【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第七章 昔日 -疾風篇- (三)

 千代に子供ができたと聞いたのは、正月を過ぎた頃だった。

 

 周太郎は心底、ホッとした表情で嬉しそうに話してくれた。

 

「ようやく、な。これで千代も少しは肩の荷が下りたろう。賢太郎もな。あんまりできないものだから、石女(うまずめ)だの何だの言い出して…一時は、離縁させて、どこぞに奉公にでもやるだのと……自分で引き取っておいて、賢太郎の嫁にするのも決めておいて、勝手が過ぎる」

 

 名前を出さずとも、それを言ったのが誰なのかはすぐにわかった。

 

御内儀様(ごないぎさま)は喜んでおられるでしょう?」

 東洋一(とよいち)が特に隠すこともなく素直に返すと、周太郎は肩をすくめた。

 

「あぁ、それだ。今までにないくらい、千代を可愛がってな。下にも置かない世話の焼きようよ。今まででも、その半分も優しく接しておればなぁ……」

 

 喜んではいても、最後にツネへのボヤキが入ってしまうのは、長年の関係性のせいなのだろうか。

 もっとも最近では型の研究の事と、体が思わしくないこともあって、家で過ごすことが多くなり、ツネとのかかわり方も多少は変化してきたのかもしれない。

 

「賢太郎もいよいよ甲になるでしょうし……幸先良いですね。今年は」

 

 東洋一が明るい口調で言うと、周太郎は途端に渋面になった。

 

「どうしました?」

「賢太郎は…甲になっても、柱にならんと言うている」

「……は?」

「お前がいるのに、自分が柱になるわけにはいかんとな……あいつの気持ちを考えると、そう言いたくなるのもわかる」

「いやいやいやいや! とうの昔にその話はついたと思ってるんですが。今更何を言い出しておられるんです?」

 

 確かに以前は勝母始め、東洋一を推挙する声は柱から上がっていたのは確かだが、今は勝母が諦めて賢太郎を推すようになってきたので、その話は鎮火したものと思っている。

 

「お前らは…どうしてそうも嫌がるんだ? 普通、なりたがるんだぞ。なろうと思ってなれるものでもないんだ」

「俺は最初からなるつもりがないんです。賢太郎はなることが決まってたでしょうが」

「別に決めた覚えはないんだが…。あいつに才能があれば、そうなるというだけだ」

「そうなるでしょう。遠からず」

 

 周太郎はため息をついた。

 いつになく苦い顔つきになり、煙草盆に手を伸ばす。

 

「……いいんですか?」

 

 東洋一はスイと煙草盆を後ろへ引いた。

 最近は医者や勝母から煙草を控えるように言われている…と、前に本人が言っていたからだ。

 

「大目に見ろ。一服だけだ」

 

 少しおどけたように言う。懇願だか、命令だかわからない。

 やれやれと、内心で東洋一は肩をすくめた。

 

「一服だけですよ。俺が花柱にどやしつけられるんですからね」

 

 煙草盆を周太郎の方へと差し出すと、ニコニコと周太郎は笑って煙管(キセル)を取った。刻み葉を火皿に詰めて火をともすと、フゥとうまそうに味わって煙を吐く。

 だが、笑みはすぐにまた苦味を帯びたものとなった。

 

「どうも…私は育手としては三流以下のようだ……」

「はい?」

 

 急に気弱なことを言い出す周太郎に、東洋一は耳を疑った。

 一体、どうしたのだろう?

 返事ができずにいると、周太郎はどこか寂しげに、天井へと揺らめいて消えていく煙を見つめていた。

 

「賢太郎も……浩太も、私が信用できないらしい」

 

 ぽつりとつぶやくように言った周太郎を、東洋一はまじまじと見つめた。

 

 病…というのは、こうやって人を弱らせていくのだろうか。

 闊達で、明朗で、たいがいのことは笑って済ませればいい…と豪語していた周太郎が嘘のようだ。

 

 一瞬、眉を寄せてから、東洋一はあえて面倒そうに言った。

 

「師匠、今更、賢太郎が自分の子供じゃないから云々とか言い出さないで下さいよ」

「は?」

「賢太郎の父親の話です。知ってるんですよ、賢太郎。ずっと前から」

 

 周太郎は黙り込むと、煙草を咽んでゆっくりと煙を吐き出した。

 たなびく紫煙を視線で追いながら、自嘲気味に笑った。

 

「そうか。知ってるのか……道理でな」

 

 しばらく考え込んでから、ふと東洋一を見つめる。

 

「お前には色々と話しているんだな」

「まぁ…他に言う相手もなかなかいないでしょうからね。ただ、まぁ大したことじゃないですよ。賢太郎にとっては父親は師匠だけです。昔からずっとそうなんですから」

「……そうか? 私なんぞ、兄に比べれば箸にも棒にもかからないぞ」

「師匠の兄上はご立派な人だったのかもしれませんが、実際に面倒見てきたのは師匠でしょう?」

「面倒といっても……ただ、生きていけるようにしただけだ。それぐらいしかできん」

「………」

 

 ふと、東洋一は遥か昔、父親が言っていたことを思い出した。

 

 ―――――お前が一人前に生きていけるようになったら……それでいいんだ

 

 親というのは、どうしてこうも当たり前に自己を犠牲にできるのだろう。

 子供一人を育てるために、自分の時間をかけ、心をかけて、そしてその事に気付くこともない。

 もっとも、自分のことしか考えない親もいるにはいたが。

 

 無言になった東洋一に気付かず、周太郎は話し続けていた。

 

「正直、親らしいことは何一つできなかった…。今更だろうが」

 

 東洋一はフと笑った。親の心子知らず、子の心親知らず…、というやつだ。

 

「本当に今更ですね」

 ずっぱりと言うと、周太郎はきょとんとして東洋一を見る。

 

「そりゃあ…いくら柱とはいえ、ほとんど家に寄りつきもせずに、仕事が終わるや女のとこに直行して、悋気な母親の癇癪につき合わされて大きくなったんですから……多少、他人行儀になるのは仕方ないですよ」

 

 あまりにあけすけに言われて、周太郎は苦笑した。

 

「厳しいな…東洋一」

「厳しいついでに言わせてもらうと、師匠も賢太郎も、喧嘩しなさすぎです。俺なんぞ、親父としょっ中、言い合ってましたよ。俺の口が達者になったのも、そのせいです」

「なるほど……」

 

 周太郎は腕を組んで考え込んだ。

 

「賢太郎も私も…互いに遠慮しすぎていたのかもしれんな」

「そうそう」

 

 ぞんざいに言って、東洋一はニコリと笑う。

 周太郎もつられて笑った。

 師匠相手だというのに、本当に遠慮がない。それでいて憎めない。

 この愛すべき天性は生まれ持ったものではないだろう。

 

 周太郎の脳裏に、東洋一に最初に出会った時の叫び声が響く。

 

 ―――――なんでもっと早く来なかった? そうすりゃ、親父は助かったんだ!

 

 どう考えても無体なことを言っている少年を周太郎が怒る気になれなかったのは、涙を流して非難する東洋一があまりに純粋だったからだ。

 父親の死を目の当たりして、傷つき、悔やみ、やり場のない怒りを吐き出して、心の底からの哀しみを隠そうともしない。

 この少年はきっと、この父親に愛されて育ったのだとわかった。

 

 愛された人間は強い。どんなに踏みにじられようとも、決して負けない克己心がある。

 この男を育ててみたいと……そう思って育成したのは、東洋一だけだ。

 

「とにかく…師匠の跡は賢太郎が継ぎます。俺じゃない」

「頑固だな、お前は…」

 

 周太郎は最後の一服を吸い煙を吐き出すと、灰落しに吸い殻を捨てた。

 

「ならば、賢太郎に覚悟させるか……」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 風波見家を訪問してから二週間ほど過ぎた頃、飛鳥馬(あすま)が遠征に行っている間に、東洋一は久しぶりにその居宅を訪ねた。

 無論、浩太に会いに来たのだが、土間の続きの部屋で縫い物をしていた手伝いの婆さんは、困った顔で首を振った。

 

「今、出て行かれましたよ」

「あぁ、そうか。どうだい? あいつ迷惑かけてないか?」

 

 何か言いたそうな婆さんに水を向けると、待ってましたとばかりに話し始める。

 

「どうにもねぇ……ブツブツブツブツ、ずーっと何かつぶやいてますよ。気味が悪くて…。ご飯もあんまり召し上がらないようですしねぇ…。夜中にも出歩いているみたいですよ。一度、着物に血がついていたこともありましてねぇ。それにお酒も随分と……朝から呑まれてるんですよ。旦那様にも申し上げたんですけど」

「そら気味悪いわな。すまんな、怖がらせて。あ、これ…さっき買ったんだよ。食べてくれ」

 

 言いながら大福餅を渡すと、婆さんは途端に相好を崩して頭を下げる。

 

「じゃあ、俺がとっ捕まえてくるわ。もう、帰ってもらっていいぞ。適当に食ってるから」

 

 東洋一は家から出ると、薄暮の街を歩き始めた。

 

 どうも、浩太の調子は良くならない。

 よくならないどころか、益々悪くなっていっているかもしれない。

 

 いつまでも左腕だけでは刀を思うように使いこなせないことに、苛立ちが募っているのだろう。

 剣撃のことだけではない。日常生活においても、すべてが前のようにはいかないのだ。いちいち不自由さを感じる中で、鬱屈がたまるのは仕方がない。

 

 かと言って、勝母に対して筋違いな逆恨みをするのも、手伝い婆を徒に怯えさせるのも、許されることではない………と、考えていると、けたたましい悲鳴が響いた。

 

「キャアァァァー!!!」

「ウアアァッ!」

 

 女と男の悲鳴が人気ない小路から聞こえてくる。

 あわてて走って角を曲がると、行き止まりの場所でヤクザ者とその情婦らしい女が腰を抜かしていた。

 

 ヤクザ者の方はすでに着物の袖を斬られ、腕から血を流している。

 二人の見上げる先には、浩太が左手に刀を下げて立っていた。

 

「てっ、テメェ……日本刀(だんびら)振り回しやがって……」

 

 ヤクザ者が睨みつけると、浩太は陰気な、生気のない顔のまま刀を振り上げて構える。

 

「うわああぁぁぁっっ!!!!!」

 

 悲鳴を上げる男と浩太の間に、東洋一は素早く割って入ると、すぐさま浩太の無防備な腹へと一発食らわせる。

 うっ! と一声呻いて浩太は崩折れ、気を失った。

 東洋一はそのまま浩太を抱えて立ち去ると、小さな川の橋の下へと走ってゆき、そこで降ろした。

 

 

 浩太の左手には日輪刀がしっかりと握られている。

 随分と刃こぼれがひどい。一体、何を斬っていたのだろうか? 人にまで危害を加えるようになるとは。  

 相手がヤクザ者だったのは、ある意味不幸中の幸いだった。あのテの輩なら、そう事を大っぴらにすることもないだろう。

 

 東洋一が握った手の指を一つずつはがして刀を取り上げようとすると、浩太がハッとしたように目を覚ます。

 再び刀をきつく握りしめた。

 

「なに…するんだ……俺から刀まで奪う気か?」

 血色の悪い、痩せこけた顔なのに、目だけが爛々と光っている。

 

「浩太…? 俺だぞ。刀は鞘にしまうだけだ」

 東洋一が優しく呼びかけると、浩太はまじまじと見つめた。

 

「東洋一……さん?」

「あぁ。いいな、しまうぞ。下手に見つかったら厄介だ…」

 

 御一新以降、徐々にではあるが、刀差しへの目は厳しくなってきている。

 下手に警察にでも見つかれば、色々と面倒だ。

 

 浩太が握りしめていた柄を放すと、東洋一はその刀を取り上げる。

 チン、と音をたてて鞘に収められるや否や、浩太は東洋一の袖を強く掴んだ。

 

「東洋一さん! 賢太郎が柱になるって本当か!?」

「え? …あぁ。あいつが甲になればな。資格はあるし、そもそも風柱は風波見家がなると……」

「柱になれるのは強い奴だけだ! 香取さんだって、他の柱だってそう言ってるって…だから東洋一さんが推挙されていたんだろう!?」

「………」

 

 東洋一は浩太の剣幕に呆気にとられて何も言えなかった。

 

「なんでだよ……なんで……そんなのおかしい。おかしい……おかしいことがまかり通るなんておかしい……」

「浩太? オイ、しっかりしろ……大丈夫か、お前本当に」

「騙されてるんだよ! 東洋一さん!!」

 

 浩太は叫び、東洋一の肩を掴んでよろよろと立ち上がろうとする。

 

「賢太郎だって……なんで断らないんだ? 自分は柱になるべきじゃないって…言ってたのに……」

「浩太、落ち着けよ。お前、だいぶおかしくなってるぞ。一体、どうしたんだ?」

 

 東洋一が手首を掴むと、浩太は隈のできた、どんよりした目でじいぃと見つめてくる。

 

「東洋一さん……師匠は新しい技を考えてる。でもそれは俺らには教えない気だ」

 

 また、埒もないことを言い出す。

 東洋一は溜息をついて頭を振った。

 

「浩太、それは違う。俺は現に一緒に…」

「利用されてるんだよ!!」

「違う! そうじゃない…」

 

 言っていて疲れてきた。

 おそらくいくら東洋一が言っても、浩太の考えは揺るがない。

 なぜなのかわからないが、そう信じ込んでしまっているのだ。

 

「俺は師匠に頼んだんだ! 教えて下さいって! でも、お前には教えてやれない、って…はっきり言った! お前は風波見家の人間じゃないから教えない、って」

「そんな訳ないだろ! それはお前の考えがひねくれてんだよッ! お前が…ちゃんと今ある風の呼吸の型をしっかり修得すれば……」

 

 説明しようとする東洋一を遮って、浩太はまた全く違うことを言い出した。

 

「東洋一さん……アイツは…俺の父さんを殺したのかもしれない」

「は?」

「アイツは…母さんに惚れてたんだ。父さんが邪魔になって…殺した…」

 

 気がつくと、東洋一は浩太を殴っていた。

 不意をつかれた浩太は、川へと吹っ飛ばされる。上半身がびっしょりと濡れた。

 

 東洋一は怒りを鎮めるために、深呼吸をした。三度。

 落ち着け。

 浩太は少しばかり、気が弱くなって、考え方がまともでなくなっているだけだ。目を覚まさせる必要がある………。

 

「お前……なにを言われたか知らないけどな……千代は、妊娠したぞ」

「え?」

 

 浩太は砂利の上で座り込んだまま、きょとんと目を見開く。

 

「おめでただよ。子供が産まれるんだ…。それで賢太郎も覚悟を決めたんだろう…柱になると」

「嘘だ…」

 浩太はつぶやく。「嘘だ……」

 

 青白かった顔が見る間に赤くなり、涙がふるふると目の中で溢れていく。

 

「嘘だ。……嘘……」

 

 喘ぐようにつぶやく浩太に、東洋一は話して聞かせる。

 

「浩太。千代もなかなか子供ができなくて、苦しんだんだろう。それでお前に何か言ったかもしれんが……もう、今は大丈夫だ。気にしなくていい」

 

 浩太は東洋一を見上げた。

 震えていた唇が、ゆっくりと止まる。

 狂気を帯びていた瞳が、沈んだ憂いを帯びたものに変化する。

 

「浩太…お前、刀鍛冶の里でも行って、ゆっくり湯治でもしろ。な? 明日、隠に迎えに行かせるから」

「…………うん」

 

 浩太は返事したが、それは自分でもわかっていたのか不明だ。

 

 

 

 翌朝、東洋一の指示を受けた隠が飛鳥馬の家へと迎えに行ったものの、浩太の姿はなく、その後、ふっつりと消息は途絶えた。

 

 

 

<つづく>

 

 

 

 






また日またぎ更新となりました。すいません。
次回は2021.07.31.土曜日の更新予定です。


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