【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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<その日>

 その日。

 

 桑島慈悟郎は久しぶりに旧知の友である元花柱・那霧(なぎり)勝母(かつも)からの手紙をもらって、首を捻った。

 はて、何の用だろうか?

 育手となって以来、勝母からの手紙など結婚の報告以外でもらったことはない。まったく中身を予想できぬまま封を開く。

 

『前略』で始まったその手紙の冒頭の一文で、涙が溢れた。

 

 ―――――前略、桑島慈悟郎殿。篠宮(しのみや)東洋一(とよいち)、死去せり。

 

 

 すぐに浮かんだのは、つい一月(ひとつき)ほど前に訪ねてきた東洋一の姿だった。

 

 

◆◆◆

 

 

「なんだ、また弟子自慢に来たのか?」

 

 あきれたように言いながらも、慈悟郎は内心の動揺を隠しきれているのか不安だった。

 

 二年ほど前に会った時からすれば、あまりにもその身体は細くなっていた。

 偉丈夫で強靭で、しなやかな体躯であった男が、今は強く吹く風の中に消えてしまうかに思えた。

 

「いや、今回は…ちょっとばかし御大(おんたい)にお願いがありましてね」

 

 そう言うと、東洋一は背後にいた弟子達に声をかける。

 二人の弟子達がそれぞれに自己紹介したところで、

 

「そうだ。御大、桃をもらっていってもいいですかね?」

と、言い出す。

 

「桃? そりゃ、いくらでも」

 

 ちょうど周囲に植わった桃の木には桃の実がたわわに実って、腐るほどにある。

 

「お前達、適当にうまそうなの摘んでこい。ただし、持って帰れる量にしておけよ」

 

 弟子達は頷くと、走り出した。

 

「あ……籠持っていかんと……オイ! 善逸!!」

 

 慈悟郎は自分の弟子を呼ぶと、台所からゲンナリした顔の少年が「なんだよぉ…」と出てくる。

 

「お前、あの子達に籠を持っていってやれ。桃を入れるからの」

「えぇぇ?」

 

 不満気な顔の弟子に、慈悟郎は軽くゲンコツすると、わざとらしいほどに痛がる。

 クックックッ、と笑った東洋一を見て、善逸は眉をひそめた。

 

「え? 誰?」

「客じゃ! ちゃんと挨拶せんか!」

「あ…どうも」

「名前!」

「……我妻善逸デス」

 

 東洋一は自分も軽く頭を下げた。

 

「篠宮東洋一だ。すまんが、ウチの弟子達に籠を持っていってくれるか?」

「はぁ……」

 

 善逸は大仰な溜息をつくと、ダラダラと歩き出す。

 

「しゃっきり歩かんかァーッ!」

 

 慈悟郎が大声で喝を入れると、ビクッとして早足に駆けていった。

 

「まったく……」

 

 フン、と鼻息をつく慈悟郎を、東洋一はにこやかに見つめていた。

 

「…相変わらず、御大の元にはどうにも癖のある弟子が来ますな」

「まったくだ。どうしてお前の所には真面目なヤツばかり来よるんだ? 間違えてないか?」

「間違ってないですよ。俺が今、弟子になろうと思うなら、御大の所に行きますからね」

「よう言うわ!!」

 

 慈悟郎は吐き捨てるように言いつつ、ガハハハと笑う。

 

 部屋に入るや、将棋盤を持ち出そうとした慈悟郎を東洋一は手で制した。

 

「その前に、今日はお願いがあってきました」

「何が? 弟子の手合わせだろう?」

「いえ。アイツらはまだそこまでいってません。今日は…もし、俺が亡くなった時にヤツらの身元を引受てもらえないかと…」

 

 慈悟郎はギュウウと眉間に皺を寄せた。

 

「何を言っとるんだ、お前は。儂より五歳も若いくせして」

「以前は五歳しか変わらないと仰言(おっしゃ)っておられましたがね」

 

 相変わらず減らず口を叩く東洋一を睨みながらも、慈悟郎は声を落とした。

 

「……体、悪いのか?」

「まぁ……多少は仕方ない」

 

 慈悟郎は鼻から息を漏らす。

 五歳年下と言っても、今の東洋一の年齢からすれば、いつお迎えが来てもおかしくはない。だが、それは慈悟郎とて同じだ。むしろ、五歳上の分、冥土が近いのは自分の方だ。

 

「冗談じゃないぞ、東洋一。お前、頼む相手が間違っとるわ。もっと若いヤツに頼まんか」

「左近次ですか?」

「あいつだってさほどにお前と変わらんだろうが。そうじゃない。お前にゃ、優秀な弟子がいるだろうが。聞いとるぞぉ。二人も甲の弟子がいるなんぞ…育手としちゃ万々歳だろうが」

「…………成程」

 

 東洋一は意外そうに手を打つ。「そちらは考えてなかった」

 慈悟郎はハアーっと溜息をもらす。

 

「まったく…この前のお嬢さんもそうだが、どうしてお前にはデキのいい弟子が多いんだ。師匠の方ときたら、すぐに弟子を放ったらかして、あっちへフラフラ、こっちへフラフラしとるのに……」

「どうにも昔の根無し草が身に沁みついてましてね。たまにフラリと出ないと、腹の奥がモゾモゾしてくる。ま、それでもついて来てくれるんだから、人徳でしょうね」

「どこがだ! お前に貸した金、まだ返してもらってないぞ!!」

 

 東洋一は笑って誤魔化した後、「そういえば」と話を変える。

 

「新しいお弟子さんですか?」

「あぁ……街でタチの悪い女に引っ掛かっておっての……そういや、あいつの借金も肩代わりしとる」

 

 慈悟郎が嘆息しながら言うと、東洋一は大笑いした。

 

「いやー、御大は相変わらず…人がいいですな。で、借金のカタに弟子になっとるんですか、あの少年」

「まぁ…の。あれで…しっかりすれば、相当のモノなんじゃがの」

「そこのところの眼力を疑う気はないですよ。なにせ、御大の元から選別に行った隊士は全員、生き残っている。そういえば、以前いた少年はどうなりました? 彼も突破しましたか?」

「岳か? あぁ…まぁ、なんとかな」

「なんとか…とはまた…謙遜しますね」

「お前……心配しておったろうが、あやつのこと」

 

 慈悟郎は以前にもらった東洋一からの手紙のことを持ち出す。

 しかし東洋一は穏やかに笑って頭を下げた。

 

「あれは僭越でしたな。破いて捨ててもらっていいですよ。つい…少しばかり気にかかりましてね。ま、選別を突破したなら問題もないでしょう」

「問題は……ある」

 

 慈悟郎は俯いて唸るようにつぶやいた。

 

「あやつは…壱ノ型を習得できんかった」

「………」

 

 東洋一が眉をひそめる。

 一瞬、不安のよぎったその顔に、慈悟郎は苦い顔になった。

 

「わかっとる。壱ノ型は雷の呼吸の基本中の基本じゃ。それを習得できんなど……儂もどうにも心配ではあったが、それでも……あやつなりに一生懸命やっとったんじゃ。儂の弟子の中では、真面目一徹の努力家での。少々考え方に偏向はあったが、親もない孤児が生きていくのに、色々と苦労はあったんじゃろう」

「………壱ノ型だけが習得できなかったんですか?」

「あぁ。他のは全部、見事に習得した」

 

 東洋一はしばらく考え込んで、慈悟郎に問うてきた。

 

「彼は、柱を目指していたようですが……壱ノ型を習得していないでは、無理じゃないですか? 彼自身はいいとしても、下への承継に差し支える」

「うム……それは、考えとる。さっきの弟子、おったろう?」

 

「我妻くんですか?」

「あぁ。あやつにな、壱ノ型を習得させて、岳と二人で雷の呼吸を継承していってもらおうと思っとる」

 

「柱は同流派は立てませんよ」

「柱にはどちらかがなればいい。あくまでも、雷の呼吸の継承じゃ」

 

「ふ…む。成程。考えましたな」

「ま、岳も隊士になってからも修練を怠らずやっていけば、いずれ壱ノ型を習得するかもしれんし、善逸に至ってはそもそも全集中の呼吸も出来とらんからな。あくまで、仮だ」

 

「そうですね……彼も、隊にいれば友もできて、多少性格の角が取れるかもしれません。素直な心を持てば、壱ノ型も習得できるかもしれませんね」

「うむ……」

 

 慈悟郎は頷いて、目の前で茶を啜る東洋一をじっと見た。

 

「なんです?」

「いや…、お前ともなんだかだで長いと思ってな」

「そうですねぇ…あの頃は……」

 

 言いかけて、東洋一の顔に苦い笑みが浮かぶ。

 慈悟郎は不思議そうに尋ねた。

 

「どうした?」

「いや。俺も彼の……岳くんでしたか? 彼のことをどうこう言えるほど、デキた野郎じゃなかったな…と」

「そうか?」

 

 慈悟郎は若い頃の東洋一を思い浮かべるが、誰とでも如才なくつきあって、多少皮肉屋なところがあったものの、基本的には明るい性格だったと思う。

 しかし、当人はそうでもなかったらしい。

 

「そりゃ、御大には見せずに済みましたからな。鬼殺隊に入ったばかりの頃は、それなりに色々と思う所もあったんですよ。命乞いして泣いてくる鬼を斬るのも正直しんどかったし、後輩だからと甘く見てきた先輩をやり込めたら、陰口とやっかみで面倒だし…あのまま孤独に過ごせば、腐って荒んでたでしょうな」

「なんだお前」

 

 慈悟郎は思わず笑った。

 

「若い頃の愚痴を今頃になって言い出しよって…」

 

 言いながら、そういえば会った頃の東洋一は、あまり慈悟郎の同輩からの評判はよくなかったな…と昔を思う。

 

「若い頃ってのは、どうにも素直になれませんからね。御大のクソ馬鹿真面目な正義感が、有り難かったんですよ。俺みたいなひねくれ者にはね」

「……ひねくれ者なのは相変わらずだの。素直に尊敬してると言えんのか」

「ハハハハハッ! そうそう。それそれ」

 

 東洋一は昔と同じに人懐こく笑った。

 

 

「……それにしても、年ってのは勝手にとるもんじゃの」

 

 いつもどおりに将棋を始めて、慈悟郎はしみじみとつぶやいた。

 

「最近じゃ、弟子を追いかけ回すのも息切れするようになってきた……」

「……息切れの前に、どうして弟子を追い回す必要が?」

 

「善逸はスキあらば逃げようとしくさるんじゃ。おかげでこの前も落とし穴掘って一仕事じゃわ」

「そうまでして…あの少年にこだわるのは、やはり才があると見てるわけですか?」

「う……む…」

 

 慈悟郎は盤面を見て考え込むフリをして、しばらく黙り込んだ。

 正直にいえば、善逸には剣士としての才能を見出している。

 ただ、過剰な期待はしたくなかった。

 いいように利用されて生きてきた子を、自分までが利便に使役するようなことはしたくなかった。

 

「……いや。それよりも、あやつも岳と同じみなし児でな。普通、孤児というヤツはなかなか人を信用せんもんなんだが、あやつは女には滅法甘くて、騙されてばっかりだ。どうにも……放っておけん」

 

 東洋一はチラと盤面から顔を上げて、慈悟郎を見た。

 

「もし、我妻くんが壱ノ型を習得できなかったらどうするんです?」

「変わらんさ。そんなのは、二の次なんじゃ。あいつがちゃんと信用できる人間を見極められるようになったら……どこなりと行けばいい」

 

 慈悟郎はそう言うと、置いてあった茶を一口含んだ。

 我ながら、穏やかな境地になったものだ…と内心で独り言ちていると、東洋一がクックッと笑う。

 

「随分と達観されるようになりましたな、御老体」

「やかまし」

 

「昔なら、何が何でも習得させるんじゃー! とばかりに、しごき回していたでしょうに」

「だから、寄る年波には勝てぬというんじゃないか。気力も体力も、年経て落ちるばかりよ。情けない…」

 

 慈悟郎が深く嘆息した時に、その問題の吾妻善逸が東洋一の弟子達と喧嘩しながら家に入ってくるのが聞こえた。

 

「やれやれ…あやつもなかなか友がおらんのだ。女にはヘコヘコしよるのに、男となったら仇みたいに追い払いよる。お前さんの弟子、友達になってやってくれんか?」

 

「こればっかりは相性ですからな。ま、そのうち彼にも出来るでしょうよ。―――ハイ、王手」

「んあッ?! な、な…なんじゃこりゃッ!!!!」

 

「いやぁ…御大が、すっかり陽動の方に邁進して下さって……助かります」

「フザけるなあぁーッッ!!!! こんなズルこい手を使うやつがおるかーッ! (おとこ)なら正々堂々と勝負せんかーッッ!!!!」

 

 結局、弟子連中も呆れるぐらいに怒鳴りつけて、いい年こいて歯噛みしてくやしがる慈悟郎を、東洋一は楽しそうに笑って見ていた。

 

 

 翌日、帰っていく東洋一は珍しくしばらくぼんやりと慈悟郎の顔を見た後に、穏やかな笑みを浮かべて言った。

 

「御大、年をとるというのは案外いいもんですよ」

「は? なんだ、そりゃ…」

 

「昨日は、御大は年をとったら若い頃に劣ると嘆いておられましたが……こうして御大と話せば、すぐに若い頃に戻れます」

「………心だけはの」

 

「そうですよ。若いヤツらはその時、若いままに生きるしかないが、年寄は戻れる。戻って、あの頃のように笑える。これはなかなか、年寄りにしか味わえぬ醍醐味ですよ」

 

 そう言って東洋一は空を見上げた。

 

 (とんび)が鳴いている。

 強い風が吹きぬけて、一瞬、昔の…したたかで豪胆で精強であった、在りし日の東洋一の姿が重なった。

 

「そうだの…ま、今度、今の弟子が片付いたら、左近次と三人で飲むか」

「いいですね。楽しみにしておきます」

 

 東洋一は頷くと、弟子達を振り返り「行くか」と声をかける。

 

 ふと、目があったらしい善逸を見て、相変わらずの人懐っこい笑みを浮かべた。

 

「我妻善逸」

 

 呼びかけられ、善逸は自分が呼ばれると思ってなかったのか「ヒャいッ?」と素っ頓狂な声を上げた。

 東洋一は善逸の黄色い頭を上から包むようにぽんと叩いた。

 

「お前さんの師匠は誰よりも優しいぞ。信じて、ついて行ってみろ」

「……は…ぁ?」

「じゃ、これで。ジゴさん」

 

 笑って手を振り、東洋一は背を向ける。

 

 懐かしい呼び方に、慈悟郎は不覚にも泣きそうになった。

 

 

◆◆◆

 

 

 今にして思えば、あの時、予感はあったのだ。

 これでもう、東洋一(コイツ)に会えないかもしれない……と。

 

 勝母からの手紙を手の中でぐしゃりと握りしめながら、慈悟郎はしばらく泣き続けた。

 

「馬鹿が。……お前は……儂より……五歳も……下、なんじゃ…ぞ……」

 

 

 

---------------

 

 

 日頃はほとんど怒っているか、たまに笑えば耳が痛くなるような大声で笑う師匠が、声を押し殺して泣いている姿を、我妻善逸は黙って見ているしかなかった。

 

 よく聞こえすぎる善逸の耳には、目の前で静かに泣く姿と裏腹に、心の中では大音声で号泣している師匠(じいちゃん)の声が聞こえていた。

 

 善逸はそっとその場から離れると、自分の部屋に戻った。

 あの手紙を受け取ってから、彫像のように動かなくなった師匠を尻目に、とっとと逃げようと思っていたが……。

 とりあえず、持っていた風呂敷包みを置く。

 

 しばらく考えてから、木刀を持って庭に出て素振りを始めた。

 

 今日は……今日のところは、ここにいようと善逸は思った。

 大の大人が、あんなに悲しく慟哭するのを、善逸は初めて聞いたから。

 

 今のじいちゃんを放っておくのは、なんだか悪い気がするから。

 せめて泣き止むまで。

 じいちゃんを一人にさせないでおこう……。

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 その日。

 

 勝母からの手紙を読み終えた鱗滝左近次は、しばらく動けなかった。

 それは心も同じで、悲しみも驚愕もなく、硬直して動かなかった。

 

 ようやく感情を取り戻したのは、目の前で心配そうに覗き込む弟子の姿を見た時だった。

 

「鱗滝さん…」

 

 竈門炭治郎は自分と同じでにおいに敏い。

 おそらく、左近次の相当な動揺―――()()()()()()()()衝撃を感じ取ったのだろう。

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

 気遣わしげに言ってくるのを、左近次は「あぁ」と頷き、立ち上がりながら炭治郎の肩を安心させるように叩いた。

 

「……薪割りでもしてくるから、飯を食ったら、お前は修行に戻れ」

「………はい」

 

 素直にきいたのは、炭治郎が「一人にさせてほしい」という左近次の気持ちを汲み取ったからであろう。

 

 榎の木陰で薪割りをしながら左近次が思い出すのは、冬に入る前にヒョッコリやって来た六年ほど前の東洋一のことだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 木立の中にその人の姿を見た途端、左近次は顔を伏せた。

 

 数日前に、東洋一に手紙を出していた。

 育手を辞める、と。

 ただそう書いただけで、特に返事を必要とした訳ではない。

 まして、まさか来るなどとは思ってなかった。

 

「よーおぉ、元気か。色男」

 

 いつの話かと思うような第一声に、左近次は天狗面の下で苦笑を浮かべた。

 

「わざわざ、来て下さるとは思いませんでしたな」

「あ? いや、ちょいとばかしこっちで用があったついでにな…」

「用?」

「不肖の弟子がな…親が居るってのに、黙って出てきやがったみたいでな。話聞く限りじゃ、しっかりした堅気さんのようだし、心配してるだろうから、一応ご挨拶に伺ったのさ。とりあえず、無事だって伝えたら…泣かれちまって、どうにも肩が凝った。ホラ、羊羹もらったから、茶淹れてくれ」

 

 相変わらずの強引さである。

 それでいて嫌な気がしないのは、東洋一の徳性なのだろうか。

 さほどに嫌味なく言ったことでも、なぜだか言葉通りに受け取ってもらえず、やたら誤解されがちな左近次には羨ましい性質だった。

 

 東洋一は家の中に上がりこんで、どっかと胡座をかくと、ざっと見回す。

 

「相っ変わらず、どうにも狭苦しい家に住んどるなぁ。元柱とも思えん」

「広い住居など、掃除が大変なだけです」

「そんなもん。女がいるだろうが、お前。とっとと一緒になりゃいいだろうが」

「……あなたに言われたくないですがね」

 

 左近次同様に、東洋一には長くつき合っている女がいる。

 なぜこの二人がいつまでも別居して暮らしているのか、左近次にはわからない。

 もっとも男女間のことに口を差し挟むつもりなど毛頭ないが。

 東洋一も自分に火の粉が降ってくると思ったのか、さりげなく話題を変える。

 

「そういや、選別が終わったな。どうだった? 今年は突破したんじゃないのか? アイツ、強かったろう。なんて言ったかな…宍色の髪した……」

 

 左近次は茶を差し出しながら、暗い声で言った。

 

「錆兎なら……殺られました」

 

 東洋一は茶を啜りながら、チラと左近次を見る。

 

「……そうか。意外だな」

 

 東洋一がそう言うには理由がある。

 最終選別の前に、今回のようにふらりと現れた東洋一に、錆兎と冨岡義勇、二人の稽古をつけてもらったからだ。

 

「左近次、よかったな、お前。今回の弟子は一味も二味も違うぞ。突破して隊士になりゃ、柱にもなれそうな逸材だ」

 

 そう言ってくれたのは、これまで左近次が育てた弟子のすべてが藤襲山に赴いて帰って来なかったというのを東洋一が知っていたからだ。

 聞いた時には左近次もまた自分の経験から、錆兎も義勇も、きっと突破してくれるものと信じていた。まして東洋一に太鼓判を押されたとなれば、きっと大丈夫だろう……そう思って送り出した。

 

 だが、帰ってきたのは………

 

「もう一人は? あいつも殺られたのか?」

 

 左近次は首を振った。

 

「義勇は…無事に突破しました……今は、怪我で藤家紋の家で療養しています」

「そうか。そりゃ良かった」

「………今年の最終選別の合格者は錆兎以外、全員です」

「………」

 

 東洋一の眉がピクリと動く。

 最終選別において残るのは、いつも五指に満たない。

 左近次は俯いて話を続けた。

 

「……錆兎が……ほとんどの鬼を斬って捨てていたらしいです。昼に寝る以外は、夜は走り回って鬼を次々と破っていったと……」

「ほぅ……」

 

 つぶやいて、東洋一は切られた羊羹を一切れ、口の中に放り込む。咀嚼して飲み込むと、ニヤリと笑った。

 

「大したもんだ。さすがだな…見込んだだけはある。アイツならそれくらいなことは出来そうだものな」

「………死んでしまっては意味がありません」

「オイオイ、左近次。そりゃ違うだろうが」

 

 東洋一は珍しく強い口調で否定した。

 クンと、少し怒ったようなにおいがする。

 

「ヤツぁ、やるだけのことはやったんだ。その御蔭でヤツ以外の全員が生き残った。こりゃ、十分な手柄と言ってやっていいさ。大したもんだと、認めてやるぐらいなことはしてやれ」

「………」

 

 顔を俯けた左近次の脳天に、ビシッと弾かれる指。

 久々の突き抜ける痛みに、左近次は顔を顰めた。

 

「…なにを!」

「腐るな! いい年して」

 

 うんざりした顔で言って、東洋一はまた羊羹を一切れ口に放り込む。乱暴に咀嚼して茶を呷ると、ギロリと睨んできた。

 

「自分を責めるのはお前さんの勝手だがな。ヤツが決死の中で選び取った覚悟を、意味がないなんぞと、師匠が貶めてどうする」

「……貶めては…いません」

 

 言いながら、左近次は唇を噛み締める。

 錆兎が悪いのではない。

 自分が…あまりにも無力な自分が、ほとほと嫌になっただけだ。

 意味がないのは、自分だ。

 

 まともに言い返す気力もない左近次に、東洋一はふぅと溜息をついた。

 

「所詮……儂らにやれることなんぞ、技を伝えるだけだ。弟子の人生は弟子のもん。代わりに生きてやることなんぞ、出来んさ」

 

 明快なその言葉に、けれど左近次の心は晴れなかった。わかっていても、もう…これ以上子供達の死を見たくない。

 

「あなたは、御自分のお弟子さんが亡くなっても、いつもそう思うことにしているんですか?」

 

 東洋一は茶を啜り、苦笑いを浮かべて「いや」と首を振った。

 

「最低でも三日は飯が喉を通らん」

「………それで? どうするんです?」

 

「さぁ…? 放ったらかしとった庭の草むしりをしたり、蜘蛛の巣だらけになった蔵の掃除をしたり、近所の飲み仲間とバカ騒ぎしたり、三味線(しゃみ)を鳴らしたり……適当にやってくさ。あぁ、一度、勝母にそんなことを話したらなぁ……あの女は相変わらず強いぞ。『そういう矛盾を飲み込んで育手は弟子を仕込むんだ』ときたもんだ。『代々の育手はそうして繋いできた。それが育手の義務だ』…とな~」

 

 左近次は面の中で皮肉げな笑みを浮かべた。

 勝母はいつも真っ向勝負。自責の念すらも目を逸らすことなく受け止める。

 

「相変わらず……厳しいですね。あの人は」

「そうだろ? 本ッ当に…あの女、子供産んで益々強くなった。まして、その子供と旦那を見送って……それであれだからな。敵わんわ」

 

 ゲンナリした顔で言って、東洋一はまた羊羹を口に入れる。酒飲みのくせして、甘い物好きなのも変わらない。ぐちゃぐちゃと咀嚼した後で、茶を飲み干すと、袂から煙草を取り出した。

 

 フーっとうまそうに紫煙を燻らしながら、また錆兎の話に戻る。

 

「しかし夜通し走り回って、それだけ鬼を斬って回れば、刀もボロボロだったろうな。(エモノ)さえありゃ、アイツが殺られるとは思えん。折れちまったのかもな」

「……そう…かもしれません」

 

 もはや知る由もないが、錆兎の実力を考える限り、ただ力及ばず破れたとは思えない。

 黙念として、天狗の面を少し上げて茶を啜る左近次に、東洋一は咥え煙草で注意する。

 

「お前……その陰気な天狗面を帰ってきた弟子に見せるなよ」

「なんですか陰気な天狗面って。変わりようないでしょうが」

 

「なんとなく、陰気なんだよ。もっと明るくニカッと笑ったのとか作れよ。そういや、あの坊っちゃん弟子……冨岡とか言ったか……アイツ、お前の親戚か?」

「は? いえ…違いますが?」

 

「本当か? なんか似とるぞ、お前の若い頃と」

「そんな訳ないでしょう。どこが似てるんです…?」

 

 眉を寄せて言い返しながら、左近次は一人だけ生き残った弟子の顔を思い浮かべた。

 

 冨岡義勇は整った顔立ちの少年である。

 わりと裕福な家庭で愛されて育ったのだろう…お坊ちゃんらしくどこかおっとりした子であった。

 

 自分と似ているのか…? と考えてみても、天狗面をつけるようになって四十年以上、鏡を見ることは少なくなった。

 若い頃の顔も朧になりつつある。

 

「まぁ、お前の方がもうちょっとタレ目で間抜けだったか…」

「…………」

「膨れるな」

「誰が……。この年で顔のことでどうこう言われて怒る気にもなりませんよ」

 

 そういえば、昔にもこんな話をした気がする。

 

 ―――――お前、ちょいとばか目がタレてんだなァ。鬼に馬鹿にされるのって、その間抜けなとこなんじゃねぇ?

 

 思い出したら、ムカついてきた。

 いい年して…と自分でも思うのだが、どうにも東洋一(このひと)と話していると、昔に戻る。

 

 左近次は残りの羊羹を皿ごと取り上げ、自分の手元に置いた。

 無言でむしゃむしゃ食べるその姿を東洋一は面白そうに眺めていた。

 左近次が全てを食べ終わるまで見てから、煙草を折って囲炉裏の灰へと押し込んだ。

 

「じゃ、ま…帰るわ。不肖の弟子が待っとるからの」

「いつもいつも不肖の弟子ばかり抱えて大変なことですね」

「まったくだ。どいつもこいつも師匠に似ないで真面目な野郎ばっかで面白くない」

「それはよく出来たお弟子さんですね」

 

 皮肉の応酬の後で、外へ出た東洋一は差し込む西日に目を細めた。

 

 光の中で不敵に微笑む顔は、初めて会ったあの時、笑って鬼を斬っていた篠宮東洋一のままだ。

 

「じゃ……またな」

 

 短い別れの言葉だったが、左近次はやはり東洋一は自分の手紙を読んだのだと思った。

 

 育手を辞める―――あの言葉は、左近次の迷いだった。

 自分でも、身の処し方がわからず、誰かに決めてもらいたかったのかもしれない。

 

 だが東洋一は、結局辞めろ、とも、辞めるな、とも言わなかった。

 

 ―――――ヤツぁ、やるだけのことはやったんだ…

 

 戦って、戦い抜いて逝ったであろう弟子のことを、東洋一は剣士として認めてくれていた。

 

 やれるだけのことを、力を尽くし、心を尽くして、やり切る。

 

 今も、昔も、変わらぬ鬼殺の剣士の覚悟。

 育手となっても、それは変わらない。

 

 わかっていたはずなのに、それでも育てた弟子が(わか)い命を散らすのは辛かった。

 しばらくは……東洋一のように日々を過ごして、この哀しい無力感を少しずつ昇華させるしかないのだろう…。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 左近次は目の前で木刀をふるう炭治郎を見つめていた。

 この子は…おそらく隊士にはなれまい。やさしすぎて判断に迷いが生じやすい。鬼共の鋭い爪をかいくぐって生きていくには、あまりに弱い存在だ。

 

 それでも……

 

 ―――――儂らにやれることなんぞ、技を伝えるだけだ…

 

 炭治郎がこの修練に耐え、与えた課題をも乗り越えて、いつか藤襲山へと向かうことになった時、左近次に後悔することは許されない。

 やれるだけのことを、与えうるすべての技を教えて、彼を送り出す。

 それが育手の使命なのだと……東洋一(あのひと)も迷いの中で逃げずに見つめ続けたのだ。………

 

 

 

---------------

 

 

 ―――――鱗滝さん…?

 

 自分を見つめる鱗滝左近次のにおいに、炭治郎は首をかしげた。

 

 ひどく悲しくて、泣きたいぐらいなのに、沁み入るような懐かしさと、清しい諦め。

 

 昔、これと似たにおいを父から感じたことがある。

 あれは、祖母が亡くなった時だ。

 父もまた、土に返っていく祖母の墓の前で、悲しそうに見つめながら幽かに微笑んでいた。『ありがとう…』と。

 

 ―――――鱗滝さんの…親しい人が亡くなったのかな…?

 

 炭治郎はなんとなくそんな気がした。

 しばらく考えて、木刀を下ろすと、テクテクと歩いて左近次の前に立つ。

 

「あの、今日…俺が晩御飯作ります!」

 

 いきなり言い出した炭治郎を、天狗が見下ろす。

 

「………」

「俺、御飯炊くの上手いんで! 炭焼き小屋の息子なんで!!」

 

 必死に言う炭治郎をしばらく見つめた後、左近次はその頭を軽くぽんと叩く。

 

「そうか。じゃ、頼む」

「はい!」

 

 炭治郎はホッとした。

 手から伝わる左近次の心が、少しだけ温かく柔らかく緩んだ気がする。

 自分が元気づけられたのかと思うと、少し嬉しい。

 

 米を研いでいると、左近次が鴉を飛ばしているのが見えた。

 

 赤紫色に広がる夕焼けの中、飛んでいく鴉を、左近次は姿が見えなくなるまで見つめていた。

 

 

 

<閑話休題 その日 了>

 

 





次回は2021.10.30.土曜日の更新予定です。
次回より本編四部開始します。

近いうちにpixivの方で、作者のつぶやき話(裏設定エピソード等)をアップする予定です。興味とお暇がある方はどうぞ。

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