【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第二章 遺思(一)

「あ…実弥。ちょっと行き道に寄っていいか?」

 

 そう言って匡近が寄り道したのは、郊外の小さな借家だった。

 

 東洋一(とよいち)から守の指導を頼まれ、面倒を見ることになったので、さすがに道場や他の隊士の下宿先を転々とする生活をさせる訳にもいかないと、一軒家を借りたのだ。

 少し街中からは離れているが、その分、剣撃の稽古する十分な庭もあり、少し行けば川と広い河原がある。

 修行するにはいい場所だった。

 

 匡近は家の中には入らず、門まで出て来た守に小さな巾着袋を渡した。

 

「これ、俺の部屋に置いておいてくれ」

「え? 持っていかないんですか?」

「あぁ」

 

 匡近は頷いて行こうとしたが、実弥は守の掌に置かれた袋を取った。

 

「なんで持っていかねェ? これお守りだろ?」

 

 その袋は実弥も見覚えがあった。

 まだ階級も下で、二人でよく一緒に任務に行っていた頃に、匡近が鬼との戦闘中に落としたのを拾ったことがあったからだ。

 確か、中には琥珀の数珠が入っていたはずだ。

 

「生まれてすぐから持たされてたから、持ってないと落ち着かないって…お前言ってたじゃねェか」

 

 目の前にズイと差し出されて、匡近は受け取ると中から数珠を出した。

 久しぶりにまじまじと眺める。

 

 琥珀の玉が連なった小さな子供用の数珠。

 三つだけある木の玉からは、甘い芳香が漂ってくる。

 太陽の光を通して、匡近の掌に飴色の影を落とす。

 

 ―――――キレイだなぁ……。

 

 昔、幸晴がこの数珠を光にかざしては、キラキラした眼差しで見つめていた。琥珀の影をぷっくりした頬に落として。

 

 懐かしい…。

 そんな記憶も今は思い出せる。

 

 穏やかな笑みを浮かべる匡近に、実弥はぶっきらぼうに言った。

 

「持ってけよ、縁起でもねェ」

「いや……これまでもけっこう、忘れてたりしたんだ。だから、そう験担ぎするものでもないんだよ」

 

 匡近は笑うと、また数珠を袋の中にしまった。

 それから再び守に渡す。

 

「オイ!」

「いいんだ、もう。……元々、俺が持っておくべきものじゃないんだよ。次に伝えられないし」

「意味がわからねぇよ」

 

 眉間に皺を寄せて首をひねる実弥に、匡近は笑った。

 

「いや。これってウチに先祖代々伝わってるものでさ。長男が持ってて、その長男が結婚したら奥さんに渡して、で、また男が生まれたら、その子のお守りに……って、伝えてきたもんなんだ」

「なんで、次に伝えられないんだよ。お前が結婚して、嫁さんにやればいいことだろ」

「…………」

 

 匡近はハの字眉で微笑むと守に頼んだ。

 

「じゃ、それ…俺の文机にでも置いておいてくれ」

「わかりました。じゃあ、あの箱に入れておきますね」

「あぁ…そうだな。そうしてくれ。じゃ、行ってくる。戸締まりだけしっかりな」

「はい。お気をつけて」

 

 守に送り出されて歩き出す匡近は振り返ることもない。

 実弥はフンと鼻息をついて、その後を追う。

 

「オイ…」

 

 後ろから声をかけると、振り返りもせずに「なんだー?」と相変わらず呑気な声が返ってくる。

 

「お前…忘れたんじゃねェだろうなァ?」

 

 いきなり意味深なことを聞かれて、匡近はきょとんとした様子で振り返った。

 

「なにが?」

「なにが…じゃねェ。テメェ…いくらジジィが死んだからって、忘れたのか!」

 

 東洋一の突然の死があったので、すっかりなかったような顔をしているが、実弥は忘れていなかった。

 あの日、汽車の中で確かに匡近は言ったのだから。

 

 ―――――俺、薫が好きだ…

 

 あの時に実弥の肚は決まっている。

 匡近には早々に薫と一緒になってもらい、鬼殺隊からは二人一緒に抜けてもらう。

 

 ちょうど東洋一にも隊士を引退して、育手になるようにと遺言されたことだし、いい機会である。

 これで玄弥の件も片付けば、実弥としては心置きなく鬼狩りに専念できるというものだ。

 

 しかし匡近は実弥の心を読んだのか、ゆるゆると頭を振った。

 

「薫のことなら…もう、いい」

「は?」

 

 唖然として聞き返す実弥に、匡近は苦笑しながら一つ溜息をつく。

 

「だから…もう、言わすなよ! フラれたんだよ。だから、無理だって」

「………いつ?」

「いつだっていいだろ! 思い出させるな! これでもようやく立ち直ったんだからな」

 

 無理しておどける匡近を、実弥は呆然として見つめるしかない。

 

 なぜだ?

 

 匡近と薫がしょっちゅう手紙でやり取りしていたのも知っている。

 弟子の時からずっと、薫にとって匡近はもっとも信頼する、親しい男だったはずだ。

 

 何より…あのまだ肌寒い春の夜の、大坂の道場裏で見た二人の様子からしても、おそらく薫も匡近のことが好きなのだろうと……思っていた。

 だから―――

 

 あきらめたのに…。

 

と、心の中でつぶやいた自分に実弥は動揺した。

 

 ―――――あきらめる? 何を?

 

 沈黙した実弥の背を、匡近はバンと叩いた。

 やや強くなったのは意趣あってのことではない。おそらく。

 

「そんな顔すんな! 予想はしてたし」

 

 明るく言う匡近に、実弥は困惑するしかなかった。

 だが匡近はそれ以上のことは話さない。

 

「ま、そういうことだから、俺は隊務に精励することにした! だから…あれは置いていくんだよ」

「匡近……」

 

 さっきから…何となくおかしいとは思っていたのだ。

 先に柱になって牛鍋を奢らせてやるとか、モテモテになってやるとか……。

 昔はよくそんなことを言ってたが、薫と親密になっていくにつれ、そういう軽口もあまり言わなくなっていたのに。

 

「ほら、行くぞ。鴉が待ちくたびれてる」

 

 そう言って笑う顔だけは、兄弟子らしく頼もしかった。

 この柔和な笑顔には、強張った心を解きほぐす力がある。

 最初に会った時からそうだった。

 

 実弥は軽くため息をついた。

 今は任務前だ。ややこしいことは、後でじっくり訊いた方がいいだろう……。

 

「じゃあ…行くぞォ!」

 

 あやしい空模様に実弥が走り出すと、匡近は「負けるか!」と隣で走る。

 

 道沿いの野菊が揺れ、紫の小さな花が競走する二人を見送った。

 

 久しぶりの共同任務で、二人とも多少なりと興奮していたのは間違いない。

 匡近は笑っていた。

 

 この数時間後に下弦の壱と対峙して、その陰惨な現場に立つことになろうとは…。

 まして鬼を庇った子供を助けようとして、自分が死ぬことになるなど…微塵も感じていなかった。

 

 それは、実弥も同様だった。

 

 

◆◆◆

 

 

 薫は……自分がどうやって任務をこなしたのか…覚えているが、どこか現実感がない。

 

 匡近の死を知った後、任務に向かう薫をカナエは心配そうに見ていた。

 

「薫、大丈夫なの? なんだったら私が…」

「いえ、無用です」

 

 薫は返事しながらも、おかしいなと思った。

 カナエと喋っている自分と、それをボンヤリと眺めている自分がいるような気がする。

 

 蝶屋敷から出て、祐喜之介の先導で向かっている間も、確実に意識はあるのに、今の自分がそこにいないような…ひどく奇妙な心持ちだった気がする。

 

 日が沈んで現れた鬼に向かっている間だけ、一切の記憶がなかった。

 

 鬼を目の前にして呼吸に集中すると、それまで俯瞰して見ていた自分はいなくなり、我に返ったのは首を斬った鬼の断末魔の叫び声でだった。

 

「オノレ、鬼狩り共ガアァァ!!! 貴様ラなど、イズレ滅びるのだアァァ」

 

 一瞬にしてその鬼への嫌悪感が増大した。

 

 苛立ちのままに、転がった鬼の脳天に刀を突き刺す。

 怨嗟の言葉を吐き散らかしながら、鬼は灰となって散り散りに消えていく。

 

 薫はその塵ですらも憎しみをこめて見つめていた。

 父母を失った時と同じ怒りが沸いていた。

 これほどまでに人を傷つけ、人を悲しませておいて、何故コイツらは塵となって消える?

 その肉が腐り果てるまで、刺し、痛めつけたいほどに憎む人間を置いて…まるで、昇天するかのように。

 

 赦すものか。

 赦されるものか。 

 

 あふれる憎悪で身体が震える。

 噛みしめた奥歯から血が流れ出る。

 

「……あのぉ」

 

 おずおずと声をかけたのは、いつの間にかやって来ていた女の隠だった。

 

「とりあえず、応急処置していいですか?」

「え……?」

「いえ、肩…ザックリいってますから」

 

 言われて気付く。

 やられていたらしい。左肩から出血している。

 一時的な貧血だろうか。左腕が少し痺れてきた。

 

「あ…すみ…ま…」

 

 頭を下げて、そのまま視界が昏くなっていく。

 

 見えない。何も…。

 

 何も…見たく……ない。

 

 そうして…そのまま記憶が途切れた。

 

 

「…………」

 

 目を覚ますと、左肩が鉛を流し込んだかのように重かった。

 左腕全体が膨張しているかのような感覚。

 どうやら痺れているらしい。

 見ると包帯が巻かれて、うっすらと血が滲んでいた。

 起き上がってみたが、ひどく体がだるい。眩暈もする。

 

「駄目ですよ。まだ寝てて下さい」

 

 扉が開いて入ってきたのは、しのぶだった。

 

「ちょっとキツイ薬を注射したので、明日まではしっかり寝て下さい」

 

 持ってきていた盥を寝台脇にある棚の上に置いて、しのぶは薫をそっと寝かしつけた。

 眩暈がひどくて、そのままに任せて再び横になる。

 

「あの……今って…私、どれくらい寝ていたんでしょう?」

 

 窓からは茜色の空が見えた。

 一瞬、朝なのか夕方なのか戸惑う。

 

「今は夕方です。昨夜運ばれてきて。鬼の爪に毒があったみたいで、解毒薬をすぐに処方したんですけど、こういう薬ってどうしても熱が出るから……今日一日は安静にしててくださいね」

 

 しのぶはもう一度念押しすると、手拭いを絞って薫の額に乗せた。

 薫は冷たい感触にフゥと一息もらしてから、横たわったまま窓の外を眺めた。

 四角く切り取られた窓枠の中で、雁の群れが遠くに飛んでゆくのが見える。

 

 昨夜…ということはほぼ丸一日寝ていたということになる。

 薬のせいもあるのだろうが、こんなに深い眠りについたのは久しぶりだった。

 いつ任務がきてもすぐに動けるよう気を張り詰めていたので、熟睡することなど、この数年なかったのに。

 

 横たわった体に倦怠感が絡みつく。

 

 薫は内心、少々焦っていた。

 

 階級が上がり、少々厄介な鬼の任務を単独で任されるようになってから、数日間の休養を要する怪我が増えた気がする。

 

 このままでは駄目だ。

 もっと稽古をして鍛えなければならない。

 新たな型についても途中で止まっているし、今度、また匡近に見てもらって改善点を……

 

「あ…………」

 

 ふと、冷たいものが背筋に走る。

 その事実を思い出して、薫はゆっくりと凍ってゆく。……

 

 

「それにしても、偶然とはいえ揃って休養する羽目になりましたね」

 

 薫の肩の包帯を取り替えながら、しのぶが何気なく言った。

 

「え?」

「不死川さんも運ばれてきたんです。例の下弦の壱に首をやられて……もう少し遅かったら失血死するところでした」

 

 薫は一気に真っ青になり、起き上がろうとして、しのぶにあわてて止められた。

 

「落ち着いて下さい! 大丈夫です。不死川さんは無事ですから」

「本当に?」

「本当ですよ。もう、二人して同じようなことを……。仲の良ろしいことで」

 

 半ば呆れた口調で言い、しのぶは笑う。

 

「不死川さんもあなたが運ばれてきたと知った途端に、無理に起きて傷口が開いちゃって……姉さんが説得するのに大変でしたよ」

「……不死川さんは重傷なんですか?」

「そうですね。さすがにいつものように明日から任務という訳にはいきません。まぁ、それでも驚異的な回復力ですけどね。最低でも今日一日は絶対安静です。()()()()

 

 しのぶは念を押すように言って、するすると慣れた手付きで包帯を巻き終えた。

 出て行きかけて「あ、そうだ」と振り返る。

 

「姉さんのことですけど」

 

 笑顔を浮かべつつ、眼差しはきつく薫を見据えていた。

 

「姉さんが鬼に同情しているからといって、鬼を逃がしている訳じゃありません。仕事はきっちりやってますから、諫言は無用です」

「………聞いていたんですか?」

 

 先日、カナエに鬼に対して憐れみを抱くなど信じられない、と薫は非難したのだが、しのぶはその会話を聞いていたらしい。

 

「しのぶさんも、カナエさんと同意見ですか?」

 

 薫が問うと、しのぶはしばらく押し黙った後に厳しい顔で言った。

 

「姉さんは柱としての大任を担っている。汲み取るべきところはあるのだと……思っています」

 

 しのぶもまた、カナエの独特の考え方について疑問に思うところはあるようだった。

 しかし姉に対して違うと言い切れるだけの実績を積んでないので、真っ向からの否定はしにくいらしい。

 

「……花柱様に少々言葉が過ぎたかもしれません。失礼しました」

 

 薫が静かに謝罪すると、自分でもムキになっていたと気付いたのか、しのぶはさっと目を逸した。

 

「それじゃあ、安静にしておいて下さいね。後でお粥を持ってきますから」

 

 早口に言って扉を閉める。

 

 一人きりになった部屋で、薫は今更ながらに思い出した。

 

 ―――――粂野匡近、死亡ォ!

 

 カナエの鎹鴉が叫んだ瞬間に時が止まり、今また戻ってきた気がする。

 

 そうだ。

 もう、匡近はいない。

 死んで…しまった……。

 実弥と二人で十二鬼月を討ち取って、匡近は死んでしまったのだ……。

 

 ぼうっと薫は薄暗い天井を見つめた。

 

 どこか現実感がない。

 

 匡近が死んだことは認識していても、信じられない。

 矛盾しているとわかっているのに、どうしても自分の中の何かが匡近の死を拒絶する。

 

 ―――――薫…落ち着け。もう…大丈夫だ

 

 我を忘れた薫の刃を体を張って止めてくれた。

 

 ―――――俺だけが悪い……どうしようもない……人間なんだよ…

 

 ずっとずっと弟のことで自責して苦しんでいたのを、少しも見せなかった。

 

 ―――――ありがとう…

 

 あの人の笑う姿を見れば、それだけで安心できた。

 母も父も死に、毎日のように鬼殺隊の中で顔見知りの隊士達の死を聞き、東洋一すらも失って、それでも匡近がいてくれることは、安らぎだった。

 

 いなくなって、わかった。

 

 当たり前にいてくれると……任地は互いに離れていても、匡近はずっといてくれるのだと…どこかで思い込んでいた。

 甘えていたのだ。

 

 ―――――もし、俺がいなくなったら、実弥のこと頼むな…

 

 早春の夜に言われた言葉が響く。

 

「………どう…し…て……」

 

 つぶやいた言葉は声にならず、震えて消えた。

 

 薫は無意識に両耳を塞ぐ。

 

 どうして匡近は…あんなことを言ったのだろう?

 どうして今、思い出させるのだろう。

 

 胸が引き絞られる。

 

 頼むから、今は勘弁してほしい。

 今は、実弥とは会いたくないのだ。

 

 きっと実弥は傷ついているだろう。

 同じ任務に向かい、自分一人だけが生き残って…本来やさしい気質のあの人が、慚愧の念を抱かぬわけがない。

 匡近の言葉を守るのなら、慰めるなり、励ますなりするのが同門の妹弟子の務めというものだろう。

 

 だが、今は会いたくない。

 

 今、実弥に会えば、自分はどれだけ取り乱すかわからない。

 自分の悲しみだけを実弥にぶつけてしまいそうだ。

 

 それに、何より…

 

 傷つく実弥を見れば…匡近の死を受け容れざるを得ない。

 

 それが怖い。

 それが…嫌だった。

 

 まだ、胸につかえている。

 

 京都で、最後に彼の姿を見送った時、自分は何を言おうとしていたのだろう…?

 匡近に何を言いたかったのだろう…。

 

 

 布団の中で身を縮ませて、薫はギュッと目を瞑った。

 

 

<つづく>

 






次回は2021.12.11.土曜日の更新予定です。


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