【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第三章 行違い(二)

 少し時間は戻る。

 

 

 東洋一(とよいち)は川で加寿江達から魚を貰って帰路につき、茜色の西陽が差す頃に家に戻ってきた。

 

「おーい。不肖の弟子」

 

 勝手口から台所に入って呼びかけると、ドスドスという足音と共に、不機嫌な顔の弟子が姿を現す。

 

「おい、ジジィ」

「なんだ、不肖の弟子」

「その呼び方やめろ。それと途中で何処行ってんだ? アンタがやれ、っていうからこっちはずっとやってたんだぞ」

「え? お前、延々と呼吸と型の併せやってたの? 今まで?」

 

 風の呼吸の型を覚えるのに早くとも三ヶ月。

 呼吸法そのものを覚えることはさほど難しくないものの、それをより錬成した全集中の呼吸となると、やはり最低でも会得するのに三ヶ月から人によっては半年かかる。

 その上で、この型と呼吸の二つを併せて『技』として練り上げていくまでには、ただただ修練すれば良いというものではなく、持って生まれた勘、あるいは素質といったものが必要になる。

 

 それら全てをこの四ヶ月そこらでやってのける上、東洋一が昼前に出てから夕方近くのこの時間まで延々とやっていた?

 

 どれだけ体力があり余ってるのだ。

 末恐ろしい以前に今の状態でも十分恐ろしい才能だ。

 

 とは――――口が裂けても、当人に告げることはないのだが。

 

 弟子の方では、とぼけた東洋一の態度が癇に障ったらしく、

 

「アンタがやれって云ったんだろうがァッ!」

 

 師匠に向かって怒鳴りつけてくる。

 

「オォ、怖」と東洋一が肩を竦めるのにも苛々と歯噛みしている。

 

「そう()()()なよ。お前さん、その気の短いのが一番の欠点だな。ホレ、魚もらったからな、今日の晩飯。今度は黒焦げにならんように焼いてくれ」

「……ったく、俺は飯炊きする為に来たんじゃねぇぞ」

 

 魚の入った桶を受け取りながら、()()()()()がブツクサと愚痴をこぼす。

 東洋一は片足が義足であるとは思えぬ素早い動きで、弟子の前に回り込むと、ベチンとデコピンをくらわした。

 

「でえぇっ!!」

 

 強烈なデコピンに弟子はよろけた。

 

 実のところ、普通の者なら吹っ飛んでいるのだ。

 数多(あまた)いた弟子達の中には、このデコピンで瞬間的に意識が飛ぶ者すらいたのだから。

 

 よろける程度で済ませられるのは、くらう瞬間に反射で軽く避けて衝撃を弱めているからだろう。

 ただ、無意識なので本人は気付いていないようだ。

 

「なにすんだあぁっ!? このクソジジィ!」

「やぁかましい。食べることはすべての(もとい)だ。食わんと体は動けん。動けん体では鍛錬はできん。鍛錬ができんなら、技を身につけることはできん。技を身につけねば、鬼には勝てん。ホレ、さっさと支度して食うモン作らんか!」

 

 言いながら節回しの調子をとるように、弟子の頭をポコポコ叩く。

 

「ジジィっ! 俺の頭は木魚じゃねぇんだぞォッ」

「木魚ならもっとエエ音がなっとるわ。口減らずなこと云う前にとっととせい! 強くさえなれればえぇなんぞと、気楽なこと云っとる場合か。この世で必要なことは、たいがい面倒臭いもんだ。とっとと動け、不肖の弟子」

 

 チッと舌打ちしながら、弟子は土間へと降りると、東洋一が貰ってきたアマゴを掴み取って、ぎこちない手付きで包丁を使い、(はらわた)をとっていく。

 

 やれやれ……と東洋一は独りごちる。

 

 結局のところは素直な性質であろうに、どうにも天の邪鬼で困る。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 四ヶ月前、弟子であった粂野匡近(くめのまさちか)の紹介でやってきたのは、自分の稀血を利用して鬼をおびき寄せ、捕縛して日で炙り焼いて殺して回っていた……という、とんでもない少年だった。

 

 名前を不死川実弥、と名乗った。

 

 一体、いつからそんなことをしていたのか……その目は猜疑心に満ちており、孤独だった。

 人から虐待を受けて人を信じなくなった猫のように、上辺の親切心で近づけば毛を逆立て、爪を立てて引っ掻きまわすのだろう。

 

 東洋一はとりあえず風の呼吸の()だけを教えて放っておいた。

 予想外の早さで習得してしまったのにはかなり驚いたが、その本心は隠した。

 軽く、大したものだと褒めてやると、多少は気が緩んだようだった。

 

 その上で初めて立ち合った。

 

 最初、実弥は東洋一を侮っていたのであろう。

 所詮は義足の、田舎でのうのうと暮らしていた爺である。

 現役から遠ざかって数十年、もはや技も衰えているであろう…と、タカを括っていたに違いない。

 

 しかし対峙して数十秒。

 呼吸を使った東洋一の技の前で、実弥は木偶の坊同然であった。

 何一つ、東洋一への打撃を与えることのないまま、道場の壁で失神し、起きた時には明らかに態度は一変した。

  こうしてようやく手負いの獣同然だった実弥の信頼を得て、今は互いに横柄でぞんざいな間柄だが、それなりに上手くやっている。

 

 

 

「ふん…味噌汁はまともに作れるようになってきたようだの」

 

 東洋一はお椀に浮かぶ豆腐となめ茸を見ると、ズズズと啜った。「味も、まぁ良し」

 

「ぅるせぇなぁ……男だろうが。出されたモンは黙って食えよ。味なんぞどうでもいいだろうが」

「なにを云う。食い物の味がわからんかったら、お前、毒を食ろうてもわからんぞ。あらゆることに於いて、神経は鋭敏でなくてはいかん。鬼狩りならば尚の事。過敏では困るがな」

「なんかもっともらしいこと言ってるけど、アンタ、酸っぱいもの嫌いなんだろうが。里乃さんに言われてるんだ。ちゃんと食べさせてくれって」

 

 里乃というのは、東洋一の情婦(イロ)というやつではあったが、実際にはさほどに艶っぽい関係でも何でもない。

 家事能力に乏しい東洋一の世話を何くれとなく見てくれる存在だった。

 

「………余計なことを」

 

 東洋一は渋面を作ると、きゅうりの酢の物を恨めしげに見た。

 

「お前、これ食ってええぞ」

「冗談じゃねぇ。黙って食えよ。作ってもらっておいて」

 

 実弥は憮然としてご飯をかっこむと、壊さんばかりの勢いで食器を洗って箱膳へと戻した。

 

 それから再び道場へ。

 瞑想の後、夜の山での修練を行うのだ。

 

 東洋一は自分の食器を洗いながら、吐息をついた。

 我ながら、恐ろしい弟子を持ったものだと思う。

 

 奇縁であろう。

 粂野匡近が実弥に会わなかったら、その粂野自身も東洋一の元へと弟子に入ってなければ、こうして会うこともなかったはずだ。

 

 鬼狩りをすることになった経緯を聞いた時には、その過酷な境遇に胸を衝かれたが、それでも前を向いて進んで行こうとする姿勢は感服するしかない。

 

 その上であの身体能力、技の吸収力、判断の早さ。

 

 もしかするとこの数十年失われていた風柱が誕生するかもしれない、という希望を抱かずにはいられなかった。

 もはや自分には遠い存在となっていた風柱に…。

 

 無論―――決して、本人の前ではおくびにも出さないが。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 東洋一が子爵令嬢である薫を見かけたのは、それから二週間ほどしてからのことだった。

 

 初めて会った川にかかる橋の上で、薫はボンヤリと下を流れる川を見つめていた。

 

「何をしとるんだ、こんなところで」

 

 東洋一が声をかけると、薫はハッとして顔を上げる。

 

「あ、と……篠宮先生ですね」

 

 にっこりと笑っていたが、その目はどこか空虚(うつろ)であった。

 

「は、先生なんぞと呼ぶのはお前さんが厄介になっとる一家だけでな。儂なんぞただの爺だ。弟子からもクソ爺ィ扱いじゃ」

「そんなこと、許されてるんですか?」

 

 薫は驚いたように言った後、クスクスと笑った。

 

「先生は心が広い方なんですね。そんなことを云うお弟子さんを怒らないなんて」

「まぁ、時と場合だな。それよりあんた……えー、薫子(ゆきこ)さんと言ったか。こんな時間に一人で何しとるんだ?」

 

 既に日暮れも近い時間である。

 いくら長閑(のどか)な田舎といえど、うら若い娘が一人で出歩いていい時間は過ぎている。

 

 薫はしばらく黙り込んでから、チラと川の方を見た。

 

「時々、川を見にくるんです」

「川? なんかおるんか?」

「いいえ。流れを見てるだけです。なんだか見ていると時間が過ぎてしまうんです」

「ふぅん…妙な趣味をお持ちじゃな」

「趣味? ……そうかもしれませんね。昔から川を見ていると、考えることをしなくていいんです……その時だけは」

 

 そう言った薫の顔が西陽の逆光で翳り、ひどく侘びしげに見えた。

 

 東洋一は基三郎が言っていた見合いの席で薫子が卒倒してしまったという話を思い出した。

 どうもこのお嬢さんは、周囲にばかりおもねって、自分の言いたいことも言えぬのかもしれない。

 

 考えることをしなくていい―――ということは、普段は色々と考えねばならぬことが多くて、気を遣いすぎているのではないのか?

 

「薫子さん、あんた加寿江の爪の垢でも煎じて飲んだらどうだね?」

 

 東洋一がやけに真面目な顔でそんなことを云うので、薫はキョトンとなった。

 

「いや、あの娘は昔から本当に口さがないというか、一言どころか二言三言多い、呆れるくらいに自由奔放な娘でな。まぁ、末娘なんで周りも甘やかしてあぁなったところもあるが、なにせ人の目を気にするなんてことは、一度もしたことがない。まぁ、そこが怒られもし、可愛がられもするわけだが」

 

 薫は「そうですね」と頷いて、

 

「私も加寿江さんに初めて会った時から大好きになりました。裏表がなくて、元気で、羨ましいくらいです」

「羨ましいとまで思う必要はないが。儂は加寿江くらいに堂々としてもえぇと思うぞ。皆、お前さんは大層よく出来たお嬢様だと言っておるし」

 

 それは事実であった。

 

 しばしば収穫した野菜や、山で仕留めた猪肉を持ってきてくれる藤森家の下男なども、

 

「いやぁ、あのお嬢様は凄いですよ。お針仕事もお料理もなんでもお出来になる。かといって、でしゃばったりもしないし、儂等みたいな使用人にもお優しいし。本当によくお出来になる方です」

 

と、手放しの褒めようであるし、女には手厳しい女中達からの評価も上々らしい。

 

 普通、こうしたご令嬢というのは、どこか超然としたところがあって、他人に斟酌などしないものだ。

 加寿江などがその典型で、同じ藤森家の他の姉妹についても東洋一は知っているが、皆、性格の違いはあっても、そうしたお嬢様らしい威勢というか、無邪気な無礼さ、というのがあった。

 

 しかし目の前に、頼り無げに佇む少女からは、そうした傲慢さは微塵も感じられない。

 

「もっと自信があってえぇと思うがな…東京の方ではどうだか知らんが、皆、お前さんのことは褒めとるぞ。それこそ反対に加寿江にお前さんの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいと、基三郎なんかも云うておった」

 

 薫は困ったように笑った。

 それは最初、東洋一が違和感をもった微笑だった。

 

 そうなのだ。

 どうしてこんなにもこの娘は自信なさげなのだろう。

 

 しかし東洋一の疑問は薫がすぐに答えてくれた。

 

「基三郎さんから聞いてませんか? 私が森野辺の養子だと」

「養子?」

「はい。私は森野辺家に九つの時に引き取られました。それまでは、子守奉公の下女でした。だから本当のお嬢様なんかではないんです」

「ほぅ……」

 

 合点がいった。

 道理で、である。

 

 本来なら華族のご令嬢など、東洋一ふぜいが気安く話しかけられようもない。

 それでもこうして話し込んでしまえるのは、薫の中に元からある庶民的な素朴さがにじみ出てしまっているからだろう。

 

 しかし、それは東洋一や使用人を相手にしていればいいだろうが、いざ東京に戻り、そうした上流階級の中では、違和感となるだろう。そのことで指弾され、気詰まりな思いもしたに違いない。

 

「それは、お前さん、相当に努力しなすったのだな。そうでなければ、ここまで見事なお嬢様になぞなれるはずもない。尚の事、自信を持つとよかろうに」

 

 東洋一は励ましたが、薫は哀しげに頭を振った。

 

「いいえ。私はお父様達を失望させました。お見合いが白紙になって、きっとお父様もお母様も呆れられたでしょう。やはり元は下女ふぜいの娘が、子爵令嬢になるなど無理だと」

「それは……」

 

 東洋一は森野辺子爵と会ったことがないのでわからない。

 あるいは薫のいう通り、見合いの席での娘の失態に恥をかかされた、と貴族らしい感情でもって怒り狂っているのかもしれない。

 

「ここに預けられたのも、次に行く場所が決まるまで、ひとまず家から出したかったのでしょう。もしかすると、ここから直接、どこかへ連れて行かれるかもしれません。もう、お父様やお母様に会うこともなく」

「悲観が過ぎるだろう。仮にも親子であったのに、それはなかろうよ」

 

 東洋一は否定したが、薫は頷かなかった。

 

「暗くなってきましたね。そろそろ帰ります」

 

 軽く頭を下げると、橋を渡って藤森家の方へと小走りに帰っていった。

 

 

 

<つづく>

 

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