【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第八章 昔日 -光風篇- (七)

 久しぶりに風波見(かざはみ)家を訪れたものの、やはり無愛想な手伝いの女は、東洋一(とよいち)を見るなり冷たく言った。

 

「大奥様なら坊っちゃんを連れて、墓参りに行きました」

 

 頭を下げて、東洋一はすぐに向かった。

 

 風波見家代々の墓は、風波見家から歩いて十分ほどの、小さな林の中にある。

 林の手前に泉が湧いており、そこで手桶に水を汲んで墓までの道を歩く。若い枝木が新緑の影を落とす中、涼やかな風が吹いていた。

 

 やがて前方にこんもりと台地状の土地が見え、その上に白い墓石が建っている。

 途中から石畳が並び、その両側を八重山吹が黄金の花びらを散らしていた。

 

 墓の前でかがみ込んで手を合わせているツネの後ろで、東洋一は黙って立っていた。

 早々に気付いた晃太郎(こうたろう)が祖母の袖を引っ張る。

 ツネは振り返ることなく、問いかけた。

 

「誰ぞ?」

 

 東洋一は頭を下げて「篠宮です、御内儀様」と呼びかけた。

 

 ツネはそれでも見向きもしない。

 

「何の用か?」

「……ご報告に上がりました」

 

 その言葉にようやく振り返る。

 相変わらず痛々しいまでの鬼の爪の痕は、険しいツネの表情に、より凄味を持たせていた。

 

「報告であれば……先にこちらに申し上げるべきでしょう」

 

 そう言ってツネは立ち上がると、横へとずれて、東洋一に墓の前の場所へと促す。

 

 東洋一は軽く頭を下げると墓の正面に立ち、深く礼をする。そのまましばらく瞑目して無言であった。

 やがて顔を上げて、ツネへと向き直る。

 

「……浩太は、死にました」

 

 ツネの眉がピクリと動く。

 猜疑の目で東洋一を見つめる。

 

「それが本当だという証は?」

「浩太を殺したのは、俺ではありません。花柱…五百旗頭(いおきべ)勝母(かつも)です。信じられぬのであれば、彼女に直接(ただ)して頂いてかまいません」

「そなたと花柱は昵懇であったはず。口裏合わせてどうとでも言えましょう」

 

 東洋一は懐から、勝母の持ってきた鍔を出した。

 

「これで、信じていただけませんか?」

 

 ツネは受け取ると、その鍔を丹念に見つめる。

 裏返すと、眉を寄せてポツリとつぶやいた。

 

「賢太郎のものです……」

「そうなんですか?」

「………柱となった時に新調したのですよ。裏にのみ金細工がしてあって……わずかに金箔が残っておる……」

 

 言い終えぬうちに、ツネの目から涙がこぼれた。

 震える唇を噛みしめて、嗚咽を殺す。

 晃太郎が心配そうに見上げて、ツネの手をギュッと握った。

 

 ツネは顔を俯けると、袖で目を押さえた。涙を拭いて、二度ほど深呼吸すると、また元の冷厳な表情に戻っている。

 

「花柱か。………昔、賢太郎が花柱は阿修羅のごときと……言うてましたな」

「阿修羅……」

 

 かつて仇敵である父を追って、それこそ人ならざる姿となっていた勝母の姿が浮かぶ。

 

「あの者の戦いはまさに獅子(しし)搏兎(はくと)也と……これは、我が夫の言葉」

「……成程」

 

 獅子搏兎…獅子は兎のような弱い獲物にも全力で捕えに行く。

 どのような鬼であれ、勝母が手を抜くことはあり得ない。

 それがかつての同胞たる隊士であれ―――父であれ。

 

「花柱があの裏切者を成敗したというのなら、きっと真実でしょう。これで、賢太郎と千代の仇は打てた……」

 

 ツネはそう言いながらも、少しも嬉しそうではなかった。

 ふっと目を伏せて、傍らで手を握る晃太郎を見遣る。

 

「これで…あの鬼との約束は……呪いは消えた。けれど、鬼殺隊に戻ることは致しません」

 

 きっぱりと言い切って、ツネは顔を上げた。

 

「この子を隊士にする気はない。この子だけでなく、今後、風波見家から風の呼吸の剣士を出すことはありません。子々孫々永遠に」

 

 その言葉を聞いて、東洋一は確信した。

 ツネは晃太郎が実は浩太の子供であるという事を知らない。賢太郎の子と信じている。

 

 一瞬だけ、言うべきかどうか迷った。

 だが、答えは明白だ。

 千代が命をかけても秘密にしたものを、東洋一が台無しにすることはできない。それはきっと賢太郎も望んでいない。

 

 浩太の息子だとわかっていても、それが後悔からくるものであるとしても、賢太郎は間違いなく晃太郎を愛しいと思っていたのだろうから。

 そして、ツネもまたその遺志を継ごうとしている……。

 

 だが、このまま風波見家が鬼殺隊と断絶するのを見過ごすわけにはいかなかった。

 

「……御内儀様。それでは…風の呼吸は……柱は、誰が継ぐのです? 遥か遠き昔より数百年、風波見家が柱としての責を担ってきたものを」

「知らぬ」

 

 遠い目で冷たく言い放つツネに迷いはない。

 困惑する東洋一に冷淡な一瞥をくれた後、ツネは墓を見上げた。

 

「東洋一……そなた鬼殺隊というものを何だと思います?」

「? ………どういう意味です?」

 

 東洋一はツネの真意がわからなかった。

 墓を見つめたまま、ツネは低い声で話しかける。

 

「……鬼殺隊が生まれて幾星霜。いったい、幾万の(つわもの)が鬼の爪牙にかかって死んでいったことか……。あれほどに死をつくりながら、まだ尚、鬼を追う。まるで、荒れ狂う大波に逆らうが如く……大地の震えに立ち向かうが如く……なんの意味があるというのです?」

 

 抑揚もなく、掠れた声で話すツネは無表情だった。

 彫像が話しているようにすら思える。

 

 東洋一は慄然として眉を寄せる。

 だんだんとツネが恐ろしくなってきた。

 一体、何を話そうとしているのだろう…?

 

 もはや東洋一でなく、墓に向かってツネは話していた。

 

「……逆巻く波に楯突いて、轟く地のうねりに刃を突き立てて、なんになると? 鬼は災厄です。誰の身にも、不意にふりかかる。偶然に鬼という災厄に巡り合うことは不運です。皆、出来うれば不運から逃れたいと思っているものを……鬼殺隊士は自ら不運を拾い集めている…………東洋一」

 

 急に呼びかけられ、東洋一は戸惑いつつも「はい」と返事する。

 

 ツネは真っ直ぐに東洋一を見つめ、断言した。

 

「お前達は、愚かです。鬼殺隊など、産屋敷の執念が生んだに過ぎぬ。産屋敷の私怨に巻き込まれているのですよ、お前達は。皆、すべて……」

 

 東洋一は息をのんだ。

 

 今、ツネが言っていることは、東洋一のこれまでの生き方を否定しただけでない。

 賢太郎も、周太郎も、これまでの時代の中で必死に鬼狩りとして生きてきた全ての隊士を否定していた。

 

 東洋一は…だが、それでもすぐに反駁できなかった。

 

 最初の夫を亡くしてから、ツネは何人の死を心に刻んだろうか。

 やかましく言いながらも、世話をしてきた継子達の死に向き合う度に膨れ上がる疑問を、風波見家のため…ひいては鬼殺隊のためにと、ずっと無視してきたのだろう。

 だが、とうとう息子を(うしな)い、孫すらも自分よりも先に逝くかもしれぬという恐怖の中で、鬼ではなく鬼殺隊への怨念を深めたのだろうか……。

 

「駄目ッ!」

 

 険しい顔をしてツネを凝視する東洋一から守るように、晃太郎がツネの前に立って、手を広げていた。

 

「お祖母(ばあ)様を…泣かせないで!」

 

 東洋一はポカンとして晃太郎を見た。

 顔を真っ赤にし、必死で東洋一を睨みつけている。

 

 知らぬ間に自分は怖い顔になっていたのだろうか……と、東洋一は少々乱暴に頬をさすった。

 

「すまん、すまん」

 

 あわてて笑顔をつくって、晃太郎の頭を撫でた。

 

「お祖母様をいじめてると思ったか? すまんな、怖がらせて」

 

 ツネもまた、ふっと目に柔らかな光が浮かぶ。

 

「晃太郎、大丈夫ですよ。この人は……晃太郎のお父上の兄弟子であったのです。お父上が最も信頼した……憧れていた男だったのですよ」

 

 それはおそらくツネの、最初で最後の東洋一への賛辞だった。

 

「父上の……おともだち?」

 

 晃太郎は首を傾げて問いかけてくる。

 東洋一はニッコリ笑って頷き、また晃太郎の頭をくしゃくしゃと撫でた。昔、賢太郎にしてやったように。

 

「御内儀様」

 

 顔を上げると、やはり厳しい顔のツネと目が合う。

 

「御内儀様……貴方のご覚悟と、決心は、重々承知致しました。今まで……お世話になりました」

 

 そう言って東洋一が頭を下げると、ツネは堅い表情のまま頷く。

 東洋一はもう一度だけ、墓に向かって軽く頭を下げると、踵を返して歩き出した。

 

 石畳の上に八重山吹の花びらが散り、風に吹かれて渦巻く。

 振り返ると、晃太郎が手を振っていた。東洋一は笑って、手を振り返した。

 

「また来てねーっ」

 

 大声で晃太郎が叫ぶ。

 東洋一は返事することなく、大きく手を振ると、再び背を向けて歩き出す。

 

 おそらく…もう、来ることはない。

 この場所は思い出がありすぎて、変化していく姿を見るのが辛い。

 あの頃の思い出のままで、留めておく。

 

 だから、二度と来ない。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 風波見家を訪れて数日後、勝母の屋敷に呼ばれた。

 

 裏切者を成敗したことを風波見家に報告しに行ったと告げると、勝母が問うてきた。

 

「それで? あの家は結局、また鬼殺隊(こちら)に戻るのか?」

「いや……もう、今後一切の関わりは持たないと仰言(おっしゃ)られた」

 

 勝母はジロリと東洋一を睨め上げた。

 

「それで? お前、ハイハイと了承して帰ってきたのか?」

「駄目だったのか?」

 

 問い返す東洋一に、勝母は呆れ返った溜息を投げつける。

 

「私は、お前こそ再興に力を貸すだろうと思っていたんだがな…。賢太郎の息子はそんなに病弱なのか?」

「いや、元気に見えたが。でも、御内儀様がもう……鬼殺隊を信頼されていないとわかったんでな……」

 

 勝母は眉を寄せた。「どういうことだ?」

 

 東洋一は返事をせず、浮かない顔で、縁側の向こうに見える庭を見た。

 

 朝からの雨が止んで、ゆっくりと雲が千切れ、日が差し込んでいる。

 のどかで穏やかな午後。

 どこからか入り込んだ猫が、修練用の砂場で昼寝をしていた。

 

 未だに東洋一にはあの時ツネに言われたことが、頭にこびりついていた。

 あまりに苦しい選択の中で、その考えに至ってしまったというツネの心情は理解できても、受け入れることは到底できない。

 だが、明確に『違う!』と反論できるだけの言葉を見出だせなかった。

 

「……鬼は災厄だと思うか?」

 

 ポツリとつぶやいたその言葉に、勝母は「は?」と問い返した。

 

「鬼は天変地異のような災厄で……隊士は不運をわざわざ拾いに行って……命を奪われる。愚かな……行為なのか……?」

 

 言いながら、東洋一は拳を握りしめた。

 そんなことはない。そんな筈はない。決して…。

 あの日、泣きぬれて絶望しかなかった自分に、差し伸べられた手が、不運へと誘うものだったわけがない。

 

 自分も、師匠も、死んでいったすべての者達を、そんな簡単に冒涜しないでくれ…。

 

 苦しげに歪む東洋一の顔を、勝母は冷ややかに見据えた。

 

「馬鹿かお前は」

 

 鋭く東洋一の迷いを斬り捨てる。

 

「鬼が災厄だと…? 馬鹿馬鹿しい。奴らは鬼だ。鬼以外の何者でもない。鬼に出会った不運を嘆いて、そのままメソメソ泣いて日々を過ごすのは勝手だが、私は剣をとったのだ。奴らに立ち向かうことを選んだ。隊士は皆そうだ。百歩譲って、奴らが天変地異と同じ、大いなる災厄だからといって、それに抗おうとする人間が愚かだとは思わない。たとえ命を失うことになっても、想いを繋ぐ。連綿と……。鬼殺隊はずっとそうしてきた。これからもそうだ」

 

「……想い…」

 

 東洋一の脳裏に浮かんだのは、ツネを庇っていた晃太郎の姿だった。

 悲しく震えていた祖母を、小さいながらに守ろうと必死で両腕をあらん限り伸ばして―――。

 

 大事な人を守るために、これ以上悲しみに泣き震える人を出さぬ為に、鬼を狩る………。

 

 それは誰に言われるまでもなく、鬼殺隊にいる人間であるならば共有する想いだった。当たり前すぎて、意識したことすらなかった。……

 

 東洋一はまじまじと勝母を見つめた。

 

 五百旗頭勝母。

 初めて会った日には酒をぶっかけてきた短気な少女が、いつの間にこれほどまでの知性と徳を身に着けたのだろうか。

 もはや自分など到底及ばぬ境地にいる。

 周太郎に感じていたのと同じ、全幅の信頼感。

 

 ―――――これこそが柱の柱たる所以(ゆえん)なのか。

 

 ハアァーッと長い吐息の後に、東洋一は頭を下げた。

 

「……完敗です」

「当然だ。いつ勝てると思ってたんだ?」

「言いやがる……」

 

 フッと笑った東洋一に、勝母は当たり前のように命令した。

 

「迷いが消えたなら、育手になれ」

「は? 育手?」

「そうだ。風の呼吸は今や滅びつつあるんだぞ。誰かが伝えていかねば、数百年の技が失われる。お前、このまま知らんふりして、浄土にいる風柱様に顔向けできるのか?」

「それは…そうかもしれんが」

 

 正直、自分が人を教えることに長けているとは思えない。自分でもどうやってやってこれたのかよくわかってないのだから。

 

「うだうだ悩むな。お前が悩んだところで、たかが知れている。やるだけやれ。やってから悩め」

「お前……だんだん俺を馬鹿にしていってないか?」

「悪いか? だいたい、お前に悩む選択肢があるとでも思っているのか? 私が言っているんだぞ。この私が。お前に」

「……なんだよ?」

紅儡(こうらい)のことも含めて、どれだけ貸していると思ってるんだ? 育手をやることぐらいで返済できると思うな」

 

 言われて、東洋一は勝母の薄紅に染まったままの動かぬ右目を見つめた。

 

 そうだ。

 代わりに父親を殺ると言ったのに…それすら果たすこともできなかった。

 たとえ憎しみの対象であれ、親殺しの重荷を背負わせることはしたくないと……あの日、周太郎に刀を託されたものを。

 

 本当に……どれだけ借りがあるかわからない。

 

「……わかったよ。やりゃいいんだろ。出来るかわからんが、やるだけやるさ」

 

 あきらめて承諾すると、勝母は勝ち誇ったように笑みを浮かべた。

 

「あぁ。どこでやるのかはお前に任せてもいいが……」

 

 トントンと指で座卓を叩きながら、勝母は思い出したようにつぶやいた。

 

「そういえば、里乃だがな」

「は?」

「お前と別れた後に、大工の女房になったんだ」

「………そうか」

 

 気のいい男と結婚すればいい…と思っていたので、それは祝福しよう。

 

「だが、一年ほどして離縁した」

「ハァ?!」

「相手の男がとんだ浮気者でな。三行半を突きつけて、早々に家を出たらしい」

「…………」

「今は故郷の諏訪の方に戻って、祖母のやっていた店を継いでるらしい」

「…………なんでそれを俺に言う?」

「別に。ただの情報だ。昔馴染の。懐かしいだろう?」

 

 勝母は少し―――かなり意地悪そうな笑みを浮かべて、楽しそうに東洋一を眺めている。

 東洋一は渋面になってそっぽを向いた。

 どうも日本に帰ってきてからというもの、この女の掌の上で転がされ放題だ……。

 

「藤の家を通じて適当な屋敷を押さえてあるから、とっとと行け」

「なんで決まってんだよ。場所は任せるんじゃなかったのか!?」

「じゃあ、行くアテがあるのか?」

「…………」

 

 勝母はニヤリと笑うと立ち上がった。

 

「話は以上だ」 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 東洋一は本部から用意された新居に向かって歩いていた。

 

 梅雨の雨をたっぷりたたえた田園は、眩しい日の光を受けて、稲が青く伸びていた。

 その先に広がる雲の峰。

 荷車の砂ボコリが舞う街道の道を進み、山に入れば、滴るほどの緑が枝を高く広げている。

 木漏れ日の中を鳥達がやかましく飛び回っていた。

 初めて周太郎に会ったあの日から、もう二十年が過ぎていた。

 

 雨はとうに止んだ。

 

 初夏の光の中で鬼狩りとしての日々は陽炎のように揺らめく。

 そうしてそのまま、遠い過去のものとなるだろう。

 

 これからは想いを伝える。

 

 育手として……やれるだけ、やる、だけだ。

 

 

 

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 篠宮東洋一は、風波見家のことはこれで帰結したのだと…思っていた。

 

 が。

 

 呪いは再生し始めた……。

 

 

 

<つづく>

 

 

 






次回は2021.09.18.土曜日の更新予定です。


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