おまけ
2072年極東―
ミッション名「ナイアガラ・フォールズ」作戦決行日
PM3:24
「・・・終わったか」
瓦礫とゴミに囲まれた旧時代の廃物処理場。
そこに新たに累々とゴミの様に積み重なり、霧散直前のアラガミ達の屍が出すオラクルの黒煙を掃って一人の少年が神機を携えて躍り出る。
ガガッ・・
「・・・・・電波障害か。この地点は比較的いつも感度がいいはずなんだけど・・」
一人ごちながら少年は耳障りな音を出して繋がらない無線機の電源を切る。
いざ連絡が可能となった時充電切れでは困る事以外、もう一つの理由があった。
あまり「刺激したくなかった」のだ。
アラガミはすべて始末した。
今日の作戦「ナイアガラ・フォールズ」は間違いなくこれ以上ない成功を収めた。
後は単騎でイレギュラーに現れたアラガミ9頭を対応する為に出撃したこの少年を心配しているだろうヒバリと連絡を取るだけだ。
しかしこの行為を恐らく今目の前に居る「連中」は許容しないだろうから。
「これは・・貴方達の仕業ですか?」
少年は隕石のクレーターの様に開けられたかつてのゴミ処理場の巨大な「穴」の中心でぐるりと体を一周回転させ、彼を「見下ろす」者たちを見る。
積み重なる旧時代の廃棄物の山の上で霧散したオラクル細胞に目もくれず、「連中」は尚も問いかけた少年をぐるりと取り囲み、無言で見下ろしていた。
目視できるだけで十人前後、そしてその各々の立ち位置が明らかに少年に対して「優位」の位置に例外なく立っている。
全員が統一された濃紺の軍服を着ており、そして腕部には明らかに制式のフェンリルの腕章を携えていた。
まさしく「同胞」の証。
しかし
―・・見た事ない軍服だ。・・極東の物じゃあない。
少年はそう確信した。
じゃり・・
「!」
その連中の内の一人が少年の前に降りてきた。攻撃的な意志は感じられず、少年は目の前に向かい入れる。
「彼女」を。
「・・極東支部第一部隊長―榎葉 山女大尉ですね?先程までのアラガミ討伐を失礼ながら身近で拝見させていただきました。噂に違わぬお手前・・・感服いたしました」
そう言って紺の軍服の女―
恐らく少年―エノハよりも年上であろう女性が礼節をわきまえた態度のまま深々と頭を下げ、ゆっくりと余韻が残るような動作で顔を上げ、肩までの黒髪を僅かに揺らす。
直毛の黒髪の上に調度された様に自然に乗った軍帽の唾の奥で光る軍人らしい鋭い目をエノハに向ける。
「・・・」
エノハは当然の警戒をする。妙齢の女性に失礼だとは思うが舐めるように見る。
装備、携行武器など・・こちらへの「害意」の断片を感じ取る為に。
しかし害意より先にあまりにも意外な女の次の言葉に驚いた。
「・・時間がありません。早速本題に入ります。簡潔に言いますね?私達と共に来て下さい。その古い腕輪と神機をここに置いて」
「・・死ねということですか?」
腕輪の喪失―つまりGEである彼にとって死亡宣告と一緒だ。
「まだ」怒りも抑揚も無くエノハは淡々と言葉を返す。しかし女は尚も淡々と
「いいえ。生きて私達の主に会って頂きます。しかし極東支部のビーコンが内蔵されている腕輪、神機は必要ありません。ここに置いていって頂きます。貴方は死んだものとしてこの極東支部では扱われます」
「・・・慎重に言葉を選んで説明してくれ。・・さもないと」
エノハの疑問が解消されない一方的な要求だけの言葉にエノハの雰囲気が変わる。殺気に近い怒気で周囲の空気が蜃気楼のように歪む。
それでも・・女は顔色を変えなかった。
「・・・。殺すのであればどうぞ。しかし貴方にとってその行為はとてもリスクがあることだとは言っておきます」
「・・殺しはしないよ。ただ眠ってもらうだけだ」
「それもお好きにどうぞ。ただし私の替わりに後ろに居る誰かが来てまた貴方と同じ会話をする。それだけの事ですが」
背後の仲間にほんの少し視線だけ向け、女はエノハの言葉に大して反応せず会話を続けた。
嫌な感じだ。見るだけでエノハには解る。
この女。全く自分の命に頓着が無い。
そしてエノハという人間の性格を調べ上げているのだろう。彼が問答無用で人間を、そして怒りに任せて女性に危害を加える様な人間ではない事を。
そして女の言う「リスク」がただのハッタリではないとすぐさま感じ取れる程の勘は持っている人間である事も。
「・・これをどうぞ。これが貴方の「リスク」です」
女は黙り、思案するようなエノハに映像端末らしきものを手渡してきた。
エノハが無線を切った事により、恐らく彼らが出していた電波障害を引き起こす何かの機器を停止させたのだろう。回線が生きているようだ。
エノハは受け取ったその画面を覗き込む前に両目だけを動かし、彼を取り囲む全員の配置を確認した。警戒は怠らない。
しかし―
「・・・!!!??」
その眼にした映像に釘づけになった。
衝撃のあまり一瞬だけ確実に完全にエノハは無防備になった。しかし平然と連中はその隙を無言のまま見送る。
そこからしてエノハを「殺しに来た」という線は薄くなった。
しかし今のエノハにとって「そんな事」はどうでもよかった。
その映像とはリアルタイムの―
神機整備室であった。
『・・・♪』
音声は接続していない。しかし映像の中で佇む少女の口ずさんだ歌が今にも聞こえてきそうな映像であった。
少女―リッカがかいがいしくテキパキといつものように働いている姿が映っていた。
いつも彼女と一緒に居る場所。その映像からエノハは大体どの位置からその映像を撮っているかもすら理解できる。
神機の映し出された映像端末を眺めながら目の前の神機を解体しているいつものリッカの後ろ姿である。
「録画では無いのかと疑うかもしれませんが・・紛れもなく現在の映像です」
女のその言葉が嘘でない事がエノハには解る。
まず第一に
「リッカが見た事も無い神機を解体している」点。
そして「映像端末を見ながら調整を行っている」点からして。
普段のリッカであればいつもの極東支部隊員の神機を端末データを見るまでも無く調整してしまう彼女が映像端末を見ている時点でおかしい。
そして手元にあるのは見慣れない神機。
これが差す事実は一つ。
今回の作戦―ナイアガラ・フォールズにおいてヘルプとして派遣された別支部のGEの神機を整備していると考えられる。
つまりこの映像は録画などではなく、間違いなくリアルタイムの映像であると考えた方がいい。
「・・。素晴らしい手際です。さすが極東支部の主任整備士」
女はリッカの手腕に心からの賛辞を贈り、そして続けてこう言った。
「同じ女性として本当に尊敬できます。素晴らしい女性ですね―」
く す の き り っ か さ ん は
その女の賛辞がこれ以上に無いエノハへの脅しで或る事に絶句し、今にも女の首根っこをへし折りそうな視線を向けたエノハを見つめ女は尚も畳みかける。
「脅し」の本題に入る。
「今彼女が閲覧している別支部のGEの神機データ・・その内容を少し改竄させてもらっています」
「・・・!!?」
「貴方は神機によって偏食傾向が違う事を当然ながら知っていますよね。神機はその神機の傾向に沿った整備方法があり、それを間違えると整備士も整備中の事故によって死亡する可能性を秘めている。・・初めて整備する神機の送られてきたデータの内容が万が一間違っている、改ざんされているとなれば・・その危険性は解りますよね?」
各々独自の偏食傾向を持つ神機に触れる際、整備士は己が捕食されない為に専用のグローブを着用している。
神機によって偏食傾向が異なるのだ。当然一種類では無い。
あるグローブでは浸食どころか付着することすら出来ない因子が他のグローブに変えた途端一気に浸食し跡形もなくグローブを捕食する事もあるのだ。
つまりグローブの着用者も当然
―一気に喰われる。
リンドウの神機を持ち、レンに浸食されたエノハの時の現象が普通の人間である整備士の身に降りかかるのだ。
まず間違いなくその整備士は即死する。良くて・・いや最悪アラガミ化だ。
最愛の少女は他でもない彼、もしくは彼の仲間達によって「処理」される。考えたくも無い最悪のシナリオである。
「これ程素晴らしい技術を持った整備士はそういないでしょう・・。彼女の様な人材が不幸な『事故』で喪われる。・・痛ましい事です」
女のその言葉が耳に入りながらエノハの脳内はぐるぐる回る。
―脅し。ハッタリ。嘘。いや、まさか。
本当に出来る?いや無いだろう。
いや。でも。
・・わざわざ極東支部に潜入して神機整備室に隠しカメラを置けるほど内部に精通している連中がそんな手間をかけてまでこんな下らない嘘をつくか?
ハッタリ、嘘の可能性は確かにある。
しかしエノハは気にかかる。
この女の狂気とも思えるほどの自分の命への執着の無さが。
そしてこの女だけでなく間違いなくここに居る他の人間全員が持ち合わせている狂気が。
本当に自分達の命に価値を置いていない―そしてそれがただの投げやりでは無く「覚悟」であることが確信できた。
自分の命を賭けてこのバカげた取引を行い、それで自分達が最終的にどうなろうと構わない。今すぐ殺されても別に構わない。
そんな連中が
もし万が一この女の言っている事が真実ならば―?
リッカが死に、怒り狂った自分がここにいる全員を塵殺し、ただ一人生き残る壊れた抜け殻に成る姿を想像するだけでエノハは寒気がする。
「・・・貴方がここで形だけ死に、その腕輪と神機を捨てて私達と共に来るだけで彼女は死にません。私達も死にません。誰も死ぬ事はありません。どちらを選ぶべきかは明白ではありませんか?」
「何故こんな回りくどい事をする?」
エノハは切り口を変える。
「・・・」
「俺のアラガミ討伐を見ていたという事は品定めしていたってことだろ?何かの協力要請があれば正式にアナグラに出してもらえれば受理される可能性は高いぜ。そこまで今のアナグラは柔軟性が無い組織じゃない」
何故こんなバカげた脅迫じみたスカウトをする必要があるのか・・それが見えてこない。しかし女の返答は素っ気なく淡泊だった。
「それではダメなのです」
「何故!?」
「貴方がここで死んだ存在になり秘密裏に我々の下に来てもらう事、これが我々の任務です。これ以上はここでお話しすることはありません」
「・・・!」
「迷っている暇がありませんよ。・・素晴らしい手際です。楠 リッカさんが次の神機の整備作業に入ります・・。予想より二分十七秒も早い。我々の要求を飲まなければリッカさんの端末の改竄されたままの神機情報を彼女が閲覧し、それを基に彼女は神機に触れ・・捕食されてしまうでしょう」
畳みかける女の言葉にエノハは思い知る。
彼がいつも対峙しているアラガミは確かに脅威で怖ろしい敵だがそれでも―
エノハの最愛の人間を調べ上げ、利用してこんな悪趣味な駆け引きしてくる事は無い。
こんな事をしてくるものはいつの世もどこでも・・同じ人間だということを。
「貴方の返答次第です。色よい返事が頂ければ即―正しいデータを彼女の端末に送り、更新します。何事も無くいつもの作業を完遂される彼女と悲鳴を上げて絶命される彼女の光景―貴方はどちらがお望みですか?」
悪趣味な二者択一を何の嫌味も無く無表情で女は告げる。エノハがこの挑発に乗って激昂し、自分の首を切り落とそうとも彼女は表情を変えないだろう。
「・・本当に素晴らしい整備士ですね。彼女の的確かつスピーディな整備は我々の予想を遥かに超えています。なるべく早く返答をお願い致します。さもないと」
―間に合わなくなりますよ?
エノハはこの世で最も大事な人間の命のカウントダウンを宣告された。
ハッタリか。
それとも真実か。
しかし結論は出ていた。
ハッタリと決めつけ女の要求を飲まぬまま、大した行動をせずだらだらと過ぎる時間を許容できるほど―
リッカの命はエノハにとって安いものではない。
例え一秒でもリッカの命の時間が削られるような感覚を体に刻まれながら沈黙や待機を続ける事が出来るほどエノハは大人では無かった。駆け引きにも長けていなかった。
アラガミ相手では極東最強の戦士でも今のエノハはただの世間知らずな一人の少年であった。
少女を守る為に。
自分を守る為に。
あっさりとエノハは決断した。
「・・解った。言うとおりにする」
同時
「更新しろ!!!!早く!!!」
女はいきなり人が変わったように大声を上げ、喰い入る様にエノハの覗いていた端末を我を忘れたかのようにエノハと共に覗き込んだ。
さっきまでの余裕の態度はフェイクであり、スキだらけだった。
この女も。・・恐らく二十代中盤くらいのこの女性もさほど大人になり切れてはいないのかもしれない。
画面内の選択したグローブを着用し、神機に触れたリッカが―
『・・・』
何事も無く刀身に触れ、相も変わらず流麗な動作でテキパキと仕事をこなしている。
「・・・あはっ」
惚れ直しそうなくらいの少女のいつもと変わらない姿に少年の目が優しい安堵の色に変わる。映像の中の少女が顔を拭う。いつものオイル汚れが彼女の白い頬に出来たのをみて「あ~あ」とでも言いたげに困った苦笑いを浮かべた。
本当に心から愛おしそうな顔をして。
極東最強の少年。つい先ほど女達の目の前で九体ものアラガミを鮮やかに屠った男が今完全にただの年相応のまだ十代の少年の表情をしていた。
女は確信した。
この丹念に調べ上げた少年にとってこの画面内の少女の存在は十二分に「そういうもの」として機能する事を確信する。
最大の「弱み」として。
「・・・。・・・!―んっ!」
一瞬とはいえ表情を複雑な感情によって歪めた自分を諫め、咳払いと共に自分を取り戻した女はこう言った。
「・・・貴方の賢明な判断に感謝します。榎葉 山女さん」
極東の物とは違う見慣れない敬礼をして。
「・・・」
エノハは無言のまま名残惜しそうにリッカの顔を見続ける。
映像の中のリッカの頬を撫で、消えない頬の黒いシミに悲しそうに眉を歪めて笑った。
ガスン。
愛機の切っ先を地に突き刺す。まるでここで表向きは死ぬ自分―榎葉 山女の墓標を建てるかのように。
彼の命を極東に来て以来、ずっと守り続けてくれた愛機を手放し無言のまま、まるで手錠を要求するかのように腕輪のついた右手を女に差し出した。
「・・失礼します」
女の目配せと微かな頷きと同時に周りを取り囲んでいた女と同じ制服をきた軍人たちがエノハに近づいてくる。
女は責任を見据える。
自分よりも年下のまだ十代の少年の弱みを徹底的につき、結果彼を最愛の人間から引き離してしまう事を。
任務は達した。
あまりにも手前勝手で理不尽な要求を強引に受け入れさせた。
「エノハ君」
交渉人としてではなく一人の年長の人間として女は初めてエノハの名前を呼んだ。
「・・まだ何か?」
「・・非礼は私の命を以て償います。だからどうか・・私の主の力になって差し上げてください・・」
初めて女は微笑んでそう言い、懐から古臭い回転式の拳銃を出して何のためらいも無く自らのこめかみに突きつけ・・
カチリ・・
引き金を引いた。
「・・・・!」
女は眼を見開いていた。
彼女の右手のリボルバー拳銃の回転部分を赤い腕輪の施された右手ががっしりと掴み、銃の発射を妨げていた。
その手の持ち主ーエノハは真っ直ぐと非難も怒りの感情も無い表情で目の前の女を見据え、呟く。
「・・・最後まで責任を持ってその主とやらの所まで案内しろ・・それがあんたのやるべき責任の取り方だ」
「・・・失礼しました」
女は確信する。
主の「選定」は決して間違っていない。
彼は優しく。甘く。まだ幼い。
しかし強い少年だ。
十数時間後―
エノハは目隠しの状態で二回ほどの乗り継ぎの末に目隠しを外される。
最初は巧みな運転で揺れの少ない車に乗せられ、次に恐らくは相当の高級仕様のヘリに乗せられたのが体の感覚を通してエノハには伝わってきた。
目隠しを外されて初めて彼の目に映ったのは異常なほど貴族趣味な西洋建築の豪邸と広く美しい緑に囲まれた庭園だった。
鳥が舞い、風も空気も澄んでいる。
彼の実家とはまた違った時代に取り残されたかのような喪われた過去の風景である。
瓦礫に包まれた血なまぐさい廃墟から一転のその光景にエノハは無言で立ち尽くす。
「・・・」
「長旅お疲れさまでした。ではご案内します。こちらへどうぞ・・エノハ様」
傍らで頭を下げる先程の軍人の女は手で進行方向を示しつつエノハに先行する。
「『様』・・?」
「申し出を引き受けて頂いた暁には貴方の下につくよう主から申しつけられております。エノハ様。何かお申し付けがあればご遠慮なく私に」
「う~ん・・」
女の年齢は恐らく同僚のジーナよりも上、そして教官のツバキより少し下程度だろう。
そんな年上の女性に実家でも「様づけ」などされた事の無いエセ貴族のエノハは何とも複雑な想いで頭を掻く。
一階建て平屋に住む上級貴族―エノハはカルチャーショックに少しひるむ。
そんなエノハの心情を知ってか知らずか女は大人っぽく優しくクスリと微笑み、
「主が貴方のご来訪を心待ちにしております。どうぞ」
女は歩き出す。その後ろ姿にエノハは声をかける。
「・・・聞き忘れてた」
「はい?何でしょうか?」
「貴方のお名前は?」
「・・!これは失礼いたしました。私はナルフ。『ナル』とお呼び下さい。エノハ様」
「ナル、ね。家名は?」
「私は今の主に仕えると決めた日より家名は捨てております」
―・・事情アリといったところか。
それ以上エノハは詮索しなかった。その後は無言でただ女―ナルの後ろを着いていく。
二階のとある部屋の両開きのドアの前でナルは足を止め、一礼した。
「こちらのお部屋です。。・・長旅お疲れ様でございました」
「・・ここに?」
「はい。積もる疑問、不満がおありでしょう・・全て主から直接貴方にお答えしたいとのことです」
「・・いきなり会ってくれるのか」
「はい。主は貴方に協力を仰ぐ以上・・対等の立場でありたいとのことです」
「それがあの脅し?」
「・・返す言葉もございません。しかしこちらの事情、やんごとなき御身故、直接貴方の元へ赴く事が難しい立場の方に御座います。勝手が過ぎるのは百も承知ですがどうかご理解くださいませ」
とりあえず今のままでは答えが出ない。結局はこの扉を開ける他無いのだ。
「ナル」
「はい・・?」
「案内ありがとう」
「勿体なきお言葉です」
「で」
「は・・」
「やっぱり『様』は止めてくれ。ついでにもう少し敬語もマイルドにしてくれると嬉しい」
「解りました。・・エノハ君」
ナルは微笑み、大きくもう一度お辞儀をして席を外した。
その後ろ姿を見送ってエノハは
―やっぱりナルに同席お願いした方が良かったかな?
と、少し後悔したが・・
コンコン
扉をノックした。
『・・どうぞ』
中から響いたのは意外にもまた女性の「声」であった。
エノハは無言のまま扉を開く。
何らエノハの疑問に答える事の出来ない、答えられる立場では無いナルの前では必死で押さえていた聞きたい事、不満、憤りが心臓の高鳴りを高めていく。
あれほどの忠義を持った部下、そしてこれ程の邸宅を持つ大物。
その主の姿を今エノハは視界に納めた。
日当たりのいいテラスの前、執務の為の荘厳なデスクに腰掛ける一人のシルエットが逆光に照らされ、浮かび上がる。
そのシルエットだけで比率が整えられた抜群の肥沃で豊満な肢体を持つ長身の女性という事が判明する。
「・・!」
驚きに目を見開いたものの間もなく、ふっと微笑んで表情を和らげ、エノハは呟いた。
「まさか貴方とはね」
ここまで積み重なった様々な疑問、不満、不安、憤りを糧にエノハはやや攻撃的に視線を歪める。
「あら・・私の事をご存じとは光栄ですわ・・榎葉 山女君?」
その視線を受け流しつつ、右目の目元の艶めかしい位置についた泣き黒子の上、紅い髪の合間から覗く瞳を緩めて女は微笑む。艶やかな唇の赤いルージュが光った。
「『ノブレス・オブリージュ』」
「!」
そのエノハの言葉に女は驚きでほんの少し蒼い瞳を見開いた。
~富める物は人類の未来に奉仕しなければならない~
「俺の親父は表向き『暑苦しくてうっとおしいんだよな』とか言ってたけど・・嫌ってないのが幼い時分の俺でも解った。同じ志を持った人として。そんな貴方のお父上が亡くなったと聞いた時・・あの親父が目に見えて落ち込んでた」
「・・・」
女の顔が白衣を靡かせて少し移動し、はっきりと浮かび上がる。抜群の肢体に相応しい美しく整った顔立ち。長い脚を交差し、エノハを見つめる。
「して俺に何の御用ですか?・・レア・クラウディウス博士?」