がキミの元に帰った時もし君も同じ気持ちでいてくれるなら・・待っていてくれるならその時―
・・俺の事を名前で。「ヤマメ」って呼んでくれないか?
「・・!」
彼が「家族のみ」に呼ばせることを許している彼の名前である。
極東に居る彼の数多い仲間達の誰一人として呼んだことのない、呼ばせた事のない彼の名前である。
―最後にリッカ。
「・・っ!」
お願い。
止めて。
そんな、そんな。終わってしまう。手紙が。
これで終わりなんて・・嫌だ!!!嫌だよ!!
それでも手紙は続いていく。
「今」の終わりに向けて。
―今まで本当にありがとう。アナグラに来て君に逢えた事は俺の人生で間違いなく最高の出来事だった。これから何を見ても誰と出逢っても色あせる事は無いと思う。
どうかまた会う日までただひたすらに君が幸福である事を願います。リッカ。
「・・・っうっ・・・!」
痛い。
痛いよ!
帰って来てよ・・今すぐに!名前なんていくらでも呼んだげるよ!!だから・・?
―皆のことを宜しく頼む。これからも俺の仲間達を守ってあげてくれ。
君にしか頼めない、出来ないことだ。
「・・・バカ!!バカぁ!!君と私でやることでしょ!?責任放棄しないでよ!?隊長の癖に!!」
一人に・・・一人にしないで。
でも何処かでリッカはわかっていた。
死んだ事になって、生きている事を殆ど誰にも知ってもらえないまま一人で何処かに行く彼の心細さに比べれば自分は。
ここまで自分を支えてくれたたくさんの仲間達が近くに在る。
父親から受け継いだ誇り高い仕事がある。
生き甲斐。すべてを賭けるのに値する人たちがいる。
だからこそ行ってほしくなかった。その紛れもないその内の一人であるエノハに。
不安だろう。怖いだろう。
それが次の文から簡単に読み取れた。
―・・ああ。離れたくないなぁ。君と。
「・・・」
支えてあげたい。
傍にいてあげたい・・!
この頼りない誰よりも大事なこの男の子を。
でも別れは近付いていた。
手紙が
終わる。
―リッカ?
―君は俺の本当に大好きで誰よりも大切な女の子です。
ありがとう。俺にこんな気持ちをくれた君。
―さよなら。リッカ。
「うっ・・・わあああああああああああああああああああああああああああああん!!!」
―そうやって
いきなり彼は私の前から姿を消しました。手紙一つよこしただけで何も残さずに。
生きていようと死んでいようと女の子を悲しませる、泣かせる奴なんて死んだ方がいいと思います。
それでも。
私は彼が幸福である事をひたすら願わずに居られません。
傍に居られないのなら。
寄り添ってあげられないのなら。
愛してあげられないのなら。
好きだともはっきり言ってあげられなかったチキンな私は願い、思い続けるだけです。
愛の深い女を愛し、愛される事が出来た運をひたすら感謝しなさい君は。
ね?
・・・エノハ?
溶鉱炉―
肌を、延びた長い髪をチリチリと灼き、涙で赤く火照った顔を照らす。
そこにリッカはエノハの唯一残した手紙を。彼の生きている唯一の証、手掛かりを―
投げ入れた。
しゅっっと何の抵抗も無くまっ白い封筒が一瞬の内に黒く変色し、「リッカへ」と書かれた文字が見えなくなる。
「・・・ひっ」
とんでも無い失敗をしでかした時のように反射的に喉が情けなく鳴る。今からでも遅くは無いと取り出そうとした右手を左手が止め、しばらくの間せめぎ合う。
しかし、そうこうもたもたしている内にあっという間に手紙は消えた。
この世に痕跡すら残さず、存在していた事も疑わしいほど跡形も無く。
全ては消えた。
エノハが生きている根拠の手紙は消えた。もう彼との連絡手段は無い。生きていると証明する物は何もない。
今も何も変わらず彼はこの極東では変わらず死んだ人間だ。
やはり彼は死んでいるのではないか・・そんな弱気な考えがリッカに差し込む。
もう「根拠」は手元に無いのだからあれが本当にエノハの手紙だったかどうかすら確かめる術もない。
ただ夢の如き、幸福な感覚と彼の残した言葉達が頭を駆け巡るだけだ。
根拠は最早リッカの記憶の中のみ。
そう考えると怖くなる。
まただらしなく涙と鼻水がつぅと下向くリッカの顔を伝う。
しかし
ごしごしごしごしっ!
リッカはしっちゃかめっちゃかにその顔を乱暴に両手で拭った。
顔がめくれるぞと言いたくなるぐらいに。
「・・んっ!」
彼女の瞳は溶鉱炉の赤い光に照らされ、美しく澄み輝いていた。
そして同時にリッカはごそごそと汚れた作業着のズボンのポケットから一つの物を引きずり出す。
エノハはもう一つリッカにあるものを残していた。
エノハと交わした約束―彼女のカットを少し待ってもらう代わりに渡したある物だ。
それは「輪」
指輪・・?
いや。そんな色気がある物ではない。
「・・君らしいよね。全く」
その「輪」をつまんでフリフリ手元でリッカは振って眺める。
それは何とも安上がりでチープ、間違ってもリボンなんかついていないただの髪留のゴムであった。
「はむっ!」
それを口で銜え、リッカは随分長くなった後頭部の髪を両手でまくりあげる。
そして銜えたゴムを白く綺麗な右手の指先に絡ませ、纏めた髪に無造作にぐるぐる巻きつけた。
パチン!
ゴムが限界まで閉まり、しっかりと固定が出来た証である小気味のいい音が響くと同時にリッカは顔を上げた。
「よしっ・・!」
結わえた髪を揺らし、しっかりとリッカは前を見据える。
その瞳の真っ直ぐな光には最早弱さも、一切の迷いも揺れも感じられない。
しなやかで強か、しかし優しさ、美しさを兼ね備えた女性の輝きがある。
―生きていこう。
君は生きてる。
この世界のどこかで。
生きてくれている。
そして信じている。君は絶対に還ってくる。
それだけで十分なんだ。
何をこれ以上悲しむ事があるのか。
だから生きていこう。
また君に会う為に。
だから今は。
「・・・さよなら」
fin