【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第四章 戀慕(四)

 …………

 

 

 ……僕の蝶々。

 君のためにたくさん。

 君のためにたくさん。

 僕の蝶々。

 君が笑うから。

 僕の蝶々。

 ぜんぶあげる。

 僕の蝶々。

 君のための蝶々……

 

 …………

 

 夢でも、現実でも、闇の中に立つと聞こえてくる歌。

 

 彼にとっては祈り。カナエにとっては呪い。

 

 ―――――……やっと会えた

 

 そう言われても、カナエには彼が一体誰なのかまったくわからなかった。

 

 最期まで、彼は名前を教えてくれなかった。

 顔もおそらく人間の頃とは変わり果ててしまっているのだろう。

 

 灰白となった顔の、蝶のような紋様も、光る鱗粉を纏った薄い水色の髪も、カナエの思い出の中に眠る人物の姿を思い起こさせてはくれない。

 

 微かに見覚えがあるのは、沁み入るように笑った…優しそうな目だけ。

 

「…………」

 

 小さい頃から誰からも好かれやすい性格ではあったと思う。

 人見知りが少なくて、誰に抱っこされてもニコニコ笑っている赤ん坊だった…と母は言っていた。

 だから、誰もに愛してもらえることに、カナエは苦痛を感じたことはなかった。

 

 けれど今は―――…

 

 鏡に映る自分を暗澹とした気持ちで見つめる。

 

 女として美しいと言われることも、可愛いと褒めそやされることも、素直に嬉しかったのに……今はどうしてこんなに苦しくて、辛くて、怖いのだろう…? 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 いつかは…鬼とわかり合える日がくるかもしれない……。

 

 それは鬼が元は人間であったと聞いた時から、カナエに芽生えた希望だった。

 元は人間であったものに心が通じない訳がない。どこかに方法はあるはず…。

 

 だが、鬼殺隊にあってそんな事を言えば、信じられないように皆見てくる。

 

 カナエ達を助けた悲鳴嶼も、到底理解できない様子だった。

 教えてくれた隠も、そんな考えは危険だと言った。

 カナエはこの鬼殺隊という組織の中において、自分の考えは言わない方がいいのだと思って口を噤んだ。

 

 悲鳴嶼の紹介で、初めて育手である勝母に会った時に、なぜ剣士になりたいのか聞かれ、カナエは最初、鬼に親を殺された復讐なのだと答えた。

 それは嘘ではない。

 

 だが、そんな境遇の人間は鬼殺隊には珍しくない。

 勝母はその理由に同情はしなかった。

 

「親の為を思うなら、鬼に復讐など考えずに、自分が幸せになれる道を考えることだ。それはここにはないよ」

 

 後になればそれは弟子志願者は皆、言われることで、カナエ達にも同じことを言ったのだとわかったのだが、その時のカナエはここで勝母に見放されれれば、もう自分にもしのぶにも機会がなくなるのだと必死だった。

 思わず押し籠めていたその願いが口を衝いて出た。

 

「私は……鬼を、救いたい! ………です」

 

 一瞬、静まり返った後、騒然となった。

 その場にいた他の弟子達は呆然となった後、口々ににカナエを(なじ)った。

 

 姉弟子の律歌(りっか)はあまりに興奮した弟子達をなだめたものの、やはりカナエの言う事は理解できないようだった。

 

 だが、勝母は鷹揚に笑った。

 

「大言壮語だね。言うからには、救ってご覧」

 

 初めてだった。

 カナエのその希望(のぞみ)をまともに認めて、聞いてくれた人は。

 

 しかし程なくしてカナエは勝母の言葉の意味を悟った。

 弟子として勝母の元で修練する事は、生半可な覚悟では出来ない。

 

 一つ課題をこなせば、それ以上の事が次々と要求される。

 自分の限界まで体を痛めて、もう無理だと諦めかけると、自分の言葉と共に、勝母の隻眼が問うてくる。

 

 お前にとって、鬼を救う覚悟はその程度か…? と。

 

 勝母に与えられた修練をこなしていく内に、いつの間にかあの時カナエを詰っていた弟子達は姿を消した。

 皆、厳しい修行に耐えられなかったからだ。

 

 カナエが最終選別から帰った日、勝母はよくやったと褒めてから、自分の話をしてくれた。

 

 自分が幼い頃、母親と赤ん坊だった弟を鬼に喰われたこと。

 自分を助けた元花柱であった祖母が、その鬼によって殺されたこと。

 その鬼を殺す為に自分は叔母からの血反吐をはくような修練にも耐え、鬼殺隊に入り、ひたすらその鬼を殺す為に強くなる事を望んだのだと。

 

 だが、ようやくその鬼と対峙して首を取った時、訪れたのは絶望と空虚だった……。

 

「私は本当はその鬼を殺したくなかった。だってその鬼は私の父親だったのだから」

 

 勝母は遠い昔のその事を語りながら、組み合わせた手を握りしめていた。

 

「あんたが鬼を救いたいのだと…元は人であったのだから、わかり合える…と言った時に、驚いたよ。そんな考えもあったのだと…」

 

 勝母は寂しそうに笑った。

 

「私には…父上を救うことは出来なかった。そんな考えは思い浮かぶこともなかった。だが、あんたは違うのだろう。鬼に親を殺されても尚、その優しさを持ちながら、強さを備えれば、或いはあんたの願いは叶うかもしれない…」

 

 そう言った勝母の一つしかない目は、カナエを優しく包んでいた。

 自分の言う事を馬鹿にすることもなく、否定する事もなく、勝母は純粋に信じてくれていたのだ。

 おそらくそれは勝母にとっても、自身で叶えることのできなかった望みだったのかもしれない。

 

 けれど……自分はどこまで勝母の苦しみを理解できていたのだろう……。

 

 こんなにも…ただ知り合いであっただろう鬼を斬って捨てた……それだけでも、こんなに苦しいのに。

 

 たとえ鬼とはいえ親を殺さねばならなかった勝母の絶望がどれほどであったのか、本当に自分は理解できていたのだろうか?

 

 ―――――僕は鬼になれた。やっと、あなたに会えた……

 

 彼は…カナエに会うために鬼になった。

 彼の顔も、名前も思い出せない薄情な女のために、鬼になった。

 

 鬼となった運命から切り離してあげたくて、二度とその不幸な人生を送ることのないように願って、剣を振るう。

 それはカナエなりの正義であった。

 鬼殺の剣士となった理由でもあった。

 

 けれど、あの鬼はそのカナエの矜持を微塵に砕いた。

 

 彼が巨大で強かったからではない。

 彼が優しいままに鬼となって、カナエに討たれるために攻撃してきたのだとわかったからだ。

 

 やさしい、狂気に満ちた鬼。

 

 彼を鬼にしたのはカナエだ。

 

 そんな自分が、一体どうやって鬼を救うというのか……。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「私、わかってなかったかもしれないわ…」

 

 カナエはつぶやいた。

 隣で薬草を採っていた薫が首を傾げる。

 

「何がですか?」

 

 カナエはしばらく風の中に立って黙り込んでいた。

 

「鬼を助けること…誰かを好きになることも……」

「カナエさん?」

 

 聞き返した薫の首には小さな巾着がぶら下がっていた。

 中には粂野から貰ったという琥珀の数珠が入っている。

 

 死んでしまった粂野匡近への愛情を認めるまで、薫が苦しみ悩んでいるのを、カナエは不思議に思っていた。

 人を好きになる事は素晴らしいことだし、幸せなことだとばかり思っていたから。

 カナエにとっての男女間の愛情というものの象徴は、両親だった。柔らかく互いを包み込む穏やかな愛の形だった。

 

 だが、それは一つの形態でしかない。

 

 暗い表情で黙り込むカナエに薫は何を思ったのか、いきなり謝ってきた。

 

「あ…あの、カナエさん。すみません。色々と心配をかけてしまって…」

「どうして薫が謝るの?」

「……私は、その、()()()()()が昔から苦手というか、疑ってしまうところがあるから…」

「疑ってしまう…って?」

 

 薫は逡巡してから、訥々と語った。

 

「私の本当の父母は駆け落ちしたんです。それで私が生まれましたが、父は生まれてすぐに亡くなったそうです。その後、母は苦労して私を育ててくれましたが、病に(かか)って、最後には自殺しました。二人とも幸せだとは思えなかった。周囲(まわり)にも迷惑をかけて、二人だけの幸福を追い求めた先で……結局は二人とも……潰れてしまったんです…」

 

 カナエはようやく薫がああまで頑なな理由がわかった。

 単純に真面目な性格というだけのことではなかったのだ。

 

 自分の父母が燃え上がった恋の熱にうかされて、人の道に外れた行為を行った事だけでなく、結局は不幸に終わってしまった事が、薫に恋愛という、本当なら甘美で心浮き立つものを忌避させたのだろう。

 

 だが、カナエもまた今は誰かを好きになることが、ただ甘いだけのものでないとわかっている。

 それが時に人を狂わせるほどに獰猛で真摯な熱だと。

 

 怖い…。

 

 鬼になることを望むほどにカナエを求めた彼の気持ちが怖い…。

 自分は一体どうすれば彼を救えたのだろう…?

 名前も、顔すらも思い出せない彼を。

 

 沈み込むカナエを元気づけようと、薫は微笑みを浮かべて励ましてくれる。

 

「カナエさんは…気にしないで下さい。カナエさんはお優しいし、綺麗なんですから、悩む必要なんてありません。皆、カナエさんの幸せを祈ってますから…」

「…………」

 

 まるで、呪詛のようだ。

 

 薫の言葉が嫌味でなく、純粋であるほどに、カナエに重くのしかかる。

 まるで、彼に言われたかのように…。

 

 ―――――全部、あげる……

 

 言葉通りに、彼はカナエに全てを捧げた。

 

 人としての生も、命も。

 

 決して受け入れられない狂気のような思慕が、ただ重い枷となってカナエを縛る。

 

 怖い…。

 

 どうして、そんなにまでして彼はカナエに会いたかったのだろう?

 名前も顔も忘れているような女に、なぜ…?

 

 カナエは彼の気持ちを考えたくなかった。

 それは深く底の見えない沼にゆっくりとはまっていくような不安しかない。

 

 苦しい…。

 

 こんな気持ちが自分にあるなど、誰も知らない。

 暗くて寂しくて怖いと惑い泣いているのに、誰も知らないのだ……。

 

 一人…闇の中、震えていると蝶が舞う。

 心配ないよ、と勇気づけるかのように舞う。

 

 それすら恐怖なのに。

 

 朝になって目覚めれば、枕元に置いた、彼の作ってくれた蝶の髪飾りを陰鬱に見つめる。

 

 髪を梳り、今日も挿す。

 

 眩い朝の光の中で、カナエはまだ鬼を救いたいのだと…自分にそれができるのだと、信じていたかった。………

 

 

 

 

<つづく>

 





次回は2022.02.19.土曜日の更新予定です。

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