【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第一部
第一章 出会い(一)


 ここでいいのだろうか…?

 

 辺りを見回し、その粗末な家を見上げて、(かおる)はしばらく逡巡していた。

 中からはけたたましい笑い声と、男の子の怒鳴る声、女の子の泣く声が入り混じって聞こえてくる。

 家族らしいその雰囲気を感じて、薫は急速に気分が沈んでいった。

 

 自分には縁のない世界だった。

 養父母は薫にとてもよくしてくれているし、そこに不満などあろうはずもない。

 とはいえ、元から上流階級で過ごしてきた父母達は、こうした雑多な、庶民的ともいうべき家族愛とはかけ離れていた。もっともそれを求めるのは贅沢だろう…。

 

「あの~」

 

 薫はそろそろと玄関先から声をかけたが、もちろん届くはずもない。

 

 ああ、どうしよう。

 玄関先に置いてなどいったら、気が付かずに踏まれてしまうかもしれない。

 

 夕餉の用意をしているのか、中からいい匂いが漂ってきた。

 

 ぐうぅぅぅ。

 

 お腹がなる。

 そういえばお昼を食べられなかったのだった。

 もう慣れたとはいえ、昼食の弁当を隠されて、挙げ句に中庭の肥溜(こえだ)めにぶちこまれるのは、なんともつらいことだ。

 

 森野辺(もりのべ)家の養女となって一年半ほど過ぎた頃、父母は娘に十分な教育を受けさせるために、華族の子女が通う女学校に薫を入学させた。

 しかし、それから一年近く薫がそこで毎日のようにいじめられていることは知らない。

 薫もまた、自分にいじめられるだけの理由があることをわかっているので、仕方ないと思っている。

 

 そんなことより、薫が今すべきことはこの家を訪ねることなのだが、ノックをしようにも昔ながらの長屋にはドアなんてご立派なものはない。

 腰高障子の板戸があるきり。

 その前で立ちほうけて、できれば中から誰かが気付いてくれないものかと待っているのだが、中の住人はそれぞれ忙しそうで、とても気付いてくれそうもない。

 

「何か用?」

 

 いきなり後ろから声をかけられ、薫はビクッとしながら振り返った。

 

 そこにいたのは、自分よりも二つか三つ年上らしき少年であった。

 大きな吊り上がった目で、(いぶか)しげに薫を見下ろしている。

 

 背に負った風呂敷包みの中に何が入っているのか、肩に紐がくいこんで、相当重そうだ。

 右手には鍬らしきものを持っているし、左手にはじゃが芋の入った籠を持っている。

 

 あれ? と薫は奇妙な感じを受けた。

 以前に会ったような気がしたからだ。

 しかし思い出す前に、少年が再び問うてきた。ますます不審そうな顔で。

 

「なに? ウチに用なのか?」

 

 苛々した様子に、薫は途端に焦った。

 

「あ、あの……あの、私、志津(しづ)さんに」

「お袋に?」

 

 少年は意外そうに言って、薫をまじまじと見つめた。

 

「あんた、森野辺の…?」

「あ、はい」

「ふぅん…」

 

 少年はあやしむ様子はなくなったものの、依然として納得のいってない顔で、ガラリと玄関の戸を開けた。

 

「お袋ォ! なんか、来てるよ」

「えぇ?」

 

 覚えのある声が聞こえて、ようやく薫はホッとした。

 

 中から現れた丸髷(まるまげ)の女が、薫の姿を見るなり声を張り上げた。

 

「まぁ! お嬢様!!」

 

 まだ隣にいた少年が驚いたように薫を見つめた。

 中にいた子供たちも一瞬、静まり返る。

 

「あ、志津さん。よかった。あの、これ忘れて行ったでしょう?」

 

 薫は緑の風呂敷包みを渡しながら、ようやく志津に会えたことに安堵していた。

 

「まぁ! そんな、まぁ! まぁ!」

 

 志津は大声を上げながら、風呂敷包みを受け取る。

 

「そんな、お嬢様がわざわざ届けて下すったんですか?」

「うん。みんなちょっと忙しそうだったから、頼むより私が行った方が早いかなと思って。じゃあ……」

と、帰ろうとした時に、なんとも具合の悪い腹の音が響く。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 固まった三人よりも、中にいた子供達の反応は早かった。

 

「でっけぇ、腹の虫だなぁ!」

 

 誰か、男の子が言うと、きゃらきゃらと小さな女の子が笑い出し、やがて子供達がみんなして大笑いした。

 

 薫は真っ赤になって「ごめんなさい」と言ったが、自分でもおかしくなってきて、クックッと肩を震わせて笑ってしまった。

 志津もまた、薫が笑ったのでホッとなって、一緒になって笑った。

 一人、笑わなかったのは最初に薫を見つけた少年だけで、どういう顔をしていいものか戸惑っているようだった。

 

「お嬢様、よろしければ召し上がって行かれますか?」

 

 志津は笑いをおさめると、薫にやさしく尋ねかけた。

 

「ううん。いいの。ごめんなさい、気を遣わせちゃって」

 

 薫が断ると、中の子供たちが「えぇーっ」と不満そうな声を上げた。

 

「食べてけばいいのに」

「一緒に食べよーよ」

 

 無邪気に言ってくる幼い子供達に、薫はニコと微笑んで「ありがとね」と小さく言った。

 そのまま立ち去ろうとする薫に、立ち尽くしていた少年が言った。

 

「握り飯の一つくらい食ってきゃいいんじゃねぇの。森野辺の家まで、まぁまぁあるだろ。歩いてるうちに倒れちゃ困るだろ」

 

 それは薫に言ったようにも、母親に言ったようにもとれた。

 志津はパンと手を合わせて合点する。

 

「ああ、そうね。ちょっと待ってくださいましな、お嬢様。朝のご飯が足りなくて、今ちょうど炊いたところなんですよ」

 

 慌ただしく言いながら、薫の渡した風呂敷包みを返してきた。

 

「あ、ちょ……し、志津さん」

 

 隣にいた少年が軽く溜息をつくと、ひょいとその風呂敷包みを持った。

 

「お袋…そそっかしいんだよ」

 

 つぶやいて、中に入っていく。

 薫がぽかんとしていると、振り返って「早く入れよ」とぶっきらぼうに言ってくる。

 

「あ、えと……お邪魔します」

 

 なんだか妙な成り行きだと思いつつも、薫が入ると、中では子供達が志津の握るおむすびを見て、

 

「いーなぁ。私も今日、おむすびがいい」

「俺も!」

「俺おかか!」

と、わいわい叫んでいる。

 

「おめぇらは茶碗で食べろ! 家で食うんだから握る必要ねぇだろうが」

 

 どうやら少年はこの兄弟達の年長者らしく、ビシリと言うと、子供達はがっくりした様子でちゃぶ台の方へと戻っていく。

 

 薫はなんだか申し訳ない気分になった。

 よし、と気合を入れる。

 

「志津さん、みんなのおむすび、作ろうよ」

 

 言いながら、流しで手を洗った。

 

「えぇ? そんな、お嬢様」

「いいから。早く」

 

 志津が戸惑っている間に、薫は袂から紐を取り出し手早く襷掛けをすると、しゃもじをとった。

 手塩をつけて、ご飯を握り込むと、ころころと転がしていくうちにあっという間に三角のおむすびが出来上がる。

 いつのまにか側にきていた女の子が「わぁ」と声をあげた。

 

「上手! 上手!」

「はい」

と、女の子の手に載せてやると、はぐっと頬張って、満足そうな笑みを浮かべた。

 

「あぁーずりぃぞー、寿美(すみ)ー」

 

 奥の座敷から上がり(かまち)にやって来て、男の子達がわぁわぁと叫んだ。

 

「すいません、お嬢様。やかましくて……」

「いいの、いいの。はい、できたよ。おかかおむすび」

 

 薫が男の子の一人に手渡す。

 横から弟らしき男の子が掠め取る。その後はお決まりのようにケンカが始まる。

 

「男どもってしょうがないわねぇ」

 

 さっき寿美と呼ばれた女の子が大人びた口調で言い、水屋から皿を取ってきた。

 

「ありがとう」

 

 薫は出来上がったおむすびを皿に置いた。

 志津も置いていくと、寿美は容赦なく母の作った不器量なおむすびと見比べる。

 

「お母さん、おむすび握るの下手」

「もう! わかっとるわね!!」

 

 志津は顔を赤くしたが、それでも一生懸命おむすびを作っていく。

 薫は寿美に言った。

 

「寿美ちゃんも握ってご覧なさい。手を洗ってきてね」

 

 寿美は「うん!」と頷いて、すぐさま薫の横で握り始めた。

 慣れてないせいで、ぽろぽろと米粒が落ちてしまう。

 

「寿美ちゃんは手がまだ小さいからね。ご飯の握る量をもうちょっと少なくしようね」

 

 やさしく薫に言われて、寿美は小さい手で小さいおむすびを作っていった。

 しばらくして出来上がると、寿美と男の子が皿を奥の畳敷きの間へと運んでいった。

 

 薫は満足して手を洗って帰ろうとすると、目の前にぬっとおむすびが一つ、差し出された。

 

「お前、自分の分、忘れてたろ」

「あ、そうでした……」

 

 ぐるぐる鳴るお腹を押さえ、薫はおむすびを受け取って食べた。

 どうやら形からすると志津の作ったものらしかったが、口の中でほろりといい具合に解けて、塩味と米の甘みが美味しかった。

 

「ありがとう。志津さん、じゃあ…ごちそうさまでした」

「まぁ、そんな。お嬢様に手伝わせた上に、大したものお出しできなくて」

「いいの。私がこんな時間に来たから、迷惑かけてしまってごめんなさいね。それじゃあ、失礼します」

 

 薫が帰ろうとすると、寿美が上がり(かまち)までおむすび片手に走ってきた。

 

「お姉ちゃん、また来てね!」

 

 薫がヒラヒラと手を振って、障子戸に手をかけると、少年が志津に声をかける。

 

「俺、送ってく」

 

 薫がびっくりして断るより早く、

 

「あぁ、そうね。そうだった。夕方だし、危ないものね。そうしてくれる? 実弥(さねみ)

 

 志津が言うと、そのまま薫は『実弥』という少年と家路につくことになった。

 

 

<つづく>

 

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