【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第三章 二匹の鬼(一)

「ここに……ござりまする」

 

 鬼の探索を特に行う鬼蒐(きしゅう)の者…と呼ばれる人に会ったのはそれが初めてだった。

 

 長く伸びた黒髪には所々金髪が混じっている。盲目だというその瞳は薄紫で、白い肌も含めて日本人離れした容貌だった。

 

「……ここ、ですか?」

 

 大通りから横道に入り、そこから人気ない路地裏を抜け、柳の木が並ぶ用水路伝いに歩く。

 昨晩降った雪が、道の隅にわずかに残っていた。

 今日の昼は天気が良かったが、昼間も薄暗そうなこの道では溶けなかったようだ。

 

 小さな橋を渡った先には、大名屋敷の名残のような築地(ついじ)が、所々崩れてあった。

 主のない屋敷に植えられていた松や楠の枝が鬱蒼と枝を広げて、夕暮れの中で陰鬱な影を落としている。  

 築地の崩れた所から見える場所には、かつて豪壮な邸宅があったと思われる跡だけがあった。

 

「ここに…鬼がいると?」

 

 薫が訊くと、その鬼蒐の人はフルフルと頭を振る。

 

「鬼の気配はこの中にはござりませぬ」

 

 薫は首をひねって、再度尋ねる。

 

「では、ここにいるというのは…?」

「鬼の気配は、今来た道からここまで続いているのです。とても濃く残っております。けれど、ここでフツリと消えるので御座います」

「………気配が、消える?」

「左様です。この一月ほど、探索にて同じ鬼の気配をこの辺りで見て、行き路帰り路をたどりましたが、不思議とここに来るとフツリと消えます。それ以上のことはわかりませぬ。ここで鬼が地に遁甲でもしたのか、或いは気配を消す技を以てここにまだいるのか……」

 

 薫は再びすっかり荒廃した屋敷の跡地を眺めた。

 

 言われてみれば、どこか奇妙な気がする。

 首都の繁華街からは少しばかり離れた場所であるとはいえ、土地開発の進むこの時代において、これだけの広さの土地がこの場所にある…というのは、少しばかり珍しい。

 

 ただ、そうした世情のことは置いても、やはり薫にも何か妙なものを感じた。

 胸がザラつくような、嫌悪を伴う違和感。

 鬼に対峙した時のような。

 

 目の前の盲目の人は、そうした薫の心まで見通したのだろうか。少しだけ首を傾げて尋ねてくる。

 

「……なにか感じておられますか?」

「え?」

「ここに…何かを、感じますか?」

「あ、いえ……なんとなく嫌な感じがして」

「……左様でござりますか」

 

 その人は頷いてからしばらく黙っていたが、急に顔を上げると自己紹介した。

 

「私は春海(はるうみ)と申します。失礼ですが、隊士様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

 

 突然のことに驚きつつも、薫はニコリと笑って素直に応じた。

 

「失礼しました。初対面だというのに名乗りもせず。森野辺薫と申します。現在、階級は丙です」

 

 春海は柔らかい笑みを浮かべて薫をまじまじと見つめた。

 無論、それは通常の人間の『見る』とは違っていたのだが、薫は光を宿さぬその紫の瞳が美しいのと珍しいので、少々不躾なほどに見つめていた。

 

 やがて春海は微妙に眉を寄せると、また首を傾げた。

 

「ふ…む。気の所為(せい)でありましょうか……」

 

 薫には春海がいったい何を見て、何を感じているのか全くわからない。

 だがこの人の持つ特殊な能力によって、自分もまた何か見透かされようとしているのかと思うと、どこか落ち着きない気分になった。

 

 しかし春海はニコと笑うと、頭を下げて別れを告げる。

 

「では私はこれにて。鬼の消息はこの辺りにあるとは思われます故」

「あ……」

 

 薫はどうしても気になって、あわてて手を伸ばしたが、掴めたのは白練地の袖だけだった。

 

 ハッとなって手を離した薫に、春海は笑って言った。

 

「私は両腕がありませぬ故、申し訳ない」

「いえ…すみません。気付かなくて」

 

 よく見てみれば、春海の左袖から出ている杖は手に握られているのではない。

 左肩部分が微妙に盛り上がっているので、おそらく肩当てか何かに括りつけているのだろう。

 

 薫は気まずさを感じながらも、思いきって言った。

 

「あの、何か…気になることがあるなら仰言(おっしゃ)って下さい」

「………」

 

 春海はしばらく顔を伏せて考え込むようだったが、やがて面を上げると、視線が合わないながらも微笑んで問うてきた。

 

「どこか具合が悪いところはござりませぬか? 身体に限らず」

「え…いえ……大丈夫だと思いますが……」

 

 迷いつつ答えたのは、正直なところこの数ヶ月、体調がいいとは言えなかったからだ。

 

 鬼の毒の後遺症なのか頭痛が頻発していたし、それ以上に食欲がない。

 ただ、これは続けざまに東洋一(とよいち)と匡近を亡くしたことでの精神的なものが大きいが。

 

 春海は特に追求することもなく、次の質問に移る。

 

「あなたは特に御自分が鬼の気配に敏い…と思ったことはござりませぬか?」

 

 しばらく考えたが、薫にはわからない。

 首を振ると、春海は別のことを尋ねる。

 

「鬼に同情されることは…ござりませぬか?」

「え? ……いいえ…まったく」

 

 鬼に同情など薫には最も遠い感情だった。

 胡蝶カナエであればともかく。

 

 怪訝な表情の薫に、春海は安心させるように笑った。

 

「すみませぬ。あなたの様子が少し翳って見えまして…体調が悪いように思えたのです」

「それは……最近、親しい人が相次いで亡くなったので、食欲がなくて……そのせいかと」

「成程」

 

 春海は頷いてから、顔を上げた。

 また紫の瞳に見つめられ、薫は少し困って目を逸す。

 

「失礼。……たまさかあるのです。鬼の強烈な気に引きずられて、精神を病んだり、具合を悪くする者が。そういう者は共感識(きょうかんしき)が強い」

「共感識?」

「左様。鬼と同調する…あるいは共鳴するというか…。鬼に限らず、人でも強い気を持つ人間に引きずられてしまい、動揺しやすい。私共のような『気』を読む人間は得てして共感識が強い。それ故、普段より心を封ずる法を行っております。隊士の方には珍しいことです……」

「私がそうだと?」

「………わかりませぬ」

 

 春海は苦笑しながら、ゆるゆると首を振る。「ただ、そうした共感識の強い人間と似ているせいかと思いまして…」

 

 薫は複雑な気分だった。

 もし、自分がそうした能力を秘めているのだとすれば、それは強みにもなり得るが、弱みにもなる。

 どちらかというと、自分にとっては弱みになりそうだ。

 

「それは…直せませんか?」

「困りますか?」

 

 尋ねられて、薫は素直に「はい」と頷いた。

 クスリと春海は笑った。

 

「先程、鬼に同情はしないと仰言ったのですから、大丈夫でしょう。『気』にやられる人間は気質が優しくて、つい憐れみを持ってしまうのです」

「それは……じゃあ、花柱様もそうした共感識があるということでしょうか?」

「花柱様ですか……」

 

 春海はしばらく考えてから首を振った。

 

「いえ。花柱様とはお会いしたことがございますが、あの方が鬼に同情を寄せるのは、また別の…信念というべきものでしょう…」

「……そうですか」

 

 薫の声音は少し沈んだ。

 カナエがもしそうであるなら、見習って修練を重ねれば、弱みを強みに変えることもできるかもしれない…と思ったのだが。

 

「私も時に間違うこともござりますれば…あまり真剣に受けず、聞き流して下さりませ」

 

 春海はニコリと笑って、慰めるように言った。

 

 薫は途端に恥ずかしくなった。

 少々、敏感になっていたかもしれない。

 彼が不可思議な能力を持っていると思うと、なぜか一言一言に常人とは違う何かを感じてしまう。 

 

 空はすでに星が光り始めていた。

 もう日没している。

 これ以上、彼を鬼がいるかもしれないこの場に留めておくのは危険だ。

 

「すみません。無理にお引き止めして」

「いえ……。では、失礼致します。またお会いすることあれば……ご息災に」

 

 頭を下げて去っていく春海を見送った後、薫は屋敷の跡地周りをざっと歩いてから、築地の外へと出た。

 

 ここで鬼の気配が途切れる…ということであれば、鬼がこの周辺にいることは間違いない。

 

 築地から飛び出た松の大ぶりの枝が折れてそのままになっていたので、その物陰に隠れて鬼を待つことにした。

 

 

◆◆◆

 

 

 宵闇が辺りを包む。

 日が沈むと一気に寒さが足元から這い登ってくる。

 

 薫は父の形見のインバネスコートの中で手を擦った。

 いざ戦闘となった時にかじかんでいては話にならない。

 

 松の横でこれも倒れかけた南天が、赤い実をつけている。

 そういえば今年も特に正月らしいこともなく過ぎていたな…と今更ながらに思い出す。

 

 赤い南天の実は子爵家では、いつも正月に生けて床の間に飾っていた。

 鬼殺隊に入ってからは、最初の年に京都の藤家紋の家で平和なお正月を迎えたものの、翌年からは任務に忙殺されて、それどころでなくなった。

 

 少し離れた大通りの喧騒が、冷たい風にのってわずかに聞こえてくる。

 

 薫は折れた松の枝の間に隠れながら、息を潜め、気配を殺していた。

 殺気を抑えないと、鋭敏な鬼であれば気付かれしまう。

 できれば鬼を捕捉すると同時に技をしかけたいところだ。

 

 一刻ほども経った頃、築地からユラリと人影が現れた。

 

 夜道を行くつもりなのか、提灯が暗闇にユラユラと浮かんでいる。

 提灯を持っているのは、生成の着物に袴姿の書生風の男。

 やはり警戒しているのか、サッと辺りを見回した目が紅く光っている……。

 

 鬼だ。

 

 薫は両手を二本の刀の柄にかけてから、呼吸を整え始めた。

 息を吸い込んで、足を踏み出そうとした時に、男の鬼が差し伸ばした手に誰かが手を置くのが見えた。

 

 提灯の明かりに照らされて、現れた女を見た時、薫は息を止めた。

 

 ―――――千佳子様…?!

 

 一瞬、懐かしい人の姿がその女と重なる。

 だが、男の差し出した手をとって築地から出てきた女もまた、紅い目を光らせて油断なく辺りを見回した。

 薫は息を止め、その女もまた鬼であることを確認する。

 

 鬼が二匹いるのは珍しい。

 鬼は同じ場所にいれば、縄張り争いをして互いに殺し合うからだ。

 だが、この二匹にそうした殺伐とした雰囲気はなかった。

 

「……こちらに」

 

 若い男の声が、落ち着いて響く。

 

「……ありがとう」

 

 大きくはないが、玲瓏と響くその女の声は、とても鬼とは思えぬほどに優しげに聞こえてくる。

 

 二人は橋の方へと歩いていく。

 薫には全く気付いていないようだ。

 

 スゥゥゥと息を深く吸い込み、一歩足を踏み出すと同時に、薫は刀を抜き放った。

 

 鳥の呼吸 伍ノ型 森閑俊捷(しんかんしゅんしょう)

 

 ザクリ…と男の鬼の左腕を斬って、薫は顔を顰めた。

 

 本当は女の鬼の首を狙ったのだが、すんでで気付かれたらしい。

 男の鬼が女の手を引っ張って、前方へと放り出し、自ら薫の攻撃を受けたのだ。

 

 だが、無論やすやすとやられてはいない。

 左腕を斬られたと同時に、右手の伸びた爪が薫に襲いかかる。

 

 丈夫な隊服はその爪に生地が少し破れたものの、肌にまでは及ばなかった。

 薫はすぐに後ろへと飛び退り、男鬼と対峙する。

 

「……おのれ、鬼狩りめ…!」

 

 男の鬼は忌々し気に薫を睨みつけてくる。

 紅い目はより鮮やかさを増した。

 

 薫は無言で呼吸に集中する。

 刀を交差して構える。

 

「ひどく……傷つけてはなりません」

 

 男鬼の背後にいた女の鬼が、懇願するように言う。

 薫は耳を疑い、ギロリと二匹の鬼を睨みつけた。

 

「わかりました」

 

 徐々に再生する左腕を押さえて、男鬼は頷く。

 薫はギリと歯噛みした。

 

 今、この鬼共はなんとほざいたのだろうか。

 まさか、薫を生かすように手加減しろと言い、それに従ったということか?

 

 馬鹿にされたものだ。

 一体、どういうつもりか?

 

 その思惑を一蹴するためにも、この鬼共は必ず殺す。

 

 薫は一歩踏み込んで、呼吸の技を繰り出した。

 

 鳥の呼吸 参ノ型 飛燕之鋒(ひえんのほう)

 

 上下から同時に襲いかかる刀に、男鬼は首だけは取られまいと避けたが、腹と右腕をザックリと斬られた。

 それでも後ろへ一回転して、続く薫の攻撃を避けられたのは、鬼の持つ異常な身体能力によるものだろう。

 

 薫から少し間合いをとったところで、パックリと傷口の開いた腹と斬り落とされた右腕から血が大量に落ちた。

 

「……クッ!」

 

 顔を顰めて、男鬼が地面に崩れ落ちる。

 

「愈史郎!」

 

 女鬼は自らの身も顧みず、男鬼に駆け寄ると、背に庇って薫と対峙した。

 

 薫はしばし、その女鬼を見つめた。

 

 凝視する瞳は紅く、それは紛れもなく鬼であったが、やはり美しい。

 初めて見た時に千佳子に似ていると思ったが、こうして月明かりの下で見れば、同じ美しくてもやはりどこか違っていた。

 

 見た目の年齢だけで言うなら、おそらく目の前のこの女鬼の方が若い。

 だが、千佳子が庭園で咲き誇る大輪の牡丹であるなら、目の前の女鬼は人知れず咲く芍薬の花のように静謐な、臈長けた美しさであった。

 

 哀願するかのようなその視線に、薫は少しだけ戸惑った。

 さっき、春海に言われたことが脳裏をはしる。

 

 ―――――鬼に同情されることは…ござりませぬか?

 

 ギリ、と奥歯でその言葉を噛み潰す。

 そんな訳がない。今の今まで、自分は鬼に同情したことなどない。

 

 再び刀を構え、深く呼吸する。

 今度こそ、仕留める。

 

 女鬼は悲しそうに目を伏せた後、いきなり袖を捲くった。

 その白く柔らかそうな肌に、自らの爪を立てる。

 

 真っ赤な血があっという間に白い腕を赤く染めて、蠱惑的な匂いが鼻腔に入ってきたと思った途端に、グラリと風景が歪んだ。

 

 ―――――毒だ!

 

 薫は知覚するなり、技を放った。

 

 風の呼吸 参ノ型 晴嵐風樹

 

 久しぶりに使った風の呼吸は、その威力は匡近や実弥に比べるべくもなかったが、女鬼の毒を散らすには十分だった。

 

 男鬼の両腕は再生したようだ。

 しかし風の呼吸による技の煽りをくらったのか、顔に複数の裂傷があった。

 

 それは女鬼も同様で、白い頬に赤い筋が一瞬の間に消えていくのだけが見えた。

 再生の具合からしても、やはり鬼としてはこちらの女の方が上位であるらしい。

 

 男鬼は女鬼を傷つけまいと背後に守りながら、薫を睨みつけていた。

 

「貴様……よくも珠世様に……」

 

 ギリギリと歯軋りの音が耳障りに響く。

 

 薫は息を整えた。

 

 次で、殺る。

 

 刀を交差して構えて、呼吸を深くする。

 

「お逃げ下さい、珠世様!」

 

 切迫した声で叫んで、ドン、と男鬼が女鬼を橋の方へと押し出した。

 

「愈史郎!」

 

 女鬼は橋の上に立ちながら叫んだ。

 逃げようとしない。

 

 奇妙な鬼達だとは思った。

 だが、薫は鬼の事情を忖度する必要はない。

 

 鬼蒐の者から教えられた通り、怪しい気配があり、そこに鬼がいれば滅殺する。

 いつもの事だ。

 

 鳥の呼吸 肆ノ型 ―――……

 

 型を発動するために刀を振り上げたところで、いきなり後ろから両腕を掴まれた。

 

「ハイー、そこまでなー。お嬢さん」

 

 緊迫したその現場で、奇妙なほどに明るく楽しそうな声が響く。

 

 だが軽い口調と裏腹に、薫の腕を掴む力は凄まじく、ビクリと動かすこともできない。

 

 後ろを振り返ることは出来なかったが、その声は覚えがあった。

 

「…宝耳さん?」

 

 

 

<つづく>

 





あけましておめでとうございます。新年早々読んでいただき、ありがとうございます。
次回の更新は2022.01.08.土曜日の予定です。

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