【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第一章 兄弟子(五)

 伴屋(ばんや)宝耳(ほうじ)はげんなりした顔で、産屋敷邸へと入って行った。

 来訪を告げる間もなく、産屋敷あまねが「こちらです」と先導する。

 

 案内されて入ると、その広い部屋には誰もいなかった。

 きょろきょろと見回して、縁側の向こう、庭で燦々と降り注ぐ陽の光を浴びている産屋敷耀哉の姿を見つける。

 

「日向ぼっこでっか?」

 

 縁側まで行って問いかけると、耀哉はフワリと笑む。

 その笑顔は亡き聡哉(さとや)を彷彿とさせた。徐々に美しい顔や手足を蝕んでいく病の症状も同じだ。

 

「随分と久しい気がするね。元気だった?」

「まぁ、ぼちぼちでんな」

「ふっ」

 

 耀哉は口に手を当てたが、堪えきれないように背を丸めてクスクスと笑った。

 

「なんですん? そないに可笑しいでっか?」

「そうだね。だってまるで……商売人のような挨拶じゃないか」

「まぁ……さいでんな」

 

 宝耳は腰をおろして胡座をかくと、耀哉が笑いが収まるのを待った。

 

 この人は案外と笑い上戸なのか、ツボに入ると止まらないのだ。

 耀哉はしばらく笑い続けて、軽く咳をすると、すぅと深呼吸してようやくおさめた。

 

「で、色々と忙しいようだけど…」

 

 耀哉は宝耳の隣に腰を下ろすと、すぐに怜悧な御館様としての顔になる。

 

「そら、忙しいでっせ。そろそろ例の藤襲山の選別の時期ですからな。鬼の生け捕りも数が少ない言うてせっつかれて…大変ですわ」

「あぁ、そう。それは頑張ってもらわないとね」

 

 サラリと耀哉はその話題については流す。

 宝耳はやれやれと溜息をついた。こっちはそのせいで、今日だって寝不足だというのに。

 

「無惨のことは?」

 

 何気なく耀哉は問いかけてくる。だが、放たれる気はキィンと張り詰めて、宝耳を刺す。

 ここに来る以上、そのことから逃れられるわけもない。

 

「そっちについては…今、ちょいと調べとる奴がおります。少しばかり昔の人間ですねんけど、調べるうちに、これが妙な縁で、妙な人に繋がりましてな。今度、ちょいと話を聞きに行こかー、思てます」

「妙な縁で妙な人…とは思わせぶりなことだね」

 

 耀哉が首を傾げて問いかけてくる。

 ほとんど見えなくなった目は、不思議とじっとり宝耳を見据えていた。

 

 宝耳は目線を外し、軽く息を吐いた。

 相変わらず、産屋敷一族の…いや、この産屋敷耀哉の持つ奇妙な圧迫感といったら…。

 

 スゥと空気を吸ってから、気安い口調で話し出す。

 

「ある大学の研究室に得体の知れんのが一人おりましたんや。今はもう姿を見せんようになったらしいけど…一時(いっとき)、よう来とったらしいですわ。で、その研究室でソイツと仲良うしてた男がおりましてな…これが、なかなか妙な繋がりですねん」

 

 意味深に宝耳は黙り込む。

 

「私の知り合いかい?」

 

 耀哉が尋ねると、宝耳は耳下をポリポリと掻いて思案顔になった。

 

「いや。どうやろ? でも、知り合いの知り合いには違いありまへんな」

「やれやれ。随分と勿体ぶることだね」

「ハハハ。じゃ、名前を言いまひょか。那霧(なぎり)旭陽(あさひ)、言いますねん」

「那霧……」

 

 耀哉の顔から笑みが消えた。

 光を映すことのない瞳が宝耳を見つめる。

 

「それは、元花柱の…那霧勝母(かつも)の夫だね」

「そうですねん。妙な縁でっしゃろ? ()()()()()()()()()と友達やった()()()()()なんぞ…」

「……あの勝母がいて、無惨が家に訪ねてこようものなら問答無用で斬って捨てそうなものだが…よほど無惨は巧妙に潜り込んでいるようだね」

 

 耀哉は言いながら、再びその顔に古代の仏像のような微笑を浮かべる。

 それは産屋敷家に代々伝わる鋼鉄の微笑であった。

 決して動揺を見せぬように幼い頃から教え込まれ、身に染みついている。

 

 もっとも、その教えにいつも従順に生きていけるほど、全ての当主が強靭な精神の持ち主であったわけではない。

 むしろ、聡哉にしろ耀哉にしろ、心をかけた()()()の死を毎月のように聞いていながら、まともな精神を保つことの方が難しいに違いない。

 

 それでも微笑を浮かべる。

 それが御館様と崇められる者の務めであることを自任しているからだ。

 

「勝母といえば三十年前死んだはずの鬼が復活しているかもしれない…と具申があったようだね。今回、出現した裏切者の鬼と関わりがあるらしい…と」

 

 庭の方を眺めながら耀哉は言うと、いきなり悪戯っぽい笑みを口許に浮かべた。

 

「そういえば、宝耳。君、父上から頼まれていたよね?」

「はい?」

「とぼけても駄目だよ。元風柱の一族だった風波見(かざはみ)家が鬼殺隊から離脱した原因について、暇を見て調査するように頼まれていたろう?」

 

 宝耳は笑顔のままで固まった。

 その暇、というのがあまりなくて今に至るも調査はほとんど進んでいないのだが。

 

「その事については今、当時の関係者から話を聞いてもらってましてな。その内、わかるとは思います。それより問題なのは、その鬼が()()なんぞしとるということですやろ」

「そうだね」

 

 耀哉は短く頷くと、ふっと睫毛を伏せた。

 

「どうやら鬼についての詳細な情報が必要だね。このまま敵を知らず戦いを挑むには、僕らにはあまりに分が悪すぎる。大事な子供達を犬死させるわけにはいかない……」

「『協力者』ですな」

「そう…そう。宝耳、そちらもやってくれているんだよね?」

「御館様」

 

 宝耳はいよいよ長く深い溜息をつく。

 

「ワイも寄る年波ですからな。そろそろ本格的に隠の方に行こうと思ってますねんけど」

「それは構わないけど、やることは今と大して変わらないよ」

「なんで?」

「宝耳の代わりはいないからね」

「そないな殺し文句で転ぶほど若造ではおまへんで」

「おや、それは失礼」

 

 とぼけた様子で耀哉は言って立ち上がると、そっと、宝耳の肩に手を置いて、囁くように命令する。

 

「伴屋宝耳ともあろう者が仕事を二つ三つ掛け持ちした程度で音を上げる訳もない……ね?」

 

 そのまま振り返ることなく、耀哉は部屋を出て行く。

 開いた襖の向こうであまねそっくりの娘達が二人立っていた。宝耳に軽く会釈して、耀哉に付き添って去っていく。

 

「………あー、もうホンマに」

 

 宝耳は天を仰いだ。

 

「人遣いの荒いことや。給金貰うても、使う間もあらへんがな」

 

 あえて大声でぶつぶつと文句を言ってやる。

 おそらく娘達にも、もちろん耀哉にも聞こえるように。それぐらいの当てつけは許してもらえるはずだ。ついでに長く長くながーい溜息も。

 

 息を吐ききってから、さて…と、顔を上げる。

 優先順位を決めていかねばならない。

 

 無惨については、一朝一夕にどうにかなるものでもないだろう。

 勝母の夫が亡くなったのは二十年近く前だ。一応話は聞くが、すぐさま所在が明らかになるような情報が入るとは考えにくい。

 

 風波見家については薫に聞けば、推測が確定に変わるだろう。

 こちらはほとんど完了案件だ。

 

 だとすれば、やるべきは…『協力者』の探索だ。

 

 この『協力者』がいつから存在していたのかは不明だが、巷間では、美しい女の医者によって不治の病とされていた子供や、瀕死であった老爺が助かったという話が細々と伝わっていた。

 

 鬼殺隊に残る文献にも記されており、一番古いもので、徳川が江戸に開府した頃のものになる。

 直近においては隊士の一人が接触したらしいが、詳細については記載がない。

 

 人であれば有り得ないその年月を生きる者が、鬼であるなら。

 鬼であるにも関わらず、人に対して害を為す者でないのなら。

 その鬼は『協力者』となり得るのではないか…?

 

 聡哉の頃から、徐々にその『協力者』の探索を行うようになっていた。

 本格的に始めたのは耀哉だ。

 

 耀哉はそれまでの当主のように、鬼からの一方的な虐殺に対処するだけでは済まさなかった。

 輝久哉の代から隊に組み込まれた鬼蒐の者を、より優れた能力者達による組織として改変させ、宝耳らを始めとする諜報者による徹底的な情報収集を行って、能動的に鬼を狩ることを始めた。

 

 自分の代で鬼殺隊に幕を下ろすことを、本気で考え、そのために行動しているのだ。

 自分の命とのせめぎ合いの中で、それでも決して焦らず、周到に。

 

 柱達は耀哉の優しさや、神とも思える浮世離れした雰囲気に、御館様としての資質を見て慕っていたが、宝耳は違っていた。

 寧ろ、あの冷徹な計算高い頭脳こそが、耀哉の本質であり、そうでなければ自分はここにいない。

 

 ということで。

 

 ぶつぶつと文句を言いながらも、宝耳は今日も働くのである。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「助かったわぁ。ありがとうね、薫」

 

 カナエは薫から薬草を受け取ると、いつものように天女のごとく笑う。

 

「いえ、ついでですので」

「今日は、これから?」

「はい。夕方には向かいます」

「そう。薫ももう丁だし、そろそろこちらでの任務になるかもしれないわね」

「やはり、こちらでの鬼の出現は多いのですか?」

「そうねぇ。まだ調査中のようだけど、たまに西の方に行くと、実感としては少なく感じるわね」

 

 以前に勝母が言っていたように、無惨がいればその周辺で鬼の出現率は高くなる。つまり、鬼が多出する地域には無惨がいると考えられる。

 

「やはり関東近辺に無惨がいると考えるべきなんでしょうか…」

「……わからない」

 

 カナエはしばし考えて首を振る。

 

「けれど、この前にも下弦の鬼が一人、滅殺されている。この数年来、殺された十二鬼月は皆、東京府を中心とした周辺地域だわ。こちらに偏っているようには思えるわね」

 

 薫はカナエから話を聞きながら、一瞬だけ違和感を覚えた。

 ふと、哲次の言葉を思い出す。

 

 ―――――俺はあの人は苦手だ。柱だってのに鬼を憐れむなんぞ…気がしれねぇ。

 

 薫の顔が曇るのを見て、カナエは不思議そうに首をかしげた。

 

「どうかした?」

「いえ……」

「あらやだ。言って頂戴。そんな怖い顔しているのに、何もないなんてことないでしょ?」

 

 いつのもように屈託ない笑顔のカナエに、薫は少し逡巡してから思い切って尋ねた。

 

「カナエさんは鬼に同情しているのですか?」

「え?」

「前にほかの隊士から聞いたことがあるんです。カナエさんは鬼を憐れんでいると。今も()()仰言(おっしゃ)ってましたね。鬼を、()として数えるのですか?」

 

 カナエはじっと薫を見つめた。

 少し、困ったような曖昧な笑みを浮かべて。

 

「……やっぱり、薫も鬼は憎いと思う?」

 

 その問いかけに薫は愕然とした。

 反芻することもなく反射的に言葉が出る。

 

「当たり前です。そうでなくて、どうして鬼殺隊に入るというんですか?」

「そう……そうよね」

 

 カナエは少し寂しげに笑う。

 

 薫は唇を噛みしめた。

 

「カナエさんは、親御さんを殺されたのだと聞きました。それなのに、なぜ鬼を憐れむのです?」

「わかっているわ…でもあの鬼だって、鬼になりたくてなった訳ではない。鬼は……元々は人だったのだから」

 

 薫は一瞬、意味がわからなかった。

 呆然としながら、心の中でカナエに問いかける。

 

 鬼が人であったことが免罪符になるというのか。

 その鬼によって殺された命が、その鬼を憐れんで救われるとでも言うのか。

 

 薫は熱く渦巻くものを吐き出したい衝動を必死でこらえた。

 かろうじてゴクリと唾を飲下す。

 

「………鬼になりたくてなった者もいるでしょう」

 

 ボソリと薫がつぶやく。

 カナエはふっと睫毛を伏せた。

 

「それは、おっ母様のお父上のこと?」

「………」

 

 答えない薫に、カナエはそっと溜息をつく。

 

「いいの。私の考え方が受け容れられないのはわかっているわ。でもせめて、私は彼らが次に生まれてくる時には鬼となることがないようにと願って……そう思って、絶ち切るの。彼らと、無惨との縁を」

「……わかりません」

 

 薫は我知らず拳を握りしめていた。

 

「鬼は鬼です。鬼に殺された人は戻らず、残された人の悲しみは、たとえ元凶である鬼を倒したとしても(あがな)うことはできない」

「むろん、遺族の悲しみはわかっているわ。彼らへの同情はまた別よ」

「私には、彼らと鬼を同時に憐れむことなど…できません」

 

 断固として言い切る薫に、カナエはふんわりと微笑んだ。

 去年の夏、百日紅(さるすべり)の花の下で見た仙女のような風情そのままに、どこか浮世離れしている。

 

「いいのよ、薫。無理に私を理解しようとしなくていいわ。でも……」

 

 カナエは静かに問いかけた。

 

「もし、あなたの知っている人が鬼となってしまったら、どうする?」

 

 ドクン、と心臓が深く鼓動を打つ。

 すぐに志津の顔が浮かぶ。

 彼女との楽しい思い出がいくつも脳裏に去来する。

 

 鬼となった志津を目の当たりにしたら、自分はどういう行動をとったろうか。

 寿美達を殺し、実弥達を殺そうとしている志津を前にして、それでも――――

 

「……鬼となれば、容赦はしません」

 

 震える声を押し籠めて薫は断言する。

 

 カナエは否定しなかった。やはり寂しげに笑って言う。

 

「そうね。私も一緒よ。憐れんだとしても、やる事は一緒。殺すしかないのですもの」

 

 それきりカナエは黙って、薬草を瓶に詰めていく。

 カサカサとなる袋の音と、時計の針の音だけが静まり返った部屋に響く。

 

 だんだん頭も冷えてくると、薫はなんだか申し訳ないような気もしてきた。

 カナエの言うことに全面的に賛同はできないにしても、カナエは人として決して間違ったことを言っているわけではない。

 

 だが、それでも謝るのは違う気がした。妙に意固地な自分の性格を、自分でも持て余した。

 ブルリと体を震わせ、立ち上がって窓を開ける。

 

 もうすぐ夕方だろうか。

 そろそろ出立すべきかもしれない……と思っていると、空から鴉が舞い降りてきた。

 

「あ……」

 

 カナエの鎹鴉らしい。

 邪魔にならぬよう体を横にすると、スルリと部屋の中に入ってきた。

 

「アラアラ……任務?」

 

 カナエはいつもの朗らかな笑顔を浮かべて、止り木にとまった鴉に尋ねた。

 

 鴉はカアァァァ! と大きく鳴いてから、告げた。

 

「下弦ノ壱、撃破ァ! 下弦ノ壱、撃破ァ! 甲隊士、不死川実弥、粂野匡近、両名ニヨッテ撃破ァ!!」

「まぁ!」

 

 カナエは驚きながらも嬉しそうに薫を見る。

 薫もさっきまでのことをすっかり忘れて、カナエにほころんだ笑顔を向けた。

 

 だが、その顔はすぐに凍りつく。

 

 鴉は無情に報告を続けた。

 

「下弦ノ壱トノ戦闘ニヨリ、粂野匡近、死亡ォ!!」

 

 

 

<つづく>

 






次回は2021.12.4.土曜日に更新予定です。

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