【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第三章 二匹の鬼(二)

 伴屋(ばんや)宝耳(ほうじ)はニヤニヤと笑いながら、薫の背後から男と女の鬼を見ていた。

 

『愈史郎』と呼ばれた男の鬼は、突然現れた宝耳に目を丸くして見つめるだけだったが、『珠世様』と呼ばれた女の鬼は、警戒も露わに一歩後ずさった。

 

「綺麗な鬼さんもいはるもんやなぁ…」

 

 地面に落ちた提灯の明かりに照らされた女鬼の姿を見て、宝耳は素直に感嘆する。

 男鬼がハッとして立ち上がると、女鬼を背中へと隠した。

 

「見るな! お前ごときが見ていい御方でないぞ!」

「ハハハ」

 

 宝耳は笑うと、鬼に呼びかけた。

 

「そう怒るもんやないわ。()()()

 

 男鬼は一気に赤く紅潮して、怒鳴った。

 

「勝手に呼ぶな! 俺の名前を呼んでいいのは珠世様だけだ!」

 

 宝耳はますます楽しげに喉奥で笑う。

 

「そら、失礼しましたな。是非、()()()にもお見知りおき頂きたいものや」

「貴ッ様ァァ……」

 

 男鬼は拳をつくって、宝耳を睨みつける。

 

 薫はそれまで一応、宝耳に掴まれたまま大人しくしていた。

 また以前のように、鬼を生け捕るつもりなのかと思ったからだ。

 

 しかし、一向に薫の腕を離すこともせず、鬼と悠長に会話などしている。

 疑問符が浮かんだまま薫は油断なく鬼達を見ていたが、女鬼がチラと後ろを窺うのを見て、逃げようとしているのを察知した。

 また、あの妙な毒でも放たれては面倒である。

 

 足を後ろに勢いよく蹴り上げると、宝耳はすぐさま薫の腕を離して飛び退った。

 

「とっとっと…危ないなァ」

 

 フザけた様子の宝耳を一瞬だけ睨んで、薫はすぐに鬼へ向かって跳躍する。

 

 パァン!

 

 背後から聞こえた銃声と同時に、弾が薫の耳朶を掠めた。

 態勢を崩して、着地するなりゴロゴロと地面を転がる。

 

 水路に落ちる前に立ち上がり、ギロリと睨みつけた先…。宝耳の手には短筒がある。

 銃口は真っ直ぐ薫に向けられていた。

 火薬の匂いが辺りに漂う。

 

「……どういう……」

 

 薫は完全に混乱した。

 掠れた声で言いかけて、すぐにハッとなって振り返る。

 

 この隙に鬼達はすかさず逃げていく。

 

「……っ! 待てッ!!」

 

 あわてて追いかけようとして宝耳に背を向けると、今度は背後から呼吸音。

 

 水の呼吸 壱ノ型 水面斬り

 

 薫は振り返ると同時に後ろに飛び退った。

 地面に片足がつくと、すぐに宝耳に向かって跳躍して刀を振るう。

 

 しかし既に宝耳は見切っていた。

 冷静に構えて受け止める。

 

 ガチッと擦りあった刃が火花を散らす。

 

「……どういう……つもりです?」

 

 ギリ、と奥歯を噛みしめて、薫は低い声で尋ねる。

 

「わからんか?」

 

 ビリビリと鍔迫り合いしながら、宝耳は余裕綽々として聞き返す。

 

 宝耳の背中の向こうを鬼達の姿がどんどん遠くなっていく。

 もう、確実にこれで逃げられた。……

 

「鬼を逃すなど……ただですみませんよ」

 

 怒りのあまり薫の声は低く平坦になった。

 しかし宝耳は不気味なほどに上機嫌だった。

 

「そう怒るもんやないでぇ、お嬢さん。十二鬼月でも何でもない、ただの鬼やないか。見逃したかて、お嬢さんの昇進にさほどの影響もないやろ。なんやったら、ワイが生け捕ったと本部には報告しておいたらえぇ」

「ふざけないで下さい! 私は今、確実にあの鬼共を滅殺できたのですよ」

「……でけへんよ」

 

 薄笑いを浮かべたまま言う宝耳の目は、冷たく薫を見ていた。

「ワイが、させへんからな」

 

 薫はその言葉で宝耳があの鬼達を生け捕るつもりではなく、助けたのだと確信した。

 ワナワナと唇が震える。

 

「……裏切るつもりですか?」

「裏切るやなんてそんな……裏切者は風波見(かざはみ)一門の十八番(おはこ)でっしゃろ?」

 

 明らかな揶揄にカッと頭に血が昇る。

 刀を持つ手に力が入ると同時に、膠着したこの状態を回避するために、足で宝耳の脛を蹴りつける。

 

 少々大袈裟なくらいに、宝耳は後ろへと吹っ飛んで尻もちをついた。

 

「痛タタタ」

 

 顔を顰めて、蹴られた脛をさすっていたが、わざと避けなかったのは明白だ。

 

「邪魔立てするなら……容赦はしませんよ」

「容赦しない…ねぇ」

 

 宝耳はよいこらしょ、と立ち上がりながら、またニヤニヤと笑う。

 

「お優しいことや。お嬢さん。ワイが裏切者なんやったら、即座に殺さなあかんのと()ゃいます?」

 

 肩に刀を乗せながら、のんびり言う姿は、本当にいつもと変わらない。

 ただ言っていることだけが異常だ。

 

 薫はゾワリと背筋に悪寒を感じながら、表情には出さず、宝耳に向かって剣先を向ける。

 

「………理由を」

「そら、言えまへんな」

 

 返事を聞くなり、薫は再び宝耳に向けて刀を振り上げる。

 袈裟懸けに振り下ろされた切先を避けた宝耳に、すぐさま横から薙ぐように刀を振る。

 

 ガチリ、と再び宝耳は刀で受けた。

 ビリビリと刃が擦り合って、また場は膠着した。

 

「…いい加減にして下さい。どうしてあなたとやり合う必要があるんです?」

「全くやで。お嬢さんが引いてくれたらえぇのに」

「…………」

 

 薫はギリと歯噛みした。

 

 この余裕。

 薫が全力で刀を押しているのに、宝耳の刀はまったく動かない。

 手加減しているのだ。

 

 しばらく無言で睨みつけて、薫はグイと力を加えてから瞬時に後ろへと跳んだ。

 間合いをとって、刀を構えたまま宝耳に尋ねる。

 

「……鬼に、同情しているのですか?」

「うん?」

 

 宝耳は意外な質問だったのか、首をかしげる。

 

 薫はこれまでの宝耳の言動を逐一思い出す。

 以前から気にかかっていた。

 宝耳のふざけた態度に煙に巻かれていたが、この事態を目の前にすると、疑問が大きく膨らむ。

 

「最初に会った時から違和感がありました。あなたもカナエさんと同じです。鬼を数える時に()として数える。()()()()と。あなたも鬼に対して何かしらの同情…憐憫を持っているのですか?」

 

 宝耳は薫の話を最初、神妙に聞いていたが、問いかけられると、クックッと背を曲げて笑った。

 

「何が可笑(おか)しいんです!?」

 

 薫はムッとして言ったが、宝耳はしばらく笑い続けた。

 

「ほぅか…ワイ、そんなやったか? そら知らんかったなァ……」

 

 つぶやいた宝耳の目が一瞬、懐かしんでいるかのように遠くを見た。

 

 すぐに薫に視線を戻し、フゥとため息をついて刀を鞘に納める。

 

「いやいや。残念やけど、ワイには花柱のような同情は皆無や。単なる人真似でな」

「人真似?」

「せや。随分と前に一緒にいた人がおってな。確かにその人は鬼に同情しとった。数も一人、二人で数えとったんやろ。特に気にもしてなかったけどな……その人の真似しとっただけや。ワイは花柱みたいな憐れみなんぞ一切ないで」

「じゃあ……どうして邪魔をするんですッ!」

 

 苛々して薫が怒鳴ると、宝耳はスゥっと目を細めた

 

「邪魔か? ワイが?」

「………邪魔です」

「せやったら殺すか?」

「…………」

 

 薫は息が荒くなった。

 ゆっくりと迫ってくる宝耳は、妙なことに鬼のように見える。

 

「どないした、お嬢さん? その刀…それでツイと首をついたら、すぐさまワイは死ぬで」

 

 言いながら、宝耳は腰帯から再び短筒を抜き取ると、その筒先を薫の頭に定める。

 

「本当はな…この間合いやったら確実にお嬢さんに分があるんやで。お嬢さんが本気でワイを殺す気やったら、殺せるで?」

 

 楽しげに問いかけてくる宝耳に薫は困惑した。

 隊内での私闘が厳禁であること以上に、元より人殺しなど禁忌である。

 

 まるで首を絞められたかのように、喉が細くなって、声が掠れた。

 

「……あなたは……私を殺すんですか?」

「殺すよ」

 

 何のためらいもなく言い切る宝耳の顔は、いつもと変わりなかった。

 そこに薫を恫喝したり、驚かせようというような、ハッタリはない。

 

 下から睨み上げると、宝耳はまるで言い訳するかのように肩をすくめてみせた。

 

「邪魔やったら殺す。人でも鬼でも。それが赤子やろが(めしい)の老婆やろが関係あらへんわ」

「…あなたは……」

 

 慄然とした薫を見て、宝耳はプッと噴いた。

 途端にそれまでの冷たさを孕んだ嗤いでなく、いつもどおりの剽軽な楽しげな笑いに変わった。

 

「ハハハ…嘘嘘。そんなびっくりせんでも」

 

 宝耳は腰に短筒をしまうと、両手を上げた。

 

「まぁ、お嬢さん。冷静に考えてみなはれ。あの男と女の鬼、妙な感じしまへんか?」

 

 言われて、先程の鬼達の姿を思い浮かべれば、随分と鬼らしくない……何であれば、紅い目以外は夜の雑踏に紛れていれば、鬼とわからぬほどに人の姿のままだ。

 

「姿形もそうやけど、そもそも鬼が二人連れで行動してる…言うのも、おかしいでっしゃろ?」

「それは…そうですが、でもいないこともないです。無論、その場合は利害の一致があるのでしょうが」

「あの鬼達、損得関係みたいな間柄に見えまっか?」

 

 ―――――お逃げ下さい、珠世様!

 ―――――愈史郎!

 

 一匹は鬼を逃がせようとし、一匹は自分を庇う鬼を心配そうに見つめている。

 それはいつも見る利己的な鬼の姿からはかけ離れていた。むしろ、人間同士の情愛としての繋がりを思わせる。

 

 まさか…!

 鬼に、情愛などあるわけがない……。

 

 心の中で否定しながらも、目の前で繰り広げられた場面は、明らかにいつもの鬼とは違っていた。

 

 薫は長く息を吐くと、二つの刀を鞘に納めた。

 

「あぁ、やれやれ。お嬢さんに殺されたらどないしよかと思た」

 

 そんな心配など微塵もしていなかったくせに、ぬけぬけと言う宝耳を薫は厳しく見つめた。

 

「よく言いますよ。それで? あの鬼達に用があったんですか?」

 

 少々苛つきながら尋ねると、宝耳は小馬鹿にしたように肩をすくめる。

 

「ま、少々」

「…いつものように生け捕りにするつもりだったのですか?」

「さて…? あぁ見えて、あの女の鬼はワイの目算やと数百年は生きとるからな。早々簡単に捕まるのやら…」

 

 薫はゴクリと唾を呑んだ。

 

 寿命のない鬼にとって、長く生きれば生きるほどに、その強さは比例する。

 それはそれだけの期間、歴代の鬼殺剣士を退けてきたということでもあり、それだけ長い間、人を喰らって生きてきたということでもあるからだ。

 

「そんな鬼であるなら、柱に助勢を頼むなりすれば…」

「そら無理やな。これは任務やないし」

 

 薫はますます困惑した。

 任務でもないのに、宝耳が行動する理由。

 しかも鬼を助けるようなこととなれば、重大な隊規違反にもなりかねない。

 

「あの鬼、一体何なんです?」

 

 真面目な顔で問いかけてくる薫に、宝耳はしばらく考えてから「ま、えぇか」とつぶやく。

 

「実はな、鬼は鬼でも人助けしてくれてる鬼がおるのは、昔から鬼殺隊の文献にも残っとってな。これは先代のお館様の頃から内々に調査しとることなんや」

「鬼が人助け? ……本当ですか?」

「ホンマ、ホンマ。ただ、この事を知っとるのは少ない。柱ですら知らんやろな」

「柱も、知らない?」

 

 薫は今更ながらに宝耳の正体がわからなくなった。

 

 柱ですらも知らないことを、どうして一介の隊士でしかない宝耳が知っているのか。

 

 勝母の話だと先代のお館様の代から鬼殺隊に勤め始め、どうやらその先代のお館様とは親しい間柄だったようだが……。

 

「宝耳さん、あなた…何者です?」

「ワイは隊士で、隠で、鬼蒐の者でもある。なんでも屋や」

「………お館様直属の?」

「さぁ?」

 

 肝心なところで宝耳は煙に巻く。

 薫は苛々した。

 

「…どうして本部と連携をとらないのです? こんなこと、隊士は混乱します」

「ホンマやなぁ…。まぁ、本部さんもお館様もワイの事はさほどに好いてないし、なかなか協力してくれそうでしてくれへんのよ……ワイが単独でやっとると言えばそうやし、命令といえばそうやし」

「……意味がわからない」

 

 薫はため息をつき頭を振った。

 先程の鬼の毒がまだ残っているのだろうか。頭痛がする。

 

 宝耳は東洋一(とよいち)と同じようにどこか飄々としているが、なぜだかその態度は釈然としない。

 いつも何かひっかかるものを感じさせる。

 だが、理由を尋ねたところで答えてはくれないだろう。

 

「ま、今日のところはお嬢さんのお陰で収穫もあったよって、ワイとしては十分や。ご苦労さんやったな。ほな、お元気で~」

 

 宝耳は憎らしいほど上機嫌に立ち去った。

 

 薫はその後姿をじっと睨みつけていた。

 

 今、無防備な彼を襲って捕縛することは可能だ。

 薫は指令によって鬼を滅殺しようとして、それを邪魔されたのだから、たとえ宝耳がお館様からの密命を受けていたとはいえ、彼を拘束するのを咎められることはないだろう。

 

 ―――――お嬢さんが本気でワイを殺す気やったら、殺せるで?

 

 はなから、薫に殺意がないことをわかっていて挑発していた。 

 

 ―――――邪魔やったら殺す。人でも鬼でも、赤子でも……

 

 あの言葉…嘘ではない。

 鬼に攻撃しようとしていた薫に、躊躇なく銃弾は襲ってきていた。

 少しズレていたら、頭を貫通していたはずだ。

 

 ―――――殺すよ。

 

 今頃になって、どっと背中から汗が噴き出す。

 

 確実に…宝耳は、人を殺したことがある。

 

 ()()()()()()ではなく、ただの、()を。

 

 あの男を少々信用しすぎていた。

 立ち位置も含めて、彼は鬼殺隊において果たして味方と言えるのか……?

 

 夜風が冷たく吹きつけ、一瞬体がよろけた。

 さっきの鬼の毒がまだ残っているのだろうか…。

 頭に靄がかかったようだ。

 

 あの鬼達は…どこに消えたのだろう……?

 

 

 

<つづく>

 





次回は2022.01.15.土曜日の更新予定です。


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