【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第三章 行違い(一)

 梅雨晴れの空は、もう夏だった。

 入道雲が高く伸び、(とんび)が横切っていく。

 

 篠宮(しのみや)東洋一(とよいち)は、空を仰ぎ溜息をついた。

 

 初老の年になると、季節の移り変わりは、いちいち身体に堪える。

 空から降り注ぐ光は、やや薄くなってきた頭頂部に容赦なく照りつけ、地面から立ち上る熱さにじわりと汗が滲んでくる。

 

 げんなりしながら歩いていると、女の甲高い、騒がしい声が聞こえてきた。

 橋へと続く坂道を上ると、川で娘が釣りをしているようだ。

 

 よく見れば、その娘は近在では名の知れた豪農、藤森家の三女・加寿江(かずえ)だった。

 

薫子(ゆきこ)ちゃん、ほら、そこよ! そこ! 網、網!」

 

 着物を裾を捲りあげて釣り竿を持った加寿江が急かすと、『薫子』と呼ばれた娘があわてて網を水の中へと入れる。

 しかし、糸の先でチョロチョロ動く魚を掬うことができず、まごまごしていた。

 

「そこ! 岩の方に寄せて! そう!」

 

 加寿江が発破をかける。

 ザバリと網が水の中から出てくる。

 中で魚が跳ねていた。

 

「やったー! 基三郎(きさぶろう)兄さま、こちらはもう三匹目よ!」

「うるせぇ! 魚が逃げるじゃろが」

「へーーんだっ!」

 

 やれやれ、と思いつつも東洋一は土手から河原へと降りていく。

 

 娘達の方へと歩いていくと、再び釣り糸を垂らしていた加寿江が大声で「あぁっ! 逃げたぁ!」と、悔しそうにパシャパシャと地団駄を踏んでいる。

 

「そんなに騒いだら、魚が逃げよるわ」

 

 東洋一がのんびりと声をかけると、くるりと加寿江が振り向いた。

 

「あら! 先生じゃないの!」

 

 気安く呼ぶと、ざぁぶざぁぶと大股で川を横切りながら河原へと上がってくる。

 

 年頃の娘だというのに、恥も(てら)いもない。

 裾除けも捲くって太腿が露わになっているのにもお構いなしだ。

 この辺りでは名士と呼ばれる家の、れっきとしたご令嬢だというのに、本人にはまったくその心がけはないようだった。

 

 加寿江と一緒に釣りをしていたらしいお嬢さんは……と見ると、こちらは同じように藍地の単衣を捲くってはいるが、さすがに長襦袢と裾除けを膝下まで垂らして端を結び濡れないようにしている。

 動きにくかろうが、加寿江のように帯にすべて端折るのは躊躇(ためら)われただけ、まだしも娘らしい恥じらいは持ち合わせているようだ。

 

「あ、紹介するわね。こちら、私の母の姉の子供で薫子ちゃん」

「従姉妹と一言で言えんのか、お前は」

「あ、そうか」

 

 加寿江はアハハと笑った。

 隣で薫子、と呼ばれた娘がペコリと頭を下げた。

 

「はじめまして、森野辺薫子と申します」

「おぉ、わざわざすいませんね。篠宮東洋一と申します」

「以後、お見知りおきを」

 

 加寿江がおどけて云うと、薫子―――薫は、クスリと笑った。

 

「コラ。お前さんみたいな野放図なご令嬢とは月とスッポンじゃないか」

「あら、そんなの当たり前よ。薫子ちゃんは子爵令嬢なんだから。私と比べるだけ無駄よ」

「ほぉ……子爵様の。そりゃ、違うわけだ」

 

 東洋一が感心したように云うと、薫は少し困ったような微笑を浮かべたので、おや? と思った。

 が、加寿江は気付かなかったようだ。

 

「そうよー。だって、薫子ちゃん、十二なんだけど……」

「十二!?」

 

 東洋一は思わず聞き返した。

 加寿江は確か十四歳である。つまり、二歳は年下ということだ。

 

「こりゃ、びっくりした。お前さんより年下じゃないか」

「そうよ。え? 見えない? だって、背だって私より低いし」

 

 加寿江は薫を見ながら、的外れなことを云う。

 

「体の大きさで年がわかるなら、お前さんのおっ母様も年下になりよるわ」

 

 父に似て、大柄でふくよかな加寿江の体型は、同じ年の村の男の子よりも勝っている。

 膂力も女にしてはあるので、もっと小さい頃には男の子と相撲をして投げ飛ばしていたほどである。

 

「年下にしては、えらく落ち着きなさっておられる。都会のご令嬢様は、そういうものなのか?」

「それは…よくわかりませんけど、私は女学校ではぜんぜんですよ。もっとみなさん、おしとやかでいらっしゃいます」

「薫子ちゃん以上におしとやかだったら、もぅそれはご飯食べられないね」

「どういう事だ、それは」

「ご飯を食べるのに口も開けられないんじゃない? ねぇ」

 

と、加寿江は同意を求めたが、薫は曖昧に首をかしげるだけだった。

 

 その後、加寿江は釣った魚を手桶ごと東洋一へ差し出した。

 

「中途半端な数だから、家だと足りないし。持っていきなよ、先生。弟子と一緒に食べるでしょ?」

「えぇのか?」

「いいよ。遊びだったし、どうせ家ではご馳走が用意されてるし」

「そりゃ結構なことだな。では頂くとしよう。不肖の弟子はよう食うんでな」

「あのお弟子さんさぁ、もうちょーっと、愛想ってのを覚えた方がいいと思うよ。いつ見ても人のこと睨みつけてくるし、先生の弟子だから腕白共も手は出さないけど、あいつらも血の気が多いからなー」

「若いのぉ」

 

 東洋一はしみじみと呟く。

 

「先生だって若い、若い! 今日だって里乃さんとこ行ってたんでしょー?」

 

 アハハハと大笑いしながら、加寿江は含みをもたせたように言う。

 東洋一はペシャリとその頭を叩いた。

 

「子供の詮索する事でないわ」

「なーにさ。そういう時だけ子供扱いなんだからさ。いいよーだ。さ、薫子ちゃん帰ろ」

 

 加寿江は薫の手を引いて歩き出す。

 薫はあわてて東洋一に頭を下げると、加寿江について行った。

 

 後ろから、いつの間にか釣りをやめていた、加寿江の兄の基三郎(きさぶろう)が東洋一に声をかけてきた。

 

「先生、今度のお弟子さんはどうです?」

「んん? まあ、そうだな…」

 

 東洋一はしばし考え、

 

「天才、やの」

 

と、はっきり言った。

 

 基三郎は目を見開いた。

 弟子への態度はやさしいが、評価に関しては妥協しない東洋一がここまで言うのは、基三郎は初めて聞いた。

 

「珍しいですね、そこまで褒められるのは」

「褒めとりゃせん。事実だからな。なにせ飲み込みの早さが今までの奴らとは段違いだ。儂だってあそこまでスルスルとはいかんかった……ま、それでもまだ荒い。矯めるところはあるな」

「それでも凄いじゃないですか。将来有望でしょう?」

 

 東洋一は無精髭をポリポリ掻くと、話題を変えた。

 

「それより、お前さんとこのあのお嬢様はなんじゃ?」

「薫子ちゃんですか? いやぁ、俺もよく分からないんですけど、父さんと母さんが話してるのを聞いた限りじゃ、どうもお見合いが嫌で卒倒したらしいです」

「見合い? あんな若さでか?」

「そうですねぇ。でも、ま、すぐに結婚て訳じゃなくて、顔合わせ程度だったらしいんですけど。まあ、伯父さんところは薫子ちゃん一人だし、それに薫子ちゃんは………あ」

 

 言いかけて、基三郎は不器用に口を噤んだ。

 それ以上は他人に話す内容でないと気付いたらしい。

 

 東洋一も特に無理して知りたい事でもなかったので、それ以上は聞かず、基三郎からもアマゴを三匹もらって帰路についた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 薫は老人に頭を下げ挨拶すると、加寿江にあわててついて行く。

 

「あ、あの、加寿江さん」

「なぁに?」

 

 大柄な加寿江が大股で歩くと、さほど背が小さいわけではない薫でも小走りになってしまう。

 

「あの、さっきのご老人は…学校の先生なのですか?」

「え?」

 

 加寿江は一瞬、足を止めて聞き返す。

 

「あの、さっき先生と仰言っていたので」

「あぁ、そっか。そういやそうだった。いや、まぁ……先生だけど、学校の先生とかじゃないよ。んーと…どういえばいいのかな、えーと……剣術? の、先生? みたいな」

「剣術?」

 

 薫が聞き返すと、加寿江はうーんとしばらく唸っていた。

 

 加寿江が考え込んでいる間、薫はさっき会った老人のことを思い出していた。

 

 確かにほとんど白髪に近い頭といい、深く刻まれた皺といい、老人には違いない。

 しかし上半身と右足はがっしりとしていて、頑健そのものにみえる。

 唯一、薫の息をハッと止めさせたのは、老人の左足が木の棒でできた義足だったからだ。

 

 戦で失ったのであろうか。

 だが、東洋一老人のあっけらかんとした様子からは、足を失ったことでの悔しさ、屈辱はみえない。

 飄々と、泰然と、自らの欠落をも受け容れているように感じる。

 

 あの義足で剣術を教えているとすれば、きっと東洋一はよほどの剣客なのだろう。

 

「薫子ちゃん、鬼ってわかる?」

 

 黙念と考えていた加寿江が、唐突に尋ねてきた。

 いつになく真面目な顔だった。だが、質問の意味が薫にはよく理解できなかった。

 

「鬼………って、大江山の酒呑童子とかですか?」

「うーん、そうねぇ。そういうのではなく、私たちの身近にいる、どこにでもいる鬼」

 

 薫はますます困惑した。

 自分達の身近にいる鬼? 加寿江は何かの比喩を言っているのだろうか?

 

「まぁ、わかんないか。とりあえずね、鬼ってのがいて、先生はそれを退治する人だったの。で、今はその退治する人達を育てる人になったんだよね。ウチは先祖代々、この鬼退治の人達を助ける仕事をしているの。だから、もしかすると薫子ちゃんがいる間も、そういう人達が来るかもしれない。まぁ、薫子ちゃんは別の棟にいるから、気にしなくていいけどね」

 

 早口に説明され、薫はぽかんとなった。

 加寿江は「気にしないで」とまた繰り返すと、再び歩き始めた。

 

 よくはわからなかったが、おそらくは加寿江はあの老人に対して畏敬の念があるのだろうということはうっすらとわかった。

 

 それはまた、加寿江の家族も同様だった。

 

 夕食時に加寿江が東洋一のことを話した時に、一緒に釣りに行っていた基三郎もまた『先生』と呼び、新たに入ったという弟子の話をしていた。

 

「……天才だ、と仰言ったんですよ」

「ほぅ。それは珍しい。先生がそこまで仰言られるなぞ……儂は聞いたことがない」

「そうですよね。僕もびっくりしました。でも、まだ矯めるところはある、とも言われてました。いずれにしろ、このまま最終選抜を突破して鬼殺隊に入隊すれば、行く末は頼もしい限りです」

「頑張ってほしいな。確か、この前にお弟子さんだった人がやられたと……」

 

 当主の寅蔵の話をそれまで大人しく聞いていた夫人の篤子は「お前様…」と低く諌めた。

 

「女子供の前で血なまぐさい話はよしてくださいませ。まして今は食事中でございます」

「おぉ、すまんすまん。薫子ちゃん、聞こえていたか?」

 

 薫は微笑んで、軽く頭を振った。

 聞こえてはいたが、意味がよくわからなかった。

 

 それからは男性陣は寅蔵の仕事の話に夢中になり、女性陣は今度隣の町で素人歌舞伎があるらしいという話題で花が咲き、東洋一とその弟子の話はそのまま忘れ去られた。

 

 

 

<つづく>

 

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