【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
守と三郎が寝た後、一人で晩酌をしていた
「先生の話から考えると、
東洋一はぐびりと猪口の酒を呷ってから頷いた。
「……だろうな。
「右腕…というのは、やはり鬼との戦闘で右腕を失ったことによる異様な執着がそういう特異な
「おそらくな。右腕を失くして、足も不自由になって……相当に焦りを募らせたんだろう」
薫は翔太郎のことを思い浮かべた。
彼もまた右腕を失った。左腕も、あるいは後遺症が残るかもしれない。
紅儡は、自分の味わった苦渋を翔太郎にも与えたかったのだろうか…?
陰惨な想像に薫は軽く息をついて、最初の話に戻る。
「勝母さんは、確実に殺したと言ってました。他の鬼と同じように塵となって消えた…その最後まで見届けたと。先生はそれができなかったのですよね?」
「あぁ。塵になりかけていたのを見ていて襲われたからな」
「上弦の……壱」
東洋一は徳利から猪口へと酒を注ぐと、一口呑む。
「未だに、あの時のことを思い起こすと凍りそうになる。生きているだけ、奇跡だな」
「先生が一太刀すら届かなかったなんて、信じられません」
「正直、どうやってあの鬼と対峙していたのか記憶が朧でな。憶えているのは、もう確実に死ぬと思った瞬間に、浩太が………」
言いかけて東洋一は眉を寄せる。
あの時、自分を上弦の壱の凄まじい剣戟の刃から庇うように覆った肉塊。
どう考えても、あれは浩太だった。
だが、消えつつあった浩太にそんなことができたろうか?
それに……なぜ鬼となった浩太が自分を助けた? まだ、人間としての
額を押さえて考え込む東洋一に、薫は顔を俯けた。
幼い頃から知っている弟弟子の変わり果てた姿を見た時、どれほどに哀しかったことだろう。ましてその相手に刃を向けねばならぬという状況に、どれほど苦しんだか……。
だが、そんな東洋一の苦悩など知らぬとばかりに紅儡は嗤っていた。
―――――あの篠宮東洋一の弟子だと!? なんという偶然だ…!
まるでその運命を待っていたと言わんばかりに。より苦しみを与えることを悦ぶかのように。
おぞましい鬼。疎ましい鬼。
鬼狩りの誇りを捨てて鬼と成り果て、何度屠っても現れる……恨みと呪い。
それでもまだあの鬼の中に、人間としてのひとかけらの断片があると、東洋一は信じているのだろうか……。
「浩太が…もし儂を庇って助けたのだとしたら、あの場には上弦がいたんだ。ただで済むはずもない」
「確かに……そうですね」
「いずれにしろ、儂は浩太……いや、紅儡の肉塊の一部が塵となって消えていくのは見た。死んだと見て間違いない、と思う」
「それから数年して、再び風の呼吸遣いを襲った。ということは、おそらく復活した。そう考えてよさそうです。問題は首を落としても死なぬ鬼であるならば、今後どうやって戦うべきなのか……」
「それだがな…。勝母は欠片も残さず消えたのを確認しているわけだ。だとすれば、一つの個体が何度も復活していると考えるのも無理があるだろう?」
「じゃあ、分身ですか?」
その事は勝母とも話し合ったが、分身であるなら一度に集中して攻撃する…という最大の利点を活かさないことに疑問が生じる。
時間をあけて襲われても、その都度、撃破すればいいだけなのだから。
実際、昔から今に至る流れの中でも、結局東洋一にも勝母にも殺られている。
薫は打ち損じたかもしれないが、再び目の前に現れれば粛々と成敗するだけだ。
「うーん……そうじゃなくてな」
東洋一は否定すると、猪口の酒を飲み干す。
「双子や、三つ子というのがたまにいるだろう?」
「え? ……はい」
「あれらは分身じゃない。だが、まったく相似したものが二つ、三つあるわけだ」
「紅儡が、そうだと?」
薫が首を傾げると、東洋一は遠い目をしながら話し始めた。
「…………昔、親父と旅をしてた頃にな、よく世話になった
「……意識感覚を共有しているということですか?」
「よくわからんが…人間であっても、そういう不思議な性質を持ってるわけだ。紅儡が鬼となった時に、一体どういう変化が起きたのかは、知りようもない」
―――――鬼の
勝母も同じことを言っていた。
いずれにしろ、紅儡であれ何であれ鬼であれば斬って捨てる…という基本方針に変わりはない。
ただ、もしそういう鬼が紅儡だけでなくなっているのならば……これからの戦闘においては随分と面倒になるだろう。
首を斬っても死なぬ鬼など…どう対処していけばいいのか……。
薫が考えていると、東洋一はふと思い出したように言う。
「それに、お前から聞いた姿形を聞いても全く同一とも言えない。儂の時には確かに右肩はひどく盛り上がってはいたが、目などはなかった。顔もまだ人間であった時の面影が濃く残っていたしな」
「そうですか。ではやはり、単純な分身とは考えられませんね。それに勝母さんに討伐されてから三十年近くが過ぎていることもおかしな話です。先生の話からすると、先生が討たれた後は、四年から五年で紅儡は再び姿を現して、風の呼吸の剣士達を次々に殺していっている。翔太郎くんのお
そのこともまた、紅儡という鬼の生態を含めて、誰にも答えられようのないことだった。
東洋一はまた酒を猪口に注いで、一口含むと、溜息をついた。
「三十年も経れば、普通の鬼であれば人間としての記憶を失って、ただただ人の血肉を求めるだけなんだろうが、また
暗い声でつぶやく東洋一の顔には、再び起きた惨劇へのいたたまれない後悔があった。
きっと、三十年前、風波見家の墓を後にした時には全て終わったと、そう思っていたのだろう。
しかし紅儡の悪夢は再燃し、東洋一は二度までも風波見家を―――ツネを騙してしまう結果になった。
薫は慰めの言葉をのみこみ、あえて仕事としての話を続けた。
「先生のお話を伺う限り、鏑木浩太は精神を病んでいたとしか思えません。自分の利き腕を失ったことで絶望し、焦り、自暴自棄になった。その上で風波見家への恨みを持ったのは……」
言いかけて薫は口を噤んだ。
嫉妬……それは男女間なら、よくある話だ。
昔から芝居でも、物語でも、それこそ陳腐なくらいに語られ尽くしてきた。
その我儘で自暴自棄な葛藤は、他人も自分も傷つける。
わかっていても、止めることができない。
薫ですらも、それに囚われかねない状態の時はあった。
いや、今だって心の奥底ではまだ燻っているのだろう。
いつ何時、また燃え始めるかはわからない。
誰かを好きになることと背中合わせに、『嫉妬』という醜い感情はべったり貼り付いているのだ。
東洋一はフッと自虐的な笑みを浮かべた。
「儂はどこまでもあいつらを子供扱いしていたんだ。若いうちの恋なんぞ一過性の…風邪みたいなものだから、いずれ千代以外の女を好きになって、忘れればいいのだ、と軽く思っていた……。そこまで浩太が思い悩んでいるとも思ってなかった。まして……」
―――――千代と浩太にそういう関係があったなどとは、夢にも思わなかった。
東洋一の沈んだ表情を見ながら、薫は深呼吸をして軽く頭を振った。
今は風波見家の話だ。
「先生は、紅儡が知っていると思いますか? その、
「わからん。知っているかもしれない…という推測だな。事実として紅儡はあの後、風波見家を襲ってはいない。
「ですが…私は疑問です。紅儡は今回、翔太郎くんを風波見家の子孫であるとわかった上で襲っているはずです。妹さんも…。自分の血を継ぐ者に危害を加えるでしょうか?」
薫の問いに東洋一は眉を寄せる。
確かに、翔太郎やその妹は浩太にとっては孫にあたる存在だ。
知ってて手を下すには、躊躇する相手ではないか…?
たとえ鬼となっても、最後には自分を助けようとしていた浩太の事を考えると、そこは確かに矛盾する。
薫は冷静に分析していた。
「あるいは長い年月の中で、他の鬼と同様に記憶を失っていった…ということも考えられますが、私はあそこまで風波見家に対する恨みの深い紅儡が、そんな重大なことを忘れるとは思えないのです。それに紅儡に拉致された千代さんが、果たして話せるような状態であったのか……」
東洋一はしばらく考え込んだ。
確かに、あの賢太郎の書付を見た時にはそう思い込んだが、千代が浩太に子供の事を話したという確証はない。
薫の言う通り、浩太はまだ知らないのかもしれない。
「ただ、そうなると何故、千代を攫った後に風波見家を襲わなかったんだ? 鬼殺隊と縁を切る約束など、意味があるとは思えんが…」
「それは……」
薫は東洋一がそんな質問をすることに、少し驚いた。
だが
「先生…紅儡からすれば、賢太郎さんを殺して、千代さんを攫ったことで、ほとんど復讐は終わっています」
「…………」
東洋一は胸を衝かれた。
言われてみれば、浩太が鬼となった最大の理由が千代に裏切られた…と、勘違いしたことにあるのなら、あの二人の死で恨みは果たせただろう。
しかしそれよりも今、東洋一が驚いたのは、目の前にいる薫にだった。
会った時から年不相応に落ち着いた、大人びた娘であったが、いつの間にか艶めいた陰影のある表情をするようになっていた。
もはや一人の女と感じさせるほどに。
ふと、脳裏に別の弟子の姿が浮かんで、東洋一の眉間の皺は深くなる。
薫は東洋一の動揺を知らず、冷静な口調で話し続けた。
「単純に興味がなくなった……あるいは、紅儡にとっては風波見家から風の呼吸を奪うこともまた、復讐の一つだったのでしょう。だから、約束が守られる限りにおいては襲わなかった。けれど翔太郎くんが鬼殺隊に入ったことで、約束が破られたことを知り、激昂したのかもしれません。いずれにせよ…私の会ったあの鬼が鏑木浩太という、元隊士であることはわかりました。再び
冷たい眼差しで宣言して、薫は東洋一を見据える。
「あぁ…そうだな」
東洋一は深く頷いて、笑いかけた。「そう怖い顔しなさんな。今更、紅儡を再びお前さんに討たれようと、恨みに思うことはない」
薫もニコリと微笑む。
「色々と、話して下さってありがとうございました」
東洋一は酒を一口含んで、くしゃりと笑う。
「年寄の長話だったがな。お前さんもよく飽きずに付き合うことだ」
「いえ、とても楽しかったです。勝母さんが、そんなに生意気だったなんて思いもしませんでした」
「儂だって、アレがあぁなるとは思わなかった。旦那がなんというか……特殊だったな」
「お会いになった事があるんですか?」
確か、勝母の夫は医学博士で大学の教授だったと聞いている。おそらく東洋一が普通に生きている限りは会わない類の人間だろう。
「まぁ、な…」
思い出して東洋一は複雑な顔になったが、フッと笑った。
「しかし、その旦那がいたお陰であいつは随分気は楽になったんだろう。父親の事も…儂がすっかり忘れて、
「それは……是非、勝母さんから伺いたい話ですね」
薫はクスッと笑ってから、ふと視線を落とした。
父を―――親を殺す、という
苛烈なその人生を生きてきて、にもかかわらず、勝母には一点の曇りもない。
透徹とした強靭な意志。
そこに至るまでの苦悩の深さが、あのまごうことなき強さを生んだのだろうか…。
「上弦の壱にはこだわっていたが、あれは自分の見極めも出来たからな。かつてのように体が動かなくなってきた…衰えたと思ったら、すぐに柱を返上して隊を抜けた。下手に長く居続けて、儂の師匠のようになるのを避けたのだろう」
「そうなんですか? 私はお子さんができたからだと聞きましたが……」
「それは…そういえば、同じぐらいだったか? しかしなぁ、あいつは結婚しとっても続けてたんだ。もし、気力も体力も充溢していれば、きっと子供を産んでも続けておったろう。まぁ、いかな無敵の花柱も老いには勝てん……ということだ」
「フフ…今も無敵ですよ、勝母さんは」
「確かにな」
同意して、東洋一は酒を注ぐ。
薫は明日の準備をしようかと立ち上がりかけて、少し思案顔になった。
「あの…もう一つだけ伺いたいことがあります」
「うん?」
「鏑木浩太が…先生のお師匠様の子供でない…と確信していたのは、何故ですか?」
「それか…」
東洋一はフと笑って、一口酒を含むと、また遠い目になった。
「…親父と旅してた頃、
「え?」
「なんでも、男がそのくらいの時期に高熱を出すと、子種がなくなることがあるらしいんだ。実際、儂はそうだったようだし……師匠にも昔、この話をしたら、自分もそうだろうと
「…………」
意外すぎる答えに薫はしばし固まった。
だが、そうであるなら、ずっと疑問に思っていたことの答えがわかった気もする。
「……もしかして、里乃さんと結婚されなかったのも、それが理由ですか?」
「さぁ…忘れたな」
東洋一はいつもの飄々とした顔で酒を呑む。
薫はクスリと笑った。
このとぼけた表情に隠している不器用さが、実弥と相通じるものがあって、実は似た者同士なのだと思う。
「なんじゃあ、意味深な笑い方しおって」
「だって、本当に二人とも似てらっしゃるから」
「似てる?」
「実弥さん…不死川さんに。二人とも不器用でお優しいです」
そう言って立ち上がると、薫は台所に向かう。
「まだ寝んのか?」
「えぇ…簡単に、明日の下準備だけしておきます。守くんに教えておきますから。あの子、お料理上手ですね」
相変わらずの働きぶりに東洋一は軽くため息をつくと、憂鬱な顔で酒を含む。
庭を見れば、蛍が数匹くるくると回って闇の中で光を描いていた。
しばらくすると鰹節を削る音が聞こえてくる。
東洋一は酒を飲み干すと煙草を吸い始めたが、逡巡した後でゆっくり台所へと向かった。
「薫」
柱に凭れながら声をかけると、薫は「はい?」と振り向く。
「お前さんに頼みがある」
「はい…なんでしょう?」
「実弥のことだ」
薫の笑みに微妙なさざなみが揺れる。
東洋一は煙草を吸うと、溜息まじりに煙を吐き出す。
「あいつも勝母と同じ境遇にある。親を殺した…という点においてはな。勝母はまだ自分で覚悟の上だったが、あいつはそれと知らずに母親を殺めてしまった。ある意味、勝母よりも葛藤は激しいだろう。実際―――ここに来てからも、何度も夜中に飛び起きとった……」
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「実弥! お前、何しとるッ!!」
東洋一はあわてて実弥の持っていた短刀を奪うと、放り投げた。
庭の修練場で自分の体を傷つけ、立ち尽くしていたのだ。
「馬鹿か、お前は。これ以上、自傷するなと言っとるだろうが!」
怒鳴りつける東洋一に、実弥は暗い目で睨め上げる。
「うるせェ、ジジィ。俺はこうやって鬼共を殺してきたんだ。奴らは俺の血で酔いやがる。クラクラに酔わせて、滅多斬りにしてやって、縛り首にして木に吊るしたら……朝日の中でギャアギャア喚きながら消えていきやがる。いい気味だァ」
半ば狂ったような残忍な顔で言う実弥を見ながら、東洋一は少しばかりこの弟子をとったことを後悔した。
匡近からの頼みとはいえ、どうにも常軌を逸している。稀血で鬼を惹き寄せて殺すなど。
鬼によって兄弟を殺され、恨み骨髄に徹するほどに鬼を憎む気持ちはわからなくもない。
が、この自傷行為だけは、どうにも困り果てた。ここに来て一ヶ月になるが、何度言ってもやめない。
「お前、今の自分がどういう顔をしているかわかってるのか?」
「あアァ? なんだよ。鬼みたいだってか? 構わねェよ。鬼を狩る鬼がいてもいいだろうがァ」
東洋一は眉間にギュッと皺を寄せると、実弥の頭を押さえつけるように掴む。
「そんな苦しそうな顔の鬼はおらん」
「……うるせぇッ! 離せ、ジジィッ!!」
「やかましい。いいか。お前が、何を思い悩んでいるかは知らん。だが、その馬鹿なことはやめろ。苦しいなら、吐き出しようは他にもあるだろうが」
「苦しんでなんかねェッ!!!!」
実弥は頭を掴む東洋一の腕を払うと、逃げるように部屋へと戻っていった。
その後も、何度か同じことを繰り返す。その度に東洋一は怒鳴りつけ、傷の手当をしてやる…という日々が続いた。
久しぶりに実弥の様子を見に来た匡近と掛かり稽古をさせた時のことだ。
「すごい上達ぶりじゃないですか! よかったぁ…やっぱり師匠を紹介して正解でしたね」
匡近が驚きながらも嬉しそうに言うと、
「そうかぁ? 儂ゃ、ここ
と、東洋一は溜息をつく。
何気なく実弥の方を見ると、東洋一をじいっと見つめていた。
「……何だ?」
『野良犬』扱いされ、怒っているのかと思ったがそうでもないようだ。
東洋一をしばらく凝視した後、俯いてポツリとつぶやいた。
「……俺が殺した鬼は……母さんだった」
無表情に見つめた先に見えていたのが何だったのか…。
泣くこともなかったが、淡々と……兄弟達が鬼に殺され、生き残った弟をどうにか助けようとして、必死にその鬼を―――異形の者をやっつけようと、ただただ必死に、そこいらにある武器になりそうなもので滅多打ちにしたのだ……と、話した。
「朝になって…そいつが母さんだとわかった。分かった途端、朝日の中で消えていった。俺は……いまだにわからない。俺が殺したのが、鬼だったのか……母さんだったのか……」
声は震えていたが、実弥は泣かなかった。
もう、すでにその涙は涸れ果ててしまったかのようだった。
東洋一が何か言う前に、匡近が走っていって抱きついた。
「実弥っ! ……お前、がんばったな! 辛かったな…苦しかったな…実弥!」
慰めている匡近の方が号泣していた。
東洋一は嘆息すると、ゆっくり歩いていって、実弥の頭をガシガシと乱暴に撫でる。
「お前、そういうことは早く言えよ。阿呆」
ムッとした顔で実弥は東洋一を見上げると、「うっせェ、ジジィ」といつも通りの返事をした。
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「それから、自傷することはなくなったがな。結局、あいつは未だに許せてはいないんだ。自分が母親を殺したことを。匡近はお前のせいじゃない…と何度も言ってたみたいだが、こればっかりはな……当人の心の問題だからな」
薫は返事ができずに、その場で固まったまま俯いた。
実弥が葛藤をかかえていることぐらい、想像できたのに、どうしてあの時、自分はわざわざ傷口を抉るようなことを問うてしまったのだろう。
―――――志津さんは、鬼になったのですか?
わざわざ聞かずとも、もうわかっていたのに。
実弥本人でなくとも、東洋一なりに尋ねればよかったのに。
自分の鈍感さと無神経な憐憫に、ほとほと嫌気がさす。
東洋一はそんな薫の姿を見ながら、「すまん」と頭を下げた。
薫は不思議そうに東洋一を見つめる。
「どうして、先生が謝られるんですか?」
「お前さんにこんな事を頼むのは、本当なら、筋違いかもしれん。本当なら……お前さんは
そう言われて、薫の顔に緊張が走った。思わず視線を伏せる。
東洋一はおそらく知っている……のだ。あの日、何があったかを。
「もし、あいつを許せるなら……助けてやってほしい」
東洋一が申し訳無さそうに言って、再び頭を下げる。
薫はしばらく見つめていたが、少しだけ近寄ると、なるだけ優しい声で言った。
「先生、そんなの…当然ですよ」
東洋一が顔を上げると、淡い微笑を浮かべた薫が前に立っていた。
「ここで実弥さんに再会した時から、実弥さんを助けることができれば…って、思ってましたから。ただ、残念ながら、あちらでは必要としてらっしゃいませんけど」
少しおどけるように言うと、東洋一は眉をしかめて苦笑する。
「素直じゃないからな、あいつは」
薫はフフッと笑った。
「そうですね。でも、そういう所も含めて、私は実弥さんが好きです。ずっと昔から」
さらりと言う薫に、東洋一は一瞬呆けたようになった。
薫は踵を返すと、再び調理へと戻る。
東洋一はその背に向けて問いかけた。
「お前さん、そのこと、実弥に言ったのか?」
「いいえ」
薫は振り返ることなく、手を動かしながら答える。
「言わんのか?」
「ええ……言う気はありません。知ってもらおうと思いませんから」
さっき好きだと認めたのと同じように、きっぱりと薫は言い切る。
東洋一は困惑した。
「なんでだ?」
「言って…どうなるものでもないですし。この気持ちは、私だけのものでしかありませんから」
大葉を千切りながら、薫はなんでもないことのように言う。最初から自分の気持ちを成就させようという気はない、とばかりに。
鬼殺隊にいる以上、恋愛など二の次三の次だ。
それは真面目な薫であれば尚の事。だから初めから諦めているのか…?
「…………」
東洋一は何も言えないまま、そっとその場を去っていく。
コツ、コツと義足が廊下に響く。
歩きながら、東洋一は考えていた。
―――――これは……どちらも同じものなのだろうか?
手に入らぬと足掻いて、藻掻いて、外道となっても執着した浩太と。
求めもせず、決して悟られず、秘めて隠して、忍び続ける薫と。
同じ恋と呼ぶものなのに、あまりに違う。
だが二つともひどく苦しく熱い。
その熱に
<つづく>
次回は2021.09.25.土曜日の更新予定です。