【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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<風柱と花の鬼>

「それで…大お祖父(じい)様はどんな人だったんでしょう?」

 

 翔太郎のその質問を聞いて、勝母(かつも)はしばらく思考が停止した。

 

 年をとったと思ってはいても、人の意識というのはそう簡単に変わらない。

 昔とは大きく世の中の有り様が変わったというのに、自分の中で時というのがまださほどに流れているとは思っていなかった。

 

 だが、そうか。

 自分の中では大して時を経たように思えない事柄であっても、目の前の少年には遥か昔の話なのだ。

 翔太郎が『伝説の風柱』であった()の人のことを「大お祖父様」などと呼ぶのを聞いて、勝母は隔世の感を禁じ得ない。

 

「そうだね……風柱様は、なんというか……(ひろ)い御人だったな」

「ひろい?」

「寛大な……わかりやすそうでいて、尻尾を掴ませぬ、捉えどころがないようでいて、安心感のある……」

 

 翔太郎にとって勝母の答えは期待したものでなかったので、そちらへと話を向ける。

 

「あの……強かったんですよね?」

「さぁ? 直接鬼と戦っている姿を見たこともなし、手合わせは何度かしたものの、たいがいコチラの手の内を探るために本気を出されぬ。それでもたった一人で柱として踏ん張っていた御方だ。強くないわけはないだろうね」

 

 言いながら勝母に去来するのは篠宮(しのみや)東洋一(とよいち)のことだった。

 あの男が師として認めたのだ。ただ度量が大きいだけでは、あそこまで忠義を尽くすとは思えない。

 

「前に家に来た隠のおじさんは凄い御方だったって…なんか色々ともう…本当かどうかわからないような話をいっぱいしてってくれたんですけど……」

「ハハハ。なにせ人望は篤い御方だったからねぇ。とんでもない尾鰭がついているのもあるだろうが……そうだね。私が本人から直接聞いた嘘だかどうだかわからない話があるよ……」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「ようやく花が咲いたな…御館様が世話した甲斐があった」

 

 芳しいその香りに、柱最古参であり、鬼殺隊において伝説的な存在となっている風柱・風波見(かざはみ)周太郎(しゅうたろう)は、顔をほころばせた。

 

 その白薔薇は病気だと根から抜かれて転がっていたのを、輝久哉(きくや)が哀れんで、一年かけて丹精した末に再び芽吹き、蕾をつけて、花開いたものだった。

 小さかったが、美しく咲いたその艷やかな白い花を、花柱である五百旗頭(いおきべ)勝母(かつも)は無表情に見ていた。

 

 病弱だからと、輝久哉は自ら何かをすることは控えがちだった。それは彼を世話する周囲の人間も、何かあったら…と万一を心配して、させたがらなかった。

 

 だが、この白薔薇については周太郎に「ご自分で拾ったのだから、ご自分でお世話して生き返らせてみなさい」と言われて、懸命に育てたのだ。

 勝母にも何度か栽培法を尋ねてきたこともあった。

 こうして花開くまでになって、輝久哉にとっては、ほのかな自信となったようだ。

 

 あるいは周太郎はそこまで計算していたのかもしれない。

 しかしその時、周太郎がその白薔薇を見て思い浮かべたのは、違うことのようだった。

 

「鬼となるを望む人間もいれば、人ならざる者となっても善性を貫いて、人の血肉を厭う鬼もいる……」

 

 腕を組んで、周太郎は白薔薇を見ながらそんなことを言い出す。

 勝母は眉をひそめた。

 

「なにを仰言(おっしゃ)っておられる? そんな鬼などいるわけ御座いません」

「そう思うか?」

 

 周太郎は顔だけ振り返って、悪戯(いたずら)っぽい目で問うてくる。

 

「会ったのですか? そんな鬼に」

 

 やや当惑気味に問うた勝母に、周太郎は意味深に微笑む。

 

 柱合会議が始まる前の、二人しかいない広間。

 

 答えの代わりにしてくれたのは、周太郎が若い頃に会ったという鬼の話だった。

 

「……あの頃はまだ兄者も生きていて、元服して風波見家からもう出ていたから、名前も風見(かざみ)周佑(しゅうすけ)と名乗っていたな………」

 

 (ふる)い自分の名前を懐かしそうにつぶやいて、周太郎は話し始める。………

 

 

 

-----------------

 

 

 

 鬼殺隊に入って、四年ほど経った頃のことだ。

 鬼との戦闘で、風見(かざみ)周佑(しゅうすけ)は血鬼術にかかってしまった。

 

 どうにか鬼の首を取ることはできたものの、血鬼術に侵された身体(からだ)は凄まじい痛みと痺れ、熱に襲われ、身動きできなかった。

 鎹鴉は隠を呼びにいったが、深い山の中、しかも鬼との戦闘中に道を外れて谷底に落ちてしまい、そう簡単に見つけられる場所ではない。

 その上、なんとも絶望的なことに辺り一面雪であった。

 雪のせいで谷底に落ちても助かったともいえるが、雪では隠達が探すのも難航するだろう。

 そうこうしている間に、血鬼術でやられて死ぬか、それとも夜明けまでに凍死するか…。

 

 その時、ふと芳しい香りがした。

 芽吹いたばかりの草の匂いと、艷やかな絹を思わせる上品で甘やかな香り。

 闇夜と雪だけの白と黒の世界の中で、その匂いだけが色づくように漂う。

 

 辛うじて目を開くと、自分をのぞきこんでいる女がいた。

 闇の中で、赤く光る瞳。

 

「……ハ…ハ…ハ…」

 

 周佑は笑ってしまった。

 その女の属性を知りながらも、美しいなどと思ってしまう自分に。

 

 女は笑い声を上げる周佑を、困ったように見た。

 

「…殺さ…ない、のか?」

 

 問いかければ、哀しそうに見つめてゆるゆると首を振る。

 

 妙な鬼だ…と思いつつも、周佑は呼吸を続ける。

 たとえ臈長(ろうた)けた美人であろうが、鬼の本性は卑しく醜悪なものだ。

 

「そのままでは一時間とせず、死ぬでしょう」

 

 女は静かに告げた。

 声は小さいのに、玲瓏と響く。

 

「わざわざ……それを…言いに…?」

 

 周佑が皮肉っぽく笑うと、女はやはり寂しい顔で、それでもはっきりと言った。

 

「私には、あなたを助けることができる」

「………助ける?」

 

 熱で、自分の頭が混乱して、訳のわからぬ夢でも見ているのかと…周佑は自身を疑った。

 しかし目の前の女はコクリと頷いて、そっと周佑が刀を持つ右腕に触れた。

 

「けれど、信じてもらわねばそれはできません。助けたくとも、あなたが私を殺せば、もうあなたが助かる道はなくなる」

「………」

 

 周佑はしばらく鬼をまじまじと見つめた。

 女の鬼とはこれまでに何度も戦ったことがあったが、これほどまでに美しい鬼は見たことがない。

 しかし鬼の姿形をそのまま信用するほど、(うぶ)でもなかった。

 年増であれば若き頃の姿に、年端も行かぬ少女であれば妖艶な美女に變化(へんげ)するのは珍しいことでない。

 

 だがそれらの鬼と確実に一線を画して、その女鬼は美しく典雅であり、おそらくは人であった頃そのままに、慈悲深い表情を浮かべていた。

 

 周佑は深く息を吐くと、全集中の呼吸を解いた。

 できる限り刀を手に取れぬ位置まで放り出す。

 女が少し驚いたように目を見開いた。

 

 正直、周佑は命が惜しくなかった訳ではない。

 ただ信じてやらねば、儚げなその鬼がきっと悲しむだろうと思った。

 

 いよいよ全身が熱くなって、頭が割れそうなほどに痛みだした。

 歯を食いしばり、身体をくの字に折り曲げて、硬直する。

 

 女は袂から何か針と青い瓶を取り出すと、針を瓶の中の液体にしばらく浸けた後に、袖を捲った周佑の左腕にプツリと刺した。

 チクリと刺された部位に鋭い痛みが走り、一瞬だけその部分が熱く腫れたように感じたが、しばらくするとゆっくりと全身から熱が引いていく。

 

 途端に気怠い重さがどっと襲ってきて、汗が全身から噴き出した。

 これは血鬼術によるものというよりは、熱の後遺症であろう。

 痺れはまだ少し残っていた。

 

「歩けますか?」

 

 女が問いながら、身を起こそうとする周佑を支えた。

 

「ああ…たぶん」

 

 周佑はさっき雪の上に放り出した刀を拾うと、突き立てててゆっくりと立ち上がった。

 それから、刀を鞘に仕舞う。

 

「こちらに…」

 

 女は前に立って歩き始めた。

 

「どこに連れて行く気だ?」

「ここにこのままいれば、体が冷えて朝には死にますよ。これから吹雪(ふぶ)いてきます…」

 

 そう言って女は歩いて行く。周佑の前を。

 多少、体に痺れが残っているとはいえ、抜刀して首を取るのは容易であろう。

 だが女があえて自分の前に立って、いつでも斬ってくださいとばかりに歩いているのを周佑はわかっていた。

 

 雪がちらつく中を歩くと、冬枯れの木立の中に、小さな家があった。

 しっかりと漆喰で固められたその家は、中に入ると囲炉裏の炎だけで案外と温かだった。

 

 女は薬籠(やくろう)から粉薬を取り出すと、お椀の中に入れて、囲炉裏で温めてあった鉄瓶のお湯を注ぐ。

 

「飲んで下さい。それで痺れが取れるでしょう」

「……いいのか?」

 

 周佑が問うと、女は首を傾げた。

 

「痺れもなくなれば、お前を殺すのは容易(たやす)い」

 

 すると女は初めて微笑んだ。

 

「そのおつもりであれば、ここに来るまでの間に出来たでしょう?」

「ああ。だが、痺れがとれればもはやお前に世話になる必要もない。ここで殺して、朝までゆっくり寝て過ごせばいい」

「……どうぞ」

 

 女は薬湯(やくとう)を差し出す。

 周佑は眉をひそめて、受け取ると一気に飲み下した。

 

「それが毒であるとは思いませんの?」

「一度信じると決めたものを、舌の根も乾かぬ内に変心するほど無節操ではない」

 

 女はじぃと周佑を見つめた後に、静かに言った。

 

「では、私もあなたを信じることに致します」

 

 薬湯はすぐに効いて、痺れがすっかり消えると、まるでさっきまで身動きできなかったのが嘘のように体が軽くなった。

 無理すれば吹雪であっても下山出来ないこともなかったが、周佑は囲炉裏の火を見つめて動かなかった。

 

 女は斜向(はすむ)かいで薬研車(やげんぐるま)を引き、草や木の実のようなものをすり潰して、何かの薬を作り始めていた。

 

「聞いていいか?」

「…どうぞ」

 

 女は薬研の手車を止めることなく促す。

 

「鬼なのに、どうして人を食べてない?」

「……どうしてそのように思われますか?」

「ニオイがない。人を殺し喰った鬼特有の腐臭だ。どれだけ綺麗な格好をして香を焚きしめても、決してなくなることはない。特に鼻が利く方ではないが、長く鬼といれば、そのニオイで鼻が曲がりそうになる。それがお前にはない」

 

 女は手を止めることなく、ほのかに微笑んだ。

 

「ご明察の通り、私はこの三百年近くは人を殺して喰らうことは致しておりません」

「……随分、年寄りだったんだな」

「まあ、おっしゃいますこと」

 

 女は楽しげに声をたてて笑った。そうすると、それまでの上品な貴婦人というよりも、少しあどけなく愛らしい表情になる。

 

「しかし何も食わずに生きていけるものなのか?」

「……助けた人達から了承を頂いて少しばかり血を頂いております」

「血?」

「えぇ…ほんの少しばかり。それで私には十分でございます」

 

 周佑はそこまで聞いて首をひねった。

 浮かんだ疑問をそのまま彼女に問う。

 

「どうしてそうまでして生きていたいのだ? 死ぬのが怖いのか?」

 

 鬼として人を殺し喰らう欲もないのであれば、生きている理由はないはずだ。

 陽光に恐怖し、闇に紛れ、人間(じんかん)の中で隠れて暮らすことの不自由さを思えば、いっそ大人しく死んだ方が楽な気がする。

 

 女は遠くを見ながら、ゆっくりと手を止めた。

 

「元より…死は遠きものと成り果てましたが、恐ろしいとは思っておりません。けれど、私にも宿願がございます」

「宿願?」

「あなた方と同じように…無惨の息の根を止めること」

 

 周佑は当惑し、眉を寄せた。

 だがすぐに口の端に皮肉な笑みが浮かぶ。

 

「おかしなことを言う。鬼にとって無惨は首領ではないのか?」

 

 女は首を振った。

 その秀麗な面には、深い眉間の皺と共に、痛々しいばかりの悔恨があった。

 

「愚かでした……あんな男を…鬼を信じた」

 

 囁くかのように小さくつぶやいたその声は震えていた。

 沈黙して軽くため息をつくと、女は再び薬研車を引く。

 

 周佑はまたそのまましばらく女の姿を炎の向こうに見ていたが、ふと思いつく。

 

「お前、腹が減っているのか?」

「………」

 

 女は身を固くした。さっと緊張した顔になる。

 

 周佑はハッハッハッと快活に笑った。

 

「なんだ。だから、声をかけてきたんだな。瀕死とはいえ、鬼狩りに声かけるなど…よほどだったんだな」

「………それが目的ではございません」

「あぁ、わかっている。助けるのが本心であったのは。そうでなければ信じたりはしない」

「………」

 

 女はそれでも自分が浅ましいと思ったのか目を伏せた。

 

「助けた人から了承の上なのだから、私に異存はない」

 

 言うなり、周佑は腰の脇差を抜くと、左腕を切りつけた。

 ポト、ポト…と血が薬湯を入れていたお椀に落ちていく。

 

 女は漂う血の匂いに、穴があくほどに強い視線で周佑を凝視した。

 

「どうした?」

 

 周佑が尋ねると、美しい顔が苦しそうに歪んだ。

 

「……やめてください」

「どうして?」

「その血……稀血ではございませんか」

「あぁ、そうだ」

 

 事も無げに言う周佑を、女は睨みつけた。

 

「あなたは鬼にとって、自分の血がどれほどの意味を持つかおわかりですか?」

「さぁ…? まさか自分の血が鬼の役に立つとは思わなかったが、奇妙な縁を持ったものだな」

 

 お椀の半分ほども溜まったところで、周佑は手拭いで傷を締めると、その血の入った椀を女に差し出した。

 

「飲め。礼だ」

「………」

「妙な遠慮をするな。鬼に貸しをつくったままでは、寝覚めが悪い」

 

 自分の前に置かれたその椀を、女は唇を噛み締めて見つめていた。

 細かく身体が震え、人のように黒かった瞳が、再び紅く光る。

 

「我慢すれば、鬼の(さが)が却って強くなるのではないのか? とっとと飲んで満腹になれば、心も落ち着くだろう」

 

 女は厭わしそうにその椀を手に取ると、ゆっくりと飲んでいく。

 透き通るかに思えるほど白い肌に朱がさし、ほんのりと色づいた。

 

 周佑は内心で面白かった。貧血の鬼など初めて見た。

 

 それにしても奇縁というしかない。

 風波見家においては、稀血の周佑は忌み子であった。

 稀血の鬼狩りは、その血を狙われてすぐに殺されてしまう。

 入る前から、大して隊に役に立たない人間として、父は周佑に冷たかった。呼吸の技についてもほとんど教えてもらえなかった。

 母は物心つく前に亡く、兄だけがそれでも鬼殺隊で生きていけるようにと、厳しく周佑を指導した。

 

 その兄が聞けば、仰天した上にこっぴどく叱られるようなことをしているな…と周佑は自覚しつつ、特に後悔もなかった。

 誰のためにもならぬ特殊な血が、人ならぬ鬼の役に立つとは面白い状況だ。

 

「………ありがとうございます」

 

 女は口の端に滴った血を拭うと、深く頭を下げた。

 

「うん。これで貸し借りはないな」

 

 女は面を上げると、戸惑ったように周佑を見た。

 

「どうして…そこまで私を信用なさるのです?」

「理由はさっきも言った。一度、信じると言うたら信じるのだ。それが性分なのだから、仕方がない」

「……少しは慎重でいらした方が身の為ですよ」

「ハッハッハッ! まさか兄より先に鬼に説教されようとはな」

 

 豪快に笑う周佑を困ったように見ながら、女は身内を示すその言葉に反応した。

 

「兄上様がいらっしゃるのですか?」

「あぁ。二つ年上でな。厳しい人だが、私にとっては師でもある。父からは見捨てられていたのでな」

 

 あまり親に使う言葉でなかったせいか、女は益々気遣わしげに周佑を見た。

 

「お父様があなたを大事にしなかったから、そんなに投げやりなのですか?」

「そのように見えるのかな? 別に父を恨んでいるわけではない。代々鬼狩りの家に生まれたのだ。稀血の忌み子が生まれて落胆される気持ちもわかるし、その息子が出来の良い長男に比べれば、まったく箸にも棒にもかからず、物覚えも悪いとなれば、親であれば放り出したくもなるだろうさ」

「私には……あなたはとてもいい子に思えますよ」

「それはそれは…婆様に褒めてもらえて光栄だ」

 

 言いながら周佑はゴロリと横になった。

 囲炉裏の火で屋内は暖かく、解毒薬として服んだ薬湯が、全身に沁み入って体の芯から温かった。

 

 それに、やはり血を抜いて、多少なりと貧血になったせいだろうか。

 ウトウトと瞼が下がってくる。………

 

 

 

 

 パチリ! と火にくべた枝が()ぜた。

 

 周佑が目を開くと、真上には自分を見下ろす紅い目が二つ並んでいた。

 

「……さすがは鬼だな」

 

 周佑は自分を押さえつけるその力に、女が紛れもなく鬼であることを再確認した。

 

「ナゼ…血ヲ与えタ?」

 

 女は先程までのたおやかな風情が消え去って、暗く荒んだ目で周佑を睨みつけていた。

 

「稀血ヲ鬼に与エテ…無事に済ムとでも思ウタか?」

「私が稀血なのは私には選びようないことだぞ。それに……喉が乾いていたのだろう? 鬼であれば、潤すものは人の血でしかないのも仕方ない」

「黙レ! 私ガ望んだトでも言うカ? コンナ身体に…人の血ヲ啜らねば生キられヌ身とナッテ、それでも唯無惨ヲ倒すタメに生キ永らえて…どれほどに己ノ醜イ性ヲ呪ッタか……貴様にワカルモノカ!!」

「悪いが……そこまでお前に(くみ)してやる義理もない」

 

 言うなり周佑は女の腕を掴んで、腹を蹴り上げた。

 素早く態勢を逆にする。動けぬように足で下半身を押さえつけると、細いその両腕を左手で強く掴んだまま、右手で刀の柄を握りしめる。

 カチャリ、と鯉口を切る音が静かな陋屋(ろうおく)に鋭く響いた。

 

 女はギリギリと歯軋りした。

 伸びた犬歯が唇を傷つけて、血が流れる。

 

「殺セ…サァ…鬼狩りノ本能ノままに殺すがイイ」

「………本心か?」

 

 周佑は静かに問いかける。

 

 鬼は憎々しげに周佑を見つめていた。

 やがてブルブルと唇が震え、涙が白い頬を伝う。

 嗄れかけた悲痛な声で訴えた。

 

「殺して…殺して……お願い」

 

 今度は周佑が奥歯を噛み締めた。

 出来うるならば、彼女の願いを聞いてやりたかったが……

 

 周佑は女から離れると、刀を抜くなり、再びその左腕を切りつけた。

 タラリ…と、血が腕から肘へと流れ、ポト、と女の目の前に落ちた。

 

 女はひどく重そうに体を起こすと、乱れた髪を直すこともなく周佑を睨みつけた。

 鮮紅色の目が、細い瞳孔もくっきりと見えるほどに冴えて、その姿はまさしく鬼以外の何者でもない。

 

「……何ノ……真似ダ」

「お前、いつからここにいた? こんな雪深い山の中で…人里離れた場所で。猟師もそうは来まい」

「……何ガ言イタイ?」

「相当に餓えているのだろう、お前。早く飲め。そうすれば、人であった頃の心には戻るであろう」

 

 女は鬼としての殺戮衝動に必死で耐えていた。

 カタカタと震える体を、自らで抱きしめている。

 額からジワリと汗が流れた。

 

 そのまましばらくの間、周佑と女の鬼の奇妙な対峙が続いた。

 やがて深く長い溜息と共に、女は洗い終えていたお椀を箱膳から取り出した。

 

「…そのまま吸うような真似をさせないで下さい。止められなくなります……」

「さすがに干からびるのは困るな」

 

 周佑は椀を受け取ると、先程と同じようにその中に血を注ぎ込んだ。

 

「すまないが、私もここ数日食べたのは干飯と梅干し程度だ。大して美味(うま)くないだろうが、文句は言わんでくれよ」

 

 女は呆れたような苦笑を浮かべると、周佑から椀を受け取った。

 二杯目の血を啜ると、ようやく満ち足りたように吐息をついた。

 

「どうして、殺さなかったのです?」

 

 尋ねられて、周佑は「さぁ?」と嘯いた。

 納得せぬ顔の女に、適当な理由が思いつかずに陳腐な言い訳をしてしまう。

 

「命の恩人で、女で、美しいのだから、無理して殺す必要もないだろう」

 

 我ながら他に言いようはなかったのかと、言っている時から思ったが、実のところ本心だった。

 

 女はキョトンとした後にプッと噴いて、しばらく顔を覆って笑った。

 上下に揺れていた肩が、やがて細かく震えだすと、いつしか女は声を殺して泣いていた。

 

 どういう経緯(いきさつ)で女が鬼となったのかは知らない。

 だが、おそらくは永い年月を生きてきたのだ。

 己の鬼としての(しょう)に戸惑い、苦しみながら。

 

 女が涙を流して自死を願ったのも本心なら、無惨抹殺を切望するのも本心だろう。

 二つながらの(のぞ)みに張り裂けそうな心を抱いて生きる。(ただ)の人には永すぎる時を。………

 

「さぁ…満腹になったのなら寝るといい。私もまた、眠くなってきた」

 

 再びゴロリと横になると、睡魔は程なく襲ってきた。

 女が掻巻(かいまき)を上にかけてくれたのだけは気付いていたが、周佑はそのまま泥のような眠りについた。

 

 

 

 

 聞き覚えのある鴉の鳴き声に目を覚ますと、なんとなく夜明けが近いことを感じた。

 ゆっくり視線を動かすと、女は隣に端座して見下ろしていた。

 

「……もう夜明けか?」

 

 尋ねると無言で頷く。

 ほとんど消えかけた囲炉裏の炎が、女の無表情な白い面を浮かび上がらせた。

 

「ここにいて大丈夫なのか?」

 

 周祐が起き上がると、女は囲炉裏の鉄瓶から白湯を椀に入れて差し出してきた。

 

「ありがとう」

 

 受け取って礼を言うと、女は小さく息を呑み、まじまじと周祐を見つめる。

 

「……どうした?」

「いえ……どうぞ」

 

 女は周祐が白湯を飲むのを淡い微笑を浮かべて見ていたが、鴉の鳴き声が再び聞こえて立ち上がった。

 土間に降りて、板戸の隙間から外を覗き見る。

 

「まだ、雪が降っております。今日は…おそらくお天気がよくないでしょうね」

 

 そう言ってから、クスリと笑った。

 

「本当におかしな方ですね。鬼の心配をするなんて」

「それを言うなら、鬼狩りを助ける鬼というのも相当に妙であろう」

 

 言いながら、周佑は草履を履いて綺麗に畳まれてあった羽織をはおった。

 

 女は板戸を開けると、チラチラと降る雪の空を見上げた。

 

「今でしたら、麓まで行けるでしょう」

「そうだな。世話になった」

 

 短い言葉で去ろうとした周佑に、女は印籠を差し出した。

 

「これを。全て…とはいきませぬが、たいがいの鬼の毒には効きます」

 

 周佑は複雑な顔になった。

 

「それは困る。せっかく貸し借り無しにしたのに」

「これは、貸しではありません。私が…差し上げたいのです」

「……わかった」

 

 周佑は印籠を受け取ると、懐に入れた。

 女がフワリと微笑む。

 その笑みが美しいだけに、哀れだった。

 

 だが、自分にはどうすることも出来ない。

 

「ここは早々に引き払ったがいいぞ。鴉が見ている。隠達が探索に来ないとも限らない」

「元よりそのつもりで御座います」

「そうか。では、息災(そくさい)でな」

 

 短く言って、周佑は別れを告げた。

 

 おそらくはもう会うこともない。

 

 振り返らなかった周佑の背後で、「息災に…」と告げられた女の鬼は柔らかな微笑を浮かべていた。

 

 

 

----------------

 

 

 

「それで…どうしたのです?」

 

 勝母は愕然とした顔のまま問うたが、周太郎は飄々としたものだった。

 

「どうした? そうだな……とりあえず家に帰って兄者に言ったら、こってり叱られて、蔵の部屋にしばらく謹慎させられたな。出てきたら、一切口外するなと釘を刺されて…」

「そういうことではありません! その鬼を殺さなかったのですか?」

「さぁ?」

「風柱様! まさかその鬼の色香に迷ったわけではありませんよね?」

「ハッハッハッ! 色香に迷うとは、花柱も乙な言いようをするものだ。鬼相手に」

「そうでないと言えますか? 今の話が」

「まぁそうだな……確かに」

 

 言いながら、周太郎はまた白薔薇の花を見つめた。

 そう。雪の上で死にかけた時に匂ってきたあの芳しい匂い。あれはこの白薔薇の香りと似ていた。

 

「花のような鬼ではあったな」

「風柱様! あなたは……鬼を…美しいからと……見逃したのですか?」

 

 ワナワナと震える勝母を、周太郎は楽しそうに見ていたが、勝母の側まで寄ってしゃがみ込むと、ふっと真面目な顔で問うてきた。

 

「勝母よ。お主、本当に無惨を討ちたいか?」

「……当然のこと」

「そうだな。無惨が鬼となり、産屋敷家に呪いを残してから数百年、鬼殺の隊士達の大望は未だに叶えられていない。なぜだと思う?」

「……それは…」

「このまま無惨の作り出した鬼を殺して回っているだけで、均衡が崩れると思うか?」

 

「……風柱様。何を考えておいでです?」

「本気で無惨を殺すことを考えるのであれば、彼女の存在はまさに奇貨だ。長く続いた鬼殺隊と無惨の…膠着の突破口と成り得るものだろう……」

「鬼を味方にせよと仰言(おっしゃ)るのか?」

「味方にならずとも、足並みを揃えることぐらいはできるだろう」

「………では、やはりその鬼は殺されていないのですね」

 

 勝母が責めるように見てくるのを、周太郎は肩をすくめて躱した。

 

「さぁ…? あぁ、そうそう。この話を東洋一にはしてくれるなよ。あれであの男は私などより、よっぽどまともで真面目なのだ。怒られてしまう」

 

 冗談なのか本気なのか、すっかり混乱しながらも勝母は吐き捨てるように言った。

 

「あの男があなたに意見できるような人間ですか」

「ハッハッハッ! 花柱は、まだあの男の芯の部分を知らぬな」

 

 呵々として笑った後に、周太郎はチラと襖の方へと目をやった。

 

「さて…そろそろ壁の耳達に入って来てもらうとしようか……」

 

 そう言われて、ぞろぞろと他の柱達が入ってくる。

 銘々がいつもの場所に座ると、周太郎は控えていた隠に告げた。

 

「揃った故、御館様にお出で頂くよう…」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「あの時、柱全員が聞いていたはずだ。風柱が鬼を故意に逃した話を。だが誰一人として咎める者はおらず、誰一人としてその話を蒸し返すこともなかった。全員が素知らぬフリをして、噂にもならず、それきりだ」

 

 勝母は言いながら紅茶を啜る。

 懐かしい話をすれば、懐かしい顔が思い浮かぶ。あの時にいた柱で残っているのは、勝母と桑島慈悟郎、鱗滝左近次のみ……。

 

 ぼんやり考えていると、翔太郎が困惑した表情で問うてきた。

 

「あの…それは、許されたのですか?」

「んん?」

「いや…だって。鬼を見逃したんですよね? 大お祖父様は」

 

 勝母はハッと笑った。

 

「許すも許さないもないのさ。あんたの曽祖父(おおじい)さんはそういう御人だったということだ。あの度量こそ、風波見(かざはみ)周太郎(しゅうたろう)が風柱にあることを誰もが望んだ理由だろうよ。強さよりも、ずっとね」

 

 そうであればこそ、柱達は彼の死を知った時に皆、気付いたのだろう。

 自分達がこれからは鬼殺隊を実際に守っていかねばならないのだと。

 将来への布石を打つことも、現状における問題を解決することも、それまでは周太郎が全て考えていてくれ、自分達は鬼を滅殺することだけに集中していればよかったのだから。

 

 だが若い翔太郎にはまだ、かの『伝説の風柱』は強さの象徴であってほしいようだ。

 やはり、いまいち納得していない顔で、勝母が淹れた紅茶を啜っていた。

 

 その時、窓をコツコツと叩く音がした。

 見れば首に七色の組紐を巻きつけた鴉がバタバタと羽を動かしていた。

 

祐喜之介(ゆきのすけ)じゃないか」

 

 勝母が窓を開けると、祐喜之介は部屋に入って止まり木にとまる。

 

「薫さんの?」

 

 翔太郎の顔が少し明るくなる。

 だが、勝母は眉を寄せた。

 

 東洋一に紅儡(こうらい)の話を聞きに行くと言って薫がここを発ったのは五日前だ。

 内容については帰ってからゆっくり聞くことになっていたし、わざわざ祐喜之介を飛ばしてくる理由がすぐに思いつかない。

 

 あるとすれば―――

 

 険しい顔つきになる勝母に向かって、祐喜之介が叫ぶ。

 

「伝令! 篠宮東洋一老、死亡ス。風ノ育手・篠宮老死亡」

 

 勝母は目を閉じた。

 そのまま黙祷する。

 

 閃いた不吉な予感は、たいがい当たる。

 年経るほどに。―――――

 

 長い沈黙に、翔太郎はそろそろと勝母に呼びかけた。

 

「あの……勝母…さん…?」

 

 やがて決然として顔を上げた勝母の左目は真っ赤だった。

 しかし、その顔は皮肉そうに歪む。

 

「やれやれ。面倒なことだよ。最期の最後まで…私に始末をさせるか、あの男」

「勝母さん?」

「翔太郎、お前さんの鴉を借りるよ。二人ばかり、ヤツの死を伝えておかねばならない人間がいるんでね」

 

 そう言うと、勝母は眼鏡を鼻にかけて筆をとる。

 

 翔太郎は紅茶を飲み干すと、静かにその場を後にした。

 

 

 

<閑話休題 風柱と花の鬼 了>

 





次回は2021.10.23.土曜日の更新予定になります。

近いうちにpixivの方で、作者のつぶやき話(裏設定エピソード等)をアップする予定です。興味とお暇がある方はどうぞ。
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