【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第二章 遺思(四)

 三日後。

 

 祐喜之介(ゆきのすけ)に新たな任務が入ってないことを確認して、薫はすぐに匡近の実家へと向かった。

 

 カナエにその事を告げると、隠に連絡してくれ、丁度匡近の家族を調べて遺髪を届けようとしていたらしく、それも一緒に薫が持って行くことになった。

 

 匡近に届いた家族からの手紙の裏にあった住所を訪ねると、出てきたのは薫よりも三、四歳年下ぐらいの少女だった。

 女学生らしく、庇髪(ひさしがみ)に後ろでリボンを結わえている。

 

「もしかして……森野辺さん?」

 

 挨拶をする前に、利発そうな目をしたその少女が尋ねてきた。

 頷いて、改めて自己紹介をすると、その少女は「照子(てるこ)」と名乗った。

 

「匡近兄さんのことですね?」

 

 用件までも言い当てられ、薫がどう言うべきか惑っていると、奥から懐かしい声が聞こえてくる。

 

「照ちゃん、お客様なら上がって頂いて……あら?」

 

 徳子(のりこ)は薫と目が合うなり、嬉しそうに微笑んだ。

 

「森野辺さんじゃないの? まぁ、わざわざおいで下さったの?」

 

 弾んだ声に、薫はサッと目を伏せた。

 今から自分が告げなければならない事実は、きっとこの笑顔を一気に奈落に落とすのだ。

 

「母さん。森野辺さんは用があっていらしたのよ」

 

 照子が冷静に言うと、徳子は俯いた薫を見て、一瞬胸が詰まったように唾を呑み込んだ。

 しかし、引き結んだ唇を一度だけ噛みしめると、また朗らかな笑みを浮かべて薫を招いた。

 

「どうぞ。……上がって頂戴」

 

 照子にも促されて、薫は恐縮しながら家に上がった。

 案内された客間で、匡近の遺髪の入った木箱と、例の琥珀の数珠の入った巾着を並べて置いた。

 

「………鬼との戦闘中に…人質の子供を庇って……亡くなられたとのことです」

 

 震える声で薫が告げると、照子は膝の上に拳を作って必死に堪えていたが、堪えきれずに涙が両目から零れ落ちた。

 

 一方、徳子は静かな表情で聞いていた。

 翳った顔は皺も深く、一気に老けたように見える。

 

 遺髪の入った木箱に手を伸ばし、短いその髪をそっと撫でた。

 眠る赤子の頬を撫でるように、やさしく。

 

「あの子……ずっと幸晴(ゆきはる)が死んだのを自分のせいだと……」

 

 徳子は言いかけて、声を詰まらせた。

 

 顔を横に向けてすすり泣くのを、薫はただ黙って聞いていた。

 自分もまた一緒になって泣いてしまいそうになる。

 必死で奥歯を噛み締めて耐えた。

 

 今、ここで泣いていいのは匡近の家族だけだ。自分は伝達者なのだから。

 

 徳子は袖口で涙を拭って前に向き直ると、もう一度、震える指で遺髪を撫でた。静かに木箱に蓋をし、ゆっくりと胸に箱を押し抱いて瞑目する。

 

「きっと…満足でしょう。そのお子さんを救うことができたのなら…。ねぇ、森野辺さん。そう思うでしょう?」

 

 開いた瞳は真っ赤だった。

 それでも微笑みながら問いかける徳子に、薫は唇を震わせながら頷いた。

 

「はい……」

「よかった…あぁ…よかった………よかった」

 

 言い聞かせるように、徳子は何度もつぶやいた。

 つぶやきながら、胸に抱いた木箱を撫でる。ようやく帰ってきた子供を慈しむように。

 

「あの…それと、この数珠と一緒にお手紙もお預かりしています」

 

 懐から匡近の手紙を取り出して徳子に差し出すと、徳子はしばらくその封筒を呆っと見ていた。

 

「母さん?」

 

 横から照子に問いかけられ、ハッとしたように我に返る。

 

「あぁ……御免なさいね。あの子の字だと…思って」

 

 宛名書きの文字を見て、徳子は匡近の筆跡とすぐにわかったのだろう。

 受け取ると、しばらくまじまじと眺めた後、立ち上がった。

 

「森野辺さん。御免なさいね。主人にも知らせたいから…。少しだけ席を外させて頂いてよろしいかしらね?」

 

 粂野家はこの家とは渡り廊下を挟んで、大通りに面した店で墨や筆などの文具用品を売っている。雇い人もいないようなので、店主が長く席を外す訳にもいかないのだろう。

 

「え? あ…はい」

「照ちゃん、あなた、しばらく森野辺さんのお相手して頂戴ね」

 

 徳子は早口に言うと、その場から立ち去った。

 

「……大丈夫でしょうか?」

 

 薫は心配だった。

 匡近が何を書いたのかは知らないが、もはや生きていない息子からの手紙を読む徳子が平静でいられるはずもない。

 

「あの…私は大丈夫ですから。お母様のお側にいらした方が…」

 

 それとなく言うと、照子は首を振った。

 

「大丈夫です。母はああ見えて元は武家の出です。気丈な人ですから」

 

 照子は言いながら急須にお湯を注ぎ、薫の前にお茶を出した後はしばらく無言だった。

 暗く沈み込んだ顔は眉間に深い皺が寄り、細面で浅黒い顔は、柔和な丸顔だった匡近とあまり似ていない。

 

「森野辺さんは…ユキ兄……幸晴兄さんのことは聞いてますか?」

 

 ようやく口を開いた照子が哀しげに顔を歪めるのを見て、薫は不思議に思った。

  

「えぇ…少し」

「私、見ていないんです。匡近兄さんが私を抱っこして、ずっと私に鬼を見せないようにしてくれていたんです。幸晴兄さんが死んだ時も……息が止まるほど強く私を抱きしめて、絶対に見せないようにしてくれていたんです」

 

 照子はその時の自分を断罪するように、冷たく話した。

 

「……私が幼くて小さいから、皆、許すんです。兄さんも。でも、その代りに兄さんは私の分まで、幸晴兄さんが死んだことを自分のせいだと思うようになってしまった……」

 

 薫はその言葉を聞きながら、やはり照子もまた匡近の妹なのだと思った。

 

 ―――――家族は誰も悪くない。俺だけが悪いんだ……。

 

 ずっと弟の死を忘れなかった匡近。

 家族を誰より大切にしていたからこそ、自分がその輪に留まることが許せなかった。

 

 照子は照子で、匡近への罪悪感を抱えて生きてきたのだろう。

 

 薫は首を振った。

 

「匡近さんは……あなたを守りたかっただけですよ」

 

 照子はハッとしたように顔を上げた。

 途端に真っ赤になった目から、再び滂沱と涙が零れ落ちた。

 

「あの日……私が一緒に行くって言わなかったら、きっと兄さんならユキ兄ちゃんを助けることだって出来たはずなんです。私が駄々をこねて一緒に行くって言ったから、兄さんは私を抱っこするしかなくて…ユキ兄ちゃんは走るしかなくて……兄さんがユキ兄ちゃんを抱えて走ってたら……そうしたら、鬼からだって……」

 

 薫は立ち上がると、しゃくりあげる照子の背をさすった。

 

 目に浮かぶようだ。

 幼い照子が駄々をこねて匡近に抱っこされ、幸晴を探しに行く様子が。

 その時、鬼に会うなど、誰が予想できるだろう?

 

「……いつも……いつも……兄さんにばかり重いものを……背負わせてしまう……私は…一緒に……いつも一緒にいたかった……だけなのに………」

 

 ずっと押し籠めてきた気持ちが溢れて止まらないのだろう。

 照子は泣き伏し、全身を震わせて「ごめんなさい」を繰り返していた。

 

 薫は何も言わず、照子の背を撫でるだけだった。

 

 照子は家族には言えなかったのだ。

 ずっと長い間、誰に相談することもできぬまま、良心の呵責に耐えてきたのだろう。

 

 ―――――どうしようもない……人間なんだよ……

 

 弱々しくつぶやいた匡近の姿が思い出される。

 

 悪いのは鬼なのに。

 絶対に、匡近のせいでも、照子のせいでもないのに。

 

 誰のせいでもないのに、皆が自分のせいで不幸が訪れたのだと思ってしまうのは、失くしたものがあまりに愛しいものだったからだ。

 

 ()()()()()()()()()()にただ殺されたのでは、あまりにもその死が哀れで、悲しすぎて、癒しがたいのだ。

 

 夢は夢でしかない―――などと、匡近に言う権利が薫にあったのだろうか。

 薫の悲しみと匡近のそれが同等であるなどと、わかるはずもないのに。

 

 あの時も今も、薫にできるのはその場にいることだけだった。

 それが正解なのかわからないまま。

 

「……すいません」

 

 やがて照子は嗚咽を止めて、ゆっくりと起き上がった。

 

「あの…少し顔を洗ってきます」

 

 恥ずかしそうに照子は手ぬぐいで顔を隠しつつ、そそくさと出て行った。

 襖を開けると、ちょうど徳子が入れ違いに入ってきた。

 

「あ……ら」

 

 徳子は泣き腫らした照子を見て驚いたようだったが、立ち去るのを止めなかった。

 ふ、と柔らかな笑みを浮かべる。

 

「匡近が出て行ってから……泣くことも我儘言うこともなくなって、あの子……」

「そうだったんですか」

「えぇ。良かったわ。ようやく……私達家族も、きちんと向き合える」

 

 徳子は座ると、巾着から数珠を取り出して、その上に置いた。連なった琥珀が、光を通して柔らかい影を作る。

 すっと、差し出されて薫はきょとんとした。

 

「………え?」

 

 徳子はニッコリ笑って言った。

 

「貰ってくださらないかしら?」

「え? この数珠を、ですか?」

「えぇ」

「それは……頂けません。だって、私はこれをご家族に返してほしいと頼まれて来たんです」

 

 遠慮する薫を見て、徳子はふふっと笑う。

 

「そうね……ああ見えて、匡近は抜け目ない子なの」

「……はい?」

「私や照子に、ちゃんと見せてから承諾の上で、ということです」

「……仰言(おっしゃ)ってることがよく……」

 

 困惑した様子の薫を見て、徳子は理由を話して聞かせた。

 

「先程頂いた手紙にね、この数珠をあなたに渡して欲しいと。私や夫、照子の同意の上でね。夫はさっきあなたを見て、いいと言ってくれました。照子もきっと、いいと言うでしょう。私は最初から当然だと思ってましたしね」

「………」

「もちろん、あなたがよければ…です。無理強いする気はありませんよ」

「駄目よ!」

 

 突然、大声で入ってきたのは照子だった。

 

「この数珠のこと、ちゃんと言って」

「え?」

「貰って下さらないと、私が困ります! この数珠は、()()()()()()()しか継いだら駄目なんです。それ以外の人間が持ったら不幸が訪れるんですから!」

 

 照子が必死になって言うのを、薫はポカンと見つめる。

 照子の剣幕にも驚いたが、それ以上に『長男と長男の嫁』というのは…つまり。

 

 考え込む薫を見て、徳子は微笑んでいた。

 

「森野辺さん。あなたにとって重荷になるなら、無理にとは言いません。ただ、匡近の最期の願いと思って受け取って頂けると…私は嬉しいです。これはあの子の真心ですから」

 

 薫はしばし固まって、その琥珀の連なる玉を見つめていた。

 

 ―――――薫も一緒にやらないか?

 

 あの時。

 

 今の徳子のように微笑しながらも、匡近は真剣な目だった。

 あの日、確かにそう言った。

 薫は意味がわからなくて、わからないまま……考えることもなく、返事していた。

 

 ―――――お前が(うん)と言って、一緒になりゃ良かったんだァ……

 

 実弥に言われた時、一気に血の気が引いた。何故なのかわからないままに。

 

 いや、事ここに至って、もはや言い訳しようもない。

 自分はわかっていた筈だ。

 わかっていたから無視したのだ。

 

 匡近の想いに気付いたら、自分の気持ちにだって嘘をつけなくなる。

 

「森野辺さん? 駄目ですか?」

 

 照子がそろそろと窺ってくる。

 

「貰ってから売ろうが誰かにあげようが、私達文句言いませんから。別に、好きな人がいらっしゃるなら、その人と一緒になってもらっても……」

「照子」

 

 徳子がたしなめると、照子は恥ずかしそうに口を噤んだ。

 

「いいんですよ、森野辺さん。あなたは誠実な人だから、困ってしまうわね。御免なさいね」

 

 何気なく言われた『誠実』という言葉に、薫はズキリと胸が痛む。

 徳子は琥珀の数珠を手に取って、やさしく撫でながら言った。

 

「思っていたよりも…随分、早くに逝ってしまったけど、あの子に…これをあげたいと思う相手がいてくれて…良かった。一緒になることはできなくとも、一緒になりたいと思える相手がいただけでも…幸せだったと思うのよ……」

 

 独り言のようにつぶやく徳子の目から、一筋涙が零れ落ちる。

 

 照子は隣で目を真っ赤にしてまた泣きながら、フルフルと震えていたが、突然、徳子の手から数珠を取り上げた。

 

「お願いします! 貰って下さい!」

 

 涙声で叫んで、薫に捧げるように差し出す。

 

 薫はそっと、その琥珀の数珠を手にとった。

 差し込んだ光が、飴色の影を掌の上に落とす。

 

「私……応えられませんでした。匡近さんに…何も…して差し上げられませんでした。それでも……貰って…いいのでしょうか?」

 

 力ない声で問いかけると、徳子も照子もニコリと笑った。

 

「それがあの子の…望みですから」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 夜になり、蝶屋敷に戻ってきた薫は疲れて見えた。

 顔色も悪く、しのぶは診察を受けるように言ったが、薫は「大丈夫です」と言うなり、自室に閉じこもった。

 

 夜半になる前に、早々と鬼退治を終えて戻ってきたカナエは、しのぶから薫の様子を聞くなり、部屋に向かった。

 しかし、部屋には誰もいない。

 すぐに菊を植えた庭へと出たのは、匡近の墓に供えるために白菊の花を伐っていた薫の姿を思い浮かべたからだった。

 

 案の定、薫はそこでぼんやりと突っ立っていた。

 

「薫」

 

 声をかけると、気付いた薫が振り向く。

 カナエだと声でわかっていたのだろう。

 

 振り向いた顔は月に照らされて青白く、悄然としていた。

 いつもの薫なら、決して見せない顔だ。

 

「どうしたの?」

 

 あわててカナエは駆け寄って、そっと肩に手を置く。

 

「粂野くんのご家族に何か言われたの?」

 

 時に、失った悲しみから伝達に来た人間を罵倒する家族はいる。

 あるいは匡近の家族もその類かと思ったが、薫は首を振った。

 

「いえ……気丈に受け止めておいででした。私にも…とても、温かく接して頂いて……」

「そう…そうでしょうね」

 

 あの匡近の家族であるなら、不当な文句を言ったりはしないだろう。だとすれば…

 

「もしかして…あんまりにも優しくしてもらえたから、かえって申し訳ない気になってるの?」

 

 カナエが少し呆れた口調で笑うと、薫は悲しげに首を振った。

 それから、震える声で告げる。

 

「カナエさん…私、匡近さんの事が好きでした」

 

 一瞬、カナエが答えられなかったのは、薫の言う()()というのが、おそらくは友達や兄弟子としてのものではないとわかったからだ。

 同時に、薫が何に憔悴しているのかも。

 

 ニコリ、と微笑んでカナエは囁いた。

 

「言って、薫。全部、教えて…」

 

 薫はカナエをじっと見つめていたが、その目からようやく涙が零れた。

 

「本当に…好きでした」

 

 言いながら、薫はようやくわかった。

 京都であの時、見送る匡近に言いたかったのは、この言葉だった。

 だが、口にすることが出来なかったのは…自分の浅ましい矜持(プライド)だ。

 

「でも…おかしいですよね。私は、実弥さんの事が好きなのに…匡近さんの事が好きになるなんて、おかしいですよね。そんなこと、許されないですよね……」

 

 自分がそんな二心を持つような人間だと認めたくなかった。

 匡近は本気で薫と向き合おうとしていたのに、薫は自分の醜い気持ちと一緒に無視したのだ。

 

「一緒になろう…って言ってくれたのに、気付かないフリして…誤魔化して…嘘をついたんです。なんて薄情な…失礼なことをしたのか……」

 

 自分でもどうしようもなく涙があふれ出す。

 手で顔を覆うと、薫は声を殺して泣いた。

 

 自分は結局、自分可愛さで、優しい匡近をないがしろにしたのだ。

 匡近なら、許してくれると…どこかで甘えていた。

 なんて…傲慢で醜い、浅ましい、卑しい女だろうか。

 

 薫の煩悶を知らず、カナエはいつもの鈴を転がすような声で尋ねてくる。

 

「嬉しかった? 粂野くんに、一緒になろうって言われて」

 

 ゆっくりと顔から手を離してから、薫は首を振った。

 嬉しいと…単純に喜べないからこそ、返事が出来なかったのだ。

 

「不死川くんがいるから?」

「……そう…です」

 

 俯いた顔には眉間に深い皺。

 白い顔は、げっそりと窶れて見える。

 

 カナエはフっと笑った。

 

 どうしてこんなに真面目なのだろう。

 どっちも好きになったって、別に構わない。

 人を好きになることに、人数制限などないのだから。

 それだけ深く人を愛せるだけ、カナエなどからすれば羨ましいくらいだ。

 

 ふわりと薫を抱きしめて、カナエはポンポンとやさしく背を叩く。

 

「馬鹿ねぇ、薫。当然じゃないの。粂野くんは優しかったんだから、好きになったって仕方ないじゃない。薫にいつも寄り添ってくれて…励ましてくれていたんだから。むしろ…その粂野くんをしても、あの天邪鬼は忘れられないの?」

 

 薫はカナエの肩に涙を落としながら、頷くしかなかった。

 

 ―――――お前が(うん)と言やぁ良かったんだ……

 

 そう言われた時、心臓が凍りついた。

 

 今更ながらに、思い知らされた。

 実弥にとって、自分は『なんでもない』存在だ、と。

 

 わかっていても、つらい。

 苦しい。

 

 前に匡近に言われたように、あくまで寿美の…実弥の妹の友達であり、妹弟子という立場を守って生きていくだけだと心に決めたのに、時折、報われない想いが胸を締め付ける。

 

 カナエは震える薫の肩を撫でさすって笑った。

 

「言っちゃえば良かったのに、いっそ。二人とも好きなんだって。粂野くんは、それで薫の事を嫌いになったりしないわよ。むしろ、自分の事も好きになってくれてるなら、もっともっと好きになってもらおう…って頑張る人よ。そうなったら、あの天邪鬼もちょっとは素直になって焦ったりするのかしらね…?」

 

 言いながら、カナエはそうなったら不死川実弥はきっと安堵して、粂野匡近に薫を譲るだろうと思った。内心で、鬱屈を抱えたとしても。

 

 だが、粂野匡近が死んでしまった以上、薫は想いを伝えられないままだ。

 

 言うことの出来なかった言葉は、今ここで言えば、死んだ人に届くのだろうか。

 あるいは、いずれ時を経て死者の国で再会した時に、伝えられるのだろうか―――……

 

 カナエは薫の肩を力強く掴むと、俯いた顔を覗き込むように見つめた。

 

「ね、薫。粂野くんに気持ちを伝えられなくて後悔してても、粂野くんを好きになったことは、後悔してないでしょう?」

「……はい」

「じゃあ、大丈夫。これからもずっと、心の中でおしゃべりできるから」

「………」

「そんなに好きになったなら、薫の中にずっと粂野くんはいてくれるから。今も、よーく聞いてみて。一生懸命、励まそうとしてくれてるんじゃない?」

 

 薫はそっと胸に手をあてて、ポケットに入れた数珠を確かめた。

 カナエの言葉は気休めと言ってしまえばそうなのだが、今は信じたい。

 

 ―――――薫!

 

 いつも笑って呼びかけてくれた彼の声が、耳に残っている……。

 

 彼の事が好きだった…と、過去形にするには、あまりにも気付くのが遅くて、今はまだ思い出にすることができない。

 だから、まだ匡近のことが好きなのだと…想い続ける。

 素直になれなかった自分に、彼はそれでも優しかったから。

 

「……好きです、匡近さん……」

 

 あの日言えなかった言葉をつぶやいて、薫は泣きながら微笑んだ。

 

 

 

<つづく>





次回は2022.01.01.土曜日の更新予定です。

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