【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第六章 昔日 -青嵐篇- (四)

 

 ―――――速ぇ……

 

 東洋一(とよいち)は強く奥歯を噛み締めた。

 

 目の前には、未知なる化け物がいる。

 その鬼は、仁王のような筋骨隆々の体躯に、その体と同じくらいの尺の大刀を持っていた。

 分厚いその刀身は、人間であれば片手で持てる重さではない。だが、その鬼は団扇(うちわ)を扇ぐよりも軽そうに振り回す。しかも―――――

 

 岩の呼吸 壱ノ型 蛇紋岩(じゃもんがん)極刃(きょくじん)

 

 振り回された大刀が蛇のようにうねりながら向かってくる。

 避けながら、東洋一もまた技を繰り出した。

 

 風の呼吸 弐ノ型 爪々・科戸風

 

 技が相殺され、砂煙が視界を塞ぐ。

 その隙に東洋一は間合いをとった。

 離れた場所で倒れている浩太と飛鳥馬(あすま)の様子をチラとだけ見る。どうやら二人とも応急処置は終えたようだ。

 

 ユラリと白い煙の中で影が揺れた。

 

「チッ! 鬼が呼吸なんぞ遣いやがって」

 

 東洋一は舌打ちすると、刀を握り直す。……

 

 

◆◆◆

 

 

 半刻ほど前のことだ。

 

 任務を終えて帰路についていた東洋一の頭上を鴉が横切り、羽を落としていった。

 

「正九郎…何かあったみたいだぞ」

 

 東洋一が言うと、正九郎はすぐさま飛び立ち、その鴉の元へと向かった。

 すぐに連れ立って戻ってくる。

 

「救援、救援。コノ先ノ採石場ニテ、戦闘中」

 

 叫ぶ鴉の声に聞き覚えがあった。

 まさか…と思いつつ行ってみると、果たして香取飛鳥馬が、口から血を垂らしている。鬼の攻撃を腹に受け、内部を損傷したらしい。

 

「東洋一……」

「飛鳥馬? お前…なんで……お前がやられるって……」

 

 柱にと要望されるだけあって、飛鳥馬に傷を負わせるほどの鬼はそういない。上弦でも出たというのか……?

 

「早く…行って……くれ。鏑木(かぶらぎ)が…」

「わかった」

 

 だが数歩も歩かぬうちに、重い地鳴りのような音が響き、足元が揺れると同時に、浩太の痛々しい悲鳴が響き渡る。

 

 東洋一はその声に意識を集中して居場所を特定すると、第二撃目で頭を砕こうとしていた鬼の刀をかいくぐって、浩太を助け出した。

 右腕の肘から下がなくなっている。

 浩太を抱いたまま、鬼の攻撃を躱すと、飛鳥馬の隣に浩太を置いて対峙する。

 

「……待っててもらえるとは、なかなか義理堅い鬼だな」

 

 さっきの攻撃も、まったく本気ではなかった。

 新たに現れた敵を試した、という程度のものだ。

 

 東洋一が刀を構えると、その鬼は紅く光る目を細めた。

 目に、文字がある。―――――下弦、壱。

 

「…………その鍔、風波見の手の者か」

「なんでテメェがそんなこと知ってる?」

 

 風波見門下の隊士の刀は、皆この八枚の風切羽の意匠の鍔。だが、そんなことは鬼殺隊にいなければ知るはずもない。

 鬼は暗い表情を変えることもなく、重そうな刀を上段に構える。

 

「その理由を知ったところで、最早意味はない」

 

 言うなり、ブゥンと低い音が空気を裂き、一気に東洋一のいた場所の土を抉った。すんでで避けたが、少しでも遅れれば頭をかち割られていたろう。

 

 東洋一は刀の握り手を変えた。

 一瞬の気の緩みで粉砕される。

 下弦でありながら、この鬼はこれまで東洋一の会った鬼の中でおそらく最強だと思った。しかも、呼吸遣い。おそらくは―――――

 

「テメェ……裏切者か?」

 

 東洋一は尋ねたが、その灰色の顔をした鬼は、眉間の深い皺をピクリと動かしただけだった。

 

 岩の呼吸 壱ノ型 蛇紋岩・極刃

 

 答えだと言わんばかりに、岩の呼吸を放つ。

 その鋭さ、技の重さ。

 生半(なまなか)の剣士ではない。

 

 風の呼吸 弐ノ型 爪々・科戸風

 

 普通の鬼であれば、切り裂く突風に千々に体を斬り刻まれ、瞬殺される技だが、その鬼の放つ呼吸の技と相殺され、皮膚にも届なかった。

 

 砂煙が辺りに立ちこめる。

 間合いをとって、鬼の気配を感じながらも、東洋一は素早く地形を確かめた。

 人気ない採石場。鬼の背後には、採石される白い岩山が聳えていた。

 

 煙の中でゆらりと影が動く。

 鬼が再び技を放った。

 その技の起点と終点を見極めた上で、東洋一は正確に避ける。だがすぐに次の攻撃。

 連続で畳みかけてくる。

 

 ―――――速ェ…

 

 異常に速い。これは普通は避けられない。

 

 おそらく飛鳥馬も、浩太も、技でどうにか相殺して躱していたのだろう。だが、あの重さの攻撃を連続で凌ぐのは難しい。重傷を負うはずだ…。

 

 鬼の凄まじい速度の攻撃を、東洋一は全身の神経を研ぎ澄まして避ける。

 目を見開き、対象である鬼の一挙手一投足を視界の網に焼き付ける。ほとんど無意識であったが、鬼の動きが少しだけゆっくりと見えるようになる。

 

 それでも鬼の振るう大刀の斬撃は、余波ですらも細かな裂傷を追わせた。

 ポタポタと裂かれた額から、血が滴る。

 

 東洋一は刀を持つ手に力をこめた。

 

 岩の呼吸はほぼ一撃必殺の技だ。

 喰らえば即死。避けて隙を探るしかないが、目の前の鬼はまったくその間隙を見せない。

 彫像のように固まった表情のまま、ひたすら攻撃を繰り返す。

 

 このままでは、埒が明かない。体力を削られて、力を出せないままに殺られる。

 東洋一は長く息を吸い込んだ。

 

 風の呼吸 壱ノ型 塵旋風・削ぎ

 

 地面を抉る攻撃。採石場においては、砂煙となり、東洋一の姿が砂の中に消える。

 

 だが、鬼は動じない。

 遮るようにその場で仁王立ちしていると、砂煙の中から現れた東洋一に、横から大刀を振る。

 クルリと回転した東洋一はその大刀の上に一瞬だけ乗り、タンと蹴った。

 

 風の呼吸 漆ノ型 勁風・天狗風

 

 鬼の頭越しに技を放つ。

 唸る風音と共に、鋭い斬撃が鬼を襲う。

 左腕が落ち、額から首筋にかけて斬られ、鬼の血飛沫が勢いよく噴き出す。

 

 血溜まりの中で、鬼はクルリと後ろに立つ東洋一に向き直った。

 その時には、もう腕は再生し、額の斬られた部分は痕もない。

 

「曲芸師のような真似をする……」

 

 その声は感情が希薄で、怒っているのか楽しんでいるのかわからない。

 ずい、と一歩進み、鬼は紅の目で東洋一を凝視する。

 

「風波見の者。そなた、柱か?」

「生憎と、柱じゃねぇよ。俺がやられりゃ、来るかもな」

 

 山肌を削られた岩山を背にした東洋一は、刀を構えたまますぐさま息を整えた。

 来る。…来させる。

 

「そなたほどの者が柱でないとは……」

「お褒め頂き光栄だな、下弦の。柱に会いたけりゃ、俺を殺して、上弦にでもなったらどうだ?」

 

 カチリ、と鬼が歯を鳴らす。

 カチリ、カチリ。

 無表情に不気味な音を立てながら、鬼は大刀を振り上げる。

 

 ―――――来る!

 

 構えて、すぐさま技を発動する。

 同時に、鬼も恐ろしい速さで攻撃してくる。

 

 風の呼吸 参ノ型 晴嵐風樹

 

 岩の呼吸 肆ノ型 流紋岩・速征

 

 ドオオォォオンンンッ!!!!!!!

 

 凄まじい音が響き、そそり立つ岩山にピシと罅が入る。

 その時には、東洋一は高く跳躍して再び鬼の背後へと立っていた。

 すぐさま、技を繰り出す。

 

 風の呼吸 弐ノ型 爪々・科戸風ー(れん)

 

 上・下・左・右と最後にもう一度上から。

 五連続した技の速さは尋常でない。

 鬼は防御専一になり、その風圧に背後へと追いやられる。

 

 スィィィィィ―――――東洋一はより深く息を吸い込んだ。

 

 風の呼吸 肆の型 昇上砂塵嵐

 

 それは鬼に放ったものではない。

 罅割れた岩を斬撃が切り裂くと、轟音とともに岩が砕け雪崩となって鬼の上に落ちてくる。

 

 鬼は初めて表情を変えた。

 ギリギリと歯噛みし、咆哮と共に技を放つ。

 

 岩の呼吸 漆ノ型 斑糲岩(はんれいがん)廻旋(かいせん)

 

 大刀を凄まじい勢いで振り回す。

 落ちる岩が弾き飛ばされ、東洋一に向かってくる。同時に回転する刃が襲いかかる。

 

 鬼の攻撃と、大きな岩を躱すのが精一杯だった。

 馬の頭ほどの岩が東洋一の背を打ちつけ、一瞬、息が止まる。

 だが気にする間もない。

 

 鬼は地面を抉って踏み込み、大刀を薙ぎ払う。

 ギリギリだった。

 小指の爪先ほどの距離で、東洋一の目の前を大刀の鋒が弧を描く。

 東洋一は冷静にその軌跡を見ながら、呼吸を深めると同時に跳躍する。

 

 風の呼吸 捌ノ型 初烈風斬り

 

 ガキイィッ!!!

 確実に鬼の首を捉えた。

 だが、その堅い鬼の首を掻き斬るには、既に限界を超えていたのだろう。あと少しというところで、刀が砕け散った。

 

「くっ…そがッ!」

 すぐに東洋一は刀を放り出した。

 

 隙を捉えた鬼はすぐさま反撃に転ずる。

 大刀が地面を擦り上げながら、下からせり上がってくる。

 

 東洋一は体をひねりながら、鬼の大刀の動きに合わせて、その刃先に一点、軸を当てて、向かってくる力を外へといなす。すぐさま落ちてくる岩を避けて後方へと跳躍し、大きく間合いをとった。

 この一連の東洋一の動作を正確に見れた者はなかったろう。

 全ては瞬時の反射行動でしかない。

 

 たたらを踏んで、鬼は苛立たしげに、落ちてくる大岩を拳で破壊すると、振り返って東洋一を見た。

 

「…………鉄扇(てっせん)か」

 

 東洋一の手には懐から取り出した鉄扇が握られていたが、今の攻撃を躱すために使用した後は、骨がグニャリと曲がって、もはや使い物にならない。

 

「……久々に…手応えのある相手だったぞ、風波見の者」

 

 鬼が大刀を構える。

 その顔は少しだけ笑っているようだった。

 東洋一は背筋に冷え冷えとした恐怖を感じながら、鬼を静かに見つめていた。

 

 息を吐く……。長く……。

 さっきチラリと見えたのが、浩太の刀であるならまだ勝機はある。

 一の太刀を躱す。必死の覚悟で。それから刀をとれば…まだいける。

 

 カチリ、と気が合う。

 

 同時に振り下ろされた鬼の刀は、背後からの殺気に瞬時に気付いた。

 

 霞の呼吸 参ノ型 霞散の飛沫

 

 飛鳥馬の放った呼吸技が、鬼に襲いかかろうとするやいなや、すぐさま呼吸を変化させた鬼が対応する。

 

 岩の呼吸 参ノ型 岩躯の膚

 

 戦線に復帰した飛鳥馬と鬼が対峙している間に、東洋一は素早く辺りを見回した。少し離れた砂山の上に、浩太の斬られた腕が落ちていた。

 

「……借りるぞ」

 

 血色をなくしたその手から刀を取り、東洋一はすぐさま息を整える。

 

 今になって、落ちてきた岩に打たれた背中が痛む。肋骨に罅が入ってるかもしれない。

 

 チラリと空を見上げると、月が西へと傾いていた。

 夜明けは近い……。

 

 再び呼吸を深くすると、鬼へと向かっていく。

 飛鳥馬は霞の呼吸を使って、鬼の猛攻から辛うじて耐えているが、剣先が震えていた。

 呼吸法で体内止血しているとはいえ、長くは保たないだろう。

 

 今しも、鬼の振る大刀の速さについていけず、残像に錯乱して違う方向へと刀を振り下ろそうとしている。

 

「飛鳥馬、左だッ!」

 

 東洋一が大声で叫ぶなり、飛鳥馬は即座に左からの攻撃に対して呼吸の技で凌ぐ。

 鬼がチラリとこちらを見た。眉間の皺に苛立ちがみえる。

 

 東洋一はニヤリと笑った。

 走りながら飛鳥馬の放つ霞の呼吸に合わせて、呼吸技を放つ。

 

 霞の呼吸 陸ノ型 月の霞消

 

 風の呼吸 漆ノ型 勁風・天狗風

 

 鬼は身動きがとれなかった。

 

 飛鳥馬は鬼の攻撃をいなしながら、その勢いを利用して跳躍するや、霞の呼吸独特の緩やかにも見える剣捌きで鬼の首を狙う。

 それだけならば、鬼は十分に撥ね返すことはできたろう。

 だが、その剣撃は東洋一の放つ技との相乗によって勢いを増し、凄まじい重量感を持って、噛み裂くように鬼に襲いかかった。

 

 ―――――ウガアアァァア!!!!!

 

 低い咆哮がビリビリと辺りを震わせる。

 瞬時にして鬼が防御態勢をとり、首周りに無数の牙が一気に生えた。

 

 その間隙を縫って、飛鳥馬の剣がうなり鬼の両腕が落ちた。

 

 すぐさま反撃に打って出ようと、東洋一は着地するや振り返りざま、鬼の首を狙ったが、同時に頭の上に閃く殺気を感じる。

 間一髪で避けながら、刀の柄で飛鳥馬の腹を突く。

 よろけた飛鳥馬の右肩に閃光が走った。

 

「うあッ!!」

 

 右肩から斜めに斬られつつ、振り下ろされた剣撃の勢いで、飛鳥馬は後ろに吹っ飛んだ。

 

「…ぐッ…っ!!」

 

 東洋一も左から袈裟懸けに斬られる。

 ギリギリ避けたが、それでも(きっさき)が東洋一の肌を切り裂き、血飛沫が辺りに散った。

 

 鬼の肩から腕は斬り落とされていた。

 だが、すでに斬り落とされた肩は肉が蠢き、手と一体化したかのような、血肉の絡みついた禍々しい大刀が、両手から生えていた。

 おそらくはその刀で東洋一も飛鳥馬もやられたのだ。

 

 東洋一は間合いをとった。

 視界の隅に月がある。さっきよりも山に近い。

 

 鬼は両手の刀を交叉させて、静止している。

 ゴオオォォとまるで地鳴りのような呼吸音が不気味に響く。

 

 東洋一はひたすら鬼を見つめていた。

 

 呼吸が知らず知らずのうちに、深く…長くなる。

 ザワザワと耳鳴りがしていた。

 やがて耳鳴りが消えると、一気に辺りの音も消える。

 毛穴が全て開いて、鬼の一挙一動を吸い付くように敏感に感じ取ろうとしている。

 

 鬼の呼吸が変化し、技を放つ数秒前に、東洋一は刀を振るった。

 

 風の呼吸 参ノ型 晴嵐風樹

 

 荒れ狂う嵐のような風が鬼に襲いかかる。

 しかし鬼は二本の刀を交叉させながら左右に乙の字を描くように振り回して、これを一蹴した。

 

 岩の呼吸 陸ノ型 双曲(そうきょく)囂々破(ごうごうは)

 

 その神速なる技は、先程までと比べ物にならない。

 東洋一は自分に迫りくる刃を、地面を滑って躱しながら、下から攻撃を行う。

 

 風の呼吸 陸ノ型 黒風烟嵐

 

 下から擦り上げるように刀が鬼に襲いかかる。

 両足が斬られて、倒れかけた鬼は両手の刀を振り下ろして地面を(えぐ)りながら、その勢いをかって跳躍した。

 

 岩山の上に立った時には、足は既に生えている。

 

 しかし、西に落ちる月を見た後に、東の方角を見て、その山の端に陽炎(かぎろい)が立ち昇ろうとするのを感じたのだろう。

 

「………よき時間であった」

 

 低くつぶやくなり、鬼は岩山の上で二つの大刀を振り下ろす。

 再び岩が崩れ落ちてくる。

 

 飛鳥馬と東洋一が岩を避け、崩落が止まるのを待っている間に、鬼は姿を消していた。

 東洋一は脱力して座り込むと、ポケットから柿渋で染めた晒を飛鳥馬に投げた。

 

「お前は?」

 

 飛鳥馬は受け取ったものの、自分が使うことに逡巡していたが、東洋一はヒラヒラと手を振った。

 

「深手はもらってねぇから…お前、浩太に使っちまったんだろ。やっとけ。っとに…腹の傷もあるってのに、無茶しやがって……」

 

 言ってから、東洋一はしばらく黙り込んだ。

 呼吸を集中させて、袈裟懸けに斬られた傷口を絞り上げる。

 飛鳥馬は黙って晒を自分の右肩から腹へと、きつく巻きつけていった。

 

 応急処置を終えると、東洋一は浩太の元まで歩いていった。

 既に飛鳥馬によって、右肩には晒が固く幾重にも巻かれてある。

 

「どうだ? 大丈夫か?」

 

 東洋一が声をかけると、浩太は血の気を失った顔色ながらも、頷いて笑う。

 

「……なんとか。香取さんが、自分の分の血止めの薬をくれたので……」

「もうすぐ隠もくるだろう。持ちこたえろ」

「はい」

「刀…借りたぞ。ちょいとばか、刃こぼれしちまってるな」

「……俺の刀が役に立ったなら…嬉しいですよ」

 

 浩太は左手で刀を受け取ると、その激闘の後の刀身を眺めながら、ゆるゆると目を閉じた。

 東洋一は心臓の音を確かめてから、ホッと息をつく。

 

「俺が鬼からの打撃で倒れた後、なんとか一人で持ちこたえた……大したものさ」

 飛鳥馬がいつの間にか横に立って、浩太を称えながらも、失った右腕を見て痛ましげに眉をひそめた。

「しかし…復帰に時間はかかりそうだな」

「死ななかっただけめっけもんだろ、あんな鬼相手で……」

 

 東洋一は言いながら、鬼の去った岩山を見上げた。

 既に朝焼けの光が赤く岩を染めている。今頃、岩窟にでも潜んでいるのだろうか。

 

「………ほんとにあの鬼、下弦かァ? 他のとは比べ物にならねぇぞ。弐だって、さほどに苦戦した覚えねぇんだが……」

 

 ハアァーッと長い吐息と共に、呆れたように東洋一が言うと、飛鳥馬は目を見開く。

 ジッと東洋一を睨むように見つめた。

 

「……なんだ?」

「やっぱり……そうなのか?」

「は? なにが?」

「十二鬼月を…討伐したことが、あるんだな?」

 

 言質を取った飛鳥馬がにじり寄ると、東洋一は自分の迂闊さに気付いてサッと顔を強張らせつつ、後ろへと退がる。

 

「東洋一!」

 飛鳥馬は追求しようとしたが、ちょうど東洋一にとっては運のいいことに、隠達の姿が見えた。

 

「お、隠が来たな。おーい…」

 手を振る東洋一に、飛鳥馬は声を荒げた。

 

「東洋一! お前が十二鬼月をやったことはないというから……」

「ないない、全くない」

「東洋一!」

 

 隠はやって来るなり、二人が喧嘩している様子に目を丸くした。

 

「……どうかしました?」

「どうもしねぇよ。あっちに重体のがいるから、あっち優先な。次、コイツ」

「俺はどうでもいい! 東洋一ッ」

 

 飛鳥馬は踏み出すと、東洋一の胸ぐらを掴んだ。

 

「ちゃんと言えッ!」

 

 東洋一は睨みあげてくる飛鳥馬を見て、困ったように笑うと、胸ぐらを掴む飛鳥馬の手を掴み上げて、フッと真面目な顔になった。

 

「飛鳥馬……」

「………なんだ?」

「……ひとつ、言っておくことがある」

 

 いつになく真剣な眼差しで、静かに語りかける東洋一に、飛鳥馬は緊張して聞き返す。

 

「………なんだ?」

「俺は、紛うことなき女好きだ」

「………………………は?」

 

 飛鳥馬はまったく意味がわからず、随分と間をとった後に、それしか返事しようがなかった。

 東洋一は飛鳥馬をトンと隠に押し付けると、ニカッと笑う。

 

「だから、お前の気持ちには応えてやれない! じゃ、そういうことでッ」

 言うなり、脱兎の如く駆け出す。

 

「あッ! ちょっと……篠宮さんっ! あんた大丈夫なのッ?」

 隠があわてて声をかけたが、既にその背中は遠い。

 

「………あの人、時々化け物じみてるね」

 

 半分あきれ口調で言ってから、隠が振り返ると、飛鳥馬がワナワナ震えて真っ赤になっている。

 

「あ、あの……香取さん。担架、ご用意した方がいいですかね?」

 恐る恐る尋ねると、案の定、怒鳴りつけられる。

 

「いらん!」

「はぁ…」

「あンの…クッソ馬鹿が……お前の女好きなんぞ、言われなくても百も承知なんだよッ」

 

 飛鳥馬はブツブツと文句を言いながら、昇り始めた朝日に向かって歩き出す。

 隠はその後についていきながら、異常な二人の回復力に半ば脱帽しつつも、呆れた溜息をついた。

 

 

 

<つづく>

 

 

 






次回2021.07.10.土曜日に更新予定です。
同時に五百旗頭勝母の補完スピンオフ小説もアップしますので、よろしければご覧下さい。


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