金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第四章 戀慕(一)

 駒吉は小作農家の四男坊で、七つの年には口減らしを理由に、江戸の(かざり)職人の弟子兼丁稚として家を追い出された。

 

 最初の三年は弟子ではなく、ただの使用人だった。

 親方の身の回りの世話を始めとする、家事ばかりをやらされた。

 

 十歳になった時から仕事道具の手入れをさせてもらえるようになったが、基本的に口下手で厳しい親方は、弟子に教えることをしなかった。

 自ら盗み見て覚えろ…と、言う事もない。

 

 それでいて何か間違った事をしたら、容赦なくぶん殴られた。

 それに対して文句を一言でもつぶやけば、もう一発殴られ、反抗的な目で見返せば、腹を蹴り上げられ、その日の食事は与えてもらえない。

 

 それでも誰知ることもない土地で、駒吉に逃げるところなどなかった。

 

 錺職人という仕事は、基本的に手先が器用であることが求められる。

 だが、駒吉は幼い頃に何かの事故に遭ったらしく、左手の人指し指と中指の関節が強張って、十分に曲がらなかった。

 当然、細かい作業は難しい。

 

 それが分かった時点で親方も駒吉を放り出せばよかったのだが、弟子の将来などに全く興味のない人であった為に、駒吉は宙ぶらりんな状態で、一向に職人としては未熟なまま十五の年を迎えていた。

 

 その日も駒吉は親方と、自分よりも遅く入ってきた弟弟子の作った(かんざし)などの髪飾りや煙管などを、商家の裏口で女中など相手に(ひさ)いでいた。

 

「…これは?」

 

 背後から尋ねてこられ、振り返った駒吉はそのまま固まってしまった。

 

 そこに立っていたのは天女だった。

 

 強く吹いた春風が、桜色に色づいて見えた。

 瞬間的に、駒吉は自分の生きてきた人生がこの目の前の天女の為にあると思った。

 

「この蝶々の髪飾りはおいくら?」

 

 ぼんやり立っている駒吉に、天女が親しげに尋ねてきて、ようやくその天女が自分と同じ人間だと気付く。

 

「えっ…えっ、そっ、それですかっ?」

 

 慌てたのは天女のように美しいその少女と話すというだけでなく、少女が手に取っていたのが駒吉の作った不細工な蝶の髪飾りだったからだ。

 

「まぁ、そんなの気味悪いですよ…お嬢様」

 

 周囲にいた女中達は暗に買うのをやめるよう促していたのだが、少女はまったく耳を貸さなかった。

 

「どうして? 綺麗じゃないの」

 

 羅宇(らう)屋から貰った煤けた竹を割って細く裂いた()()に、端切れ屋から貰った売り物にもならない生地で作ったものだった。

 

 少し色褪せた若草色の絽と、桃色の木綿の端切れで作った蝶は、妙に生々しい造形で、たいがいの女は気味が悪いと敬遠した。

 

 行商の合間に自分でちまちまと作っていて、売り物とは別の箱の隅に入れておいたのを、目敏く見つけたらしい。

 

「あ…あの……それは、売り物じゃなくて……」

 

 駒吉がおずおずと言うと、少女は蝶を持ったまま悲しそうな顔になった。

 

「―――あげます」

 

 即座に駒吉は言った。

 彼女に絶対にこんな顔をさせたくない。

 

「あら…そんなの悪いわ」

「いいんです。売り物にならないのに売ったら親方に叱られちまう」

 

 少女はうーんと思案顔になった後、「ちょっと待ってて」と家の中に入っていった。

 駒吉は女中達にジロジロと見られながら所在なく立っていたが、言った通り少女はすぐに戻ってきた。

 

「ハイ、これあげる」

 

 渡されたのは(はまぐり)

 おそらく細工物だろう。縁に所々金箔が残っている。

 在所の寺の娘が威張り散らして見せてくれた貝合せの貝と似ている。

 

「い…いいです。貰っても……使い方わかんねぇし」

「使い方? あぁ」

 

 少女は貝をパカリと開けると、そこには白い軟膏のような物がのっていた。

 

「塗り薬よ。あかぎれにとても効くの」

「あ……」

 

 駒吉はあわてて手を隠した。

 カサカサの、皮も硬くなって、あかぎれだらけの駒吉の手を見られていたと思うと、途端に恥ずかしい。

 

 だが少女は馬鹿にしたわけではないようだった。

 

「こんな繊細なものを作るのだから、あかぎれだらけでは大変でしょう? これを塗って、またもう一個作ってくれないかしら? 妹とお揃いにしたいの」

「えっ? こ…これ?」

「そう。これ」

「…………」

 

 駒吉は困ってしまった。

 竹ひごはあるが、同じ端切れはもうない。元々、捨てるものなので、同じようなものが手に入るかもわからない。

 

 少女は俯いてもじもじしている駒吉を下から覗き込んだ。

 

「もしかして…困ってる?」

 

 目があって、駒吉はハッとなると今度は上を向いて大声で叫んだ。

 

「いッ、いいえ! つ、つ、作ります!」

 

 少女はニッコリ微笑むと、手の平の蝶の髪飾りをそっと結わえた髪に挿した。

 

「似合うかしら?」

「は、はい」

「じゃ、お願いね」

 

 少女は軽やかな足取りで戸口へと向かっていったが、途中で「あ」と振り返る。

 

「忘れてたわ。お名前、なんて言うの?」

「へっ? お、俺ですか…あ、あ、こ…こ…コマ……駒吉です」

 

 しどろもどろで言う駒吉が面白いのか、それとも少女特有の何にでも面白がる年頃なのか、クスクスと笑ってから少女は手を振って言った。

 

「じゃあ、駒吉くん。ありがとうね。待ってるわね」

 

 戸口の中へと消えていってからも、駒吉は呆然として立ち尽くしていた。

 

「……やれやれ……お嬢様も奇特というか…珍しい物好きでいらっしゃるから」

「こんな所にいらして…困っちゃうよ」

 

 女中達は口々に言いながらも、その顔はやさしく笑っていた。

 やはりあのお嬢さんは使用人からも人気があるらしい。

 

「ちょいと、坊や」

 

 女中の一人がいつまでも呆っと突っ立っている駒吉の前でパンと手を打った。

 

「ハッ、はい! 何かご入用ですか?」

「アンタ、あの蝶の髪飾り作ったら持ってくるんだろう? 私はおみねだ。作ったら、ここで私を呼びな。取り次ぐから」

「あ…は、はい」

「忘れられないうちに持ってくんだよ。お嬢さんはちょいとばかし飽きっぽいところがおありだからね」

 

 コクコクと頷いて、駒吉は並べた商品を仕舞うと親方の待つ家へと帰った。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「テメェ……コマ! こんな時間までどこほっつき歩いてやがるッ!!」

 

 怒鳴るなり固い拳骨が飛んでくる。

 駒吉は避けることもなく、それを受けて、土間の隅へと吹っ飛んだ。

 

「しかも(てぇ)して売ってもいねぇ、このクソが! っとに…お前は何の役にも立たねェなァッ!!」

 

 そのまま隅に座り込んだ駒吉の頭も背中も滅茶苦茶に(なぐ)りつけて、最後に腹を蹴飛ばして、親方はペッと唾を吐いて出て行った。

 

 相当機嫌が悪いので、岡場所にでも行くのだろう。

 いつも、ひどく機嫌が悪くなると出ていって、局女郎か夜鷹をつかまえて鬱憤を晴らすのだ。

 

 駒吉は鼻血を袖でこすると、立ち上がった。

 パンパンと着物についた三和土(たたき)の砂をはたいていると、(かまち)に弟弟子の彦三郎が立っている。

 

「どこ行ってたんだよォ……いつもは馴染みさん廻ったらサッサと帰ってくるってのにサァ」

「……ちょっと」

 

 水瓶から水を飲んで口を濯いでから飲み込む。

 血の混じった水は美味しくない。

 

「ね? ね? 俺の売れた? あの桜細工のやつ」

「……うん。一番最初に売れたよ」

「ホントかい? やったね! あれ、自信あったんだァ」

「良かったね」

 

 駒吉が適当に相槌を打つと、彦三郎は少し意地悪な顔になった。

 

「駒吉ッさんだって、もっと上手に出来たらすぐに売れるさァ。絵は上手なんだから、絵師にでもなりゃ良かったのに。親方に紹介でもしてもらったら?」

「………」

 

 彦三郎の言う通り。

 駒吉は手先が不器用ではあったが、絵を描くのは上手かった。

 先程、彦三郎の言った桜細工の簪も、元は駒吉が描いた絵を元に彦三郎が作ったものだ。

 

 それは彦三郎に限らず、親方も時に駒吉の描いた絵を元に簪を作ることがあった。

 もっとも感謝などは無論されず、

 

「テメェ…いくら絵がうまくたってなァ…物が出来なきゃ意味がねぇんだよ。っとに、この半人前が」

 

と、半ば馬鹿にしたように吐き捨てる程度だった。

 

 また、一度だけ彦三郎の言うように絵師の家に紹介してもらえないかと相談したことはあったが、

 

「テメェの絵なんぞ、絵師だったら当たり前に描ける程度のモンだ。テメェなんぞが入ったとこで、ここと同じ、味噌っカスなのは変わらねぇだろうさ」

 

と、すげなく言われただけだった。

 

 駒吉は自分という人間にさほど期待していなかった。

 親方からどやされ、弟弟子からうっすらと馬鹿にされてはいても、もはや受け入れていた。

 自分は不器用で才能がないのだから、仕方ない。

 

 だから駒吉にとって、今日、あの天女のようなお嬢様に自分の作った髪飾りを気に入ってもらえたことは、夢のような出来事だった。

 しかも妹の分も作ってほしいと注文された。

 

 初めて自分の作ったものを認めてもらい、その上、それがあのお嬢様であったことで、駒吉はもう一生分の幸福を使い込んだ気がしていた。

 

 だが、それでも良い。

 今後の人生がすべて不幸になってもいいと思える。

 

 今日も、親方に怒られることもわかっていたのに、道草して端切れ屋の友達を探し回った。

 そのせいで遅くなったのだが、捨てる予定の端切れを数枚貰うことができた上、同じような緑の絽と桃色の生地を手に入れることができたので、もう十分だ。

 

 その夜、駒吉は親方が戻ってくるまでの間、食事もせずに(そもそも親方は罰として夕食抜きだ! と、言い捨てて出て行ったのだが)ひたすらあの蝶の髪飾りを作っていた。

 

 だが、やはり不器用な駒吉は、何度か竹ひごを無理に曲げて折ってしまったり、その折れた竹ひごに布地が引っかかって使い物にならなくなったり、なかなか上手には出来なかった。

 

 夜中に親方が帰ってきて、明かりがついていると文句を言われるので、酔っ払ったダミ声が聞こえてくると同時に灯火を消して煎餅布団に狸寝入りし、親方のうるさい鼾が聞こえてくると、再び作り始めた。

 

 そんなこんなで、ようやく満足のいくものが出来た頃には夜が白み始めていた。

 

 徹夜の真っ赤な目をして、昨日のお屋敷の裏口にやってきた駒吉は軽く失望した。

 

 言われたとおりにおみねを呼び出すと、すぐに出てきてくれたが、駒吉の蝶を受け取るなり、

 

「はいよ。じゃ、お渡ししておくよ。じゃあね」

 

と、さっさと戸口を閉めてしまったのだ。

 

「あ、あ……あ…」

 

 何かを言う暇もない。

 

 駒吉は呆然としてしばらくそこに立っていたが、結局誰もやって来ないので、悄然と立ち去った。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 それきり駒吉は忘れようとしたのだが、気付くとやはり、あの蝶を作っているのだった。

 さすがに同じ端切れはないので、色は青であったり、緑であったり、紫の場合もあったが、すべてはあの天女のようなお嬢様を思い浮かべて作っていった。

 

 三羽作った時に、再びあのお屋敷前にやってきたのだが、おみねを呼ぶことはなかった。

 呼んでもきっと、あのお嬢様が出てきてくれはしないだろうと思ったからだ。

 

 それは表から訪ねたとしても同じだろうと思われた。

 一度、その店の前で突っ立っていると、手代らしき男がやってきて、厳しい顔で追い払われた。

 

 きっとこの家の人々は、本来ならば駒吉のような貧しい身なりの行商人でなく、しっかりとした店の商人からしか物を買わないのであろう。

 

 今ではお得意様を廻った後には、このお屋敷の辺りをうろつきまわってから帰る…というのが、当たり前になってしまった。

 

 会えないほどに、あの天女のような姿が鮮やかに瞼に甦る。

 やさしく響く楽しげな声も、弾んで耳朶をくすぐる。

 

 だんだんと駒吉はもうお嬢様に会えなくてもいい…と考えるようになった。

 あの姿をしっかりと焼き付けて、目を瞑れば何度も会える。

 それだけで自分は幸せなのだ…と、本心から思っていた。

 

 だが、いざ顔を合わせてみれば、そんな幸せは本当に些細なものでしかないと思い知る。

 

「あら…駒吉くん!」

 

 その日もいつも通り常連の御用聞きの後に、お嬢様のいる屋敷周りをウロウロしていると、いきなり声をかけられた。

 すぐに顔を上げた先には、あの日と同じ、天女のような美しいお嬢様がにこやかに微笑んでこちらに向かってくる。

 

「今日も売りに来たの?」

「あ……あ……い、い、いや…」

 

 ようやく会えたのに、駒吉は頭が真っ白になって何も言葉が出てこなかった。

 

 真っ赤になって俯いた駒吉に、お嬢様はヒラリと背を向けて振り返りながら「見て!」と、結わえた髪に挿したあの蝶の髪飾りを見せた。

 

「似合うでしょ? 妹と交換しながら使ってるの」

 

 それはおみねに託した蝶だった。

 同じような色合いで作ったものではあったが、後で渡した方のものは、桃色の生地が木綿でなく、縮緬(ちりめん)の端切れでややぼかしが入っていた。

 

 自分の作った不細工な蝶の髪飾りなど、若いお嬢様はとうに飽きて捨てただろう…そんな諦めもあったので、つけてくれているだけでも駒吉は天にも昇る心地だった。

 

 ボーっとなって立ち尽くしていると、「あら!」とお嬢様はいきなり声を上げる。

 

「手! ちゃんと塗ってる?」

 

 相変わらずあかぎれだらけの駒吉の手を掴んで、少し怒ったようにお嬢様が尋ねてくる。

 しかし駒吉は言われたことより、柔らかい手で掴まれたことに、心臓が飛び出しそうだった。

 

「あっ…あ…あのっ……すんませんッ」

 

 あわてて手を引っ込めて、頭を下げると、キュッと身を縮める。

 

 お嬢様は腰に手をあてて、胸を張らせると、ジッと駒吉を見つめた。

 

「駒吉くん。ちゃんと、あの塗り薬は塗った?」

「あ…あの……もっ、勿体…なくて」

「なにが勿体ないもんですか。なくなったら、貝を持ってきてくれたらすぐに補充するわ」

「い…いや…そんな……すんません」

 

 駒吉はひたすら頭を下げるしかなかった。

 あれは駒吉にとっては大事な大事な宝物だった。

 使うなんてとても出来ない。

 

「やっぱり、ちゃんとお金を払った方がいいかしら?」

 

 お嬢様が思案顔になって言うと、駒吉はブンブンと首を振った。

 

「でも、私も妹もとっても気に入ったのよ。本当はまた作ってもらいたいの…」

「あ……あ……」

 

 駒吉は大慌てで風呂敷に包んであった商品を入れた箱から、小さな巾着を取り出した。

 

「こ……こ、これを…」

 

 その中にはこの数日、お嬢様を思って作り込んだ蝶がいくつも入っていた。

 

「まぁ…」

 

 お嬢様は目を丸くして巾着の中から一つ蝶を取り出すと、赤い夕日の光に翳した。

 薄い紫の生地で作ったその蝶は、お嬢様の手の上でヒラヒラと舞うようだ。

 

「ありがとう!」

 

 本当に嬉しそうな笑顔に、駒吉はおずおずと微笑み返した。

 

 お嬢様はずっと恐縮してばかりだった駒吉が笑うのを見て、またニコリと笑う。

 しかし、巾着を見てうーんと考え込んだ。

 

「こんなにいっぱい作ってもらったのに…何のお礼もないなんて無理だわ。ねぇ、やっぱりお代金を払うわ。大変だったでしょ、作るの」

 

 駒吉はブンブンと首を振った。

 こうして貰ってもらえるだけでも、十分だ。

 

 しかしお嬢様は納得しない。

 

「そういう訳にはいかないわ。貰うばかりで、私も何かお礼したい」

 

 真剣な顔で言われて、駒吉は途方に暮れた。

 自分の作ったものなど、普通は見向きもされない。

 このお嬢様は気に入ってくれたが、本来商品価値はないのだ。

 

 しばらく考えて、思い浮かんだ願いに、駒吉は「あっ」と声を上げた。

 お嬢様が首をかしげる。

 

「どうかした?」

「あ……あ……いや…あの…」

 

 言おうか、言うべきか、逡巡する間に汗が額にふつふつ涌いてくる。

 

 怪訝に見上げてくるお嬢様をチラチラと見ながら、駒吉は真っ赤になりながら勇気を振り絞った。

 

「あ…あの……あの、お名前をっ」

 

 掠れた声で思い切って言うと、お嬢様はしばらく目を丸くして駒吉を見ていた。

 

 途端に駒吉は凄まじく恥ずかしい気持ちになった。

 

「すっ、すんませんッ! お嬢様にこんなこと聞いて…すんませんッ」

 

 頭を下げて、あわてて風呂敷を担いで立ち去ろうとした駒吉に、やさしい声が聞こえた。

 

「カナエよ。胡蝶カナエ…っていうの」

 

 

 

<つづく>

 




次回は2022.01.29.土曜日の更新予定です。



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