【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第七章 昔日 -疾風篇- (八)

 周太郎の死から二ヶ月近く、野分山(のわきやま)で隠伏していた東洋一(とよいち)に、小鳩からの鳩が来たのは秋も深まり、そろそろ冬の訪れを感じ始めた朝のことだった。

 ほぼ同時に木原からも鴉が便りを届ける。

 浩太の探索にあたっていた斯波(しば)と、もう一人の隊士が殺られたらしい。

 

 東洋一は準備を整えると、浩太らしき鬼が出没しているというその場所へと向かった。

 

 

◆◆◆

 

 

 昼に降った大雨で嵩を増した川の水が勢いよく流れている。まだ、小雨がしとしとと降り続いていた。

 

 季節の変わり目なのか、ついこの間は息が白くなるほどの寒さだったのが、今日はほんのり温かい。それでも葉をすっかり落とした木々の枝は、寒々しく陰気な空に伸びていた。

 冬が近い……。

 

 東洋一が崖下に轟々と流れる川の水流を見ていると、後ろから声がした。

 

「……ハハッハハァ……ようやく来た!」

 

 声変わりをする前の少年の声。

 だが、聞き覚えがある。ゆっくりと振り返ると、浩太は少しばかりの面差しを残しつつも、すっかり禍々(まがまが)しい姿に変わり果ててそこにいた。

 

 片肌をぬいだ右肩はあの(おさ)の言った通り不均衡に盛り上がっている。そこから体中に広がる黒い鬼の斑紋。爪は緑灰色に伸び、瞳はこれまで東洋一が殺してきた鬼達同様に紅く光っていた。

 

「……浩太」

 

 東洋一が呼びかけると、浩太はハハハと笑った。

 

「俺はもう浩太じゃない。紅儡という素晴らしい名前を頂いたんだ」

「コウライ……?」

「無惨様が直々につけてくださった! アンタらにはわからないだろう? これはすごいことなんだ。十二鬼月に匹敵する!」

 

 興奮しきっている浩太に、東洋一はただただ失望が深くなるばかりだった。 

 なんとつまらない御託を言うようになったのだろう。もはや、浩太は消えたか……。

 

「さぁ、やろうか。待ってたよ、アンタを。どいつもこいつも弱くってさ!」

 

 言いながら、紅儡はかつて日輪刀であったらしい、不気味な刀を右手に持って振り回す。

 すぐにゴウと風の唸りと共に、かまいたちのような刃が襲う。

 (かわ)すと同時に、東洋一は技を放った。

 

 風の呼吸 弐ノ型 爪々・科戸風

 

 四本爪が空を掻き切る。

 だが紅儡は手に持った刀の一振りで、その攻撃をいなした。

 

「ハハハハッ! すごい! すごいぞ!! 篠宮東洋一でさえ、この程度か!」

 

 いちいち癇に障る哄笑。

 東洋一は自分でも不思議なほどに、何の感情も沸き起こらなかった。

 

 会うまでは考えていた。

 

 あるいは賢太郎のように…実際に会えば、もしかすると哀しみの中で、相討ちを考えるかもしれないと。

 あるいは師匠を裏切り、死に至らせた張本人として、復讐のあまり怒り狂って惨殺するかもしれないと。

 

 けれど今、本人を目の前にして何も思わない。

 ただ、いつもと同じ。鬼がいる。

 

 刀を構え、呼吸を整える。

 スィィィィ…と息を吸い始めた東洋一を見て、紅儡はニヤニヤと笑みを浮かべて言った。

 

「いつまでも呼吸などに囚われて哀れなことだ。そんな事をせずとも、俺はもう強い。この数百年の間、お前らがどれほど必死になろうが、鬼は消えない。なぜか教えてやろうか? 鬼の方が強いからだ!」

 

 言うなり、紅儡は血鬼術を放つ。

 

 血鬼術 風雷(ふうらい)奔涛(ほんとう)

 

 バリバリと空気が振動して、竜巻のような斬撃が襲ってくる。

 

 風の呼吸 参ノ型 晴嵐風樹

 

 すべての攻撃を散らして、東洋一は立っていた。

 紅儡がヒクッと喉を鳴らして、「お見事!」と叫ぶ。

 

「さすがだ! さすが風柱に代わって鬼殺しをしていただけある! アハハハハ!! 所詮は利用されていただけなのに…哀れな奴だ」

「………さっきから、五月蝿(うるさ)いな」

 

 東洋一はつぶやくと、構えをとらずに刀を振り下ろす。

 再び弐ノ型が唸って、四本爪の一つが浩太の左腕を斬り裂いた。

 

「…ゥグッ!!」

 木の上へと跳躍して、紅儡は左腕の傷口を舐めた。

「痛いなァ……痛い。日輪刀の痛みってこういうのか」

 

 見る間に肉が盛り上がり、再生していく。

 満足気に紅儡は笑った。

 

「見たか? これが鬼の力よ。手も足も、失われてもすぐに戻る」

「……そうまでして、右腕が欲しかったか?」

「右腕だけじゃない……それ以上の力が手に入った。お前を殺すのも訳ない」

 

 嬉しさの余り、紅儡の声は上擦っていた。

 東洋一はふぅ、と溜息をつく。

 

「所詮、お前は逃げただけだ」

「…………なに?」

「自らの弱さに向き合うこともなしに、逃げたんだ。その挙げ句のこの有様だ」

 

 紅儡はギリッと歯噛みすると、刀を振り下ろした。

 

 風の呼吸 弐ノ型 爪々・科戸風

 

 その斬撃は本来のものよりも歪みを生じた分、不規則な軌道を描いて襲いかかってきた。

 跳躍して避けた東洋一の頬に一筋、血が走る。

 

「どうした東洋一さん? まだ、本気じゃないだろう? こんなものじゃないはずだ。俺だってまだまだ本気じゃない。さぁ、やろう。すぐにあの男のところに送ってやるよ。せいぜい割腹して不様に死んでいったんだろう? あの男は……風波見周太郎は…!」

「………」

 

 巫山戯(フザけ)た笑い声を響かせる紅儡を、東洋一は血走った目で凝視した。

 

 刀を持つ手が震え、食いしばった歯から血が流れる。

 脳天に血が集中する。ゴウゴウと血管を流れる音すら聞こえてくる。

 

 怒りはすぐに飽和した。

 

 真っ白な感情は奇妙な感覚を形作る。

 毛の先から、指の先、刀の(きっさき)まで……すべてに自分が宿っているかのようだ。

 

 風の呼吸 壱ノ型 塵旋風・削ぎ

 

 ほとんど溜めの動作もないまま、東洋一が繰り出した技は紅儡のいた木の根を抉り、ゆっくりと木は倒れた。

 

「ハッ! なんだ、怒ったのか?」

 紅儡は軽々と飛んで、からかうように言うと、自らも呼吸の技を繰り出そうとする。

 だが、東洋一はその隙すらも与えなかった。

 

 風の呼吸 弐ノ型 爪々・科戸風

 

 ゴウッと唸る風音と同時に、鎌鼬の爪が紅儡へと飛んでくる。

 かろうじて避けたものの、余波の勢いが紅儡の耳を斬り裂いた。

 

「クソッ!」

 再び紅儡は構えたが、またそこに東洋一が技を放つ。

 

 風の呼吸 参ノ型 晴嵐風樹

 

 攻撃としてのその技は、防御をしていない紅儡の全身に裂傷を負わせた。

 右肩が斬られ、皮膚を割いてパックリあいた傷口に、紅儡は怒りを露わにする。

 

「オノレェェェ……!!!!」

 体が修復していくのと同時に血鬼術で襲いかかる。

 

 血鬼術 乱刃(らんば)嵐剳(らんとう)

 

 東洋一はその攻撃に突っ込むかのごとく走りだすと、いきなり高く跳躍した。

 

 風の呼吸 伍ノ型 木枯らし颪

 

 渦巻く風が紅儡の放った刃を飲み込み、散らす。自分の放った刃で紅儡の右目が切れた。

 一方、東洋一はタン、と地面に着地するなり今度は一瞬の間もなく―――

 

 風の呼吸 肆ノ型 昇上砂塵嵐

 

 足元から吹き荒れる風の斬撃が、紅儡の肉を再び切り裂く。

 左腕が捻じ切れて落ちた。

 

「!!!!……ッ」

 紅儡はギリと歯噛みするが、向かってくる東洋一は無表情に技を放つ。

 

 風の呼吸 陸ノ型 黒風烟嵐

 

 地面を這うような低い体勢から斬り上げてくる。

 

「ウガアアアァァッッ!!!!」

 

 腹と、再生しかけていた左腕をザックリと斬られ、紅儡は咆哮を上げた。

 右手で腹の傷を押さえながら、飛び退る。

 転々と後ろへ後ろへと逃げていると、いきなり頭上に影が走った。

 

 風の呼吸 漆ノ型 勁風・天狗風

 

 細かな旋風が紅儡の行き場をなくすかのように捕えて、斬りつける。

 風の刃が襲いかかってくる! ……と、思わず紅儡が目を閉じたその時。

 

 首が―――落ちた。

 

 噴き出した血が、紅儡の立つ地面に赤い血溜まりをつくる。

 

 紅儡はすぐさま地面に落ちた自分の首を拾い上げると、後ずさった。

 血だらけの腕の中でニヤリと引き攣った笑みを浮かべる。

 

「ざ、ざ、残念だな。首をとった気か…?」

 高らかに嘲笑(あざわら)うはずが、声が上擦っていた。

 

 有り得ない事だった。

 こんなに呼吸の技を連発すれば、肺が潰れる。いや、その前に息をすることすら難しくなる筈だ。

 呼吸が困難になり、倒れてしまう。

 

 人間にこんなことは出来ない。

 たとえ修行を積んだ鬼狩りであっても、所詮は人間。

 人間としての限界を超えることはできないはず。

 

 異常だ。こんなものは異常だ。尋常ではない。

 有り得ない! 有り得ない! 有り得ない!!

 

 ――――恐怖が紅儡の心を徐々に侵食していく…。

 

 東洋一の表情は暗いだけだった。凝り固まった顔に感情は見えない。

 聞こえるのは不気味な呼吸音だけ。

 

 そこにいるのは、数多(あまた)の鬼を(ほふ)ってきた鬼殺の剣士だった。

 鬼達が戦慄(おののき)き、震撼する…無情なる鬼狩り。

 

 紅儡が首を元の位置戻す前に、東洋一の剣が唸った。

 

 風の呼吸 捌ノ型 初烈風斬り

 

 その剣先を見る事も出来なかった。

 野分の風の如く、ゴウと音がしたかと思うと、耳元から吹き抜ける。

 

 ボタリ、と重い音をたてて、紅儡の右腕が落ちた。

 

「ギ…ギャァァァアアアアアアア!!!!!!」

 

 その悲鳴を、東洋一は背中で聞いていた。

 ギロリと睨んで、つぶやく。

 

「その右腕が貴様の急所であることなど、考えるまでもない」

「……あ……あ……」

 

 紅儡はヘナヘナと地面に崩れた。

 いや、もはや不様な肉塊が、ゆっくり灰となって消えてゆく。

 

「……と、よ……いち……さ」

 

 灰白のその肉は手を伸ばす。

 東洋一はその消えゆく紅儡の前に立って、無表情に見つめていた。

 

 地面に転がった紅儡の頭。

 半分残った目から、じわりと涙が浮かぶ。

 

「……なぜだ……?」

 

 震える声で問いかけた次の瞬間に、東洋一は跳び上がっていた。

 危険を危機と察知するより先に身体が動いていた。

 だが、それでも完全に躱すことは出来なかったらしい。

 

 受け身をとって地面を転がり、起き上がろうとして、火を噴くような熱さと痛みが左足を襲った。

 太腿から下が斬り落とされていた。

 必死で歯を食いしばり、上体を起こす。

 

 そぼ降る雨の中に、(あか)く光る六つの金の瞳。

 その真ん中の目には―――上弦、壱。

 

「……ほぅ……躱すか…」

 

 静かな声が意外そうにつぶやく。

 

 一体、いつから生きているのか、この鬼は。

 現れた途端に、その場の空気が一気に重量を増す。

 ただでさえ押し潰されそうな圧迫感だというのに、よりによって足をやられては立つことすら出来ない…。

 

「……さすが…柱というべきか……」

 

 鬼は淡々とした口調で言っていたが、勘違いを指摘できる余裕はなかった。

 次の攻撃で確実に殺られる。

 立たねばならない。立って、刀を構えなければ……

 

 ブルブルと震える。それが血を失ったが故の寒さなのか武者震いなのかわからない。

 

 だが、片足で立つのは容易でなかった。

 足以外にも無数の細かな裂傷が皮膚を破って出血している。

 

 意識が朦朧とする。

 視界が雨に霞み、どこからか懐かしい声が聞こえてきた。

 

 

 

---------------

 

 

 

「東洋一、踏ん張れ!」

「んな事言ったって……無理だよぉ」

 

 次の縁日での演物(だしもの)の一つとして、父は東洋一に竿棒の上で立って行う、色々な芸当を仕込もうとしていた。

 まずは、その棒の上で片足立ち。

 

 グラグラと揺れる棒を腕と体でしっかり挟み込んで持ちながら、父は東洋一に声をかけた。

 

「東洋一! 足の裏全部で棒を掴むんだ! 足の指と、踵で掴め。丹田に力を入れて…腰を落として真っ直ぐ…そうだ! 踏ん張れ! そのまま踏ん張れ、東洋一!」

 

 踏ん張れ!―――と励ます父の声が、途中から別の声に変わった。

 

 

「ここが…踏ん張り処だぞ、東洋一」

 

 周太郎がにこやかに言ってくるのを、東洋一は朦朧としながら聞いていた。

 

 朝から山の中をさんざ迷わされ、歩き回った挙げ句、待っていた周太郎に無制限の打込稽古。

 もうすぐ日が暮れる…。

 

「……もう……無理…す」 

 

 ぐったりと草の上に倒れ込んだ東洋一に、周太郎は言った。

 

「これで無理…と思ってからが勝負だぞ。どれだけ踏ん張れるかで強さが違ってくるのだ。立て、東洋一。お前はまだやれる………」

 

 

 

---------------------

 

 

 

 ―――――踏ん張って……立て! 東洋一

 

 二人の声が重なって、耳朶を震わせる。

 

 ビリッと電流が走ったかのような感覚に目を開くと、東洋一は渾身の力を振り絞って立ち上がった。

 片足だけで立ち、刀を構える。

 

 上弦の鬼は紅い目を細めた。

 

「……ほぅ……片足で……立ち上がるか……面白い」

 

 おそらく、このまま東洋一が死ぬと思っていたのだろう。だから放っておいたのだ。

 今もこちらを完全に見下し、攻撃するはずもないと思っている…。

 で、あれば…勝機は一つだけ。

 

 一撃で終わる。

 

 東洋一は再び深く息を吸い込む。

 肺胞を膨らませた空気が体内に沁みてゆく。

 身体と、精神(こころ)を一つに縒り合わせて―――

 

 風の呼吸 壱ノ型 塵旋風・削ぎ

 

 土を割る踏み込みと同時に、前方へと向かって凄まじい勢いで跳躍する。

 

 周囲の地面と木々を抉るように旋風に巻き込んで、渦巻く斬撃と共に東洋一も鬼へと迫る。

 

 ザンッ!

 

 鬼の顎から耳にかけて刃が一閃した。

 だが、たちどころに傷は修復される。

 

「……大したものよの。紅儡より、貴様が鬼となればよいものを」

 

 静かにつぶやいて、鬼が刀を振るう。

 

 月の呼吸 弐ノ型 珠華ノ弄月

 

 その時、東洋一はもはや自分がどのように動いて避けたのかもわからなかった。

 

 攻撃の第一波目を横に()いで(しの)ぐと、刀に罅が入る音がした。

 第二波は後ろへと背を反らしたが、やはり片足では持ちこたえられず、そのまま後ろへ転がった。

 第三波が襲いかかってきた時に、はっきりと死を悟った。

 

 だが、突然視界を塞がれた。

 

 ねっとりとした生温かな生き物の感触が、自分を覆うように掴み上げたと同時に、背後の谷底へと放り投げる。

 東洋一はその肉片を掴んだ。

 落下しながら、肉片が手の中でサアァと黒い煙となって消える。

 

「浩太ァッ!!!!」

 

 叫ぶと同時に、増水した川に落ちた。

 

 逆巻く奔流の中で、東洋一は必死で上を見ようとした。

 しかし月もない夜。

 雨に(けぶ)って、崖の上など見えるはずもない。

 

 水の流れは激しく東洋一をのみ込んで、どうどうと川を下ってゆく……。

 

 

 

<つづく>

 

 

 






日またぎ更新となってしましました。すいません。
次回は2021.08.18.水曜日の更新予定です。


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