【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第四部
第一章 兄弟子(一)


 久しぶりにその藤家紋の家を訪れた粂野匡近は、奥の部屋から聞こえてくる音色に聞き耳をたてた。

 

 幾つもの音色が、まるで何もない空間に絵を描くかのように流れている。

 確か、以前にもこの音は聞いたことがある。

 この、今、奏でられている曲も。

 

 惹き寄せられるようにその音のする方へと歩いていくと、この家の娘らしい、洋風に髪を結わえて大小の臙脂色のリボンを二つつけた令嬢がピアノを弾いていた。

 

 ぼんやり見ていると、匡近の視線に気付いたらしいその娘が、ハッとした様子でこちらを向く。

 

「匡近さん?」

 

 いきなり名前を呼ばれてびっくりするのと同時に、その娘が薫だと気付いて、「うわっ」と匡近は声を上げた。

 

「もぉ…なにぃ~」

「びっくりしたぁ~」

 

 ピアノの手前の長椅子で、薫の演奏を聞いていたこの家の本当のご令嬢達・みやことかえでが、背もたれ越しに振り返ると、大声を出した匡近を睨んだ。

 

「せっかく薫さんが弾いてはんのにぃ~、邪魔せんといてぇよ。えーと……誰やったっけ?」

「粂野さんやん。ちいとも来はらへんから、忘れてもうたわ」

 

 みやこ達から厳しい目を向けられ、匡近は苦笑する。

 

「ごめん、ごめん。邪魔したね」

 

 そのままそそくさと去ろうとしたのだが、当然のことながら、薫に呼び止められた。

 

「こちらにいらしてたんですか? 匡近さん」

 

 匡近は一瞬だけ天井を仰ぐと、軽く息を吐いた。

 それからにこやかに顔をつくる。

 

「あぁ。ちょっと…こっちで任務があって」

「そうなんですか? 実弥さんも?」

「いや。実弥は来てないよ。残念ながら」

 

 思わず余計な一言をつけてしまう。

 薫が気付いたのか、クスッと笑った。

 

「いえ、別に来て欲しかったわけじゃないんですけど……いつも匡近さんと一緒にいるような気がしていて」

「最近はわりと別々の任務だよ。さすがにこの階級になるとな」

 

 実弥に遅れること三ヶ月して、匡近も甲に昇格した。甲が二人で出張る…というのは普段の任務においてはあまりない。

 

「薫は…どうした? 怪我か?」

「はい。ちょっと…骨を折ってしまって。二週間ほどご厄介になってます。匡近さんも、どこか……?」

「あぁ、いや…俺は大したことないから明日にでも……っつうか、今日にでも帰っていいと―――」

 

 なんとか目をあわせないようにしようと、視線をうろつかせる匡近の前に、椅子の上で立ち上がったみやこの顔がヌッと現れる。

 

「あかんでぇ~…って、医者(せんせい)にも言われてはったやん」

「そうやわ。ちゃあんと薬をのんで、最低でも三日は夜は出歩かないようにして、安静にしとけぇ……て」

 

 かえでも背もたれに顎を乗せながら、匡近を見上げながら釘をさしてくる。

 

「え? どうしたんですか?」

 

 薫がきょとんとして尋ねると、匡近が答える前にみやこが教えた。

 

「粂野さん、鬼に妙な毒みたいなん? なんかもろたんやろ? ほんで、体の中にまだ残ってんねんて。薬も()まなあかんけど、その毒が…」

「毒とちゃうで、みやこちゃん。なんか、小さい(むし)らしいで」

「は? そうなん?」

「そやで。それでその小さい蟲が夜になったら動き回って悪さするから、夜は安静にしときー…言うて、昼は歩き回ってお日さんいっぱい浴びてきーて」

「随分と……面倒な鬼に行き合ったんですね」

 

 薫が心配そうに言ってくるのを、匡近は肩をすくめた。

 

「首を取った後に、なんか吐き散らかしてきたんだよ。咄嗟に技で塞ごうとしたんだけど、数匹ばかり胃の中に入っちまったらしい」

「大丈夫ですか?」

「大丈夫、大丈夫」

 

 匡近が笑って安心させようとするのに、またしてもみやことかえでが割って入る。

 

「昼は、な。夜は大変やったやん、昨日。運ばれてきた時」

「熱も出るし、ずーっと呻いてはったやん」

 

 匡近は溜息をつくと、「はいはい」といなしてその場から立ち去ることにした。

 

 これ以上いたら、今、どうにか堰き止めている気持ちが顔に出て、みやこ達に容赦なく指摘されそうだ。

 

「じゃ、蟲をやっつけに散歩に行ってくるから」

 

 軽く手を振って別れたつもりだったのだが、玄関を出たところで薫に呼び止められた。

 

「匡近さん。ご一緒してもよろしいですか?」

 

 左手に杖を持ちながら、歩いてくる。

 

「足をやられたのか?」

「はい。そんなにひどいものではないんですけど……私もお医者さまから、無精せず歩いて治すように言われているので」

「………」

 

 逡巡して黙り込んだ匡近を、薫は不思議そうに見つめた。

 

「どうかしましたか?」

「いや……」

 

 正直なところ、逃げてきたのはみやことかえでではない。

 

 隊服でない着物姿の薫を見たことはこれまでにもあったものの、今のようにいかにも当世風の、年頃のお嬢様としての格好をされていると………

 正直、目のやり場に困る。まともに見れない。

 

 結局、拒否することもできないまま先に歩き出した匡近を追って、薫もついて来る。

 

「随分と、暑さも和らぎましたね。過ごしやすくなって……」

「あぁ…うん」

 

 そのまま無言で歩いていたが、ふと背後の気配がなくなって、匡近は振り返った。

 

 いつの間にか距離があいていた。

 杖をつきもって歩く薫の足取りは当然遅い。

 

 完全に失念していたことに気付いて、匡近はひどく申し訳ない気分になった。

 薫は立ち止まって待っている匡近に追いつこうと、なんとか早く歩こうとしている。

 

「いいよ、急がなくて」

 

 匡近が声をかけると、薫はニコと微笑んだ。

 杖を持っていること以外、その姿は本当に豪商か貴族のご令嬢にしか見えない。

 今度は反対に目が離せなくなってしまう。

 

「どうしたんですか?」

 

 薫は追いつくと、匡近に首を傾げながら問いかけた。

 

「なんだか、いつもと違いますよ、匡近さん」

「そりゃあ……そうだよ。薫がそんな格好してるから、かなり驚いてるよ」

 

 少しでも正直な気持ちを吐き出さないとやってられない……。

 匡近がややおどけた様子で言うと、薫は「あぁ…」とかすかに顔を赤らめた。

 

「奥様の結髪(けっぱつ)に来ていた髪結さんに、練習させてほしいって言われて……。奥様や、みやこさん達によってたかって着せ替え人形みたいにされてしまったんですよ。隊服も今は修復中なもので……」

「ハハハ。そりゃ、薫にだったら綺麗な着物も着せたくなるものだろうな。その髪も似合ってるし」

「えぇ? そうですか? これ……マガレイトって言うらしいんですけど……なんだか、リボンを二つもつけてるし、随分と可愛らしすぎませんか? 久しぶりに油も塗り込まれて、なんだか落ち着かないです」

「似合ってると……思う、け…ど」

 

 そこまで言って目が合うと、不意に顔が熱くなって、匡近はあわてて目線を逸らせた。

 逃げるようにまた足早に歩き始める。

 

「あっ…あの…?」

 

 いきなり早足で歩き出した匡近を追おうと、薫もあわてて歩くが、怪我した足ではそう簡単に追いつけない。

 

「匡近さん。待って……待って下さい!」

 

 どんどん離されてゆき、薫が大きな声で呼びかける。

 

 ―――――待って……待ってぇ……

 

 ビリッと脳裏に横切った声に、匡近の顔が強張った。

 

 徐々に歩みがゆっくりになり、止まって振り返ると、追いかけてきた薫がつんのめって転びかける。

 匡近は咄嗟に抱きとめたが、薫よりも視線の先に佇む人影に息が止まった。

 

 白髪混じりの丸髷の婦人が、匡近を凝視している。

 

「……匡近」

 

 震える声で名前を呼ばれる。

 呆然とした顔に涙が浮かんで、懐かしそうに手を伸ばそうとしてくる…。

 

「……っ」

 

 匡近はほとんど睨むように見て、その(ひと)を牽制した。

 固い表情のまま軽く頭を下げるなり、薫の手を掴んでさっさと歩き出した。

 

 

 

 

 久しぶりに会った匡近の様子は最初から妙によそよそしかった。

 

 いつもなら会うなり屈託ない笑顔で声をかけてきてくれるのに、今日は薫が気付いて呼びかけるまでぼんやりしていた。

 それは薫がピアノを弾いていたので、それで遠慮したのかとも思うが、その後もずうっと目を逸らしがちでどこか落ち着きのない様子だった。

 

 それでもようやくいつのもように話してくれるようになったかと思うと、いきなり逃げるように行ってしまうし、あわてて追いかけてこけそうになったのを助けてくれたと思うと、そこにいた知り合いらしい白髪混じりの女性に呼びかけられるなり、再び逃げるように―――…

 

「あの……ちょっ……匡近さんっ……」

 

 薫の手を握りしめたまま、ほとんど走るように進んでいく匡近に呼びかける。

 薫は必死で歩みを合わせようとしたが、やはりまだ完治していない足では無理だった。

 

 少し大きな石が地面から出ていたのを避けそこね、痛みが走って足がよろける。

 またこけそうになって、匡近がグイと引き寄せて、抱きとめた。

 

「あ、すみません」

 

 痛みを堪えつつ、顔を上げた薫は初めて見る匡近の暗い顔に驚いた。

 どうしたのか? と聞こうとして、不意に抱きしめられた。

 

 ―――――え?

 

 薫は一瞬、自分の状態がわからなくなった。

 

 ただ、熱い。

 

「あの……匡近さん…?」

 

 身じろぎして、声をかける。

 

「あ……ごめん」

 

 匡近は我に返ったのか、薫から手を離す。

 そのまま橋の欄干に体を(もた)せかけた。

 

 フーッと長い溜息をつく。

 

「大丈夫ですか?」

 

 今日は会った時から変だったが、さっきのご婦人に会ってからの匡近は明らかにおかしかった。

 今も眉間に皺を寄せて、いつになく険しい顔つきで、返事もしない。また、溜息をつくと手で顔を覆う。

 

「……ごめん、薫。悪いけど、一人で行ってくれないか」

 

 薫は何か言えることはないかと探したが、結局、「はい」と頷いた。

 少しだけ進んでから振り返る。

 気の抜けたように項垂(うなだ)れた匡近の姿に、不安がよぎる。

 

「あの、匡近さん」

 

 声をかけると、匡近がぼうっとした表情で薫を見つめた。

 

「日暮れまでには、帰ってきて下さいね。具合が悪くなってはいけませんから」

「………ああ」

 

 ようやく匡近の顔に笑みが浮かんだが、それはあくまで薫を安心させるために無理したものだと、すぐにわかった。

 

 かなり歩いてから、気になって振り返ってみると、先程のご婦人と匡近が話しているらしいのが見えた。  

 やはり知り合いなのだろうか…。

 しかし、薫が割って入ることはできない。

 

 そのまま薫はみやこ達に頼まれた和菓子を買って、町内を一巡りして帰ってきたのだが、藤家紋の家に入ろうとして呼び止められた。

 

「あの、すみません」

 

 振り返ると、さっき匡近に呼びかけていたご婦人が立っていた。

 

「あ……さっきの」

 

 薫が目を丸くしていると、ご婦人は深く頭を下げた。

 

「匡近の母親でございます。息子がお世話になっているようで……」

「えっ!?」

 

 思わず大声が出て、あわてて口を押さえた。

 匡近の母と名乗った女性は、ニコリと微笑む。

 笑った顔が匡近と似ていた。

 

「あ……いえ、あの…私こそいつも…その、お世話になっております。え…と…森野辺薫と申します」

 

 しどろもどろになりつつも自己紹介すると、匡近の母はニコニコと笑いかける。

 

「しばらく見ないうちに、こんなご立派なお家のお嬢様とお知り合いになっているなんて存じませんで、先程はご無礼致しました」

 

 藤家紋の屋敷を見上げながら言うので、薫はあわてて訂正した。

 

「いえ、あの…違います。私はここの家の人間ではなくて……利用させてもらっているというか……」

「……?」

 

 首をかしげる匡近の母に説明しようとすると、中から現れた古参の女中に呼びかけられた。

 

「あら、薫お嬢様。ようやく帰っていらしたんですか? みやこ様とかえで様がまだかまだかーて、さっきから首を伸ばして待ってはりますよ」

 

 なんとも間の悪いことに、ここで働く古参の人間はたいがい薫のことをお嬢様と呼ぶのである。

 まして今は隊服も着ていない。

 いかにもお嬢様然としたこの格好のせいで間違われても仕方ない。

 

「と、トシエさん。あの、これをみやこさんとかえでさんに」

 

 持っていた和菓子のお土産を女中に渡すと、薫は目配せして匡近の母を近くの神社へと誘った。

 境内の中にある茶屋で、ようやく誤解を解くことができた。

 

「まぁ…じゃあ、森野辺さんも鬼を……」

 

 匡近の母……徳子(のりこ)は、薫が鬼殺隊士であると告白すると、驚いて顔を引き攣らせた。

 

「こんな若くてお綺麗なお嬢様が……そんな殺伐した……」

 

 薫は一般の人がそういう感想を持つのは仕方ないと思った。

 

「確かに鬼狩りは血腥い現場もありますけど……決して殺伐としたことばかりでもないですよ」

 

 柔らかな笑みを浮かべて言うと、徳子はそれでも心配気な様子で小さく溜息をつく。

 

「あの子は…匡近は、本当に優しくて……優しすぎて、自分のせいだと。私はそんな危ないことはやめて欲しいと何度も頼みましたが、聞き入れてくれなくて。優しいけど、頑固なんですよ、あの子は。さっきも声をかけたのだけど……」

 

 徳子は言いかけて、懐から少し古びた錦の巾着を取り出す。

 

 巾着を開いて中から出したのは琥珀の玉が連なった小さな数珠だった。

 房の根本にある大きな玉と、琥珀の玉の間に二つだけ木でできた玉があって、そこから白檀のいい匂いが漂ってくる。

 

 徳子は寂しげに言った。

 

「これを渡されただけでした。『返す』と」

「それは?」

「お守りのようなものです、我が家の。長男に受け継がれるので、あの子に持たせていたのですが、もう要らないということでしょうね。私達とはこれで完全に縁を切ろう…と」

 

 徳子は哀しそうにその数珠を見つめると、再び袋に入れて懐にしまった。

 薫は迷ったが、おずおずと徳子に尋ねた。

 

「あの……立ち入ったことをお聞きしますが、匡近さんが鬼殺隊に入ったのは、どなたか身内を亡くされたのでしょうか?」

 

 徳子は頷き、ジワリと目に涙をためた。

 

「……匡近の……弟です」

「弟……」

 

 つぶやき返しながら、妙に納得できた。

 匡近のあの性格はどちらかというと兄であろう…と想像できた。

 

「よく遊んでました。幸晴(ゆきはる)は匡近を本当に慕ってて、年は六つ離れてたんですけど、いつもいつも後ろを追いかけていて」

 

 考えてみれば匡近から鬼殺隊に入った理由を聞いたことはなかった。

 それを聞く必要を感じさせないほどに、匡近はいつも朗らかで明るかった。

 そう見せていたのだろうか…。

 さっきの暗い顔を思い出す。

 

「鬼殺隊というものがあると知って、すぐに自分もそこに入ると言いだして…。主人と二人で必死に止めましたが、結局、勘当してくれ…と書き残して家を出て行きました。それ以来、本人からの連絡は何もなくて…。一度だけお師匠と仰言(おっしゃ)る方がいらして無事だけは知らせてくれましたが……」

 

 徳子の話からまさか出てくると思わなかった東洋一(とよいち)が現れ、薫は驚いた。

 いつも飄々として、他人のことに無関心であるように見えて、実のところ義理堅い性格であった。

 懐かしさと悲しさが同時に去来する。

 

「それは……ご心配でしたでしょうね」

 

 薫はどうにか返事して、匡近のことを考えた。

 

 東洋一のもとに弟子入りした頃からとすれば、おそらく少なくとも五年以上、音信不通だったことになる。

 まして既に一人の息子を鬼の爪牙にかかって殺されている親の身からすれば、これ以上再び鬼によって大事な息子を奪われるかもしれないと…毎日、身の細る思いだったことだろう。

 

 しかし……と、薫は内心で首をひねった。

 匡近の性格からして、確かに家出したばかりであれば、まだ精神的に若かったのもあって、連絡を絶っていたかもしれないが、数年経てば、当時の自分を省みて、せめて無事だと一言、手紙で書き送ってそうなものだ。

 以前に手紙のやり取りをしていたのを思い出しても、筆不精というわけでもないだろうに。

 

 徳子は昔を思い出して涙が止まらぬようだったが、手ぬぐいで目をおさえて、気持ちを落ち着けると、匡近によく似た温かみのある笑顔を浮かべて薫を見つめた。

 

「森野辺さんは、匡近の…その、お仲間ということでしょうか?」

「あ…はい。それもそうですが、私は匡近さんと同門で……同じ師匠に教わっておりましたので、妹弟子になります」

「まぁ、そうだったんですね。道理で」

「はい。いつもお世話になってます」

 

 徳子はホホホと袖で口を隠して笑った。

 

「私はてっきり、匡近にそういう……夫婦(めおと)になろうという娘さんがいたのだと思って」

「えっ!? ち、違います。そういうのは全く……そういうのではないです」

 

 薫があわてて否定すると、徳子は軽く吐息をついた。

 

「残念ですわ。森野辺さんのようなお嬢様と一緒になって…あの子も幸せに暮らしてくれているならいいと……さっきまで納得させようとしてましたのに」

 

 本当にガッカリしたように言うので、薫はとりあえず「すみません」と謝った。自分でもどう返答すればいいのかわからない。

 

「いつ死ぬともしれぬ場所で戦っているのですものね……普通の女の方ではとてもお嫁さんになど、来てくれるわけもありませんね………」

 

 寂しげにつぶやく徳子に、薫はかけてやる言葉が見つからなかった。

 ただ……

 

「確かに……危険の多い仕事ではありますけど、匡近さんはとても強いので、今までも戦って生き残ってきましたし、だからあの……大変ですけど、一生懸命やっているので…頑張ってるので、あの……心配はされると思いますけど………認めてあげて下さい」

 

 訥々と話す薫を徳子はじっと見つめた後、フッと笑みを浮かべる。

 

「……そうですね。自分の信じる道を進む息子を認めてやるのが……親に出来る最後のことでしょうね」

 

 そう言って徳子は茶屋娘にお代を支払うと、立ち上がった。

 

「あ、お代は私が……」

 

 薫が懐から財布を出そうとするのをそっと手で制して、徳子はニッコリ笑うと先へと歩き出す。

 

 藤家紋の家へと向かう道々に、匡近の隊内での様子などを話して聞かせると、徳子は時に息子の成長に驚きつつも目を細めて、頷いていた。

 薫もまた徳子から匡近の幼い頃の話などを聞いて、破顔して笑い合う。

 ほんの数町ほどの道のりの間にすっかり打ち解けてしまったのは、徳子がやはり匡近と同じ温和な、親しみやすい性格であったからだろう。

 

 藤家紋の家の前まで来ると、薫はおずおずと申し出た。

 

「あの…一度、匡近さんに声をかけてみましょうか? たぶん、もうお戻りになっていると思うので…」

 

 徳子はハッとした様子だったが、フと笑うとゆっくり首を振った。

 

「あの子が無事とわかっただけでも十分です。森野辺さん……薫さんにも会えましたからね」

 

 それから徳子は先程の数珠の入った巾着袋を薫に差し出した。

 

「これを…もう一度、匡近に渡しておいて下さい。これはもうあなたのものだから、あなたの好きにしていいと…そう、伝えて下さいませ」

 

 薫は両手でその袋を受け取ると、「必ず」と頷いて、安心させるように笑った。

 徳子もニコリと笑うと、深く頭を下げた。

 

「どうか、匡近のことを…お願いします」

「いえ…むしろこちらがいつもお世話になってますから……」

 

 謙遜でなく本当にそうだから言ったのだが、徳子はしげしげと薫を見つめて、軽く嘆息した。

 

「本当に残念。匡近が鬼退治を辞めて、あなたと一緒になって家に戻ってきてくれたら……こんなに嬉しいこともないでしょうに」

 

 薫は複雑だった。

 おそらく徳子は今日の薫の姿を見て勘違いしているだろう。普段の姿を見れば、今のような感想を抱くとは思えない。

 

「では」と、徳子が歩き出すと、薫は後ろから声をかけた。

 

「あの! 私……匡近さんに、お手紙を書くように……頼んでみます。きっと、心配をかけさせているのは、十分にわかっておられるでしょうから」

 

 振り返って、徳子はニッコリ笑って薫を見つめた。

 

「ありがとう。待っていると……お伝え下さい」

 

 そう言って再び深くお辞儀すると、往来の人の群れの中に消えていく。

 薫もその姿に向かって、深く頭を下げる。

 

 いつ死ぬともしれぬ人間の帰りを待つというのは、もしかすると戦っている当人よりも神経をすり減らすかもしれない。

 それでも待つという選択をして、匡近を送り出した徳子の心の毅さに、薫は素直に敬服していた。

 

 

 

<つづく>

 

 

 






次回は2021.11.6.土曜日の更新予定です。

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