【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
口の固い、信頼できる隠の人間―――鬼蒐の者達も含めて、捜索にあたっているが、その行方は杳としてしれない。
五年の間、鈍った身体である。
そう簡単に戻るとも思えなかったが、一度その練習内容を聞くと、生半の隊士では半日保たない内容であった。
それを片足でやっている。
このまま復帰できるのではないか…とすら感じる。
半年が過ぎ―――
その日、勝母は任務を終えて山道を下っているところだった。
虚空に浮かぶ満月を見ながら、明日は柱合会議だったかな…などと考えつつも、背後からの視線はとうの昔に感じ取っていた。
迫りくる殺気を寸前で避ける。
軽く、鬼の爪があたったが、改良したばかりの隊服は傷もつかない。
咲き始めた山桜を背にして、勝母はその鬼を見据えた。
白い顔に膨れた緑色の血管。紅く光る双眸。
もろ肌を脱いだ身体中には虎のような黒い縞模様。右肩だけが異常に盛り上がって、その肩にも紅い目が一つ、ギョロリと蠢いていた。
いつもながらに醜悪なる鬼らしい姿である。
だが、通常の鬼と唯一違うところがあるとすれば、その右手に持つ刀であった。
「その刀……」
言いかけた勝母を遮って、鬼が甲高い声を上げる。
「あれぇ~? お前……お前……なんか見覚えあるぞォ」
舌足らずの、少年のような声だった。
勝母の覚えている限り、その男は既に成人して声変わりもしていたはずだが、鬼となった今ではその年齢や姿に、たいして意味はないだろう。
「私はお前の顔は覚えてないが……お前の名前は知っているぞ。
勝母が言うと、その鬼はケケケッと嗤った。
「浩太ァ? 浩太ァ? 冗談じゃないねェ~。俺には
「ふぅん。それはそれは……で、お前は十二鬼月でもない訳だな」
勝母がわかりやすく揶揄すると、紅儡はブンと刀を振る。鎌鼬のように風の刃が襲ってきたが、勝母は見切って躱した。
「ハハッハハァ……そうだ。思い出したぞ、お前! そうそう……花柱だ。あの役立たずの岩の呼吸遣いの娘だ。オレの右腕を斬り落としたあの鬼……いずれ殺してやろうと思っていたのに……。ハハハハ! せっかく黒死牟様に鬼にしてもらっておきながら、娘なんぞに殺されて……弱い弱い」
明らかに挑発してくる紅儡に、勝母はむしろ冷たい微笑を浮かべた。
「フ……そうか。父を
「唆すゥ? 馬鹿馬鹿しい。黒死牟様がお前の父のような弱い奴を誘うものか。お前の父が勝手に黒死牟様に憧れたのだ。あの強さにひれ伏し、鬼となることを望んだのだ!」
「……そうだろうな」
勝母の脳裏に父の―――鬼となった父の言葉が浮かぶ。
確かに、その鬼に対して絶対的な尊崇の念を持っていたようだ。
勝母は静かに呼吸を行い、紅儡へと問いかける。
「その鬼に、お前もひれ伏したのか?」
「なんだと?」
「お前を殺れば、その鬼は現れるのか? 黒死牟とやらは……まさかもう殺されでもしたのか?」
「馬鹿を言え! 黒死牟様は上弦の壱。鬼狩り程度に殺られる御方ではない!」
「そうか……」
ニヤリと勝母は笑った。同時に、技が唸る。
花の呼吸 伍ノ型 徒の芍薬
目にも留まらぬその剣撃の速さに、紅儡は避けることもできなかった。
咄嗟の血鬼術で己の身体を守ったものの、右足をザックリと斬られた。
鮮血が飛び散り、勝母の顔が返り血に濡れる。
「オノレ…!」
紅儡は一本足で飛び退りつつ、ブゥンと刀を振り回す。
霞の呼吸 参ノ型 霞散の飛沫
勝母も飛び退って木の上へと避ける。
刀を構えながら、つぶやく。
「霞の呼吸か……そういえば、使えたらしいな」
「ハハッハハァ!!!! 俺が風の呼吸しか使えないと思っただろう! 俺は万能だ。あの御方ですら、俺の能力を高く買って下さっているのだ!」
勝母は呆れて軽くため息をついた。
鬼になると阿呆になるのか…? それとも人間であった時の卑屈な精神が解放され、必要以上に我が身を誇大に見せるようになるのか。
間合いをとっている間に、徐々に紅儡の右足が生えてきた。さほどに再生速度は早くない。
やはり十二鬼月とは遠く及ばない………
「一つ聞く。前にお前と戦った時、篠宮東洋一の足を斬ったのは……お前か?」
勝母が尋ねると、紅儡はその名を聞くなりヒクヒクと頬を痙攣させた。
生き残ったとはいえ、おそらく東洋一から受けた恐怖は相当のものだったのだろう。
再生されたばかりの足まで、ガクガクと震えている。
「お……お……俺…だ」
「そうか、わかった」
言うなり、勝母は跳び上がる。
花の呼吸 参ノ型 零れ桜・散華
くるくると回転しながら剣を振るうと、紅儡に向かって細かい斬撃が集中する。
歯軋りしながら、紅儡はあわてて血鬼術を放つ。
血鬼術
細かい風の刃と、桜の花びらが舞い散るが如き無数の斬撃がぶつかり合う。
勝母はその血鬼術の全ての攻撃を避けきれなかった。腕と足首に血が走る。
だが、紅儡も上半身に無数の小さな切り傷を負っていた。だが瞬時にそれは消える。
勝母の着地を見計らったように、紅儡は呼吸の技で攻撃してきた。
風の呼吸 肆ノ型 昇上砂塵嵐
凄まじい旋風が下から吹き上げてくる。
着地と同時に回転して勝母は避けたが、さすがは呼吸の技だけある。
躱したと思っても、風の呼吸ならではというべきか、風圧だけで丈夫な隊服を切り裂いた。着ていなかったら、ざっくり腹をやられて内蔵がこぼれ出しているところだ。
それに鬼としての攻撃のせいか、通常の呼吸技と違い、
稽古としてなら何度となく受けたことのある技であっても、鬼となった者が使えば、その威力は増し、何か違った形のものとなっているようだ。
紅儡はニヤリと笑うなり、また技を放つ。
風の呼吸 弐ノ型 爪々・科戸風
これも同じだった。
真っ直ぐに向かってくるはずの四本爪が、百足のように屈折しながら襲いかかってくる。
だが、今度は避けずに技で応対する。
花の呼吸 弐ノ型 御影梅
幾重もの刀影が閃いて、斬撃そのものが勝母の壁となった。
「くッ……オノレ!」
紅儡は傷一つなかった勝母に歯噛みすると、血鬼術を放つ。
血鬼術
だが、勝母は既に次の行動に移っていた。
真上から呼吸音が響き、紅儡はすぐさま上を向く。
闇の中で真っ黒な影が空から落ちてくる。
獲物を狙う猛禽のような爛々とした瞳が迫ってくるのを、紅儡は凝視するしかなかった。
花の呼吸 陸ノ型 渦桃
―――……え?
その声を発したのかどうかすらわからない。
動きが速すぎて見切ることができなかった。
紅儡が身動きできぬ間に勝母の日輪刀が唸り、
そのままタン、と軽やかに着地し、クルリと前方に一回転しながら、勝母は刃を振るった。
花の呼吸 壱ノ型 椿の
ザクゥッ!
花の、軽やかな呼吸からは考えられないほどの、重い斬撃。
瘤のようになった右肩の、ちょうど目の部分を真っ二つに切り裂いた。
「ィ……ヒヒイィィィィィィ!!!!!!!!!」
紅儡が甲高い悲鳴を上げる。
メリメリと肉が裂ける音がして、腕がゴトリと落ちる。
鮮血が噴き出し、大量の血が一気に血溜まりを作った。
「お前が二つ首を持つことは、既に東洋一から聞いている。同時に落とすことで、死ぬこともな」
「ゥイッ……ヒ…ヒ…イャ…ヒ……ヒ…ヒ」
青ざめ震えながら、紅儡はゆっくり塵と化す。
勝母は眉を寄せた。
再生も遅いが、塵と消えるのも遅く感じる。
それとも、この鬼に対する苛立ちがそう思わせているのだろうか?
勝母は転がった紅儡の頭に刀をつき立て、持ち上げた。
真っ直ぐにその目を見据えながら、低い声で話しかける。
「フザけるなよ、紅儡とやら。お前ごときにやられる篠宮東洋一ではない。あいつの足をやったのは、黒死牟とやらだろう?」
「…ウ……ウ……」
「憐れよな。鬼となってまで強さを求めても、所詮は東洋一にも、賢太郎にすら及ばぬ……。お前は雑魚だ」
「ウ…ウ…と、よ…ィィ…ヒ」
眉間を貫かれ、紅儡は目を寄せながら、口からだらしなく涎を垂らす。
あまりに不様な姿に、勝母は片方の口角だけを上げて、嘲笑った。
「もはや鬼殺隊に留まる理由はないと思っていたが……有難いことにお前のお陰で、理由が見つかった。無駄なお喋りにつき合った甲斐があったな」
言っている間にその頭も腐った臭気を漂わせながら、塵となって消えていった。
すべての身体が塵となったのを見届けた後、残されていたのは刀の鍔だった。刀身は紅儡の肉塊で変質させられていたのか、消え失せている。
血がこびりついたその鍔を勝母は拾い上げた。
風切羽の意匠を凝らした、風波見家特有の鍔。
今や、この鍔を持つ剣士は皆無だ。
「いや……一人いるか」
独り言ちて、勝母は再び山を下っていった。
◆◆◆
「紅儡は殺ったぞ」
舞い落ちた桜の花びらを肩の乗せて、勝母がやって来たのは朝だった。
隊服には返り血が乾いてこびりついていた。
どうやら任務を終えて、そのまま来たらしい。
「……コウ……ライ?」
朝の修練を終えて、井戸で顔を洗っていた東洋一は、その第一声にポカンとして口を開けたままになった。
勝母は寝不足もあってか、不機嫌だった。
「鏑木浩太かと尋ねたら、紅儡だとかいう趣味の悪い名前をつけられたらしい。そう呼べというから、そう呼んでおく。とにかく、裏切者は成敗した」
早口に言う勝母に、東洋一は呆然として問い返した。
「………本当か?」
「嘘を言ってどうする? お前と違って、私に嘘を言う理由はない」
苛々として言いながら、勝母は巾着の中から鍔を取り出して東洋一に差し出した。
「ホラ…これで信用できるか?」
八枚の風切羽の鍔。
風波見門下生を示すそれを持つのは、今は東洋一と、随分昔に引退した風波見家縁の育手達のみ。
浩太が…紅儡が、まだ自らの刀を持っていたのか、あるいは殺した風波見家の門下生から奪ったのか…? いずれにしろ―――――
東洋一は受け取りながら、勝母が間違いなく裏切者を殺したことを確信した。
同時に、もう二度と自分は浩太に会えなくなったことも……。
「………すまん」
絞り出すように言ったその言葉は、わずかに震えていた。
勝母は眉をひそめると、ハァーッと溜息をついて縁側に腰かけた。
お茶を出しに来た手伝い婆に、おむすびを頼んで、温かい茶を美味そうに飲む。
「東洋一……」
勝母は東洋一の義足を睨みながら尋ねた。
「お前のその足をやったのは、黒死牟だな?」
「黒死牟?」
「上弦の壱だ。おそらく、その鬼が浩太を鬼へと変えた……」
「………」
東洋一の記憶から決して消えることのない、あの異様なる鬼。
場が一気に変転して、重く、潰されそうな圧に、立つのも苦しくなる……。
未だにあの時のことを思い出すと、息切れしてきそうだ。
「……それは…もう関係ないだろう」
「お前にはな。だが、私は知りたい。どんな鬼だった?」
東洋一は勝母を見つめた。
落ち着いて見えるが、目があの時と同じ――東洋一が岩の呼吸を使う鬼と出会ったことを喋ったときと同じに、爛々として光っている。
「………お前、まさかあの鬼と対峙する気か?」
「さぁな。今回のように、たまさか向こうからやってくる事もあるやもしれぬし、一生ないかもしれぬ。いずれにしろ、会った時にそれとわからぬでは困るではないか」
「………わからない訳がない」
東洋一は静かにつぶやく。「あんな鬼がいくらもいたら、この世は既に滅んでいる」
「ふぅん…」
勝母はニヤニヤと笑った。
「面白いな。篠宮東洋一をして、そうまで恐れさせるとは……で、特徴は?」
「……あまり覚えていない。目が六つあって……見たことのない呼吸の技を使っていた…」
「六つ目に未知の呼吸か…。なるほど」
婆が作ってきてくれたおむすびをあっという間に二つ平らげると、勝母は立ち上がった。
「では、今日はこれぐらいにしておいてやろう」
「……今日は?」
振り返ると、勝母は東洋一を睥睨する。
「あぁ、そうだ。まだ用はあるからな。また勝手にどこぞに行くなよ。いいな?」
先手で釘を刺される。
正直、再び船に乗ってどこかに消えたかったが、今回の借りを返さずに逐電するのは、あまりに非人情だろう。
そういう東洋一の気持ちを見越した上で、勝母は付け加えた。
「そうだ。お前の刀だが、取りに来い。研ぎに出しておいたのが戻ってきている。代金はとりあえずツケておいてやろう」
「えぇ?! 払うのか? 俺が?」
「当たり前だ。お前の刀を保管しておいてやったんだぞ。保管料も貰っていいぐらいだ。そっちもツケようか?」
事もなげに言って、勝母は意地の悪い笑みを浮かべる。
「………すいません、勘弁して下さい」
早々に降参して、東洋一は頭を下げる。……
ケラケラと大笑いしながら、勝母は去って行った。
東洋一はその後ろ姿を見ながら、寂しいような誇らしいような奇妙な心地だった。
自分よりも小さいはずの勝母の姿が、とても頼もしく見えた。
<つづく>
次回は2021.09.15.水曜日に更新予定です。