【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

116 / 247
第八章 昔日 -光風篇- (四)

 飛鳥馬(あすま)を送った後、東洋一(とよいち)風波見(かざはみ)家へと向かった。

 

 勝母から聞いた話が本当であるなら、きっと東洋一を恨んでいるはずだろう。

 千代にも、ツネにも…あるいはまだあの時は乳飲み子であった賢太郎の息子にも、冷たく詰られることを覚悟して、左の義足を引き摺りながら東洋一は懐かしい道を歩いていく。

 

 途中、賢太郎がよく来ていた丘の上に登り、大岩に凭れかかって眼下の景色を眺めた。

 たった五年ではあるが、今のこの国における五年という月日は、浦島太郎が龍宮城から帰ってきたと同じくらいの変貌を遂げさせる。

 

 川には渡し船がいつの間にかなくなり、橋が架かっている。以前は寺の敷地であった場所に、煉瓦造りの小学校というのが建っている。町中にはさっぱりと断髪して洋装姿で歩く男の姿も増えていた。

 様変わりした景色に嘆息すると、東洋一は再び風波見家へ向かい、歩き出した。

 

 門は固く閉ざされていた。

 どこか陰鬱な空気が屋敷全体を取り囲んでいる気がするが、それは東洋一の暗澹とした気分がそう見えさせるのかもしれない。

 

 何度となく声をかけると、脇戸がギィと開いて女中らしきそばかす顔の女が出てくる。

 東洋一の姿を見るなり、あからさまな侮蔑の色を浮かべた。

 

「……なに? 物乞いなら他をあたってちょうだい」

「……物乞いじゃない。御内儀様に…風波見ツネ殿に目通り願いたい。篠宮東洋一だと申し伝えてもらえるだろうか?」

 

 女はジロジロと不審そうに見た後、返事もせずに引っ込んだ。

 しばらくすると、ムスッとした顔で脇戸を開けて、「どうぞ」と招じ入れる。

 

 中に入ると、仏間に案内された。

 仏壇の前にツネは端座し、縁側で立ち尽くす東洋一を見ようともせず、お経を唱えている。

 

 東洋一は立ったまま待った。

 お経を唱え終えるまで、ツネは一切声をかけることはなかった。

 

「………何の用です?」

 

 読経を終えたツネが、こちらを見ることなく尋ねてくる。

 東洋一は義足を取ると、ぎこちなくしゃがんで頭を下げた。

 

「申し訳ありません、御内儀様。……只今、戻りました」

「………昔から、お前は口先だけで謝る。だから信用ならぬ」

 

 抑揚のない声で言うと、ツネはクルリと東洋一の方へと向き直った。

 ウッと東洋一の声が詰まったのは、ツネの顔に生々しい傷跡があったからである。

 

 鋭い爪で抉られたかのような痕が三筋、額から頬まで赤く瘡蓋(かさぶた)になっていた。

 その上、元から細面の神経質そうな顔つきの人であったが、今は眉間に深い皺が刻まれて、色黒な肌はツヤもなく、年よりも数倍老けてみえた。

 

 一体、なにがあった…?

 

 東洋一はもう一度平伏し、ゆっくりと顔を上げると、醜い傷痕を隠そうともせず冷たく見据えるツネと向き合う。

 

「何が、あったのです…?」

 

 声が掠れた。何をどう尋ねればいいのかわからない。

 ツネは表情を変えることなく、言い放つ。

 

「賢太郎は死にました。おそらくは……あの裏切者に殺された」

「…………嘘だ」

 

 東洋一は否定した。

 否定したものの、あの日、あの時、確かに最期まで浩太の消える様は見ていない。

 上弦の壱から救ってくれた浩太の、あの千切れた肉塊が灰となって消えるのを見ただけだ。

 

 ツネは東洋一の動揺を厳しく見つめた。

 

「お前のことです。何のかのと言っても……浩太への憐憫の情から手心を加えたのでしょう。お前がきちんと裏切者を殺さなかったから、結局賢太郎は死に、継子達はすべて喰い殺された。人の情など、鬼の前には何の意味もない。数百年続いた風波見もこれで終わり……」

「………」

 

 東洋一は震えながら、袴を掴む。

 なんと言われても仕方ない。(まっと)うしなかった自分の責任であることに間違いない。

 

 しばらく黙り込んだ後、東洋一は顔を上げた。

 

「御内儀様、どうか…焼香だけでもさせてはいただけませんでしょうか?」

 

 ツネはピクリと眉を上げる。

 チラ、と仏壇の方を見てから、その場から後ろへと下がった。

 

 東洋一は手と一つだけ残った足で這っていくと仏壇前の座布団の上に座った。

 暗い仏壇の中に位牌が三つ並んでいる。

 一つは周太郎、一つは賢太郎、もう一つ、女の戒名。中に『千』という字が組み込まれている。

 

 サァッと血の気が引いた。

 

「…御内儀……」

 

 言いかけると、隣の部屋の襖が開いて、小さな子供が姿を現した。

 暗がりにいるせいだろうか? 顔が白くて、ひどくか弱く見える。

 

「晃太郎! 何をしています!!」

 

 ツネが怒鳴りつけると、晃太郎と呼ばれた子供は、ビクリと震えて泣きそうな顔で東洋一を見てくる。

 東洋一は途端に朗らかな笑みを浮かべた。

 

晃太郎(こうたろう)? 大きくなったなぁ…」

 

 嬉しくなって言うと、晃太郎はおずおずとしながらも東洋一に少しだけ近寄った。だが、ツネはしわがれた声でなおも怒鳴る。

 

「晃太郎! あちらへ行っておきなさい!! 来客中はこちらに来てはいけないと言ったでしょう!? トラ! トラ! 何をしているんです!」

 

 大声で呼ばれ、先程の女中がふてぶてしい顔でやって来る。

 

「さっさと晃太郎を部屋に連れて行きなさい! お前は何をしてるの! 本当に役に立たない娘…」

 

 文句を言うツネを尻目に、トラと呼ばれた女中が晃太郎の手を引っ張って出て行った。

 名残惜しそうに東洋一を見つめる晃太郎に、にっこり笑いかけて見送る。

 

 晃太郎が出ていくと、東洋一はツネに向き直った。

 

「御内儀様……千代は?」

 

 東洋一が問うと、ツネは冷たく睨め上げてポツリとつぶやく。

 

「……千代は……裏切者と落ちた」

 

『死んだ』と、そう聞かされることを予想していた東洋一は、一瞬理解が追いつかなかった。

 

 不可解な表情を浮かべる東洋一を見て、ツネは震える唇から吐き捨てるように付け足した。

 

「千代は……裏切者と…鬼と一緒に行ったのですよ。夫の(かたき)(くみ)したのです」

「馬鹿な! そんな事、ありえない!!」

 

 確かに晃太郎を妊娠するまで、情緒が不安定になっていたこともあったが、晃太郎を産んだ後は憑き物が落ちたかのように、いきいきと甲斐甲斐しく我が子の世話をしていたはずだ。

 賢太郎も我が子に対しては、ぎこちないながらも親としての情愛を表すようになっていたし、その姿を見て千代は安心した微笑みを浮かべていた。

 

 たとえ夫婦としての有り様に多少問題があったとしても、夫を殺した相手に唯々諾々とついて行くような……そんな不実な娘ではない。

 

「何があったのです? お願いです、教えてください」

「聞いてどうすると言うのです? もはや片足を失ったお前に、鬼を殺すこともできまい」

 

 唇を噛みしめて東洋一は黙り込んだ。

 足はともかく、日本を離れる前に日輪刀は勝母の屋敷に置いていったので、この五年の間、ほとんど刀を握っていない。

 ツネの言う通り、今の東洋一に鬼狩りをすることは無理だった。

 

 顔を上げると、庭で晃太郎が寂しそうに遊んでいた。

 かつて練習場だった砂場で、木の枝で絵を描いているようだ。

 

 ふと、東洋一は疑問が浮かんだ。

 

「千代が……鬼と一緒に行った?」

 

 そのまま独り言のようにつぶやくと、ツネは訝しげに東洋一を見遣る。

 東洋一はツネの顔を見つめた。

 痛々しいほどの傷だ。猫に引っ掻かれた程度で済むものではない。

 

「ここに…浩太が来たのですか?」

 

 東洋一の問いにツネは答えない。

 だが凝り固まった傷痕は、それが事実だと示している。

 

「ここに…浩太が…鬼が来て…千代にもあなたにも、手をかけたあいつが、晃太郎に手出しをせずにいたと?」

 

 ツネはギロリと東洋一を睨みつけた。

 しかしブルブルと膝の上に組んだ手が震え始める。

 呼吸も浅くなっているのだろう。不自然なほどに、肩が揺れる。

 

 東洋一はその様子を訝しみつつも、それ以上聞くのが怖かった。視線を落として黙り込み、ふと、もう一つ聞かねばならないことがあることを思い出す。

 

「御内儀様、鬼殺隊からの脱退……縁を切ったというのはどういう事です? たとえ晃太郎が幼少とはいえ、それはこの風波見家においてはよくある話ではありませんか? 父を亡くしたとしても、継子達を始めとする風波見門下の弟子達で、跡継ぎを育てるのが(ならい)。なにも鬼殺隊と絶縁する必要はないでしょう……?」

 

 ツネはその話になると、直ぐに動揺を収めた。

 

「晃太郎は病弱。風柱どころか、隊士にもなれぬであろう。まして弟子達とやらがどこにいるのです? 皆、あの鬼にやられてしまった」

「それなら…」

 

 東洋一は真っ直ぐにツネに宣言する。

 

「俺が育手になります。そして、晃太郎を育てます」

 

 言うなり、ツネはピシャリと東洋一の頬を打った。

 

巫山戯(ふざけ)るでないわ! お前などに教えを乞うなど…!」

 

 それでも東洋一は目を逸らさない。

 

「御内儀様。幼少の頃にいかに体が弱くとも、鍛えれば強くなる人間もいます。晃太郎は賢太郎の息子です。必ずや……」

「やめなさい!」

 

 また、ツネは震え始める。顔が真っ青になっていた。

 

「やめなさい! そんな事…そんな事になったら……なんの為に……千代は……」

 

 すっかり狼狽したツネは、東洋一の腕をきつく掴んだ。

 苦しげに喘ぎながら、胸を押さえている。

 

「御内儀様…あなたは……」

 

 東洋一は言いかけて、唾を飲み込む。

 言いたくない。まさか、この人は自分と孫のために…あるいは風波見家という家の為に―――

 

「千代を………生贄にしたのですか?」

「っ……お前に何がわかるッ!」

 

 ツネは鋭く叫んで、東洋一の頬をまた打つ。

 ギリギリと歯噛みして、睨みつける目は血走り、青ざめた顔の傷痕はより醜く膨れ上がって見えた。

 

「私は鬼の言うことなど信じてはならぬと言うた! それなのに…千代は、あの鬼の言うままに……自ら鬼に身を…差し出した……。もはや……生きてはいまい」

 

 そのまま崩れ落ち、突っ伏したツネは、しばらくしゃくり上げて泣き続けた。

 

「…………」

 

 ツネは…決して、冷たい人ではない。

 

 東洋一は知っていた。

 ツネが最終選別へと向かう弟子達のために持たせるおむすびの具は、いつもその弟子の好物を入れてくれている。

 もしかすると最期のごはんになるやもしれないから…と。

 

 それはツネなりの優しさだった。

 

「御内儀様……」

 

 呼びかけた東洋一に、ツネはキッと睨みつけると、ユラリと立ち上がる。

 

「お前が……」

 

 ツネは拳を振り上げると、再び東洋一の頬を張った。

 ぶつぶつと東洋一への怨嗟を唱えながら、抵抗しない東洋一の頭も肩も腕も、遮二無二殴りつける。

 

「お前が…浩太(アレ)を殺らなかったからではないか! お前があの鬼を殺しさえしていれば、賢太郎は死なず、風波見家は今も続いていたのに! 千代があの鬼の(なぶ)り者となることもなく、晃太郎は父母を喪わずに済んだのに! お前のせいだ! 全部、お前が悪いッ! あの人が……お前を拾ってこなければ……っ」

 

 項垂れた東洋一の背中を、ツネはいつまでも殴り続けた。

 

「お前が一番嫌いだった! 数多の継子の中で、お前だけが特別だった。……わかっていた。あの人は賢太郎よりもお前に期待していた…ッ。……大嫌いだ! お前が死ねばよかったのにっ!!!!」

 

 手が真っ赤になるまで殴り続け、ツネはへたりと座り込んだ。

 すべての恨みを吐きつくして、口を開けたまま虚空を仰いでいた。

 涙の涸れた目はうつろで、一気に年をとったようにげっそりしている。

 

 東洋一は顔を上げた。

 縁側から、晃太郎が心配そうに見ている。

 小さい子供には大人の(いさか)いなど怖いだろうに、泣きもせずじっと見つめている。

 その大人びた表情は、賢太郎を思い出させた。

 

 東洋一はそろそろと這って、晃太郎に近寄った。

 好奇心もあったのだろう。晃太郎は片足のない東洋一を怖がることなく、待っていてくれた。

 

「晃太郎、お前……親父のこと覚えているか?」

 

 晃太郎は首を傾げた。東洋一は苦笑いを浮かべた。

 

「御父上って言うのか? 御父上のこと、覚えているか?」

「うん、覚えてるよ」

 

 晃太郎はニコッと笑った。

 

「家にいる時は、いつもお膝の上にいたの。ちちうえがご本を読むときも、みかんを食べるときも、時々一緒にうたた寝もしたよ」

「そうか。よかったな」

「ちちうえは僕がもっと元気になれるようにって…一緒に走ったりもしたよ。きっと元気になって、強くなれるって……そしたらこきゅうを教えてくれるんだ。かぜのこきゅう。ちちうえも、おじいさまも、おじいさまのちちうえも、みんなこきゅうをおぼえたら強くなったんだって……」

 

 言いながら、晃太郎は賢太郎のことを思い出したのだろう。

 急に顔を歪めた。

 

 幼いながらに、もはや父との思い出に続きがなくなったことを知っている。

 黒目がちの大きな目からハラハラと零れた涙は、あどけなく綺麗だった。

 

 ズシリと、東洋一の肩に重石がのった。

 

「その子を…鬼狩りにする気はありません」

 

 いつの間にか後ろにツネが立っていた。

 涙の跡は消え、いつも通りの堅苦しく、神経質な表情。深い眉間の皺。

 

「あの鬼との約定です。晃太郎を殺さぬ代わりに、今後一切、風波見家からは剣士を出さないこと。それと………」

 

 ツネはそれ以上、言わなかった。

 言われるまでもない。

 千代は幼い息子の為に、浩太の卑劣な申し出を受容したのだ。

 

「……二度と、来てはなりませぬ。あの鬼が…どこで見ているやもしれぬ。もはや、我らは鬼殺隊と関わりのないところで生きていくと決めたのです」

 

 頑として言うと、ツネは奥へと去っていこうとして、つと、振り向く。

 

「東洋一、今はどこにいるのです?」

「え?」

「どこに住んでいるのです? また品川あたりの飯盛女の家にでも上がりこんでいるのではないでしょうね?」

「いえ。水柱の……鱗滝左近次の屋敷で世話になってます」

「………わかりました…」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 その時は意味がわからなかったが、後日、風波見家からとてつもない荷物が届いた。

 

 蔵にあった風の呼吸に関する蔵書や、修行に使った道具、刀、周太郎や賢太郎の書付までも全て、ツネは送りつけてきた。

 

「………これ、東洋一さんが片付けて下さいよ。責任持って」

 

 左近次は呆れながら言い、東洋一もまた嘆息しながら左近次の屋敷にあった蔵の一隅を借りて、そこで一時的に保管することにした。

 

 風波見家に行った後、本当なら周太郎の墓参りもするつもりだったのだが、東洋一は行かなかった。

 

 浩太が生きているとわかった以上、自分が知らぬ振りしておく訳にはいかない。

 例え、もはや鬼狩りとしての腕が落ちていたとしても。

 

 今度こそ…確実に殺ったと報告できるまで、周太郎の墓へ行くことは出来ない……。

 

 

 

<つづく>

 

 

 






次回は2021.09.08.水曜日の更新予定です。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。