【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
鬼の毒の治療の為もあって、しばらくの間、薫はカナエの勧めに従って蝶屋敷に逗留することになった。
首の怪我が治るまで実弥もいたはずだが、ついぞ顔を合わせることはなかった。
薫は積極的にではないものの実弥を避けていたし、実弥もまた会おうとしなかったからだ。
「あんなにお互いに心配していたくせに、おかしな人達」
しのぶが呆れた様子で言うのを、カナエはクスクスと笑った。
「まぁ…しのぶにはわかりにくいでしょうね。あの二人の形は」
「あら? 姉さんにはわかるの?」
「そりゃあ、あなたよりはつき合いが長いですから…二人ともね」
余裕綽々とカナエは笑いながら、二日前、無理に蝶屋敷から出て行った実弥のことを思い出した。
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「薫には会わないの?」
単刀直入に尋ねたカナエに、実弥はあからさまに仏頂面になった。
「心配していたくせに。薫も心配していたけど」
「余計なことを言うなァ」
やれやれ、とカナエは嘆息した。
「正直、あなたも大変だとは思うけど、できれば薫を慰めてほしいわ。見ているこっちが悲しくなってきちゃう…」
実弥は眉を寄せた。
「泣いてんのか…?」
「いいえ。泣いてないわ、まったく」
「………」
「たぶん、一度も泣いてないのよ。粂野くんの死を知ってから一度も。だから、余計に心配なの。あの子はすぐに自分の感情を押し籠める癖があるから」
「………」
「貴方のこともずっと心配してる」
「………うるせェ…放っとけェ」
突っぱねる実弥をカナエはじーっと見つめた。
「何だァ? もう終わったんなら、行くぞ」
実弥は立ち上がると、上着を羽織った。
どうしても出ると言って聞かないので、一応診察していたのだが、治療と関係ない話が始まったので、早々に出て行こうとする。
「おはぎ!」
カナエが唐突に叫ぶと、取っ手にかけた手が止まる。
怪訝な顔で振り返った実弥に、カナエはニッコリ笑って問いかけた。
「おいしかった?」
「……はァ?」
「
実弥はぎゅっと眉を寄せた。
「あの野郎、何を話してやがったんだァ……」
忌々しそうに言いながらも、懐かしかったのか、実弥の顔は少しだけ和らいだ。
「磐城屋のもおいしいけど、一昨日のは格別だったでしょ? ちょうどいい甘さの餡で。貴方が全然食べない…って、アオイが困ってたもんだから、おはぎだったら食べるかもしれません…って、教えてくれたの」
「………」
カナエの話に実弥は特に驚く様子もなかった。
再び眉間に皺を寄せ、暗い表情で床を見つめている。
「まだ左手の痺れが残ってる中で、一生懸命作ってくれたんだから、お礼ぐらい言ってきたら?」
付け加えるように言ってカナエは促したのだが、実弥は一蹴した。
「うるせェ…余計なことすんなァ」
「アラ? 持っていったら、あっという間に食べたって聞いたけど?」
カナエは粘ったが、もはや聞く耳はないとばかりに、実弥は黙って出て行った。
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そうして結局、互いに一度も会うことのないまま。
その後、薫は怪我の治療を終えると、こちらでの任務を割り当てられるようになった。
やはり最近は東京付近での鬼の出現率が多く、また血鬼術を使う異能の鬼も増えたらしい。
階級が上の人間は少ないため、だんだんとこちらに集められているようだ。
当初、薫は懇意の宿屋か、下宿を借りようとしていたのを、カナエは時々手伝ってほしいと頼んで蝶屋敷に留まらせた。無論、薫が断れない性格であることは織り込み済みだ。
夜半の任務を終えて、早朝に帰宅した薫が仮眠して起きると、カナエが庭へと誘った。
「………不死川君が風柱に就任したわ」
明るい秋の陽だまりの中で、ぼんやりと菊の花を見つめていた薫にカナエは言った。
「……そうですか」
それ以上何も言わない薫をカナエはじっと見つめる。
薫はカナエと目が合って、首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「嬉しくない?」
「え……?」
聞かれたことの意味を考える。
もう一度、カナエの言葉を最初から反芻して、ようやくわかった。
「……あぁ。そう…そうですか。実弥さん、柱になったんですね。……きっと先生や…匡近さんが聞いたら、喜ばれるでしょうね」
「あなたは嬉しくないの?」
「……いえ。嬉しいです。よかったです」
言ってから本当に嬉しいと思う。
よかったとも、思う。
けれど、薫にはどこか遠かった。
現実感がない。
カナエは気遣わしげに薫を見ていた。
涙を流しているわけでもないのに、光の中で佇む薫の姿はひどく哀れで頼りなげだった。
「不死川君もきっと今の状況は不本意なのでしょう。御館様にも食ってかかって……後で岩柱の悲鳴嶼さんからこってり叱られていたわ」
少し冗談めかして言ったが、薫の耳には入っているのか…表情は虚ろなままだ。
「薫」
「はい?」
「粂野くんは荼毘に付されて、お墓に納骨されたようよ。後で一緒に行きましょうか」
しばらく考えて、薫はポツリとつぶやくように言った。
「一人で…行きます」
「……大丈夫?」
カナエの問いかけに薫はまた首を傾げる。
「ええ…? なぜ?」
不思議そうに尋ねる薫を、カナエは哀しそうに見つめる。
「薫、あなた自分が今どんな顔をしているかわかってる?」
「………」
薫は頬に手を当てたが、当然、鏡もないからわからない。
少なくとも泣いたりはしていないようだが。
「泣きたいのなら、泣きなさい。そんな顔をしていては駄目よ」
「………すみません」
薫は素直に謝った。
自分でも訳がわからない。
「なんだか……悲しいという気持ちになれないんです。いえ…悲しいんですけど……未だに信じられなくて…涙も出ないんです。すみません。………ごめんなさい」
薫は謝りながら、それはカナエへというより匡近に言っている気がした。
何か…はっきりとわからないものの、自分は匡近に謝らないといけない気がする。
キリリ、と胃のあたりに引き絞るような痛みが走る。
「粂野くんのこと、好きだったの?」
急にカナエが問うてきて、薫は反射的に答えた。
「それは、もちろん。兄弟子ですから」
まるで人形のように表情を変えずに答える薫に、カナエは目を伏せた。
ついこの間、育手の人を亡くしたばかりだというのに、続けざまに慕っていた兄弟子まで喪って、薫が衝撃を受けないはずがない。
それなのに、薫は普段と変わりないように
カナエが考え込んでいると、不意に薫が尋ねてきた。
「カナエさん、白菊をいただいてもよろしいですか?」
「え?」
「お墓に供えたいので」
カナエはしばらくぼうっと薫を見つめた。
その死を受け入れられないほどに、精神が乱れているわけではないらしい。
だが、何かが薫を
苦しませている。
一体、何が……?
「…カナエさん?」
返事をしないカナエに、薫が呼びかける。
あわててカナエは笑って胡麻化した。
「あ…どうぞ好きなだけ。粂野くん、白菊が好きだったの?」
「いえ、歌を……思い出したので」
庭の小屋から枝切鋏を持ってくると、薫はパチリパチリと白菊を
カナエは静かな薫の横顔を見ながら、新たな柱となった不死川実弥のことを思い出していた。
御館様に食ってかかった後、粂野の遺書を読んで肩を震わせていた。
あの姿を見たら、薫は素直に涙を流したろうか。
互いにとって大事な人を喪い、慰めあうことができたろうか……?
カナエは首を振った。
それが出来るなら、実弥がこの屋敷で治療中に会っていたはずだ。
本当に…強情な二人。
互いに他人を思い遣る気持ちは人一倍であるくせに、自分を思い遣ることができない。むしろ遠ざけ、あるいは自虐する。
ふと、いつも柔和な笑顔を浮かべていた粂野匡近の顔が思い浮かんだ。
決して出しゃばることなく、実弥をいつも見守っていた優しい笑顔。
もう彼がいない…ということが、今更ながらに身にしみて、カナエの目の端で涙が震えた。
匡近の死を悼むカナエの前で、薫は無表情に白菊を伐っていた。
◆◆◆
匡近の墓に向かっていた
どこかで聞いたことがある……?
「あ、『菊』だ」
思わず声を上げると、歌が止んだ。
「守くん…?」
名前を呼ばれて、逆光に目を眇めながら、その憶えのある声に聞き返す。
「薫さん?」
匡近の墓の前でしゃがんでいた薫が立ち上がり、微笑んでいた。
守は重い桶を片手に持ちながら、小走りに駆け寄った。
「久しぶりです!」
「本当ね。少し背が伸びたかしら?」
「いやぁ…」
守は恥ずかしそうに頭をポリポリと掻いた。
確かに薫の言う通り、背がこの数ヶ月で伸びたので、正直今着ている着物も袴も、つんつるてんだ。
それ以上聞かれる前に、あわてて話を変えた。
「さっき歌ってたのって、粂野さんがよく歌ってたのと同じやつですね」
「……歌ってたの? 匡近さんが?」
「あ、いや。鼻歌程度にですけど。よく歌ってました」
「そう……」
つぶやいて薫は墓の方に向き直る。きつい西陽に翳った横顔は、ひどく哀しげだったが、以前にも増して美しく思えた。
見慣れた隊服でなく、着物姿であったせいかもしれない。
薄紫に海老茶の縞が入った単物は、地味な色味ではあったが似合っていた。
「あ! そうだ!」
守は不意に大事なことを思い出す。
「薫さん、今日は任務とかないですか?」
「え? ……えぇ、今のところは」
「じゃあ、ちょっと寄ってもらってもいいですか? あ、今ってこちらにいらっしゃるんですよね?」
「えぇ、蝶屋敷に」
「あぁ、あそこか。じゃあ、そう遠くもないし…来てもらっていいですか?」
「どこに?」
「不死川さん…あ…風柱様の家です。今はそっちで厄介になってて」
「………」
薫は硬直した。
だが、守は気付かずに続ける。
「匡近さんから薫さんに渡してくれって、頼まれてるものがあって……」
どうやら匡近は守を引き取った時点で、御館様へと渡すものとは別に、今後のことを仔細に書いた遺書を
「薫さん宛の手紙もあるんです。本当はもっと早くに届けないといけなかったんですけど……俺も、最近になってやっと匡近さんの遺書……読んで……」
おそらく守も匡近の死を受け止めるのに、ある程度の時間は必要だったのだろう。
ついこの間、
「………」
薫は迷った。
本当はまだ実弥には会いたくない。
実弥のことを考えると心が重くなる。
しかし、匡近が薫に何かをことづけたのなら、無視するわけにもいかない…。
「じゃあ……行きましょうか」
「あ、はい」
守は持ってきていた桔梗の花を手早く供えると、連れ立って歩き出した。
◆◆◆
―――――実弥!
明るい、屈託ない声が呼ぶ。
いつもその声は始まりだった。
飯屋に連れて行かれたり、稽古に誘われたり、任務を伝えに来たり……。
―――――ちゃん、と飯、食えよ……ちゃんと寝て、ちゃんと皆と仲良く……
―――――ちゃんと、お前の……人生を……生きろ、よ
―――――あとは……任せたぞ………実弥…死ぬなよ…
仕事のない…鬼達も息を潜めた夜、実弥は一人で唇を噛み締める。
虫の音だけが響く闇の中で、匡近の言葉が何度も何度も呼びかけてくる。
最期の最後まで、
どこまでも優しいから、いまわの際ですらも、泣いている実弥に微笑みかけていた。
励ましてくれていた。
自分が死んで悲しい思いをしても、ただつらいだけの思い出にならないように。
弟のことも、家族のことも、遺書を読むまで何も知らなかった。
明るく闊達な上辺だけを見て、きっとこの男は安穏とした幸せな―――家族
それくらい匡近は不幸を見せなかった。
自分もつらい思いを抱えながら、どうしてあの笑顔はあんなにも温かかったのだろう。
―――――実弥! お前、がんばったな! 辛かったな…苦しかったな…実弥!
初めて母親の話をした時、涙の涸れた実弥に代わって泣いていた匡近。
上辺だけなら、それは白々しく、実弥は心開くことはなかったろう。
匡近は本気で同情し、実弥の哀しみをわかってくれていた。
その上で、たとえ鬱陶しいと撥ねつけられても、励まし続けるしつこいくらいの情があった。
本当に強いのは、匡近のような男だ。
いつまでも苛立ち、迷い、憎しみを抱えて生きているような自分でなく。
本当は…匡近が柱になるべきだった。
匡近が、生き残るべきだったのだ……。
―――――実弥、頼むぞ……
ふと、東洋一の最期の言葉が甦る。
実弥はギュッと膝の上で拳を握りしめた。
「いいかげんにしろよ…テメェら………」
どいつもこいつも勝手だ。
実弥に何かを押し付けて死んでいってしまう。
自分には一体、何を任され、頼まれたのか、わからないのに。
心が重くて潰れそうになる。
昔、母を殺した後に、鬼を殺して回っていた日々の、荒んだ頃に戻りそうになる。……
叫びたくなる気持ちを深い溜息とともに吐き出した。
助けてほしいなんて、思わない。
自分にその資格はない。
それでも―――……
―――――一生懸命作ってくれたんだから、お礼ぐらい言ってきたら?
あのおはぎを食べた瞬間に薫の顔が浮かんだ。
作ってくれたのだとわかった時、救われたような気持ちになった。
同時に、罪悪感がずっしり肩に乗った。
会いたくない……。
今、薫に会ったら、自分でも整理のつかない気持ちをぶつけて傷つけてしまう。
それより何より、匡近の死に打ちのめされている薫を見たくない…。
早々に蝶屋敷を去ったのは、薫から逃れるためだった。
しかし、遠征から帰って仮眠をとっていた実弥の耳に聞こえてきたのは、その忌避していた薫の声だった。
<つづく>
次回の更新は2021.12.18.土曜日の予定です。