【完結】金木犀匂ふ<鬼殺隊列伝・森野辺薫ノ帖> 作:水奈川葵
「なんだ。お前だったか…」
うっすらと目を覚ました薫の横で、男が不敵な笑みを浮かべて立っている。
「久しぶりだな、お嬢さん。俺のことは…覚えてるだろうな」
最初から覚えていて当たり前であるかのように言ってくる。
正直、なんとなく見覚えがあるにはあるのだが、はっきりと誰だと思い出せない。
特徴的なのは、左目に施された赤い木の実のような模様。
最初は入れ墨か何かかと思ったが、よく見ればそれは紅で書かれたものらしい。
あとは惚れ惚れするくらい筋肉がついていて、背に刀を背負っているのか、太い刀の柄が二本、交差して見える。
きっとこの人であれば、鬼との力勝負になっても、そうそう負けないだろう。羨ましいことだ……。
男は薫がぼーっと見つめたまま固まっているのを見て、ニヤリと笑った。
「俺様に見惚れるのはわかるが、まさか、わかってない…ってェんじゃないだろうな?」
ハッと、目が開く。
薫はガバリと起き上がって、男をまじまじと見つめた。
やはりどこかで会った記憶がある。
目の周囲に施された、赤い実のような模様に覚えがある。
同時に、みやことかえでのことが思い出された。
京の藤家紋の家で厄介になった時に、仲良くなった姉妹だ。
彼女達のはんなりした柔らかな都言葉が頭の中で響く。
―――――あの人はウ…イさん
―――――奥さんが三人もいはるねんて
あれは…まだ隊士になって間もない時期…確か、最初の任務で負傷して休養していた時だ。
朧げな記憶がぽつりぽつりと戻るにつれ、なぜだか申し訳ないような…物凄くバツの悪い気持ちがじわりじわりと染み出してくる。
何か彼に失礼なことを言ったような…。
思い出そうとする前に、目の前の男が腕組みして嘆息した。
「やれやれ…地味に忘れていやがるな。ってことは、あの言葉は本心だったんだな…」
「えっ…いえ…あの」
薫はあわてた。
とりあえず彼の名前だけでも答えなければ。
「え…えぇと……う、う…ウ…スイさんでしたっけ?」
恐る恐る言うと、男はキョトンとなった後に、プハッと笑った。
「点がなくなった途端に、間抜けに聞こえるぜ」
「てん? ウ…ズイ、さん? あ……ウズイさん?」
みやこ達が呼んでいたように、都言葉で問うと、男は顔を顰めた。
「あのチビ達の悪い癖がうつってるな。その呼び方だと、呼ばれた途端に力が抜けそうになるからやめてくれ。宇髄だ。宇髄天元」
「宇髄…天元…はい、宇髄………え?」
薫はその名前を心の中でもう一度反芻した。
今、彼は宇髄天元と言ったのだろうか?
宇髄天元。
音柱の宇髄天元…と?
◆◆◆
時は三日ほど前に遡る。
音柱・宇髄天元は珍しい人に呼ばれて、珍しい場所に来ていた。
薩見伯爵邸。
この屋敷の主である
その影響力の原資となっているのは、莫大な財力と膨大な情報力。
それらの出処は産屋敷家である。
薩見家は古くは産屋敷家において執事のような役割であったが、現在では決して表に出ることのない産屋敷家の渉外活動を担っている。
鬼殺隊においては、隊内における維持統制の管理をしており、いわば隠の総元締ともいえる役割だ。
本部、と一般に隊士が言うのは、彼が管理する鬼殺隊組織の調整機関のことを指す。
ただし、歴史的にこの部署は権力は持たない。
意思決定はあくまで産屋敷当主である『お館様』と柱による合議である。
無論、それでも長い歴史の中には傲慢な執事もいたようだが、そうした人間であった場合は、柱なりお館様なりがすぐに排除してきた。
彼らは自らの分限を子々孫々にしつこく言い聞かせたようで、当代の執事殿は隊士にも柱にも、極めて紳士的に恭謙に振る舞っている。
内心はどうあれ、あくまでも産屋敷家と鬼殺隊における潤滑油としての役目に徹しているのだ。
「アンタが直接、言ってくるとは珍しいな」
舶来物の上等らしい肘掛け椅子にどっかと座り込み、天元がフンと小馬鹿にしたように言っても、薩見伯爵はいつも通りの澄まし顔だった。
細長い顔の輪郭にぴっちり収まった黒縁の丸眼鏡に、鼻の幅をはみ出すことなくぴっちり切り揃えた口髭、皺のない三揃いの背広をぴっちり着て、短い髪は後ろにぴっちりなでつけている。
いついかなる時もこのぴっちりした格好なので、寝巻もこれなんじゃないのかとすら思えてくる…。
「ここ半年ほどの間に、奇妙なことが起きております」
トポトポと切子のグラスに洋酒を注ぎながら、伯爵は平坦な口調で話し始める。
「若いご令嬢が突然、家から失踪しているというのです」
「………家出じゃねぇの?」
「深窓のご令嬢が、夜中に家から出るなど有り得ません。お付きの者もなしで」
「ふぅん。それで? 鬼がいるのか?」
薩見伯爵は自制のきく人間ではあるが、年齢は天元よりも随分と上なので(確か当年とって四十であったように思う)、年若い柱などはどうしても子供のように思えてしまうのだろうか。いちいち前置きが長い。
天元が面倒な説明をすっ飛ばして結論に入ろうとすると、伯爵は酒のたっぷり入った青い切子のグラスを渡しながら苦笑いを浮かべた。
「さて、どうでしょう。可能性としては非常に高いのですが……」
「勿体ぶってないで、とっとと仕事の話を始めよう」
天元はもらったグラスに口をつけることもなく、横にあった小さなテーブルに置くと、パチリと指を弾く。
「要は、調べて欲しいんだろう? 鬼の仕業か、卑しい人間のやっている事なのか」
「左様でございます」
「
「一部、隊士を潜行させましたが、成果がなく。下手に動くと、要らざる疑心を招いて、少々対処が面倒にもなりますので」
「アンタがそう言うってことは、既にそういう事態が起きてしまった訳だな? お館様の手を煩わせるような事が」
「………ご拝察痛み入ります」
あくまで澄まして伯爵は頭を下げるが、内心では相当不満が溜まっているのだろう。その隊士がうまく立ち回れなかったせいで、おそらく痛くもない腹を探られたのか。
「具体的には?」
天元は先を急かした。
伯爵の愚痴に付き合うつもりはない。
「失踪された令嬢について調査したところ、いくつか共通点が見つかりました。その一つが、月に一度催される
「月に一度も宴会開いてんのか。派手でけっこうなこった」
「まぁ、表向きには西洋文化についての造詣を深めていこう…という趣向をこらした少々珍しい夜会となっております。音楽会であったり、美術品の鑑賞会であったり、その時々で内容は変わるのですが、実際には各界における人脈作りというのが一番の目的ではありましょう。そのため、平民であっても一定以上の格式が保たれると判断されれば招待するようで、ご令嬢方の参加は他の華族が催す夜会に比べると多いようです」
「一定以上の格式、ねぇ…?」
天元はフッと笑って、チクリと刺す。
「その招待を受けるご令嬢が美人ってのも、一定以上の格式とやらに入ってるワケかい?」
薩見伯爵は天元の皮肉に、クイと眼鏡を持ち上げ、やはり澄まし顔で答える。
「まぁ、そのようですよ」
「ケッ…ご華族って方々もやってるこたぁ、
「一部、そのような者がいることは否定しません」
「やれやれ……」
天元はため息をつくと、面倒そうにつぶやいた。
以前にもこうした上流階級に関連した任務を引き受けた事はあるが、正直、自分にはあまり関わりのない人間で、今後もそう関わりたくない部類の人間だ。
とはいえ、仕事であれば好き嫌いを言ってもいられない。
「で、その宴会に出て…ほかの共通点は?」
「少々、微妙なことではあるのですが……」
言いながら、薩見伯爵はあまり自信がないのか、声を落とす。
「その…その時の夜会で、目立っていた…と思われるご令嬢が狙われることが多いようなのです」
「…目立ってた?」
「例えば、ドレスが海外の最先端の流行を取り入れたものであるとか、皆の憧れの的である貴公子と一緒に夜会に参加した…ですとか、あるいは単純に万人の目を引く美人であった…とか。とにかくその時の夜会で注目されていた方が、その後に行方を晦ましてしまうのです」
「要は、派手だったんだな」
「まぁ…有り体に言えば」
薩見伯爵はあっさり認めて、一口、グラスの酒を含む。天元は肩をすくめた。
「それで俺に白羽の矢が立ったってワケかい。しかし、狙われているのが女なら、さすがに俺が派手にやらかしても無理なんじゃねぇの? 誰ぞ、適当な女隊士でも連れて行きゃいいのか?」
「それについては…こちらで厳選しました。華族の社交場に紛れるのですから、誰でもという訳にも参りません。それらしい立ち居振舞いができる上に、なるべくなら見目好い者」
聞きながら天元はざっと知り合いの隊士を思い浮かべたが、女など元から少ない上、そんな条件に見合った隊士がいるとは思えない。
かろうじて思い当たるのは、比較的裕福な家庭で育ったという元花柱の姉妹ぐらいだ。姉の方はもう亡くなってしまったが…。
「死んだ胡蝶の妹あたりか? 姉に劣らず実力者と聞いてるが…」
「胡蝶しのぶ様も考えましたが、それより適任者がおりましたので」
「適任者? 華族の令嬢においそれと化けられるような上品な女が鬼殺隊にいたか?」
「私も、まさかと思いました。見つけた時には」
薩見伯爵は言いながら、眉を顰めた。
珍しく機嫌の悪い様子だ。
天元は意外そうに尋ねた。
「どうした、伯爵? もしかして、知り合いか?」
「……一度、見かけた程度です。確かに子爵夫妻が亡くなり、養子であったご令嬢がただ一人遺された…とは聞いていたのですが……まさか」
そこまで言いかけて、薩見伯爵はハッとしたように口を噤んだ。
「すみません」と、話を元に戻す。
「いずれにしろ、元華族令嬢であった女隊士なので、潜入するには申し分ないでしょう」
「ふ……運がいいやら悪いやら。そんな身分のお嬢さんが鬼殺隊に入るとはねぇ」
天元は皮肉っぽく口の端を上げると、テーブルの上に置いてあったブランデーを一口だけ含んだが、すぐに渋面になった。
どうも、洋酒というのは口に合わない。香りも味も、何がうまいんだか。
「要するに、俺は目立たせ役ってワケだな? 鬼にその不運なお嬢さん隊士を喰らいつかせるための」
「無論、鬼の仕業と判明した場合には即時滅殺です」
「……腕は立つのか? そのお嬢さん隊士は」
「一応、階級は今、丙です。ただ、先だっての任務で負傷して、今は横浜にある藤家紋の屋敷で養生中です」
「おいおい…大丈夫かよ」
「勤務態度は真面目だと聞いております。引き受けた以上は必ずやり遂げる責任感は持っていると思いますが…」
「責任感ねぇ…」
天元はせせら笑った。
真面目で頑固で…責任感が強いのは、概ね美徳だ。自分とは相容れないが。
薩見伯爵は天元の皮肉な笑みをどう受け取ったのか、妙な釈明をした。
「音柱様であれば、一緒に現れただけで、あまたのご令嬢が羨みましょう。美男と有名な妹尾男爵や、松島公爵のご令息も霞むでしょうな」
「ヘッ! お世辞かい? 伯爵も余計な気遣いは無用だ。言われなくてもわかってるしな」
「……左様でございました」
伯爵はいかにも上辺の微笑を浮かべる。
「いずれにしろ、一度彼女に会っていただいて、音柱様の方で今回の任務を担当できるだけの能力の有無を見定めていただきたい。私としては一番彼女が適任だとは思いますが、無理なようであれば、他にも候補は数名、選出しております」
「ま、面倒な女でなけりゃいいさ。名前は?」
「森野辺薫です」
その名前を聞いて天元は、ん? と首を傾げた。
何となく聞き覚えがあったからだ。
だが、はっきりと思い出せないところを見ると、共同任務などで知った訳ではないようだ。
いずれにしろ、会えばはっきりするだろう…。
そうして横浜にある藤家紋の家で寝ていた薫を訪問し、寝顔をじっくり見てから思い出した。
京都の藤家紋の家で
珍しくも、この宇髄天元様の格好良さがわからないなどと抜かした、美の基準がおかしな女だ。
「なんだ。お前だったか…」
◆◆◆
ひとまず、藤の家の主人がとりなして、天元には応接間で待ってもらい、薫はあわてて隊服を着て、髪を一つ括りにする。
鏡を見て、まだ多少、顔色が悪く見えたので、仕方なしに紅を少しだけ唇に引いた。
音柱…話だけは聞いている。
元忍びの者であったらしい。
この時代に忍者などいるのかと聞いた時には思ったが、人里離れた集落でそうした生業を専門とする人々が暮らしているらしい。
昔も今も、専門的な経験値と人並み外れた身体能力をもって諜報活動を行う者は、時の権力者には有用な人材なのだろう。
ただ、音柱は技も含めて、およそ忍びらしくない…との評判も聞いていた。
なにせ、大掛かりで豪快な技を繰り出すらしい。
見た目だけでなく威力も相当で、数百体いた鬼の分身を、たった一度の呼吸の技で全滅させた…という話は、大坂の道場でも何度か耳に入ってきた。
大柄な体躯に似合わず俊敏で、時に音もなく背後に立たれていることがあるらしい。
さすが元忍者というだけあって、挙措は静かで、走る時ですら音がしない…という嘘か本当かわからない噂もある。
確かに、この仕事についてからというもの、熟睡することがほぼない薫ですら、さっき声をかけられるまで、隣にいたと気づかなかったほどだ。
パンパンと頬を叩いて、気を奮い立たせてから薫は立ち上がった。
「久方ぶりにお目にかかります。階級・丙の森野辺薫でございます。音柱様にわざわざご足労いただき、恐縮にございます」
応接間に入るなり、正座して深々と礼をする。
天元は立ち上がって近寄ってくると、薫の顎をクイと持ち上げた。
「……あの?」
まじまじと無遠慮に眺められ、薫は少々、ムッとする。
初対面でないとはいえ、まるで品定めするかのような天元の視線は不快だった。
下から睨むように見てくる薫を興味深そうに見た後、天元は急に手を離した。
「顔色はイマイチだが、まぁ寝起きだからな。どうだ? 体調は戻ってきたか?」
なぜいきなりそんなことを聞かれるのかわからないまま、薫は一応、返事した。
「はい。徐々に修行も開始しておりますので、」
「そうかい。今、鬼に遭遇しても、やれそうか?」
「無論のこと」
即答した薫を見て、天元はフッと笑う。
「よし、合格だ。今から出れるか? 今回の任務、ちょいと準備が必要でな」
言われるがまま、薫は少ない荷物をまとめると、しばらく世話になった藤家紋の家を後にした。
<つづく>
次回は二週間後に更新予定です。遅くなりましてすみません。