【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第四章 戀慕(三)

 鎹鴉の先導でやって来たのは、誰知ることもない打ち棄てられた神社だった。

 

 おそらく昔はもっと整然と管理されていたのだろうが、いつしか参拝者もおらず、周囲を囲った生け垣も崩れ、伐採されることもない伸び放題の木々で鬱蒼としている。

 

「花柱様も気をつけて下さい。今まで四人の隊士が行きましたが、朝になって見に行ったら、()られてました。それも、まるで体の中の血と肉だけを吸い尽くしたみたいに…骨と皮だけの干からびた状態になっていたんです。おそらく血鬼術だと思われますが…」

 

 その隊士達の遺体処理をした隠から話を聞いた胡蝶カナエは眉を寄せる。

 

 あまりに無残に殺された罪ない人々の死を見聞きすると、鬼ともわかり合えるはず…という自分の考えに自信がなくなる。

 だが、そうした残酷な行為をやめさせるためにこそ、自分は剣をとったのだ…と、再び自らに奮い立たせて、カナエは一歩石段を昇る。

 

「胡蝶」

 

 突然、背後から呼びかけられてカナエは驚いて振り向いた。

 気配なく近づいてきたことに警戒しながらも、それが岩柱の悲鳴嶼行冥だとわかると、カナエはホッとした笑みを浮かべた。

 

「悲鳴嶼さん」

「……任務か?」

 

 悲鳴嶼はチラリと上を向く。

 あるいは瞳の見えない悲鳴嶼は、カナエよりももっと鋭敏にこの神社から漂う鬼の気配を感じ取っているのかも知れない。

 

「はい。悲鳴嶼さんもですか?」

「私はもう終わった…」

 

 日が暮れてから一時間ほど経った程度だったが、鬼が早くに見つかったのだろう。

 悲鳴嶼は鬼と対峙すれば瞬殺するので、任務といってもそのほとんどの時間は鬼の探索に充てられるのだ。

 

「流石ですね」

 

 カナエはニコッと笑って言ったが、悲鳴嶼はその男であればほぼ蕩けてしまいそうな笑顔を見ることもなく、夜となって愈々恐ろしげに黒い影を落とす鬱蒼とした木々を見上げていた。

 

「私も行こう…」

 

 ボソリと言って、石段を登り始める。

 

「えっ?」

 

 カナエは驚いて、あわてて悲鳴嶼の後ろについていく。

 

「大丈夫ですよ、悲鳴嶼さん! 帰ってのんびり夕食でも取ってください」

「夕方に食べたから要らん」

 

 つっけんどんに答えて、悲鳴嶼は振り返りもせずズンズンと登っていく。

 

 カナエはあえてわかるようにため息をついてみせたが、それでも悲鳴嶼は歩みを止めなかった。

 

「心配性ですねぇ」

 

 あきれながら、カナエも石段を上っていく。

 

 実のところ、悲鳴嶼がカナエの任務に助太刀するのはこれが初めてではない。

 おそらくカナエ達姉妹の身元引受人を自認しているのか、何かにつけ気にかけてくれるのだ。

 

 いや、カナエに関しては特に心配させる理由があった。

 

 ―――――鬼を救いたい…

 

 鬼が元は人であったという話を聞いたカナエは、そんなことを悲鳴嶼に語ったことがあった。

 悲鳴嶼はカナエのその想いを甘い同情だとして、油断を招くのではないかと心配しているのだ。

 

 今になってカナエは真面目な悲鳴嶼には言わない方が良かったかなぁ…と少しばかり後悔している。

 花柱になって随分と経つのに、未だに子供のように扱われて、少々くすぐったい。

 

 いずれにしろ、こうなってしまうと頑固な悲鳴嶼を説得するのは骨が折れるので、諦めて助太刀をお願いすることにしよう。

 

「…異能の鬼のようです。殺された隊士達は骨と皮だけになって、干からびた状態であったと…」

 

 無言で頷き、悲鳴嶼は静まり返った境内を歩いていく。

 

 すっかり朽ち果てて、屋根が半分落ちた社の前に来た時に、フワリと飛んできたのは仄かに光を帯びた白い蝶。

 

 カナエはすぐさま刀の鯉口を切った。

 悲鳴嶼は溜めることもなく呼吸の技を放つ。

 

 岩の呼吸 壱ノ型 蛇紋岩・双極

 

 鉄球と斧がその重さからは考えられない早さで回転しながら、社の屋根にゆらりと揺れた影を攻撃する。

 だが、手応えはなかった。

 ザアアァ…と白く光る鱗粉をまとった無数の蝶が空へと舞う。

 

 社の側にそびえ立つ楠の枝の上で、残念そうにつぶやく声がした。

 

「あぁ…俺の蝶が……可愛い蝶々が殺されたよ……」

 

 その小さな声ですらも、悲鳴嶼には十分だった。

 すぐさま鉄球が唸って、声のした方に飛んでいく。

 

 枝だけがドサリと落ちた。

 

 姿はないが、気配はある。

 

 カナエも悲鳴嶼同様に静かに呼吸をしながら、鬼の所在を探った。

 

 だが、緊張した糸の間をかいくぐるかのように、また白い蝶がフワリフワリと飛んでくる。

 その蝶に目がいった次の瞬間に、目の前に立っていたのは少女だった。

 

 少女は後ろを向いていた。

 長い黒髪が揺れている。

 朱色地に菊や鞠が染め抜かれた艶やかな友禅の振り袖。

 

 カナエは奇妙な感覚にとらわれた。

 その着物に既視感がある…。

 

 混乱するカナエに悲鳴嶼の怒声が飛んだ。

 

「胡蝶! 放念している暇はないぞ!」

 

 叫ぶなり悲鳴嶼は少女に向かって鉄斧を振り下ろした。

 ザックリと身が裂けるはずの攻撃だったが、少女の姿はいくつもの蝶となって散っただけだった。

 

「クッ……幻か…」

 

 白く仄かな光を帯びた蝶はふわふわと頼りなく飛びながら、悲鳴嶼とカナエを嘲笑っているかのようだった。

 二人が油断なく構えながら様子を見ていると、蝶達は一つにまとまっていく。

 やがて人型となって、二人の目の前に現れたのは先程の少女―――

 

「なっ…!」

 

 カナエは思わず後ずさった。

 

 目の前に懐かしい姿の自分(カナエ)が立っていた。

 柔らかい笑みを浮かべて、手を差し伸べてくる。

 

「……どうした、胡蝶?」

 

 カナエの動揺に、行冥は眉を寄せた。

 

 カナエは目の前に立つ自分を凝視しながら、深呼吸をして気を落ち着けた。

 

「人型を取りました。なぜか、私の姿で」

「………撹乱させる気かもしれぬ。油断するな」

「はい」

 

 言うなりカナエは跳躍する。

 自分の人型に向かって技を放つ。

 

 花の呼吸 伍ノ型 徒の芍薬

 

 同時に行冥も技を叩き込む。

 

 岩の呼吸 弐ノ型 天面砕き

 

 人型はあっさりと崩れた。

 いくつかの蝶は逃れてまたヒラヒラと飛び回ったが、ほとんどの蝶はつぶれて落ちていた。

 

 カナエはその蝶をどこかで見た気がして、そっと手に取る。

 黒い竹ひごで作られた骨に、色紙を張り合わせた作り物の蝶。

 

 無意識に…髪に留めた蝶の髪飾りに手が伸びる。

 

「……やっと会えた」

 

 そっと囁く声が、カナエの耳朶を震わせた。

 

 まったく気配を感じなかった。

 いつの間にか、その鬼はカナエの後ろに立っていた。

 

 髪飾りを触ろうとした手をそっと掴まれる。

 

「……良かった、会えて。……待ってたよ」

 

 その言葉を聞いて、カナエは一気に戦慄した。

 引き攣った顔でゆっくりと振り返る。

 

 カナエと同じ年頃くらいの少年だ。

 

 灰白の顔に揚羽蝶のような紋様。

 光る鱗粉を纏った薄い水色の髪。

 長い前髪の間から突き出た白い角は、他の鬼に比べるとまるで象牙のように美しかった。

 

 殺気はない。

 むしろ親しげに紅い目を細めてカナエを見ていた。

 

 その片方の目には下・肆の文字。

 十二鬼月とわかり、体が固まる。

 

「………誰?」

 

 問いかけると、途端に鬼の顔に失望が浮かんだ。

 あまりに人間くさいその表情に、カナエはますます訳がわからなくなった。

 

「胡蝶!」

 

 悲鳴嶼が叫ぶが、あまりにカナエと鬼との距離が近すぎて手が出せない。

 

「引きずられるな!」

 

 あるいは悲鳴嶼はカナエが鬼の幻惑か何かに嵌まり込んでいると勘違いしたのかもしれない。

 

 だが、そうではなかった。

 

 優しげに笑う鬼は、カナエに()()()()()()()()()

 掴んでいた手も、そっと離す。

 

「……おいで」

 

 少年が中空に腕を伸ばすと、まるで羽のように少年の背から白い蝶が無数に現れる。

 

 ザアアァ…と三人をまた取り囲むように飛んだ後、一つの塊になった。

 それは人よりもはるかに大きな蝶だった。

 口のあたりから白い管が出てきたかと思うと、悲鳴嶼の首に向かって鋭く伸びてくる。

 

「クッ!」

 

 すぐさま悲鳴嶼はその管を斧で断ち切ったが、それはまた小さな蝶へと姿を変えた。

 再び悲鳴嶼は技を放って、その巨大な蝶を散らしたが、またいくつかの蝶が地面の上につぶれて落ちただけだった。

 

 攻撃を受けるたびに散っては、何度も再生して執拗に襲ってくるので、悲鳴嶼はカナエの側にいる鬼の首がとれなかった。

 この巨大蝶を無視して鬼に向かえば、あの白い管が首であれ足であれ、吸い付く。

 そうなれば、殺された隊士達のように、体内の血肉を吸い取られるだろう。

 

「胡蝶! その鬼の首をとれ!」

 

 悲鳴嶼の声に、カナエはハッと我に返った。

 

 鬼から飛び退って間合いをとる。

 刀を構え、呼吸をしながら問う。

 

「あなたは…私を知ってるの?」

「………」

 

 鬼は答えず、笑った。

 

「あのひとの言った通りだ」

「あのひと?」

「あのひとは俺のことなど覚えてないだろう…って言ったんだ。でも、それでもいいって俺は言った。あのひとは約束を守ってくれた。俺は鬼になれた。やっと、あなたに会えた」

 

 その言葉を聞いたとき、カナエは慄然として動けなくなった。

 

 体の中心は凍りつき、血液は一気に沸騰したかのように熱い。

 

「……誰なの?」

 

 震える声で尋ねても、鬼は答えなかった。

 ただ沁み入るような柔らかな笑顔を浮かべるだけだ。

 

「この蝶達は、特別だよ」

 

 鬼がそう言って両手を広げると、そこから現れたのは色とりどりの美しい揚羽蝶だった。

 青、赤、紫、橙、緑、黄色……それらの蝶は白い蝶と同じように、ほのかに光る鱗粉を帯びて、幻想的に闇の中を浮遊した。

 

 不意に。

 

 シャンシャンと、どこからか鈴のような音が聞こえてくる。

 風が心地良いほどに軽く耳元を吹き抜ける。

 暗闇に紅い木が逆立ちして浮いている。

 

 ザ、ザ、ザと頭上から音がして見れば、彩り豊かな布が幾重にもたなびいている。

 いや、よく見ればそれは大量の蝶の群れだ。

 

 紅い木の枝に凭れかかって、少年が唄っている。

 

 

 僕の蝶々。

 僕の蝶々。

 君のために作った蝶々。

 ヒラヒラと舞って。

 君の髪にとまるよ。

 ヒラヒラと踊って。

 君の指の先にとまるよ。

 喜ぶならいくらでも。

 僕の蝶々。

 君のためにたくさん。

 君のためにたくさん。

 僕の蝶々。

 君が笑うから。

 僕の蝶々。

 ぜんぶあげる。

 僕の蝶々。

 君のための蝶々……

 

 

 カナエはその時、わかっていた。

 これは幻覚だと。

 

 おそらく、蝶が撒き散らす鱗粉に幻惑作用のある毒が仕込まれているのだろう。

 いっそそれを受け入れてしまいたいくらい、その蝶達の舞は美しかった。

 

 だが―――カナエは息を吐ききると技を放つ。

 

 花の呼吸 弐ノ型 御影梅

 

 自らを中心とした斬撃によって、蝶の舞はあっけなく終わった。

 バタバタと落ちた蝶は、本物ではない。作り物の蝶だった。

 

 だが、わずかに攻撃を逃れた蝶が、カナエの肩に、耳に、手にとまる。

 途端に力が抜けていく。

 血を吸い取られているのだろう。

 

「さぁ…早く」

 

 鬼がつぶやきながら、手を広げてカナエを誘う。

 

 また無数の蝶が飛ぶ。

 

 悲鳴嶼が相手していた巨大な蝶も散って、一気に悲鳴嶼に襲いかかる。

 

 岩の呼吸 参ノ型 岩躯の膚

 

 鉄球と斧が悲鳴嶼の周囲で凄まじい勢いで旋回する。

 蝶達はみるみる弾き飛ばされたが、それでもわずかな隙間からヒラリと入り込む蝶がある。

 

「ウグッ!」

 

 悲鳴嶼のうめき声が聞こえた。

 

 このままでは自分も、悲鳴嶼も、死んだ隊士達と同じように干からびてしまう……。

 

 カナエは迷いを捨てるしかなかった。

 この鬼の正体が何であれ、鬼である以上、攻撃してくる以上、もはや選ぶべきは一つしかない。

 

「…く…ッ…う…」

 

 カナエは歯軋りすると、呼吸を深めて渾身の力で刀を振るった。

 

 花の呼吸 壱ノ型 椿ノ火影

 

 鬼は避けなかった。

 首が落ちても、その顔は微笑んでいた。

 

 カナエの耳に止まっていた紫の蝶は、ただの作り物に戻り、ほたりと地面に落ちた。

 

「……嬉しい…よ……」

 

 鬼がつぶやく。

 

 カナエはまだ息が上がっていた。

 いや、むしろ死にゆくその鬼の姿を見てこそ、心臓が早鐘を打つ。

 

 肩を上下させながら、カナエは鬼を凝視していた。

 

「俺の…つけて…くれ…てる。……う…れ…しい…」

「あ……」

 

 カナエは鬼の首の前に座り込んだ。

 

 ようやく思い至ったのだ。

 この鬼が、カナエのつけている蝶の髪飾りを作ってくれた少年だと。

 

 だが、そうとわかっても、カナエの記憶の中で、少年の顔は朧で、名前も思い出せない。

 

「お願い…教えて…」

 

 カナエは頼んだが、かすかな声は震えて、死にゆく鬼に聞こえなかった。

 

「……全部、あげる……俺の作ったの…ぜんぶ……」

 

 ゆっくりと澄んでいく紅い目は陶然としてカナエを映す。

 

「待って! お願い……教えて!」

 

 カナエの叫びは届かなかった。

 

 目が消え、口が消え、声をなくす、最期まで幸せそうに笑って…その鬼は塵と消えた。

 

 

<つづく>

 

 





次回は2022.02.12.土曜日の更新予定です。

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