【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
五年後―――――
煙草屋から出てきた鱗滝左近次は、右目に眼帯をしたその女の姿を見た途端に足を止めた。
天狗の面のせいでこちらの表情がわからない筈だったが、目の前に立つ女の眼光の鋭さに心臓が途端に早くなる。
背は左近次よりも低いものの、その強烈な威圧感に、一歩思わず後ずさった。
「どうした? 左近次」
「いえ…」
「煙草を買いに来たのか?」
「……はい」
「お前、吸うようになったのか?」
「…最近、時々」
「見せろ」
「は?」
「今買った煙草、見せてみろ」
一瞬、目が泳ぐ。
これも面をつけているせいで見えていない……はず。
左近次は少し戸惑いつつ、持っていた煙草を入れた袋を渡した。
勝母は中を確認すると、面白くもなさそうに一瞥して、袋を返してくる。
「では」と立ち去りかけた左近次の背後で、大きな独り言が聞こえてくる。
「その刻み……そういえば好んで吸っていた奴がいたなぁ、昔」
そのまま無視して行けばよかったのだが、左近次の足は止まった。
殺気に近いぐらいの闘気のにおいがする。それは左近次が鼻が利くことをわかった上で醸し出している。
くるりと向き直った左近次を、勝母は腕組みして見つめた。
その隻眼はかつて両目であった頃よりも、深く澄み切って、すべてを
「お前、私に黙っていることはないか…?」
問いかける勝母に、左近次は迷った末に「いえ、別に」と否定する。
「面をとれ、左近次」
勝母が否定を許さぬ口調で命令する。
左近次が覚悟を決めて面を取ると、多少年はとったものの、変わらずの端正な顔立ちで、すれ違った女が通り過ぎかけて二度見する。
表情はいつもと変わらず澄ました、平然としたものであったのだが―――少なくとも左近次はそのような顔をしているつもりだったのだが―――勝母はフッと笑った。
「もういい。左近次……お前はせいぜい面をとらぬがよかろうよ。男ならまだしも、女であればお前の嘘はすぐに見抜ける」
「……そうですか?」
「あぁ、そうだ。観念したら、さっさと
まったく…五つ以上も年下だというのに、この貫禄、この威容。
さすがに十三の歳に柱になって以来、常に前線を切り抜けてきた強者なだけある。
溜息をついて歩き出すと、勝母は少し浮き立ったような気持ちでついてきた。
妙な期待はしない方がいいと思うのだが……。
◆◆◆
左近次の家に着いて、ダラリと浴衣を着崩して座敷に寝転がっている髭面の男を見た途端、勝母は一気に怒りがこみ上げて、思い切り頭を蹴りつけた。
「
蹴られた所を押さえながら、男は起き上がると、寝ぼけ眼で勝母を見て、すぐに後ろを向いた。
「…………オイ、左近次」
背を向けたまま、勝母の後ろに立っている左近次に問いかける。
「はい。何か?」
「俺ァ、会いたくない奴の一番最初に言ったと思うんだが……今、俺の後ろにいる奴ァ……まさかと思うが五百旗頭勝母じゃねぇだろうな?」
左近次よりも先に勝母が答える。
「生憎だったな。私だ……
ハアァーと東洋一は盛大な溜息をついた。
頭をかかえて、しばらく項垂れる。
「あぁ……もう。よりによって……。なんでコイツを連れてくるんだ?」
うんざりしながら東洋一は振り返り、勝母の頭越しに言うと、左近次はあきれたように返す。
「この人に隠し事ができるわけないです」
「お前はァ…そういう所あるよな。妙に人がいいというか……俺には滅法厳しいくせによ」
「人を見る目があるんです」
相変わらず…喧嘩をしているのか、じゃれ合っているのかよくわからない珍妙な会話だ……。
勝母は呆れながらも、少し懐かしかった。しかし、すぐに顔を引き締めて鋭く割り込む。
「……もういいか?」
座り込んで、東洋一と面と向かい合った。
「久しぶりだな、東洋一。
東洋一は耳をほじりながら、バツ悪そうに視線を逸らす。
長く海上にあったせいなのか、日に焼けて浅黒くなった肌。肩まで伸びたボサボサの髪は、以前よりも一層茶けていた。無精髭は口と顎を覆い……まったくもってむさ苦しい相貌になっている。
これが昔は柱に…と嘱望された男であろうか?
飄々としつつも滲み出ていた強さの片鱗すら、今は感じられない。
「別に帰ってきた訳じゃねぇよ。金がなくなったから…一旦、戻っただけだ」
「相変わらずだな、お前は…」
ため息をついてから、呆れきったように言って、勝母は左近次に目をやる。
「それで? 言ったのか?」
「いえ。さっき任務から帰ったらいたんです。それで、いきなり煙草を買いに行けと…」
勝母は頭を押さえた。
「左近次…いくら昔の
「はぁ……」
左近次は言いながら、東洋一に煙草の入った袋を渡した。
東洋一は受け取ると、
フゥ…と紫煙を吐きながら、立ち上がって縁側に座った。
左足には黒く塗装された義足用の木が装着されている。
「随分、歩くのにも慣れたようだな」
「そりゃ、そうだろ。五年もこの
背を向けたまま東洋一は答える。
それは明らかに勝母を拒絶していたのだが、あえて勝母は無視した。
聞かねばならぬことも、話さねばならぬことも…ある。
「東洋一、お前いつ帰ってきた?」
「あァ? さっき左近次が言ったろ」
「左近次は任務から帰ってきたらお前がいた、と言ったんだ。つまりお前がいつ帰ってきたのかは不明だ。今日帰ってきたのか、一年前に帰ってきたのか」
「なんで一年前に帰って今頃ツラ出すんだよ。港に着いたのは昨日だ。そんで今朝方、ここに来て寝てたんだよ」
面倒くさそうに言う東洋一に、勝母は念を押すように問いかける。
「本当か? 本当に…昨日か?」
東洋一は振り返って、訝しげに勝母を見た。
「なんだよ?」
「お前には疑いがかけられている。風柱を殺った下手人として」
「………は?」
東洋一は唖然として、まじまじと勝母を見つめた。
「なんだと…? 風柱って……」
聞き返してくる東洋一を、勝母は静かに見つめる。
「
勝母がはっきりと告げると、東洋一は凍りついた。
煙管を持つ手が微かに震える。
東洋一の動揺を知りつつ、勝母は冷静に話を始めた。
「一年ほど前のことだ。死体もない。賢太郎の鴉も殺されていた。鬼の仕業かと思われたが、たまたまその現場を見たらしい隊士が、相手は風の呼吸を使っていたと……彼もそれだけを言い残して死んでしまった。
実際、賢太郎はその時、任務ではなかった。仕事を終えて帰る道中、泊まっていた
鬼で呼吸を使うとなれば、裏切者がいると考えるしかないが…風波見門下も含めて、風の呼吸の剣士はそうした隊士の心当たりはないと言う。
であれば、相手は風の呼吸を使う人間、ということになる。まして、柱である賢太郎を凌駕する腕を持つとなれば………相手は自ずと限られる」
勝母は片方の目で、東洋一に問いかけた。
しかし、東洋一はしばらく理解できなかったのだろう。
大きく目を見開いたまま、喘ぐように口を震わせた。
「馬鹿を……言えよ……」
かろうじて否定の言葉を口にしたものの、まだ信じられないようだった。
「そんな訳ない……そんな訳が………」
「お前が一年前にまだ清国にいたというのであれば、お前の疑いは晴れる」
抑揚もなく言う勝母に、東洋一はようやく怒声を浴びせた。
「
「お前の方では終わっているかもしれないが、先代の周太郎殿が亡くなった折に御家騒動があったろうが。そのせいで疑われているんだ。左近次が私に会って、お前のことを隠そうとしたのも―――そのせいだろう?」
勝母が問うように視線を向けると、左近次はフイと目を逸らす。
「御家騒動だぁ? ンなもんあるかよ」
「………ふぅん? そうか」
勝母が意味深に頷くのを見て、東洋一はハッとした表情になった。
目が泳ぎ、顔を伏せる。
勝母は冷たく東洋一を睨み据えながら、口の端を片方だけ上げた。
「あの時、お前は私に柱の承継のことで、風波見家内部でちょっとしたイザコザがあったように言っていたがな。五年も経てば、理由は変わるわけか。実際がどういう事か……教えてもらおうか?」
「…………」
黙り込む東洋一に、勝母はさらなる追い打ちをかける。
「賢太郎の死と前後してな…風波見門下を始めとする風の呼吸の剣士が軒並み狙ったように殺されていった。死体のない者も多い。喰われたのだろう。今や風の呼吸の遣い手は十指に満たぬ有様だ」
「………嘘…だ」
ぐらりと前に倒れそうになって、東洋一は握りしめた拳を畳に押し付けた。
煙管が手を滑って落ちる。
真っ青になった顔から冷や汗が頬を伝った。
「それだけではない」
勝母はまだ続ける。
言いたいことも、言わねばならぬことも…まだ、ある。
「賢太郎の死から
賢太郎の死と、風波見家から一方的な縁切りに、御館様―――
東洋一はビクリとして顔を上げた。
信じられないのだろう。
肩を上下させるほどに呼吸が荒くなっている。
勝母はそんな東洋一に憐れみを向けることはなかった。
五年。
この国を出て行く時、まさかそんな未来が待っていることは、この男の知る由もない。
帰って来たときも、懐かしい面々に会えることを疑いもしなかったろう。
だが、五年の間に時間は過ぎ、事象は動く。
「東洋一…そろそろ口を割れ。五年前に何があった?」
「………待ってくれ」
東洋一はかすれた声で絞り出すように言った。
「………待ってくれ。何が起きているのか……わからないんだ。俺はもう…終わったと思っていたんだ。だから…いる必要もないと……思って」
「……そうか」
勝母は立ち上がると、混乱している東洋一にもう一つ告げる。
「今すぐにでも風波見家に行きたいのだろうが…その前に、香取の所へ行け」
「……
「その前に風呂屋に行って、髭も剃って、髪も切るか纏めるかして……身綺麗にしてから行けよ。さもないと、お前だと気付かんかもしれん」
言いながら、ポカンとしている東洋一にだんだんと苛立ってくる。
本当にこの男は―――今まで何をしていたのだ? お前を必要としている人間は、いくらもいたというのに……。
フン、と鼻息も荒く出て行こうとする勝母を、東洋一は呼び止めた。
「勝母…お前、その目はどうした? まさか鬼にやられたという訳じゃないだろう?」
振り返った勝母は鼻で笑った。
「当然だ。これは、技による損耗だ」
「技?……」
聞き返して、東洋一は眉を寄せた。
以前に勝母に教えてもらったことがある。
花の呼吸の終の型。
自らの視力を喪失する危険性と引き換えに、鬼の動きを限界まで捉えて首を取る技。
まさしくその名の通りの、凄絶な、一生に一度しか出来ない大技だ。
しかし勝母は不敵に笑い、事も無げに言う。
「両目を失明しても仕方なかったが、幸いに片目で済んだ。まぁ、さほどでもない鬼だっということだ」
「そんな訳ないだろう。お前にあの技を出させるなら……相当の
「大した者ではない」
皮肉めいた笑みを浮かべる勝母を、東洋一は怪訝に見た。だが、その事について勝母はもはや話さず、再び念を押すように言った。
「いいな? 香取の所へ行け。明日……いや、今日中に行け」
そのままさっさと帰ってしまった勝母を見送り、東洋一は首をひねる。
「一体……なんだってんだ?」
畳に落ちた煙管を拾いあげ、こぼれた葉の始末をしながら、左近次が沈んだ口調で教えた。
「東洋一さん。香取さんは……
<つづく>
次回更新は2021.09.01.水曜日の予定です。