【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第二章 遺思(二)

 鬼の毒の治療の為もあって、しばらくの間、薫はカナエの勧めに従って蝶屋敷に逗留することになった。

 首の怪我が治るまで実弥もいたはずだが、ついぞ顔を合わせることはなかった。

 薫は積極的にではないものの実弥を避けていたし、実弥もまた会おうとしなかったからだ。

 

「あんなにお互いに心配していたくせに、おかしな人達」

 

 しのぶが呆れた様子で言うのを、カナエはクスクスと笑った。

 

「まぁ…しのぶにはわかりにくいでしょうね。あの二人の形は」

「あら? 姉さんにはわかるの?」

「そりゃあ、あなたよりはつき合いが長いですから…二人ともね」

 

 余裕綽々とカナエは笑いながら、二日前、無理に蝶屋敷から出て行った実弥のことを思い出した。

 

------------------

 

「薫には会わないの?」

 

 単刀直入に尋ねたカナエに、実弥はあからさまに仏頂面になった。

 

「心配していたくせに。薫も心配していたけど」

「余計なことを言うなァ」

 

 やれやれ、とカナエは嘆息した。

 

「正直、あなたも大変だとは思うけど、できれば薫を慰めてほしいわ。見ているこっちが悲しくなってきちゃう…」

 

 実弥は眉を寄せた。

 

「泣いてんのか…?」

「いいえ。泣いてないわ、まったく」

「………」

「たぶん、一度も泣いてないのよ。粂野くんの死を知ってから一度も。だから、余計に心配なの。あの子はすぐに自分の感情を押し籠める癖があるから」

「………」

「貴方のこともずっと心配してる」

「………うるせェ…放っとけェ」

 

 突っぱねる実弥をカナエはじーっと見つめた。

 

「何だァ? もう終わったんなら、行くぞ」

 

 実弥は立ち上がると、上着を羽織った。

 どうしても出ると言って聞かないので、一応診察していたのだが、治療と関係ない話が始まったので、早々に出て行こうとする。

 

「おはぎ!」

 

 カナエが唐突に叫ぶと、取っ手にかけた手が止まる。

 怪訝な顔で振り返った実弥に、カナエはニッコリ笑って問いかけた。

 

「おいしかった?」

「……はァ?」

一昨日(おとつい)、出たでしょ? おはぎ。好物なのよね? 前に粂野くんが言ってたわ。磐城屋(いわきや)のおはぎがちょうど直前で売り切れてがっくり項垂れてた…って」

 

 実弥はぎゅっと眉を寄せた。

 

「あの野郎、何を話してやがったんだァ……」

 

 忌々しそうに言いながらも、懐かしかったのか、実弥の顔は少しだけ和らいだ。

 

「磐城屋のもおいしいけど、一昨日のは格別だったでしょ? ちょうどいい甘さの餡で。貴方が全然食べない…って、アオイが困ってたもんだから、おはぎだったら食べるかもしれません…って、教えてくれたの」

「………」

 

 カナエの話に実弥は特に驚く様子もなかった。

 再び眉間に皺を寄せ、暗い表情で床を見つめている。

 

「まだ左手の痺れが残ってる中で、一生懸命作ってくれたんだから、お礼ぐらい言ってきたら?」

 

 付け加えるように言ってカナエは促したのだが、実弥は一蹴した。

 

「うるせェ…余計なことすんなァ」

「アラ? 持っていったら、あっという間に食べたって聞いたけど?」

 

 カナエは粘ったが、もはや聞く耳はないとばかりに、実弥は黙って出て行った。

 

------------------

 

 そうして結局、互いに一度も会うことのないまま。

 

 

 その後、薫は怪我の治療を終えると、こちらでの任務を割り当てられるようになった。

 やはり最近は東京付近での鬼の出現率が多く、また血鬼術を使う異能の鬼も増えたらしい。

 階級が上の人間は少ないため、だんだんとこちらに集められているようだ。

 

 当初、薫は懇意の宿屋か、下宿を借りようとしていたのを、カナエは時々手伝ってほしいと頼んで蝶屋敷に留まらせた。無論、薫が断れない性格であることは織り込み済みだ。

 

 夜半の任務を終えて、早朝に帰宅した薫が仮眠して起きると、カナエが庭へと誘った。

 

「………不死川君が風柱に就任したわ」

 

 明るい秋の陽だまりの中で、ぼんやりと菊の花を見つめていた薫にカナエは言った。

 

「……そうですか」

 

 それ以上何も言わない薫をカナエはじっと見つめる。

 薫はカナエと目が合って、首を傾げた。

 

「どうかしましたか?」

「嬉しくない?」

「え……?」

 

 聞かれたことの意味を考える。

 もう一度、カナエの言葉を最初から反芻して、ようやくわかった。

 

「……あぁ。そう…そうですか。実弥さん、柱になったんですね。……きっと先生や…匡近さんが聞いたら、喜ばれるでしょうね」

「あなたは嬉しくないの?」

「……いえ。嬉しいです。よかったです」

 

 言ってから本当に嬉しいと思う。

 よかったとも、思う。

 

 けれど、薫にはどこか遠かった。

 現実感がない。

 

 カナエは気遣わしげに薫を見ていた。

 涙を流しているわけでもないのに、光の中で佇む薫の姿はひどく哀れで頼りなげだった。

 

「不死川君もきっと今の状況は不本意なのでしょう。御館様にも食ってかかって……後で岩柱の悲鳴嶼さんからこってり叱られていたわ」

 

 少し冗談めかして言ったが、薫の耳には入っているのか…表情は虚ろなままだ。

 

「薫」

「はい?」

「粂野くんは荼毘に付されて、お墓に納骨されたようよ。後で一緒に行きましょうか」

 

 しばらく考えて、薫はポツリとつぶやくように言った。

 

「一人で…行きます」

「……大丈夫?」

 

 カナエの問いかけに薫はまた首を傾げる。

 

「ええ…? なぜ?」

 

 不思議そうに尋ねる薫を、カナエは哀しそうに見つめる。

 

「薫、あなた自分が今どんな顔をしているかわかってる?」

「………」

 

 薫は頬に手を当てたが、当然、鏡もないからわからない。

 少なくとも泣いたりはしていないようだが。

 

「泣きたいのなら、泣きなさい。そんな顔をしていては駄目よ」

「………すみません」

 

 薫は素直に謝った。

 自分でも訳がわからない。

 

「なんだか……悲しいという気持ちになれないんです。いえ…悲しいんですけど……未だに信じられなくて…涙も出ないんです。すみません。………ごめんなさい」

 

 薫は謝りながら、それはカナエへというより匡近に言っている気がした。

 何か…はっきりとわからないものの、自分は匡近に謝らないといけない気がする。

 

 キリリ、と胃のあたりに引き絞るような痛みが走る。

 

「粂野くんのこと、好きだったの?」

 

 急にカナエが問うてきて、薫は反射的に答えた。

 

「それは、もちろん。兄弟子ですから」

 

 まるで人形のように表情を変えずに答える薫に、カナエは目を伏せた。

 

 ついこの間、育手の人を亡くしたばかりだというのに、続けざまに慕っていた兄弟子まで喪って、薫が衝撃を受けないはずがない。

 それなのに、薫は普段と変わりないように()()()。慰める隙すら与えない。

 

 カナエが考え込んでいると、不意に薫が尋ねてきた。

 

「カナエさん、白菊をいただいてもよろしいですか?」

「え?」

「お墓に供えたいので」

 

 カナエはしばらくぼうっと薫を見つめた。

 その死を受け入れられないほどに、精神が乱れているわけではないらしい。

 

 だが、何かが薫を(とら)えている。

 苦しませている。

 一体、何が……?

 

「…カナエさん?」

 

 返事をしないカナエに、薫が呼びかける。

 あわててカナエは笑って胡麻化した。

 

「あ…どうぞ好きなだけ。粂野くん、白菊が好きだったの?」

「いえ、歌を……思い出したので」

 

 庭の小屋から枝切鋏を持ってくると、薫はパチリパチリと白菊を()っていく。

 

 カナエは静かな薫の横顔を見ながら、新たな柱となった不死川実弥のことを思い出していた。

 

 御館様に食ってかかった後、粂野の遺書を読んで肩を震わせていた。

 あの姿を見たら、薫は素直に涙を流したろうか。

 互いにとって大事な人を喪い、慰めあうことができたろうか……?

 

 カナエは首を振った。

 それが出来るなら、実弥がこの屋敷で治療中に会っていたはずだ。

 

 本当に…強情な二人。

 

 互いに他人を思い遣る気持ちは人一倍であるくせに、自分を思い遣ることができない。むしろ遠ざけ、あるいは自虐する。

 

 ふと、いつも柔和な笑顔を浮かべていた粂野匡近の顔が思い浮かんだ。

 決して出しゃばることなく、実弥をいつも見守っていた優しい笑顔。

 もう彼がいない…ということが、今更ながらに身にしみて、カナエの目の端で涙が震えた。

 

 匡近の死を悼むカナエの前で、薫は無表情に白菊を伐っていた。

 

 

◆◆◆

 

 

 匡近の墓に向かっていた(まもる)は、かすかに聞こえてくる歌声に眉を寄せた。

 

 どこかで聞いたことがある……?

 

「あ、『菊』だ」

 

 思わず声を上げると、歌が止んだ。

 

「守くん…?」

 

 名前を呼ばれて、逆光に目を眇めながら、その憶えのある声に聞き返す。

 

「薫さん?」

 

 匡近の墓の前でしゃがんでいた薫が立ち上がり、微笑んでいた。

 守は重い桶を片手に持ちながら、小走りに駆け寄った。

 

「久しぶりです!」

「本当ね。少し背が伸びたかしら?」

「いやぁ…」

 

 守は恥ずかしそうに頭をポリポリと掻いた。

 確かに薫の言う通り、背がこの数ヶ月で伸びたので、正直今着ている着物も袴も、つんつるてんだ。

 

 それ以上聞かれる前に、あわてて話を変えた。

 

「さっき歌ってたのって、粂野さんがよく歌ってたのと同じやつですね」

「……歌ってたの? 匡近さんが?」

「あ、いや。鼻歌程度にですけど。よく歌ってました」

「そう……」

 

 つぶやいて薫は墓の方に向き直る。きつい西陽に翳った横顔は、ひどく哀しげだったが、以前にも増して美しく思えた。

 見慣れた隊服でなく、着物姿であったせいかもしれない。

 薄紫に海老茶の縞が入った単物は、地味な色味ではあったが似合っていた。

 

「あ! そうだ!」

 

 守は不意に大事なことを思い出す。

 

「薫さん、今日は任務とかないですか?」

「え? ……えぇ、今のところは」

「じゃあ、ちょっと寄ってもらってもいいですか? あ、今ってこちらにいらっしゃるんですよね?」

「えぇ、蝶屋敷に」

「あぁ、あそこか。じゃあ、そう遠くもないし…来てもらっていいですか?」

「どこに?」

「不死川さん…あ…風柱様の家です。今はそっちで厄介になってて」

「………」

 

 薫は硬直した。

 だが、守は気付かずに続ける。

 

「匡近さんから薫さんに渡してくれって、頼まれてるものがあって……」

 

 どうやら匡近は守を引き取った時点で、御館様へと渡すものとは別に、今後のことを仔細に書いた遺書を(したた)めていたらしい。

 

「薫さん宛の手紙もあるんです。本当はもっと早くに届けないといけなかったんですけど……俺も、最近になってやっと匡近さんの遺書……読んで……」

 

 おそらく守も匡近の死を受け止めるのに、ある程度の時間は必要だったのだろう。

 ついこの間、東洋一(とよいち)を失ったばかりで、師事していた人間が続けざまに逝ってしまい、守もきっと気持ちの整理をつけるのは大変だったろう。

 

「………」

 

 薫は迷った。

 本当はまだ実弥には会いたくない。

 実弥のことを考えると心が重くなる。

 

 しかし、匡近が薫に何かをことづけたのなら、無視するわけにもいかない…。

 

「じゃあ……行きましょうか」

「あ、はい」

 

 守は持ってきていた桔梗の花を手早く供えると、連れ立って歩き出した。

 

 

◆◆◆

 

 

 ―――――実弥!

 

 明るい、屈託ない声が呼ぶ。

 

 いつもその声は始まりだった。

 飯屋に連れて行かれたり、稽古に誘われたり、任務を伝えに来たり……。

 

 ―――――ちゃん、と飯、食えよ……ちゃんと寝て、ちゃんと皆と仲良く……

 

 ―――――ちゃんと、お前の……人生を……生きろ、よ

 

 ―――――あとは……任せたぞ………実弥…死ぬなよ…

 

 仕事のない…鬼達も息を潜めた夜、実弥は一人で唇を噛み締める。

 虫の音だけが響く闇の中で、匡近の言葉が何度も何度も呼びかけてくる。

 

 最期の最後まで、実弥(ひと)の心配ばかりして…自分の事など一言も言わずに逝ってしまった。

 どこまでも優しいから、いまわの際ですらも、泣いている実弥に微笑みかけていた。

 励ましてくれていた。

 自分が死んで悲しい思いをしても、ただつらいだけの思い出にならないように。

 

 弟のことも、家族のことも、遺書を読むまで何も知らなかった。

 明るく闊達な上辺だけを見て、きっとこの男は安穏とした幸せな―――家族()()が仲良く笑って過ごすような……それは実弥の思い描く理想の……―――そんな家庭で育ったのだとばかり思っていた。

 

 それくらい匡近は不幸を見せなかった。

 

 自分もつらい思いを抱えながら、どうしてあの笑顔はあんなにも温かかったのだろう。

 

 ―――――実弥! お前、がんばったな! 辛かったな…苦しかったな…実弥!

 

 初めて母親の話をした時、涙の涸れた実弥に代わって泣いていた匡近。

 上辺だけなら、それは白々しく、実弥は心開くことはなかったろう。

 

 匡近は本気で同情し、実弥の哀しみをわかってくれていた。

 その上で、たとえ鬱陶しいと撥ねつけられても、励まし続けるしつこいくらいの情があった。

 

 本当に強いのは、匡近のような男だ。

 いつまでも苛立ち、迷い、憎しみを抱えて生きているような自分でなく。

 

 本当は…匡近が柱になるべきだった。

 匡近が、生き残るべきだったのだ……。

 

 ―――――実弥、頼むぞ……

 

 ふと、東洋一の最期の言葉が甦る。

 

 実弥はギュッと膝の上で拳を握りしめた。

 

「いいかげんにしろよ…テメェら………」

 

 どいつもこいつも勝手だ。

 実弥に何かを押し付けて死んでいってしまう。

 自分には一体、何を任され、頼まれたのか、わからないのに。

 

 心が重くて潰れそうになる。

 昔、母を殺した後に、鬼を殺して回っていた日々の、荒んだ頃に戻りそうになる。……

 

 叫びたくなる気持ちを深い溜息とともに吐き出した。

 

 助けてほしいなんて、思わない。

 自分にその資格はない。

 それでも―――……

 

 ―――――一生懸命作ってくれたんだから、お礼ぐらい言ってきたら?

 

 あのおはぎを食べた瞬間に薫の顔が浮かんだ。

 作ってくれたのだとわかった時、救われたような気持ちになった。

 同時に、罪悪感がずっしり肩に乗った。

 

 会いたくない……。

 

 今、薫に会ったら、自分でも整理のつかない気持ちをぶつけて傷つけてしまう。

 それより何より、匡近の死に打ちのめされている薫を見たくない…。

 

 早々に蝶屋敷を去ったのは、薫から逃れるためだった。

 

 しかし、遠征から帰って仮眠をとっていた実弥の耳に聞こえてきたのは、その忌避していた薫の声だった。

 

 

 

<つづく>

 




次回の更新は2021.12.18.土曜日の予定です。

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