【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖>   作:水奈川葵

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第四章 戀慕(六)

 花柱・胡蝶カナエの死を、薫は久しぶりに訪れていた大坂の道場で聞いた。

 

 通常、柱の死は一般隊士にまで伝達されない。

 教えてもらえるのは、現柱達と死者の家族、それに育手だけだ。

 

 それでも隠などから非公式に隊士達は教えてもらい、それを口々に伝え合い、案外と全体に共有されることに時間はかからない。

 

「……花柱様が殺られるとは……」

「上弦だったらしい」

「どれだけ強い鬼がいるんだ……」

 

 たおやかな外見を大いに裏切るカナエの剣の実力は、隊内でも知れ渡っていた。

 

 あの花柱でさえも討てない鬼。

 十二鬼月。上弦。

 その強さは未知数で、得体が知れない。

 

 ただただ、本能的な命の危機を感じて、多くの隊士はゾッとするばかりだ。

 

「……薫ちゃん、大丈夫?」

 

 秋子がおずおずと尋ねてくる。

 薫の顔は蒼白になっていた。

 

「………あ、はい?」

 

 しばらくして、薫は自分をのぞきこむ秋子の視線に気付く。

 

「すみません。何か…言いましたか?」

「………花柱様と仲良かったんやろ?」

「えぇ。色々と……気遣って頂いて……」

 

 言いかけて薫は拳をギュッと握りしめ、唇を噛みしめた。

 秋子はすぐに薫が泣きたいのを我慢しているのがわかった。

 

 不死川実弥の言っていたことを思い出す。

 

 ―――――あいつは、一人でいる方がいい…

 

 薫が一人でないと泣けないのだと、言っていた。

 

 秋子は少しだけ寂しかった。

 自分は友達と思っているが、薫にはまだそんな遠慮があるのだろうか。 

 

 ここのところ、薫の任務はほとんど関東になっていた。

 今回も関西で戦闘不能になる隊士が大勢出たために、急遽、応援という形で戻ってきたのだが、明日には再び東京の方へと戻る予定だった。

 

「最終の汽車には間に合うんとちゃう?」

 

 秋子が言うと、薫はペコリと頭を下げた。

 

「すみません。一緒に稽古しようと言っていたのに」

「えぇよ。ウチはまだ一応、療養中やし。まぁ、他に残念がる奴はようけおるやろうけど…」

 

 わざと大声で言ったのは、何気なくこちらに聞き耳をたてている男隊士共に聞かせるためだ。

 

「ほな、気ィつけて。また今度な…」

 

 秋子は何気なく言った。

 花柱に限らず、むしろ末端の隊士であれば尚の事、いつどうなるのかはわからない職業なので、約束はできない。

 

 だが、とりあえず今回薫に再会できたことは素直に嬉しかったし、また会いたいと思っている気持ちだけでも伝えたかった。

 薫もわかってか、ニコリと笑って手を振りながら言った。

 

「えぇ。また」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 薫が東京に着いた頃には、日はとっぷり暮れていた。

 チラと上空を飛ぶ鎹鴉の祐喜之介(ゆきのすけ)を見たのは、あるいは任務が入っていないかと思ったからだ。

 だが、祐喜之介はゆっくり旋回しつつ飛ぶだけで、こちらに降りてくる様子はなかった。

 

 薫はすぐさま駆け始める。

 

 蝶屋敷にたどり着いた時には、夜半に近かった。

 締め切られた門の上には忌中札があり、当然ながらシンと静まり返っている。

 

 蝶屋敷は隊士達の療養所という役割もあるため、基本的にはいつでも入ることは可能だ。

 しかし、夜中に危急の要件でもないのに、家人を叩き起こすのは申し訳ない。

 

 朝一番に誰かが門を開けるまで待っていよう…。

 

 薫は門の横にうずくまると、しばらく月夜に照らされた道を見ていた。

 

 今しも、あそこからカナエが帰ってくるような気がする。

 だが、それは有り得ない。

 

 カナエが上弦に殺られたという情報は、噂というにはあまりにも具体的すぎた。

 早朝に横たわっているのを、妹のしのぶに発見されたのだという。

 

 事切れる前に、その上弦についての詳しい情報を伝えて逝ったらしい。

 最期までカナエは冷静だったのだろう。……

 

 薫はギュッと自分を抱きしめるように座り込みながら、夜空に浮かぶ月を見た。

 我知らずツゥーと涙が一筋こぼれ落ちた時、夜道をこちらに歩いてくる人影に気付いた。

 足早に跳ねるように歩いてくる。

 薫はさっと涙を拭い、ゆっくりと立ち上がった。

 

 ずっと俯いて歩いていたその人は、前方にゆらりと動いた人影に気付いたのだろう。ビクリと一瞬立ち止まってから、薫と知ると、小走りに走り寄る。

 

「……森野辺さん?」

 

 近寄ってきた顔を見て、そのカナエに似た面差しに、また薫の涙腺は熱くなった。

 だが、喉奥にこみあげるものを押し籠めて頭を下げた。

 

「……この度のこと、誠にご愁傷様です」

 

 言われて胡蝶しのぶはキュッと唇を引き結ぶ。

 

「わざわざ…来て下さったのですか?」

「すみません。朝までここで待つつもりだったのですが…」

「雪解けしたとはいえ…まだ寒いですよ。凍死は免れても、凍傷にでもなって刀が握れなくなったらどうするつもりです」

 

 しのぶが厳しい口調で言うと、薫は「すみません」と小さな声で謝る。

 それを聞くと、しのぶは途端に気まずいような表情になって、視線を逸らせた。

 くるりと薫に背を向け、はーっと長い溜息をついている。

 

「しのぶさん? どうかされましたか?」

 

 薫が首をかしげると、しのぶはにこやかな笑みを浮かべて振り返った。

 

「いえ。失礼しました。どうぞ…」

 

 戸を開けて招き入れられ、薫はおずおずと中に入る。

 前にここでしばらく厄介になっていた頃と何ら変わりはないのだが、それでもあの頃咲いていた菊の花もなく、冬枯れの景色はどこか寂しく思える。

 

 仏間に通され、仏壇の前に座る。

 薫は真新しい位牌を見て、眉を寄せた。

 

「……しばらくは、京の方に行かれていたようですね」

 

 しのぶは薫が長く黙祷している間にお茶を用意してくれていた。

 

「えぇ。でも、補充が整ったようなので、こちらに戻るように言われました」

「そうですか…その後、体はどうですか?」

「……大丈夫です」

 

 しのぶが尋ねたのは、ここのところ薫の体調が悪くなることが頻繁であったせいだろう。

 

 やたらと風邪をひきやすくなり、発熱する。

 時には何も喉を通らぬほどに、吐き気が続く。

 陽気のいい日に少しばかり走っただけで意識を失うこともあった。

 

 おそらくは東洋一と匡近を立て続けに亡くして、精神的に辛かったのもあるだろうし、任務で戦った鬼の毒による後遺症なのかもしれない。

 

 近頃では任務から外されることも多くなっている。

 薫としては早く万全の状態に戻したいとは思うのだが、はっきりした原因はわからなかった。

 

「よかったです。姉さんも心配していたので…」

 

 そう言うしのぶの浮かべる微笑みが、薫にはひどく痛々しく見える。

 

「……しのぶさんは、大丈夫ですか?」

「え?」

「カナエさんを亡くされて、しのぶさんが辛くない訳がないですから……」

「…………」

 

 しのぶはすっと目を伏せ、押し黙った。

 薫はお茶を一口含んでから、ふとカナエに言われたことを思い出した。

 

 ―――――泣きたいのなら、泣きなさい。そんな顔をしていては駄目よ。

 

 あの時、自分がどんな顔をしていたのかはわからない。

 でも、今しのぶを見ているとカナエの言う意味がわかる気がする。

 

「…昔、カナエさんに言われました。泣きたいなら、泣きなさい…って。無理して涙を押し籠めると………胸が痛くなります」

 

 しのぶは俯いたまま、唇を噛み締めた。

 口の端に皮肉めいた笑みが浮かぶ。

 

「……やっぱり、あなたを前にすると無理なのかしら」

「しのぶさん?」

「決めたのに……姉さんみたいになろうって…決めたのに」

 

 くしゃりと前髪を掴む手と、語尾が震えていた。

 ポタ、と一粒だけ落ちた涙が、黒い隊服に染みる。

 

 薫は迷った。

 きっとカナエなら、今のしのぶをそっと抱き寄せたに違いなかった。

 そうして、優しく励ます言葉を持っていただろう。

 いつも凍りついた薫の心を、柔らかく癒してくれたように。

 

「…しのぶさん」

 

 何を言えばいいのかわからず、呼びかけた薫を、しのぶは手で制した。

 スン、と鼻をすすり、顔を上げる。

 その目には涙の跡もなく、固く結んだ唇と同様、何かを決意した光が宿っていた。

 

「森野辺さん、すみません。あなたにはきっと私が姉の真似事をしているように見えるのでしょうね。その通りなんだから、文句を言うつもりもないですが」

「そんなことは…」

「あなたを見ていると、どうしても姉のことを思い出してしまう。あなたと交わす会話も、きっと姉の話になってしまう。きっと、ずっと先になれば……懐かしくお話できるのでしょう。でも、今は…」

 

 しのぶはフゥと息を吐いてから、薫を真正面から見つめた。

 

「はっきり申し上げます。あなたとは、しばらく会いたくありません」

 

 薫はその宣言を冷たいと思わなかった。

 むしろ、悲壮なほどの覚悟を感じて、なおのことしのぶが哀れにも、痛々しくも思えた。

 けれど、その憐れみこそ、しのぶには忌々しいものだろう。

 

「……わかりました」

 

 薫が頷くと、しのぶは頭を下げた。

 

「すみません。あなたは何も悪くないのに…」

 

 その小さい声に、薫はフフッと笑った。

 

「これくらいのことで、私は怒ったり傷ついたりしませんよ。私にはしのぶさんを慰めることもできないのですから、遠くから見守るくらいはさせて下さい」

 

 そう言って立ち上がってから、ふと気付く。

 

「見守るといっても…きっと近くしのぶさんは柱になられるのでしょうから……私がついていく立場になるでしょうね」

 

 カナエを失った後のしのぶの戦績は目ざましいものがあると聞いていた。

 元より毒を使って鬼を殺すという、従来にない技を編み出した功績も含めて、近々柱になるだろうということは、隊内で噂されていた。

 

「…精進します」

 

 しのぶはそうとだけ言ったが、薫を見つめ返す顔には、ほのかな自信があった。

 

 軽くお辞儀をして、薫は立ち上がると仏間を後にした。

 

 しばらくの間、ここで過ごしただけだというのに、妙に懐かしい。

 カナエがいないということだけが、あの頃と違う。

 

 玄関まで歩いてきて、廊下の先でじっとこちらを見ている女の子に気付く。

 

 確か、カナヲ…と言ったろうか。

 カナエが人買いから連れてきた子だ。

 

 人買いに売られたことが辛かったのか、それとも元々の生育環境がひどかったのか、とても可愛らしいのにいつも彼女は無表情だった。

 自ら何かをすることはなく、人から命令されないと動かない。いや、動けないのだ。

 

「寝なさいと言わないと、寝ることもしないの。ずっと目を開けて待ってるだけ。本当に困った子だわ」

 

 しのぶが昔、やきもきしながら言っていた。

 

 薫はこの子を見ると、実母を失った頃の自分を思い出した。

 

 ぼんやりと自分の前で、人は景色として過ぎていく。

 誰に何を言われても、石のような心は何も感じることができない。

 

 ただ生きるだけ。

 

 怒鳴られ、叩かれ、嘲弄されても、ただ言われたことをやって、生きていくだけ。

 

 心があるだけ辛いから、感情に蓋をした。

 

 ―――――自分の居場所ができりゃ、お前はきっと生きててよかったと思えるようになる……

 

 懐かしい言葉が甦る。

 

 銀二が自分に文字を教えてくれ、生きていく意味を与えてくれなかったら、ここに立っていたのはまったく別の薫だったろう……。

 

 そういえば、自分からは何もしないと言いながらも、カナエと夜遅くの任務から戻ってくると、必ずああやって立っていた。

 カナエは気付くと、いつも穏やかに笑って、

 

「ただいま。カナヲ」

 

と声をかけ、彼女を寝床まで連れて行っていた。

 

「私が任務に行くと、ああやって待っているの。それで、帰ってくるのを見たら安心するのかしらね? ようやく眠るのよ。可愛いでしょ?」

 

 そうだ。

 彼女に感情がないわけではない。

 今はまだ、表現できないだけ。

 

 カナエの心はきっと彼女に届いている…。

 

 薫はゆっくりとカナヲに近寄ると、なるべく優しい口調で言った。

 

「しのぶさんなら、帰ってますよ。仏間におられます」

「………」

 

 カナヲはコクンと頷いて、薫の横を通り過ぎて行く。

 しのぶの姿を見たら、ようやく眠れるのだろう。

 

 カナヲ以外にも、蝶屋敷にはカナエの継子を始めとして、肉親を失って天涯孤独となった少女達が幾人もいる。

 しのぶはこの蝶屋敷の主として、彼女達の面倒を見ていかねばならない。

 

 カナエのように生きようと決意した、しのぶの姿が頼もしくもあると同時に、悲壮で不憫だった。

 だが、その同情が彼女には迷惑なのだろう。

 

 なるべく…怪我をしても、藤の家の方で厄介になることにしよう…。

 

 最後に深く礼をして、薫は蝶屋敷を出て行った。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 門を出て少しだけ歩いて、不意に足が止まる。

 後ろでカナエが手を振って優しく笑っているような気がする。

 

 振り返りたくなったが、薫はギリと奥歯を噛みしめると走り出した。

 涙が溢れて風の中に散っていく。止められない。

 

 東洋一も、匡近も、カナエも。

 

 どうしてこうも立て続けに逝ってしまうのだろう…。

 心が千切れてどうにかなってしまいそうだ。

 

 それでも生きていけと…彼らが言っている。

 辛く苦しい日々を乗り越えて、命の限り生きて散った人達。

 

 いつか自分が彼らの元へと行った時に、せめて笑顔で迎えてもらうためにも、投げ出しては駄目だ。抛り出しては駄目だ。

 

 昨日語り合っていた仲間が、明日の明け方には死んでいる…。

 そんな過酷な鬼狩りの道を選んだのは他ならない自分だ。

 だから、どんなに親しい人の死であっても、受け止めなければならない。

 

 それでも、思い出の中からあの人は柔らかに微笑む。

 

 ―――――薫。泣きなさい。ちゃんと泣かないと、先に進めないのよ……

 

「……クッ!!」

 

 薫は急に足を止めた。

 

 坂道を上って、開けた視界の中で月を浮かべた川が滔々と流れている。

 

「…どう…して……」

 

 掠れた声で問いかけた。

 

 ―――――どうして、いつも…皆、私を置いていくの……?

 

 ガクッと膝が落ちて、四つん這いになる。

 肩を震わせ、嗚咽を殺すこともなく、薫はみっともないほどに泣いた。

 

 空を旋回していた祐喜之介は羽音をたてることなく舞い降りた。

 

 射干玉(ぬばたま)の黒い瞳が号泣する薫を、静かに映していた。

 

 

 

<つづく>

 






次回ですが、現在創作途中なので少し遅れます。来月中旬頃には更新できるよう頑張ります。見捨てずに待っていていただけると有り難いです。

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